数日後、無事に病院から退院できた香澄は久しぶりに屋敷へと戻ってきた。
みんな喜んでくれて、千もせっかくだからと、腕を振るい豪華な夕食を用意してくれた。楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもので、夕食の時間は終わってしまった。そのことに寂しさはあるが、一回きりではない。またこうやって過ごす時間があると、今の香澄は希望を持つことができた。
そうして、夕食を終えてから、香澄は桂の部屋へと向かった。理由は一つ。期限を過ぎてしまった約束を果たすためだ。
香澄は部屋の扉の前に立ち、緊張を和らげる為に深呼吸をしてからノックをした。
「倉橋香澄です。入ってもよろしいですか」
「…………入れ」
「失礼します」
部屋に入ると桂がじっと香澄を見つめてくる。少し居心地の悪さを覚えながら、香澄は向かいに座った。
「何の用だ?」
「約束を……期限は守れなかったので、守りに来たとは言えないのですが……それでも話さなくてはいけないと思い来ました」
「期限? 守れているだろう」
「えっと、もう一週間以上も過ぎて……」
桂が電子式の時計に向けて指を指す。日付も表示されるタイプのものだ。香澄はそれを見て、唖然とした。
そこに表示されていたのは、約束の日。一週間以上も前の日付だったからだ。
「…………妖力の無駄遣いでは?」
「何のことだか」
どうやら白を切るつもりらしかった。
思えば香澄は今日、カレンダーをチェックしていない。もしかしたら桂は、この屋敷中の日付を示すものに細工をしたのかもしれない。理由はわからないが、可能性だけはある。もちろん怖いので確認はしない。
「それで、約束だったな。お前の答えを聞かせろ」
桂の言葉と同時に空気が切り替わる。張り詰めた、というべきか、引き締まったとも言えるかもしれない。
何となくだが、香澄は逃げられないと感じた。この妖怪は、香澄が宿題を提出するまで逃さないと。
恐怖と似た、けれど願うようなそれに、香澄は向き合う。自分なりの答えを提示することで。
「私は、ずっと死にたかったんです。死ねば私を愛してくれる人達に会えるから。誰にも必要とされない、愛さないまま生きていたくなかった」
「……それは、願い、のはなしか」
桂は香澄を案じているようだった。願いを叶える。そのために、誰が言ったかも分からない俗説にまで縋っていた。なのに、話してもいいのと。
「はい、これが私の願いでした。自死ではなく、他者の手で殺されることを望んだのは、両親の言葉が理由としてあります」
古い記憶。遠く遠く、他は思い出すのは難しいのに、それだけは深い傷跡のように跡が残り消えてくれない。
「『天寿を全うして』でした。だから寿命の定められた通り生きて死ななければ、両親には会えないと。自分の手で死ぬのはダメだと」
香澄にそう言ってくれたのは、紫風だった。自分で死のうとする香澄を止めて、彼は声を荒げるわけでもなく、悲しそうにするでもなく、笑顔のままそう告げた。
未だにあの時の紫風の感情の完全回答はできない。大まかな理由だけは分かるが、そこに付随する感情がよくわからないまま。
きっと聞いても答えてくれないので、香澄はあまり深く考えないようにする。
「私の身勝手な私情で迷惑をかけたことを、お詫びさせてください。申し訳ありません」
香澄は深々と頭を下げた。
まさか反省するとは思わず、桂はぎょっとする。
「…………あぁ、わかればいい」
桂の慈悲深さに香澄は感動するが、実情は少し違う。単純に驚きと不気味さで、そう返すしかなかったのだ。これに関しては、知らないほうがいいことではある。
「でも、今は違います。私はここで生きたい。愛してもらいました、皆さんに。私も皆さんが好きで……その……」
意味深に止まった言葉に桂は首をかしげる。
