「はよ〜。元気か、香澄」
香澄が自分の所属するクラスに割り振られた教室に入ると、薄い茶色の髪の少年に話しかけられる。赤いフチの眼鏡をかけた少年は席に座っており、つむじの近くは元の髪色である黒色に戻っているのが立っている香澄には見えた。
「おはようございます。元気はあります」
「強がるなよ。身売りされるっていうのに元気があるわけないだろ」
楽しそうな弾む声色。愉快そうに笑顔を向ける少年は香澄の幼なじみだ。
同じ祓い人の家系で、家同士の間を取り持つ間取家。その一人息子であり、次期当主の少年――間取紫風の前の席に香澄は座る。
出席番号が遠いので最初の席は遠かったのだが、すぐに行われた席替えで前後の席になったのだ。
顔も整っていて、性格も明るい紫風は女子生徒から人気がある。わざわざ話しかけてくる必要も無いのに、彼は香澄によく構う。
それは好きな異性に対する態度ではなく、珍生物を前にした人間が興味を引かれているような態度だ。
紫風が話しかけてくれなければ、一言も発せずに学校の時間を終えることが香澄には分かっている。なので極力、紫風の話に付き合うようにしている。言語機能の衰退は、香澄にとっても危惧すべき問題だからだ。
「紫風は知っているでしょう。私の望みを。だから元気です」
「……おい、お前何をやらかす気だ」
「そういえば、今回の縁談について教えていただけますか」
「無視かよ」
不機嫌そうに顔を顰めながらも、香澄の言葉を待ってくれる紫風。これは答えてくれるということだろう、と判断した香澄は、遠慮なく縁談についていくつか尋ねることにした。
「今回の縁談は、妖狐……桂様から言い出したのですか?」
「いんや、元を辿れば国の方針だ」
「国の?」
「前々から人間と妖怪の共生のために動いてただろ。最近あれが活発になってな」
人間と妖怪はかつてはいがみ合っていた。必ず人間の目に映る訳ではない妖怪を、人は恐れ傷つけてきた。
そして妖怪も、我がもの顔で世界を消費するような傲慢な振る舞いをする人間を嫌悪し、傷つけてきた。
そのままで良いはずもない。手を取り合い、共生すべきだ。その主張が出始めたのは何百年前か。
事実として認識しているのは、現代になっても争いの中心地点だったこの街では、共生は成されていない。それが現実だった。
「どうして今、その主張が活発化してきたんですか」
「しらねぇ。絶対何かしらはあったんだろうが、まぁ今は関係ないな。結局、共生のための施策のひとつとして、対立してきた祓い人と妖怪の縁談が集会で持ち上がったんだ」
香澄としては国の動きが気になるが、確かにそれは今知りたいこととはズレる。頭から疑問を追い出し、知るべきことを追求することにする。
「私が上がったのは、どの家も縁談を嫌がったからですか」
「そう。どの家も難色を示してな。その中で手を挙げたあのおっさんはマジで浮いてたぞ。みんな不審がっていた。だけど渡りに船、押し付けた方がいいって考えたんだろうな。爆速で決まったぞ」
「伯父様としては、都合が良かったんですね」
「邪魔者を追い出すためにはな」
香澄への配慮は無しにズバッと本当のことを告げる紫風。彼は配慮をする必要は無いからそうしているだけであり、もしこの事実に香澄が傷つくのならぼかして言ったはずだ。
香澄としては自分の考えが間違っていないと言われているようで、安心感を感じていた。
「意外だったのは、妖狐様の方が承諾してくれたことだけどな」
「事前に聞いてなかったんですか?」
「集会で長老が言った適当な案だからな。言った本人すら採用されるとは思ってなかったみたいで、大口開けて驚いてたぞ。入れ歯が外に飛び出そうになってた」
長老とは、かなり大きな祓い人の家の当主だ。御歳九十五歳。その歳で祓い人として現役なのだから驚きだ。
その息子からは早く天に召され、当主の座を譲って欲しいと願われているのだが。その願いは届かず、百歳を超えても現役なのではないかと囁かれている。
