車に揺られること数十分。
約一月ぶりに香澄は倉橋家の前に立った。
事件が起きたというのに、規制線は貼られておらず、見た目だけなら大きな変化はなかった。
それもそのはずで、妖怪絡みの事件は秘匿されなければいけない。なので間取家などの、術が得意な家が提供している結界玉で事件を隠す。
家の門を潜る。結界はこの辺りから張られているはずだが、結界を通る時の違和感が殆どない。
「紫風製ですかね」
「よくわかるね。今回使ったのは、間取家の坊ちゃんが作ったものらしいよ」
当たりだったようだ。紫風はやはり術に関しては天才と呼べる。
「おい、紫風とは誰だ?」
「同級生で、間取家の次期当主ですね」
紫風は一人っ子なので、彼が当主になるのはほぼ確定だ。間取家の術も使えるらしいので、成人さえすればいつでも当主になれるとぼやいていた。
「そいつとは仲がいいのか?」
「はい。まともに話すクラスメイトは彼くらいですね。私は避けられているので」
「…………そうか」
納得はしていないようだが、それ以上何か言うつもりはないようだった。結局、何が言いたかったのか。香澄にはよくわからなかった。
「罪作りだねぇ、香澄くんは」
(何がでしょうか)
気になったが、今は手毬のことに集中すべきだ。この件が終わった後、覚えていたら聞いてみることにする。
結界を超えた先では、多くの人が行き交っていた。亡くなった篝は人間。だから妖怪捜査課だけではなく、妖怪のことを知る鑑識なども来ているのだろう。こうして見ると、篝が死んだという事実を嫌でも実感させられる。
「とりあえず倉橋手毬の所へ行こうか。確か客間に――」
「この気配は……!」
早速、手毬のところへ向かおうとするが、桂が何かつぶやく。尋常じゃない、緊迫した気配に、香澄と平助は息を呑んだ。
「虎尾、アイツの気配がする」
「アイツって……もしかしなくとも……」
「あぁ。俺は調べに行く。俺が帰ってくるまで、義姉の所へは行くな」
「はいはい。わかったよ」
香澄は会話についていけず、あっという間に桂がどこかへと消える。ぽかんとした香澄に気づいた平助は、どこまで話すべきか悩んで頭を掻く。
「うーんとね、アイツっていうのは、桂の親戚」
「桂様の?」
「そう。とんでもない悪人……悪妖怪? でね、桂は面汚しと呼んで追ってるんだ」
「そうなんですね……」
香澄の知らない桂の事情。それを平助から聞くことに罪悪感がないわけではないが、知れたことが嬉しかった。
「桂にも言われたし、とりあえず客間は避けるかぁ。なんかいいところでもない?」
「好き勝手に動いていいんですか?」
「現場に近づかなければ大丈夫でしょ。たぶんね」
イマイチ信用ができなかったが、ここで突っ立てっている訳にもいない。どこに移動するべきか。考えて、行くべき場所など一つしかないと思いつく。
「元私の部屋に行きましょう。客間や執務室からも遠いので、邪魔にはならないかと」
「じゃあそうしよっか」
そうして、二人は香澄の部屋に向かうことにした。香澄が先導し、部屋に向かう途中。
「香澄!!」
聞き慣れた女の声が響く。無視するわけにはいかず、二人は振り向いた。
「お姉様……」
そこにいたのは倉橋手毬本人だった。
もちろん平助は慌てる。桂に会わせるな、と言われていたのに。どうしてここにいるのか、手毬の後方を見れば、手毬を任せていた部下二人が追いかけてきていた。
(逃げられたってところか。倉橋手毬はまだ落ち着いてないようだし、香澄くんから離れないようにしないと)
今すぐにでも香澄に掴みかかりそうな手毬から守るために、平助は香澄の前に立つ。
自分よりもずっと背の高い男に邪魔され、香澄に近づけない手毬は苛立ちを露わにする。
「誰だか知らないけど邪魔よ! 私はそこにいるお父様を殺した女に用があるの!」
「頼むから落ち着いて。あとできちんと話す時間を取るから」