何度か声にならない声を発しつつ、香澄は覚悟を決めて桂を見た。その瞳を見た瞬間、桂は気づく。自分と同じ熱が香澄にもあることに。
「桂様のことだから、その理由は、桂様が誰よりも、他の何よりも、特別だからで……つまりは……好きなんです……」
後半にいくにつれ、声は小さくなっていったが、ここは静かな密室。二人しかいない空間だから、きちんと桂まで聞こえた。香澄の必死な告白が。
「好き、か……」
「はい。恐らく恋愛という形の好きで……傍にいたい、と思ってます……」
恥ずかしく、紅潮しているであろう顔を覆う香澄。そこには一抹の不安もあった。
受け入れてもらえなかったら。倉橋家に戻れと言われたら。突き放されたら。優しさから嘘の愛を返されたら。
(もし、桂様の気持ちが何でも。それを理由に、また死を望んだりはしません。受け入れて、生きていく。辛くとも、苦しくとも、最後の一秒まで自分の意志で)
顔を覆っていた手を自分で取り払う。目の前には香澄の方に伸ばされた桂の手。なぜ桂は手を伸ばしているのか。
「どうして手を?」
「いや、こういう時は……俺が……手を除ける……」
モゴモゴと口を開かずに喋っていてよく聞き取れなかったが、どうやら香澄の手を取ろうとしていたらしい。
その行動の意味も分からなかったので、謎が一つ去り増えるという、一歩も進まない展開になってしまったが。
「えっと……」
決死の告白の後なのに、空気が緩んでしまった。答えを催促するのは怖かったし、香澄にはそれ以上に言えることがない。
顔を真っ赤にした二人が、向かい合う構図で数秒固まる。
「……あぁ、もう!」
ガバっと桂が香澄の方に腕を伸ばして、抱きしめた。
「えっ……!」
いきなりの行動に驚愕の声が漏れる。咄嗟に遠ざけようと桂の体を押すが、妖怪と人間の力の差は大きく、さっぱり動かなかった。
「桂様……その……」
「お前は、初めて会った時に俺を殺しに来たな」
いきなり何の話を始めたのか。考えようとするが、上手く纏まらない。
とりあえず桂の言うことは事実なので「はい」と頷いた。
「その後もろくに説明もせずに何度も殺しに来た。自分のことなど全然語らず、自分勝手に振る舞った。自覚はあるか」
「…………殺そうとしたのは事実です。でも言うほど自分勝手では――」
「俺の都合なんかお構いなしに、殺すように提案してくるのは自分勝手ではないのか」
「申し訳ありません」
身勝手な私情がどれだけのわがままだったのか。香澄は桂に言われてようやく理解した。そして同時に、この気持ちは受け入れてもらえるものではないと痛感する。
「あの、桂様……」
さっきの告白のことは忘れてください。そう言おうとした香澄の体を、桂は更に強く抱きしめる。言わせまいとするかのように。
「本当に自分勝手で、想像以上に最悪な女だ。……そして、そんな女に惚れてしまった俺は、最悪な男だ」
「え……?」
香澄の耳元で小さく呟かれた言葉。それはきちんと香澄の耳にするりと入り込んだ。
聞こえるのと、理解が追いつくのは別の話。まさかの言葉に香澄の脳が追いつかず、体も頭も固まってしまう。
数十秒経って、香澄は少しづつ桂の言葉を飲み込む。そうして出てきたのは「正気ですか?」という、この状況には似つかわしくない返答だった。
「お前がそれを言うか」
「だって、貴方の中の私は、お世辞にも良いとは言えません。鈴さんや蘭さんや千さんの方が、魅力的です」
「千の名前を入れるのはやめろ。アイツは男だぞ」
「私よりもよっぽど気が利く素晴らしい方です」
「……気が利く、か。いや、そうとも言えるのか」
「それなのに、私のことを好きになってくれるんですか? ……愛してくれるんですか?」
香澄の声は震え、桂の肩に雫が落ちる。桂は目を瞑り、迷わずに答えた。
「愚問だな。俺はもうお前を愛してる。だから安心しろ、お前はここにいてもいい」
ぽんと香澄の頭に手を乗せて撫でる桂。
肩口に顔を埋め、香澄は声を出さずに泣いた。泣き止むまで桂は香澄を離さなかった。