しばしば突拍子もない提案をして否決され、家で不機嫌になっているらしいが、今回は珍しく採用となったようだ。
こんな突拍子もない案が採用されるとは。他に大した案が出なかったことが、香澄にも容易に想像着いた。
「なんで、妖狐様が承諾したかは知らんが、そんな感じで今回の縁談が決まった。それにしても妖狐に縁談の話を持っていく父さんの顔……くくっ、あれは傑作だった。人の顔はあそこまで真っ白になれるもんなんだな。震えもひどくてな、家が倒壊するかと思ったぜ」
「相変わらず、間取家の当主様は可哀想ですね。今度胃薬でも差し入れましょうか?」
「家に大量にストックあるから貰っても困るぞ。家の一室が父さんの薬置き場だからな。……俺が当主になる日も近いかもな」
「聞かなかったことにしておきます」
妖狐の真意。縁談を承諾した理由。それを紫風は知らない。だから香澄は問いつめることはしなかった。
香澄にとって重要なのは、妖狐が縁談を承諾してくれたおかげで 、自分の願いに手がかかった。その事実だけだ。
だから香澄は、願いを実現させるべく最初の行動を起こす。それは、カバンからノートを取り出すことだった。
「何始めるんだ?」
香澄は紫風の疑問に答えず、カバンから取りだした新品のノートを紫風の机に乗せて、何かを書き始める。それを見て紫風は「うわぁ……」と声を上げた。
「人のノートを見て、それは失礼じゃないでしょうか」
「いや、誰だって頭抱えるだろそれ。俺以外なら間違いなく止めるわ」
そう言いつつ、スラスラと文字とイラストで埋まっていくノートを興味深そうに見つめる紫風。
「ほー、勉強になるな」
「紫風には参考にならないのではないですか? 私と貴方じゃタイプが違いますよね」
祓い人にも戦闘スタイルがある。家ごとに特色があり、紫風の生家である間取は術に秀でている。武器を使い、敵を攻めるタイプの香澄とは似ても似つかない。
「まぁな。でも参考にできることがあれば、そうする。お前は特殊だから、そんなところ見つかるかは微妙だけどな。……あ、狙うなら一発撃破。妖狐は幻術が得意だから長期戦は不利だ」
紫風は下にずれた眼鏡を元の位置に戻し、真面目に香澄のノートを見つめる。
願いのためとはいえ、無謀なことをしようとしている自覚がある。それを止めずに、なんなら助言までしてくれる紫風。
(思えば、昔から紫風はこうでしたね)
息苦しい倉橋家。失意に襲われる妖怪退治。そんな中で、紫風の近くは息がしやすかった。
倉橋家から逃がしてくれるわけではない。願いを直接叶えてくれるわけでもない。それでも紫風は香澄にとって、代わりのいない幼なじみだった。
「……どうした?」
香澄の手が止まり、自分を見ていることに気づいた紫風が首を傾げる。
「紫風は、私を止めないんですか?」
先程紫風が言った通り、もしこのノートを祓い人が見たら間違いなく香澄を止める。これを見過ごせば、事が終わったあとに見てしまった自分も巻き込まれるかもしれないからだ。
香澄は阿呆ではない。このノートの危険性も、自分がやろうとしていることの愚かさもわかっている。
だからこそ、聞いておきたかった。紫風に、自分を止めないのかと。愚かな女の暴走後、自分に火の粉が降りかかるのだとしても、これを見過ごすのかと。
「止めてほしいのか? 無謀だ、無理だ、あまりにも不敬すぎるって、止められればお前はやめるのか?」
「やめません」
即答だった。香澄はその願いが叶う日を心待ちにしていた。早く、早く、その日が来てくれることを何よりも願っていた。だから迷う必要はなかった。
「ならいいだろ」
そう言いきる紫風。香澄は「ありがとうございます」と呟く。
「なんでお礼?」
「言いたかっただけです」
願いが叶えば、紫風とこうして話すこともない。それに胸の辺りがザワつく感覚を覚えた香澄。しかしその理由がよく分からず、疑問に思いながらも願いのためにノートに向き合う。
「……まぁ、叶うなずもないしな」
集中する香澄に、紫風の独り言は聞こえなかったのだった。
――そして、物語は冒頭へと戻る。
