生真面目妖狐と 孤独な祓い屋の 嫁入り婚

 香澄を刺した手毬の目は、焦点があっておらず虚ろだった。なのに言葉だけは流暢。精神が不安定なんてレベルではない。
 手毬は香澄から短剣を抜き取る。短剣で堰き止められていた血が周囲に撒き散る。二撃目を察知した香澄は、腹部を押さえ、痛みに耐えながら、急いで手毬から距離を取った。

「香澄くん!」

 香澄が刺されたことに気づいた平助が近づこうとするが、突如として何かが香澄と手毬の周囲に出現する。

「……っ、結界!?」

 香澄と平助はすぐに攻撃を加えて結界の強度を確認するが、かなり硬い。結界は術者の実力がハッキリと出る。これを展開したのは、強力な術者だ。

(これは……私の武器と霊力じゃ、壊すのに数分かかる……)

 そして今、香澄に結界を破壊する時間はない。

 手毬は追撃をしようと立ち上がり、猛スピードで近づいてくる。香澄は横に飛び退いて避けた。
 香澄は必死に打開策を考えるが、痛みで頭が回らない。すべきことが何なのか、纏まらない。 

「あなたは……誰ですか……おやこ、揃って……という、のは……」
「なんでまだ動けるのよ、本当にしぶとい。まぁ、冥土の土産ってやつくらいはあげてもいいかもね」

 声は二重に重なって聞こえてきていた。一つは手毬から。そしてもう一つは真上から。
 声の出処に気づいた香澄と平助が同時に上を見る。そこには妖艶な笑みを浮かべる女がいた。

「お、ば様……?」
「御機嫌よう。倉橋香澄」

 そこにいるのは伯母の倉橋玉代だ。そのはずなのに、香澄の頭が警鐘を鳴らす。香澄の長年の勘が告げていた。その女は、人間ではないと。

「あな、た……は……」
「ふふっ、いいわね。素敵な苦しみの顔……ようやく気づいたのね、私が人間ではないって。貴女が気づくわけもないけどね。この私が幻術を使って誤魔化していたのだから」

 そう語る玉代の姿がゆらりと揺れる。霧のような何かが彼女を包む。そして靄が晴れ、再び現れた彼女の姿は先ほどまでと違っていた。

 ――頭から見える二つの耳と、ゆらりと愉しげに揺れる尾。それは桂が持つものと酷似していた。

「そ、の耳……」
「狐耳に、その尻尾。そしてレベルの高い幻術……! まさかお前は、指名手配妖怪――玉藻!!」
「御名答。まぁ、遅いけどね」

 玉藻は手を動かす。その動きに合わせ、手毬が香澄を狙い突進してくる。玉藻から意識をそらし、これ以上攻撃を受けないように逃げる。

「ふふふふ、無様ね」
「お前が、倉橋篝殺しの犯人か!」
「えぇ、そうよ」

 あっさりと玉藻は認める。玉藻のことも気になるが、痛みと出血のせいで、手毬から逃げるのも一苦労。香澄は、そちら意識を割くことができない。

「指名手配妖怪だと!?」
「捕まえろ!」

 手毬を追いかけてきていた部下達が玉藻に気づき、武器を抜こうとする。

「おい! やめろっ!」

 平助は声を荒げるが、一秒遅かった。

「お楽しみ中なの。邪魔しないで」

 そう玉藻が言ったと同時に部下達は倒れ込む。平助が駆け寄って確認すれば、息はある。ただ苦しそうにしている。

「幻術か……」
「私のお楽しみを邪魔しようとしなければ、何もしないのに。バカな人間」

 平助はこの結界を壊す力を持っていない。玉藻を止めることもできない。この場においてできることといえば、玉藻の意識を少しでも逸らし、何とかできる桂を待つことだけだ。

(……死ぬかもしれない。でも、娘と同じくらいの年の子が死にそうになってる今、命を懸けないのは大人としては最悪だ)

 覚悟を決めた平助は「玉藻!」と叫ぶ。

「なぁに、私に向かってこない、少し賢く、呼び捨てにする愚かな人間」
「倉橋夫妻死亡事件、あれもお前の仕業か!」
「……アレを事件と呼ぶのね。貴方は」

 香澄の両親の件は、事故として処理された。本来ならば、倉橋夫妻死亡事故と呼ばなければいけないものだ。しかし、平助はあえて事件と呼ぶ。真実の一端を掴むために。

「事故として処理された案件だが、それは証拠が見つからなかったからだ。どう見ても他殺体なのに、証拠が見つからず、事故として片付けられた。……お前ならそれも可能だろう」