「落ち着けですって!? お父様の仇が目の前にいるのにっ!! ……そうね、貴方は逃がすつもりでしょう! そんなことは許さないわ!」
半狂乱になっている手毬。それ見て、平助はポケットに片手を入れる。極力使いたくはないのだが、ここで香澄に何かあると桂が何をしでかすかわからない。落ち着かないようなら、使う覚悟を決めなくては。
「逃がしたりはしないから――」
「虎尾さん。大丈夫です」
平助の後ろにいた香澄が前に出ようとする。
「ダメだよ。君になにかがあったら桂が怒る」
「その時は私の責任です。私が怒られます」
「そうじゃないんだけどなぁ」
香澄には自覚がない。桂に想われている自覚が。
(いくら君がそう言ったって、桂は僕に怒る。わかってるんだけどな。このくらいの年の子が望むなら、その通りにしてあげたいのも本音なんだよな)
逡巡は一瞬。ため息をついて「わかったよ」と香澄の前から退いた。もちろん、ポケットから手を出さないまま。いつでも手毬を止められるようにして。
「お姉様」
「香澄! なんでお父様を殺したの!? アンタは愛されていたのに!」
「私は、真実を伝えることが、必ずしも正しいことではないと思っています。言わないほうが良いこともある。その方が救いがあると。……結局は言い訳です。向き合わせなくてはいけなかった」
「なんの話をしてるの!」
「お姉様とお父様の話です」
一度だけ、大きく深呼吸をしてから。香澄は意を決して話す。手毬には見えていなかった真実を。
「お父様は私に依頼を押し付けていました。期待などではありません。一人で行かせればいつかは死ぬ。それを望んでのことです」
「……はっ?」
「会話は最小限。褒められたことはありません。邪魔者、なぜ死ななかった、などは言われたことがありました」
「なにを……言って……?」
「私は愛されませんでした。憎まれていたんです。お姉様が当主になるのに、私は邪魔でしたから」
「だって……おと、うさま……は……」
「私は愛されたかった。愛してほしかった。でも誰も愛してくれなかった。だから死を望んでいました。そうすれば、父と母に会える。私を愛してくれる人達とまた」
それは、誰にも言わなかった香澄の願い。
彼女は死を望まれ、死を望んだ。そうすれば無条件で自分を愛してくれる二人にまた会える。
ずっと話さなかった。願いを叶えたかったから。それを今語っている。その事実が香澄にとっても信じ難かった。
(私はどうして、この話をしたんでしょうか。お姉様を止めるため……だけではない気がします)
手毬と真実を向き合わせる。それと同時に香澄も。自分の中で変わりつつある心と向き合う。
(この願いが叶わなくてもいい……そう思ってしまっています。私は今の生活に満足しているから。……ううん、それだけじゃない)
愛されたい。香澄は願っていた。愛というものを、両親と共に香澄は亡くしてしまっていた。
――彼女は、愛すること、その形を思い出した。あの家で妖怪たちが与えてくれていたもの。それが愛だとようやく気づいたのだ。
(……わかりました。桂様への答え。私は、あの家の皆さんが好きです。桂様のことを愛しているんですね)
宿題は提出しなくてはいけない。今日の夜の約束を守るために、この事件をどうにかしなくては。
「お姉様、本当に逃げる私を見たんですか?」
「みた……みたわよ……みた、のに……」
手毬は頭を抱えて苦しみ始める。地面に膝までつく手毬の様子は明らかに普通ではない。香澄は手毬に駆け寄った。
「ちょっ、危ないって」
止める平助の言葉は香澄の耳には入らない。香澄は手毬の肩に触れて「大丈夫ですか」と聞く。
「見た……のは、黒い髪……じゃなくて、逃げてなくて……部屋には真っ赤なお父様と、笑う……」
「お姉様……?」
うわ言のように何かを呟く手毬。香澄は顔を覗き込もうとして――固まった。
腹部に走る鈍痛。おそるおそる確認すれば、腹に短剣が刺さっていた。
「おね……さま……?」
「死にたかったのなら、死になさいよ。親子そろって面倒ね」