香澄が自分の所属するクラスに割り振られた教室に入ると、薄い茶色の髪の少年に話しかけられる。赤いフチの眼鏡をかけた少年は席に座っており、つむじの近くは元の髪色である黒色に戻っているのが立っている香澄には見えた。
「おはようございます。元気はあります」
「強がるなよ。身売りされるっていうのに元気があるわけないだろ」
楽しそうな弾む声色。愉快そうに笑顔を向ける少年は香澄の幼なじみだ。
同じ祓い人の家系で、家同士の間を取り持つ間取家。その一人息子であり、次期当主の少年――間取紫風の前の席に香澄は座る。
出席番号が遠いので最初の席は遠かったのだが、すぐに行われた席替えで前後の席になったのだ。
顔も整っていて、性格も明るい紫風は女子生徒から人気がある。わざわざ話しかけてくる必要も無いのに、彼は香澄によく構う。
それは好きな異性に対する態度ではなく、珍生物を前にした人間が興味を引かれているような態度だ。
紫風が話しかけてくれなければ、一言も発せずに学校の時間を終えることが香澄には分かっている。なので極力、紫風の話に付き合うようにしている。言語機能の衰退は、香澄にとっても危惧すべき問題だからだ。
「紫風は知っているでしょう。私の望みを。だから元気です」
「……おい、お前何をやらかす気だ」
「そういえば、今回の縁談について教えていただけますか」
「無視かよ」
不機嫌そうに顔を顰めながらも、香澄の言葉を待ってくれる紫風。これは答えてくれるということだろう、と判断した香澄は、遠慮なく縁談についていくつか尋ねることにした。
「今回の縁談は、妖狐……桂様から言い出したのですか?」
「いんや、元を辿れば国の方針だ」
「国の?」
「前々から人間と妖怪の共生のために動いてただろ。最近あれが活発になってな」
人間と妖怪はかつてはいがみ合っていた。必ず人間の目に映る訳ではない妖怪を、人は恐れ傷つけてきた。
そして妖怪も、我がもの顔で世界を消費するような傲慢な振る舞いをする人間を嫌悪し、傷つけてきた。
そのままで良いはずもない。手を取り合い、共生すべきだ。その主張が出始めたのは何百年前か。
事実として認識しているのは、現代になっても争いの中心地点だったこの街では、共生は成されていない。それが現実だった。
「どうして今、その主張が活発化してきたんですか」
「しらねぇ。絶対何かしらはあったんだろうが、まぁ今は関係ないな。結局、共生のための施策のひとつとして、対立してきた祓い人と妖怪の縁談が集会で持ち上がったんだ」
香澄としては国の動きが気になるが、確かにそれは今知りたいこととはズレる。頭から疑問を追い出し、知るべきことを追求することにする。
「私が上がったのは、どの家も縁談を嫌がったからですか」
「そう。どの家も難色を示してな。その中で手を挙げたあのおっさんはマジで浮いてたぞ。みんな不審がっていた。だけど渡りに船、押し付けた方がいいって考えたんだろうな。爆速で決まったぞ」
「伯父様としては、都合が良かったんですね」
「邪魔者を追い出すためにはな」
香澄への配慮は無しにズバッと本当のことを告げる紫風。彼は配慮をする必要は無いからそうしているだけであり、もしこの事実に香澄が傷つくのならぼかして言ったはずだ。
香澄としては自分の考えが間違っていないと言われているようで、安心感を感じていた。
「意外だったのは、妖狐様の方が承諾してくれたことだけどな」
「事前に聞いてなかったんですか?」
「集会で長老が言った適当な案だからな。言った本人すら採用されるとは思ってなかったみたいで、大口開けて驚いてたぞ。入れ歯が外に飛び出そうになってた」
長老とは、かなり大きな祓い人の家の当主だ。御歳九十五歳。その歳で祓い人として現役なのだから驚きだ。
その息子からは早く天に召され、当主の座を譲って欲しいと願われているのだが。その願いは届かず、百歳を超えても現役なのではないかと囁かれている。
