生真面目妖狐と孤独な祓い屋の嫁入り婚

 今、篝は何を言ったのか。聞こえてはいたが思考が追いつかず、香澄は「縁談……?」と復唱した。

「そう言っている」

 縁談。恋愛結婚が主流である現代においては珍しいが、香澄の生きている祓い人の世界では何ら珍しい話ではない。
 祓い屋の家系といえど、妖怪を見える人間が必ず生まれるわけではない。見えない人間が多くなると、見える人間の血を濃くするために他所の家の人間を向かい入れる。そして血を濃くし、見える人間を繋いでいく。
 もちろんそんな理由で嫁いだ人間に幸せはない。
 他所の家に嫁ぐことになった人間は、スパイとしての役目も担う。自分の生家のため、他所の家を蹴落とすために弱みなどを探す。その事を分かっているため、大抵の家では迎え入れた妻、または夫を、子を成すための道具とし、その自由を奪う。
 いずれ自分も似たようなことになるだろうとは、香澄も分かっていた。
 香澄には、妖怪を祓う力は無いということになっている。天才と称された父親から生まれた無能、ということになっている彼女は、他家から蔑まれていた。
 しかし香澄が無能だからといって、その子供も無能とは限らない。香澄の産んだ子供は、香澄の父親のような天才になるかもしれない。
 そのような考えから、他家に嫁がされ、夫となる男性の子を産むだけの生活が来ると。
 いずれはそうなるだろうが、てっきり結婚のできる十八までは話は来ない、と香澄は思っていた。
 香澄は現在十五歳。人間の法律に照らし合わせれば、結婚するにはあと三年ほど時間が足りない。
 可能性があるとするのなら、篝が香澄の年齢を勘違いしているか、結婚という形をとる前から子を成すことを強いられるか。もしくは子を成す必要のない政略結婚、つまりは人間以外が相手の婚姻。

「失礼ですが、相手は?」
「三大妖怪の一人、桂とかいう狐だ」

 三大妖怪――妖怪の中でも、大きな力と権力を持つものを人間の間ではそう呼ぶ。時代によって変化はするが、確かその一席は長らく妖狐の一族に引き継がれていたはずだ。現在は桂という名前らしい。権力と無縁の香澄にとっては関係なく、全く知らないことだった。

「前々から話には上がっていたが、本日の集会で本決まりになった。明日から妖狐の家に行け。地図はこれだ」

 篝が机に置いてあった紙を投げる。対して遠くへ飛ばなかった紙を香澄は近づいて拾い上げた。コピー用紙に印刷された地図には丸印が付けられている。確認すればかなりの山奥だった。

「……明日からですか?」
「厳密には今日だ。朝まではいても良いが、家を出てからは絶対に帰ってくるな」

 実質の勘当宣言。それに悲しさを覚えるような心は、十年ほど前に捨て去ってしまっている。なので香澄は必要なことだけを聞く。

「それは先方にも話は通されているのですか?」
「間取が話を通したそうだ。もし門前払いをされたのなら、苦情はそちらにしろ。それと、今まで通り倉橋家に来た依頼はお前がこなせ」

 自分勝手に香澄を追い出そうとするが、家に来た仕事は押し付ける。身勝手な篝に、香澄が心を動かされることは無い。それが当たり前なのだから。
 約十年前。妖怪に襲われて亡くなった弟夫婦の娘。それが篝にとっての香澄。自分たちの娘よりも妖怪を祓う才能を持ち、実の娘の後継者の地位を脅かす厄介者。
 それを放逐せずに育ててくれただけ香澄は感謝しなければならない。愛など、求めるだけ無駄だ。

「分かりました」
「話は以上だ。下がれ」

 香澄は部屋を出ていこうと襖に手をかける。

「はぁ、やっと邪魔者がいなくなる」

 聞こえるように言ったであろう独り言。香澄は聞かなかった振りをして「失礼しました」と頭を下げて退室した。
 香澄は廊下を歩きながら、荷造りについて考え始める。学校へ行くのと同時なら、学校へ必要な荷物を全て持っていかなければいけない。最低限の着替えと、学校で使う教材。あとはなにか欲しいものはあったか。
 香澄は思い出そうと頭を使っていて、周囲の気配を気にしていなかった。そのせいで前方から歩いてくる人に気づくのが遅れてしまう。