約一月ぶりに香澄は倉橋家の前に立った。
事件が起きたというのに、規制線は貼られておらず、見た目だけなら大きな変化はなかった。
それもそのはずで、妖怪絡みの事件は秘匿されなければいけない。なので間取家などの、術が得意な家が提供している結界玉で事件を隠す。
家の門を潜る。結界はこの辺りから張られているはずだが、結界を通る時の違和感が殆どない。
「紫風製ですかね」
「よくわかるね。今回使ったのは、間取家の坊ちゃんが作ったものらしいよ」
当たりだったようだ。紫風はやはり術に関しては天才と呼べる。
「おい、紫風とは誰だ?」
「同級生で、間取家の次期当主ですね」
紫風は一人っ子なので、彼が当主になるのはほぼ確定だ。間取家の術も使えるらしいので、成人さえすればいつでも当主になれるとぼやいていた。
「そいつとは仲がいいのか?」
「はい。まともに話すクラスメイトは彼くらいですね。私は避けられているので」
「…………そうか」
納得はしていないようだが、それ以上何か言うつもりはないようだった。結局、何が言いたかったのか。香澄にはよくわからなかった。
「罪作りだねぇ、香澄くんは」
(何がでしょうか)
気になったが、今は手毬のことに集中すべきだ。この件が終わった後、覚えていたら聞いてみることにする。
結界を超えた先では、多くの人が行き交っていた。亡くなった篝は人間。だから妖怪捜査課だけではなく、妖怪のことを知る鑑識なども来ているのだろう。こうして見ると、篝が死んだという事実を嫌でも実感させられる。
「とりあえず倉橋手毬の所へ行こうか。確か客間に――」
「この気配は……!」
早速、手毬のところへ向かおうとするが、桂が何かつぶやく。尋常じゃない、緊迫した気配に、香澄と平助は息を呑んだ。
「虎尾、アイツの気配がする」
「アイツって……もしかしなくとも……」
「あぁ。俺は調べに行く。俺が帰ってくるまで、義姉の所へは行くな」
「はいはい。わかったよ」
香澄は会話についていけず、あっという間に桂がどこかへと消える。ぽかんとした香澄に気づいた平助は、どこまで話すべきか悩んで頭を掻く。
「うーんとね、アイツっていうのは、桂の親戚」
「桂様の?」
「そう。とんでもない悪人……悪妖怪? でね、桂は面汚しと呼んで追ってるんだ」
「そうなんですね……」
香澄の知らない桂の事情。それを平助から聞くことに罪悪感がないわけではないが、知れたことが嬉しかった。
「桂にも言われたし、とりあえず客間は避けるかぁ。なんかいいところでもない?」
「好き勝手に動いていいんですか?」
「現場に近づかなければ大丈夫でしょ。たぶんね」
イマイチ信用ができなかったが、ここで突っ立てっている訳にもいない。どこに移動するべきか。考えて、行くべき場所など一つしかないと思いつく。
「元私の部屋に行きましょう。客間や執務室からも遠いので、邪魔にはならないかと」
「じゃあそうしよっか」
そうして、二人は香澄の部屋に向かうことにした。香澄が先導し、部屋に向かう途中。
「香澄!!」
聞き慣れた女の声が響く。無視するわけにはいかず、二人は振り向いた。
「お姉様……」
そこにいたのは倉橋手毬本人だった。
もちろん平助は慌てる。桂に会わせるな、と言われていたのに。どうしてここにいるのか、手毬の後方を見れば、手毬を任せていた部下二人が追いかけてきていた。
(逃げられたってところか。倉橋手毬はまだ落ち着いてないようだし、香澄くんから離れないようにしないと)
今すぐにでも香澄に掴みかかりそうな手毬から守るために、平助は香澄の前に立つ。
自分よりもずっと背の高い男に邪魔され、香澄に近づけない手毬は苛立ちを露わにする。
「誰だか知らないけど邪魔よ! 私はそこにいるお父様を殺した女に用があるの!」
「頼むから落ち着いて。あとできちんと話す時間を取るから」
「落ち着けですって!? お父様の仇が目の前にいるのにっ!! ……そうね、貴方は逃がすつもりでしょう! そんなことは許さないわ!」