しばしば突拍子もない提案をして否決され、家で不機嫌になっているらしいが、今回は珍しく採用となったようだ。
こんな突拍子もない案が採用されるとは。他に大した案が出なかったことが、香澄にも容易に想像着いた。
「なんで、妖狐様が承諾したかは知らんが、そんな感じで今回の縁談が決まった。それにしても妖狐に縁談の話を持っていく父さんの顔……くくっ、あれは傑作だった。人の顔はあそこまで真っ白になれるもんなんだな。震えもひどくてな、家が倒壊するかと思ったぜ」
「相変わらず、間取家の当主様は可哀想ですね。今度胃薬でも差し入れましょうか?」
「家に大量にストックあるから貰っても困るぞ。家の一室が父さんの薬置き場だからな。……俺が当主になる日も近いかもな」
「聞かなかったことにしておきます」
妖狐の真意。縁談を承諾した理由。それを紫風は知らない。だから香澄は問いつめることはしなかった。
香澄にとって重要なのは、妖狐が縁談を承諾してくれたおかげで 、自分の願いに手がかかった。その事実だけだ。
だから香澄は、願いを実現させるべく最初の行動を起こす。それは、カバンからノートを取り出すことだった。
「何始めるんだ?」
香澄は紫風の疑問に答えず、カバンから取りだした新品のノートを紫風の机に乗せて、何かを書き始める。それを見て紫風は「うわぁ……」と声を上げた。
「人のノートを見て、それは失礼じゃないでしょうか」
「いや、誰だって頭抱えるだろそれ。俺以外なら間違いなく止めるわ」
そう言いつつ、スラスラと文字とイラストで埋まっていくノートを興味深そうに見つめる紫風。
「ほー、勉強になるな」
「紫風には参考にならないのではないですか? 私と貴方じゃタイプが違いますよね」
祓い人にも戦闘スタイルがある。家ごとに特色があり、紫風の生家である間取は術に秀でている。武器を使い、敵を攻めるタイプの香澄とは似ても似つかない。
「まぁな。でも参考にできることがあれば、そうする。お前は特殊だから、そんなところ見つかるかは微妙だけどな。……あ、狙うなら一発撃破。妖狐は幻術が得意だから長期戦は不利だ」
紫風は下にずれた眼鏡を元の位置に戻し、真面目に香澄のノートを見つめる。
願いのためとはいえ、無謀なことをしようとしている自覚がある。それを止めずに、なんなら助言までしてくれる紫風。
(思えば、昔から紫風はこうでしたね)
息苦しい倉橋家。失意に襲われる妖怪退治。そんな中で、紫風の近くは息がしやすかった。
倉橋家から逃がしてくれるわけではない。願いを直接叶えてくれるわけでもない。それでも紫風は香澄にとって、代わりのいない幼なじみだった。
「……どうした?」
香澄の手が止まり、自分を見ていることに気づいた紫風が首を傾げる。
「紫風は、私を止めないんですか?」
先程紫風が言った通り、もしこのノートを祓い人が見たら間違いなく香澄を止める。これを見過ごせば、事が終わったあとに見てしまった自分も巻き込まれるかもしれないからだ。
香澄は阿呆ではない。このノートの危険性も、自分がやろうとしていることの愚かさもわかっている。
だからこそ、聞いておきたかった。紫風に、自分を止めないのかと。愚かな女の暴走後、自分に火の粉が降りかかるのだとしても、これを見過ごすのかと。
「止めてほしいのか? 無謀だ、無理だ、あまりにも不敬すぎるって、止められればお前はやめるのか?」
「やめません」
即答だった。香澄はその願いが叶う日を心待ちにしていた。早く、早く、その日が来てくれることを何よりも願っていた。だから迷う必要はなかった。
「ならいいだろ」
そう言いきる紫風。香澄は「ありがとうございます」と呟く。
「なんでお礼?」
「言いたかっただけです」
願いが叶えば、紫風とこうして話すこともない。それに胸の辺りがザワつく感覚を覚えた香澄。しかしその理由がよく分からず、疑問に思いながらも願いのためにノートに向き合う。
「……まぁ、叶うなずもないしな」
集中する香澄に、紫風の独り言は聞こえなかったのだった。
――そして、物語は冒頭へと戻る。