みんな喜んでくれて、千もせっかくだからと、腕を振るい豪華な夕食を用意してくれた。楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもので、夕食の時間は終わってしまった。そのことに寂しさはあるが、一回きりではない。またこうやって過ごす時間があると、今の香澄は希望を持つことができた。
そうして、夕食を終えてから、香澄は桂の部屋へと向かった。理由は一つ。期限を過ぎてしまった約束を果たすためだ。
香澄は部屋の扉の前に立ち、緊張を和らげる為に深呼吸をしてからノックをした。
「倉橋香澄です。入ってもよろしいですか」
「…………入れ」
「失礼します」
部屋に入ると桂がじっと香澄を見つめてくる。少し居心地の悪さを覚えながら、香澄は向かいに座った。
「何の用だ?」
「約束を……期限は守れなかったので、守りに来たとは言えないのですが……それでも話さなくてはいけないと思い来ました」
「期限? 守れているだろう」
「えっと、もう一週間以上も過ぎて……」
桂が電子式の時計に向けて指を指す。日付も表示されるタイプのものだ。香澄はそれを見て、唖然とした。
そこに表示されていたのは、約束の日。一週間以上も前の日付だったからだ。
「…………妖力の無駄遣いでは?」
「何のことだか」
どうやら白を切るつもりらしかった。
思えば香澄は今日、カレンダーをチェックしていない。もしかしたら桂は、この屋敷中の日付を示すものに細工をしたのかもしれない。理由はわからないが、可能性だけはある。もちろん怖いので確認はしない。
「それで、約束だったな。お前の答えを聞かせろ」
桂の言葉と同時に空気が切り替わる。張り詰めた、というべきか、引き締まったとも言えるかもしれない。
何となくだが、香澄は逃げられないと感じた。この妖怪は、香澄が宿題を提出するまで逃さないと。
恐怖と似た、けれど願うようなそれに、香澄は向き合う。自分なりの答えを提示することで。
「私は、ずっと死にたかったんです。死ねば私を愛してくれる人達に会えるから。誰にも必要とされない、愛さないまま生きていたくなかった」
「……それは、願い、のはなしか」
桂は香澄を案じているようだった。願いを叶える。そのために、誰が言ったかも分からない俗説にまで縋っていた。なのに、話してもいいのと。
「はい、これが私の願いでした。自死ではなく、他者の手で殺されることを望んだのは、両親の言葉が理由としてあります」
古い記憶。遠く遠く、他は思い出すのは難しいのに、それだけは深い傷跡のように跡が残り消えてくれない。
「『天寿を全うして』でした。だから寿命の定められた通り生きて死ななければ、両親には会えないと。自分の手で死ぬのはダメだと」
香澄にそう言ってくれたのは、紫風だった。自分で死のうとする香澄を止めて、彼は声を荒げるわけでもなく、悲しそうにするでもなく、笑顔のままそう告げた。
未だにあの時の紫風の感情の完全回答はできない。大まかな理由だけは分かるが、そこに付随する感情がよくわからないまま。
きっと聞いても答えてくれないので、香澄はあまり深く考えないようにする。
「私の身勝手な私情で迷惑をかけたことを、お詫びさせてください。申し訳ありません」
香澄は深々と頭を下げた。
まさか反省するとは思わず、桂はぎょっとする。
「…………あぁ、わかればいい」
桂の慈悲深さに香澄は感動するが、実情は少し違う。単純に驚きと不気味さで、そう返すしかなかったのだ。これに関しては、知らないほうがいいことではある。
「でも、今は違います。私はここで生きたい。愛してもらいました、皆さんに。私も皆さんが好きで……その……」
意味深に止まった言葉に桂は首をかしげる。
何度か声にならない声を発しつつ、香澄は覚悟を決めて桂を見た。その瞳を見た瞬間、桂は気づく。自分と同じ熱が香澄にもあることに。