「あらぁー。香澄じゃない?」

 声をかけられて、ようやく香澄はその人に気づき、急いで頭を下げた。

「こんばんは、伯母様」

 篝の妻で、香澄にとっては伯母に当たる倉橋玉代は、まるで道に転がる虫の死体を見るかのような瞳を香澄に向けた。

「何で貴女がこんな所にいるのかしら? 追い出す……いいえ、傲岸不遜な妖怪に嫁ぐ、と聞いていたのに」

 どうやら玉代は先に話を聞いていたらしい。恐らく、香澄以外の屋敷の人間は、もうみんな知っているのだろう。
 くるくると自身の長い茶髪を指で弄る玉代に「それは明日の予定です」と聞いたばかりのことを伝える。

「今から行ってきたらどうかしら。貴女みたいな穢らわしい人間と、同じ空気を吸うのすら嫌だもの。ねぇ、手毬」

 香澄は頭を上げず、視線だけで確認すれば、そこには義姉である手毬の姿があった。手毬は暗い顔のまま「……そうですね」と玉代の発言を肯定した。

「先方にも迷惑がかかりますので」
「つまらないわね。もういいわ。どうせ明日にはいなくなるんだしね。行きましょう、手毬」

 そう吐き捨てて、玉代はさっさと香澄とすれ違って行く――途中で勢いよく香澄とぶつかった。身構えていなかった香澄は、勢いよく開いていた部屋に倒れ込んだ。

「あらごめんなさい。夜だから眠くて……。貴女もさっさと寝なさいな」

 それだけ言って、今度こそ玉代は立ち去っていく。そのあとを急いで追いかける手毬は、香澄を視界に入れると鋭い瞳を向けた。

「ようやくいなくなるのね。……じゃあね、泥棒香澄」

 手毬の言葉と声に、香澄はずっと違和感を覚えていた。家を追い出されれば、学校以外で手毬と会うことは無い。学年が違う手毬は、徹底的に香澄を避けている。だから違和感を尋ねるチャンスはここしかない。
 香澄は問いかけるために口を開く。けれど何が言いたいのか、違和感の正体を頭でわかっておらず、開いた口から出てきたのは声にならない息の塊だけだった。その間に手毬は玉代を追ってスタスタと歩き去ってしまう。
 二人の姿が見えなくなってから、香澄は立ち上がり、自分の部屋へと向かう。
 疑問を尋ねられなかったのは残念だが仕方ない。どうせ知っても意味の無いことだ。香澄は切りかえて、先程の続きを考える。
 荷物は最小限にしなければいけない。あまり多くを持っていくところを見られたら、玉代になんと言われるのか。最悪の場合、荷物全てを焼却されかねない。
 最低限の荷物とはどこまでを指すのか。考えながら、屋敷の奥にある自分の部屋に入る。
 手毬とは違う、四畳半の部屋。そこは、強盗が入った後のように服が引き出され、引き出しが無造作に開けられていた。
 香澄はその光景に驚きはしたものの、慌てたりはせずに無くなっている物がないかの確認を始める。
 元々、香澄のものは少ないので確認はすぐに終わった。学校の教材などは全て残っていたが、妖怪を祓うのに使う武器のいくつかが無くなっていた。どれも換金ができる程度には良い武器だったので、残念には思ったが、無くなっても仕事に支障はない。それに、明日使いたい武器は残っていた。
 月の光すら差し込まない牢屋のような部屋の中、香澄が微笑んだことを知るものは誰もいない。

「やっと……やっと、私の願いが叶う」

 喜びに満ちたはずの声。しかしそれは確かに香澄の心を傷つけていた。
 香澄本人すら気づかない痛みに気づいてくれる存在も、まだどこにもいないのだった。