 玉藻はニッコリと笑う。笑顔で誤魔化す気か、と平助は悔しさから歯ぎしりする。

「貴方の度胸を買って教えて上げる」

 玉藻は相変わらず、上から平助を見下ろす。その頬は愉悦で紅潮していた。

「あの件も確かに私の仕業。上手くいったと思ったのに、あの夫妻ったら自分たちの命と引き換えに、子供に術をかけたの。そのせいで香澄を仕留めるのにこんなにかかってしまったわ」

 玉藻は楽しそうに手を動かす。その動きが手毬を操っていることに気付いていたが、平助は何もできない。玉藻を害そうとすれば、部下のように苦しむことになる。

 それは無駄だ。この後、何が起きても動けるように、今は耐えるしかない。

(死なないでよ、香澄くん)

 もし、彼女が死んだらを想像するだけで震えが止まらない。主にどこかの妖狐のせいだ。

(その妖狐がさっさと来てくれれば、怖がらずに済むのにね)

 ただ信じて祈る。その男が、愛する女の危機に間に合うことを。

 そして同じ気持ちでいる香澄は結界の中で、必死に攻撃を避けていた。
 武器の短剣は持っているが、武器を持って応戦すれば手毬を殺してしまう可能性がある。今の彼女は操られており、玉藻に手毬を守る気があるのかが分からない。だから下手に反撃せず、避けるに留まった。

 そしてそれも玉藻にとっては織り込み済みだ。このまま持久戦が続けば、香澄は失血死する。
 もし香澄が手毬を殺したとしても、消えない傷を与えることができる。それは人間の身からすれば、死よりも辛いことだろう。

 その苦しみを玉藻は理解することはできない。ある、と分かっていても理解できない。それが不幸であると思ったことは一度もなかった。
 彼女にとって人間だけでなく、動物、妖怪。全ての生あるものが遊び道具にしか過ぎない。

 生来の享楽主義者。それが玉藻という妖怪だ。

 そして今の遊び道具は香澄。彼女の命を奪うこと、それが玉藻にとってのゲームクリアだった。
 香澄は抗う。それが自分にとってのゲームセットだから。

「本当にしぶといわね。死にたかったんでしょう、なら早く死になさいよ」

 確かに、少し前の香澄なら喜んだのだろう。ようやく死んで、両親の元へ行けると。

(でも、違う。今の願いは、違うんです)

 帰りたい場所がある。隣にいたい存在ができた。今の香澄は生を渇望している。

(それに、約束をしたんです)

 今日の夜、桂に宿題を提出しなければいけない。拒否されるかもしれない。嫌悪で突き放されるかもしれない。
 それでも約束は約束だ。絶対に守らなければならない。

「わた、し……は、まも……らなきゃ、い……けないんで……す……!」
「守る? どうせくだらないものでしょう」
「ち、がう……! このやく……そくは、たい、せつな……ものです……。だ……から、ぜった……いにっ……! まもる!」
「よく言ったな。それでこそ俺の花嫁だ」

 その声に反応し、手毬以外の全員が上を向く。結界の上で優雅に座っていた玉藻よりもずっと上。手の届かない場所に桂はいた。

「防御しろ、香澄」

 香澄は懐から短剣を出して霊力を纏わせる。術が使えない香澄にとっては、それが最大限の防御だった。
 香澄の様子を確認してから、桂は膨大な妖力を炎へと変換して、放つ。

「……ちっ!」

 玉藻はその威力に驚き、瞬時に飛び退く。その炎は玉藻を焼くことはなかったが、結界の全てを焼き尽くした。あまりの威力に中にいた二人まで炎が及ぶ。香澄は防御していたが、手毬はそうではない。

「……あぁっ!!」

 炎は手毬を包む。痛みか、熱さか、手毬の口から声にならない悲鳴が溢れる。

「け、い……さま……」
「……分かっている」

 それはそれはとても悔しそうな声色だった。桂の心中としては、もう少し苦しめてもいいのではないのか、だ。ただ被害者である香澄がそれを望んでいないことは分かっていたので、素直に炎を消す。
 手毬が地面に倒れ伏すのを横目に見つつ、桂は香澄に近づいた。

「大丈夫か?」
「は、い……」
「強がるな、馬鹿」

 桂は香澄の傷口に触れる。香澄の口から思わずうめき声が漏れた。

「もっと痛むぞ」

 恐ろしい予言と共に、香澄の口に桂が手を差し込む。耐えきれないようなら噛めという意味合いなのだろう、と香澄が理解する頃には、何かに刺されたような痛みが香澄を襲っていた。