「桂様のことだから、その理由は、桂様が誰よりも、他の何よりも、特別だからで……つまりは……好きなんです……」
後半にいくにつれ、声は小さくなっていったが、ここは静かな密室。二人しかいない空間だから、きちんと桂まで聞こえた。香澄の必死な告白が。
「好き、か……」
「はい。恐らく恋愛という形の好きで……傍にいたい、と思ってます……」
恥ずかしく、紅潮しているであろう顔を覆う香澄。そこには一抹の不安もあった。
受け入れてもらえなかったら。倉橋家に戻れと言われたら。突き放されたら。優しさから嘘の愛を返されたら。
(もし、桂様の気持ちが何でも。それを理由に、また死を望んだりはしません。受け入れて、生きていく。辛くとも、苦しくとも、最後の一秒まで自分の意志で)
顔を覆っていた手を自分で取り払う。目の前には香澄の方に伸ばされた桂の手。なぜ桂は手を伸ばしているのか。
「どうして手を?」
「いや、こういう時は……俺が……手を除ける……」
モゴモゴと口を開かずに喋っていてよく聞き取れなかったが、どうやら香澄の手を取ろうとしていたらしい。
その行動の意味も分からなかったので、謎が一つ去り増えるという、一歩も進まない展開になってしまったが。
「えっと……」
決死の告白の後なのに、空気が緩んでしまった。答えを催促するのは怖かったし、香澄にはそれ以上に言えることがない。
顔を真っ赤にした二人が、向かい合う構図で数秒固まる。
「……あぁ、もう!」
ガバっと桂が香澄の方に腕を伸ばして、抱きしめた。
「えっ……!」
いきなりの行動に驚愕の声が漏れる。咄嗟に遠ざけようと桂の体を押すが、妖怪と人間の力の差は大きく、さっぱり動かなかった。
「桂様……その……」
「お前は、初めて会った時に俺を殺しに来たな」
いきなり何の話を始めたのか。考えようとするが、上手く纏まらない。
とりあえず桂の言うことは事実なので「はい」と頷いた。
「その後もろくに説明もせずに何度も殺しに来た。自分のことなど全然語らず、自分勝手に振る舞った。自覚はあるか」
「…………殺そうとしたのは事実です。でも言うほど自分勝手では――」
「俺の都合なんかお構いなしに、殺すように提案してくるのは自分勝手ではないのか」
「申し訳ありません」
身勝手な私情がどれだけのわがままだったのか。香澄は桂に言われてようやく理解した。そして同時に、この気持ちは受け入れてもらえるものではないと痛感する。
「あの、桂様……」
さっきの告白のことは忘れてください。そう言おうとした香澄の体を、桂は更に強く抱きしめる。言わせまいとするかのように。
「本当に自分勝手で、想像以上に最悪な女だ。……そして、そんな女に惚れてしまった俺は、最悪な男だ」
「え……?」
香澄の耳元で小さく呟かれた言葉。それはきちんと香澄の耳にするりと入り込んだ。
聞こえるのと、理解が追いつくのは別の話。まさかの言葉に香澄の脳が追いつかず、体も頭も固まってしまう。
数十秒経って、香澄は少しづつ桂の言葉を飲み込む。そうして出てきたのは「正気ですか?」という、この状況には似つかわしくない返答だった。
「お前がそれを言うか」
「だって、貴方の中の私は、お世辞にも良いとは言えません。鈴さんや蘭さんや千さんの方が、魅力的です」
「千の名前を入れるのはやめろ。アイツは男だぞ」
「私よりもよっぽど気が利く素晴らしい方です」
「……気が利く、か。いや、そうとも言えるのか」
「それなのに、私のことを好きになってくれるんですか? ……愛してくれるんですか?」
香澄の声は震え、桂の肩に雫が落ちる。桂は目を瞑り、迷わずに答えた。
「愚問だな。俺はもうお前を愛してる。だから安心しろ、お前はここにいてもいい」
ぽんと香澄の頭に手を乗せて撫でる桂。
肩口に顔を埋め、香澄は声を出さずに泣いた。泣き止むまで桂は香澄を離さなかった。