半狂乱になっている手毬。それ見て、平助はポケットに片手を入れる。極力使いたくはないのだが、ここで香澄に何かあると桂が何をしでかすかわからない。落ち着かないようなら、使う覚悟を決めなくては。
「逃がしたりはしないから――」
「虎尾さん。大丈夫です」
平助の後ろにいた香澄が前に出ようとする。
「ダメだよ。君になにかがあったら桂が怒る」
「その時は私の責任です。私が怒られます」
「そうじゃないんだけどなぁ」
香澄には自覚がない。桂に想われている自覚が。
(いくら君がそう言ったって、桂は僕に怒る。わかってるんだけどな。このくらいの年の子が望むなら、その通りにしてあげたいのも本音なんだよな)
逡巡は一瞬。ため息をついて「わかったよ」と香澄の前から退いた。もちろん、ポケットから手を出さないまま。いつでも手毬を止められるようにして。
「お姉様」
「香澄! なんでお父様を殺したの!? アンタは愛されていたのに!」
「私は、真実を伝えることが、必ずしも正しいことではないと思っています。言わないほうが良いこともある。その方が救いがあると。……結局は言い訳です。向き合わせなくてはいけなかった」
「なんの話をしてるの!」
「お姉様とお父様の話です」
一度だけ、大きく深呼吸をしてから。香澄は意を決して話す。手毬には見えていなかった真実を。
「お父様は私に依頼を押し付けていました。期待などではありません。一人で行かせればいつかは死ぬ。それを望んでのことです」
「……はっ?」
「会話は最小限。褒められたことはありません。邪魔者、なぜ死ななかった、などは言われたことがありました」
「なにを……言って……?」
「私は愛されませんでした。憎まれていたんです。お姉様が当主になるのに、私は邪魔でしたから」
「だって……おと、うさま……は……」
「私は愛されたかった。愛してほしかった。でも誰も愛してくれなかった。だから死を望んでいました。そうすれば、父と母に会える。私を愛してくれる人達とまた」
それは、誰にも言わなかった香澄の願い。
彼女は死を望まれ、死を望んだ。そうすれば無条件で自分を愛してくれる二人にまた会える。
ずっと話さなかった。願いを叶えたかったから。それを今語っている。その事実が香澄にとっても信じ難かった。
(私はどうして、この話をしたんでしょうか。お姉様を止めるため……だけではない気がします)
手毬と真実を向き合わせる。それと同時に香澄も。自分の中で変わりつつある心と向き合う。
(この願いが叶わなくてもいい……そう思ってしまっています。私は今の生活に満足しているから。……ううん、それだけじゃない)
愛されたい。香澄は願っていた。愛というものを、両親と共に香澄は亡くしてしまっていた。
――彼女は、愛すること、その形を思い出した。あの家で妖怪たちが与えてくれていたもの。それが愛だとようやく気づいたのだ。
(……わかりました。桂様への答え。私は、あの家の皆さんが好きです。桂様のことを愛しているんですね)
宿題は提出しなくてはいけない。今日の夜の約束を守るために、この事件をどうにかしなくては。
「お姉様、本当に逃げる私を見たんですか?」
「みた……みたわよ……みた、のに……」
手毬は頭を抱えて苦しみ始める。地面に膝までつく手毬の様子は明らかに普通ではない。香澄は手毬に駆け寄った。
「ちょっ、危ないって」
止める平助の言葉は香澄の耳には入らない。香澄は手毬の肩に触れて「大丈夫ですか」と聞く。
「見た……のは、黒い髪……じゃなくて、逃げてなくて……部屋には真っ赤なお父様と、笑う……」
「お姉様……?」
うわ言のように何かを呟く手毬。香澄は顔を覗き込もうとして――固まった。
腹部に走る鈍痛。おそるおそる確認すれば、腹に短剣が刺さっていた。
「おね……さま……?」
「死にたかったのなら、死になさいよ。親子そろって面倒ね」