「……っ、あ……」
「妖力を糸状にして傷口を一時的に塞ぐ。病院まで我慢しろ。俺の手を噛んでもいい」
「あ……っ、……」

 噛めるわけがない、とは声にできなかった。何重にも重なる痛みを耐えるだけで精一杯だ。

「あら〜、私のことを無視するなんていい度胸ね。桂ちゃん」
「お前には聞きたいことがたくさんある」
「お前? 言ったでしょう、私のことは玉藻様と呼べ。小童」
「認めろ、お前は負けた。素直に投降して罪を償え」
「罪を償うのは嫌だけど……負けなのは認めるわ。本当に、あの人間たちのせいで予定が狂いまくり。篝の籠絡に成功するまではよかったのにね」

 ため息交じりに玉藻は語る。今回、彼女が遊んでいたゲームのルールを。

「私が自分で決めた勝利条件は、祓い屋の家を一つ潰すこと。せっかくなら上の家を狙おうと思って、倉橋に目をつけたわ。ちょうどよく使えそうなのもいたしね」
「倉橋篝か」
「そう、あの人は可哀想な人だったわ。私の言葉にコロッと落ちてしまうくらいにはね」
「倉橋手毬は実子か?」
「えぇ。人間と妖怪の間に子は生まれにくいから苦労したわ。あんな男と何度も肌を重ねなきゃいけなかったのは、苦痛だったのよ。ほら、技量もないから。気をつけなさいね、桂。女の語る気持ちいい、は気を使った嘘の場合も多いから」
「悍ましいな」
「あら、褒めてくれるの。ありがとう」

 表面上は穏やかに。しかしお互いに落ち着いてる訳では無い。片方は邪魔をされた怒りを、もう片方は大切な人を傷つけられた怒りを突きつけ合っている。

「なぜ、香澄に直接手を下さなかった。いくらでもチャンスはあっただろう」
「それはね、その子の両親がかけた術が理由。自分たちを殺した存在と、妖力への完全耐性。とんでもない術よね。人間の底意地の悪さを思い知ったわ」

 桂は納得する。香澄にかけられていた術の片方は両親がかけたものかと。そしてもう一つ、術の封印は玉藻の仕業に違いなかった。

「だから封じたのか。香澄が術を使えないように。ほかの妖怪に殺される可能性を高めるために」
「そう。まぁ、無駄だったわね。物理だけでも強いんだもの。だから油断を誘うために、手毬を使ったの。失敗したけど」

 これが全ての真相。恐ろしく、どす黒い悪意の全貌。

 桂は玉藻を捕まえたかった。しかし、下手に動けば玉藻はどういう動きをするかわからない。香澄には直接手は出せないが、それ以外の人間はどうにでもできるのだ。

「……ふふ、弱くなったわね」

 桂が人間達を見捨てられないと察していたのだろう。玉藻が高みから地に膝をつき、人間を抱える桂を嘲笑する。

「そうね。今回の遊びは私の負け。だから次の遊びをしましょう。今度の標的は貴方達よ。私に黒星をつけたこと、後悔させてあげるわ」

 酷く恨みがましい声色に、桂は久しぶりに恐れを感じた。名前だけではなく、実力を伴った悪意。これに迷惑をかけられたのは、一度や二度ではない。そして傷をつけられた回数も多い。本能的に敵わない、と思ってしまいそうになる。

 しかし、やられっぱなしではいられない。今の桂には守るべき人がいるのだから。
 強がりでもいい。余裕を持って笑顔を見せろ。この女が見たくないのはそういう姿だ。

「かかってこい。老害」
「あぁ~〜、そうね。そう来るのね。いいわ、絶対に苦しめても殺してあげる」

 それだけ言い残し、玉藻はどこぞへと去っていく。追うことはしなかった。それよりも香澄の方が心配だからだ。
 様子を見れば既に意識はなく、ぐったりとしている。周囲を見れば、地面に赤が舞い散っている。かなり出血が多かったのか、顔が青白い。

「虎尾っ!」
「救急車は呼んである! なるべく安静のまま、門まで運べる?」
「誰に言っている」

 桂は香澄を抱き上げる。妖力で微細な動きまで制御し、急いで門へと向かう。

(無事でいてくれ、香澄!)

 莫大な力を持つ妖怪である桂も、今は祈ることしかできなかった。