アラームの音とほぼ同時に、香澄は布団から起き上がる。アラームを止めて、ひと言。
「よく眠れませんでした……」
昨日の桂とのやり取り。布団に入ってからも、その回答を考えていたため、寝付けたのは日付が変わってからだった。
依頼がない日は八時間睡眠を心がけている香澄からすれば、いつもよりも短い睡眠時間と、浮かばない答え。今日が休日で助かった。
着替えをして、洗面所で身支度をして部屋に戻る。いつも通りの朝の準備をこなし終わる頃に、鈴と蘭は香澄の元を訪れた。
「おはようございます」
「おはようです!」
「おはようございます。朝食の支度が終わりましたので、参りましょう」
すっかりこの流れが普通になっている。倉橋家で生活していたのが、遠い昔のようだった。
自分よりも背丈の小さい二人の後をついていき、食堂へと向かう。中に入れば、定位置で香澄を待つ桂がいた。
「おはよう、よく眠れたか?」
余裕綽々といった様子の桂に、香澄は胸のざわつきを覚えた。苛つきに似た感覚を表に出さないようにしながら「おはようございます。眠りに関してはまぁまぁです」と、嘘とも本当とも言えない返答をした。
「そうか。……今日の夜、楽しみにしているぞ」
「頑張ります」
答えが出ていない。そう言っているようなものだと気づいたのは、すぐ後のことだった。
会話もそこそこに、朝食を食べ始める。
最初の頃よりは食事の量も少し増えた。バランス良く食べ進めながら、千にもう少し増やしても大丈夫だと伝えようかと考える。
香澄としてはこれでも充分なのだが、千としては蘭の食事と同量くらいにまでしたいらしい。蘭がどのくらいの量食べるのか知らない身としては、いつまで報告を続ければいいのか疑問だった。
(今度、みんなで食事をできないか、聞いてもいいかもしれません)
蘭は使用人だと遠慮しそうだ。でも知らないと、香澄は無限に食事量を気にしなければいけない。何とかして実現したい。
(……今日の夜、答えを出した後にでも提案してみましょう。桂様から言えば、蘭さんも断りにくいはずです)
そもそも今日の夜までに答えをだせるのか。その疑問が再燃してきて、頭を抱えたくなった。
(食事が終わったら散歩でもしましょう。動いた方が感情を整理できる気がしますし)
そんな予定は、来客のせいで瓦解することを香澄は知らなかった。
来客を知らせるチャイムが鳴ったのは、朝食の終わった直後。
急いで蘭が玄関に向かい、そしてすぐに戻ってくる。表情から疑問が滲んでいた。
「妖怪捜査課の虎尾様でした」
「アイツが? こんな朝から一体何の用だ」
「それが、用があるのは香澄様だと」
「私ですか?」
妖怪捜査課の人間とはあまり関わりがない。多少の会話くらいならしたことがあるかもしれない。けれど、虎尾という名前を聞いても顔が思い浮かばないくらいには、関係が希薄だ。
「俺も同席しても良いのなら通せ」
「……桂様」
不安を気取られたのだろう。桂が蘭に指示を出す。迷惑をかけたくはない。でも一人は避けたかった。
「安心しろ、一人にはしない」
だからその言葉は何よりも嬉しく、香澄は食後のお茶を一気に飲み干し、平助を待った。
「おはよう、新婚さん。朝早くにごめんね」
部屋に入って来た平助を見て、香澄は咄嗟に身構える。その男が、僅かに見たことのある他の妖怪捜査課の人間とは違い、全く隙のない動きをしていたからだ。
しかしその動きは攻撃のため、というよりは防御のため。誰がいつ襲ってきても対処できるように、周りに気を配り続ける男の動きだと気づき、警戒を解く。
(きっと戦闘力はそこまでではない。だからこそ周囲を警戒しているのですね)
もし彼の用事が香澄か、桂を殺すことならば、もうすでにしているはずだ。少なくともそうではない。
「全くだ。今日は大事な一日になるというのに」
そして桂も警戒していない。砕けた話し方に態度、どうやら親しいらしかった。
そして香澄が今気になるのは虎尾ではなく、桂の発言。今日、何か用事があることを仄めかしたことについてだ。
(明後日、とかにしたほうが良かったかもしれないですね)
その用事は、香澄の答えを聞くことなのだと本人は思いもせずに、少しズレたことを考えていた。
「君がそんな風に言うなんて珍しいね。まぁ、新婚さんにはいろいろあるか」
いろいろに含みを感じた桂。不機嫌を隠そうともせずに「それで、香澄に何の用だ」と話を進める。
「うーん。まずは挨拶してもいいかな」
確かに香澄は平助の名前すら知らないし、自分から名乗ってもいない。慌てて頭を下げて「倉橋香澄です」と名乗った。
「お嬢さんが名乗ってくれるなら、こちらも名乗らないとね。改めまして、妖怪捜査課の警部、虎尾平助です」
名刺を差し出してくる平助。香澄は受け取り方が分からずにわたわたとしてしまう。
「いいよ、適当で。僕も結構適当だから、合わせると思ってさ」
平助がそう言うが、あまり失礼であってはいけない。妖怪捜査課にはお世話になっている。そのトップに近い人間に粗相するのは良くない。
ただ作法がわからないのも事実。とりあえず両手で受け取っておいた。
「真面目ちゃんだなぁ」
ケラケラと笑っている様子を見るに、不興を買ってはいないらしい。
「それで何の用だ。早くしろ、暇ではない」
香澄の目には、桂の様子が先程よりも不機嫌そうに見える。平助から見ても同様のようで、一瞬固まるが、すぐに笑顔に戻る。
「じゃあ、今日の予定は全部キャンセルしてね。新妻が大切なら」
「なに?」
奇妙な言い回しに桂も香澄も疑問を抱く。そのことに気付いていながら、知らぬふりのまま平助は驚くべきひと言を投下する。
「実はね、今日の未明、倉橋家当主である倉橋篝の死体が発見された」
「……っ!」
想像もしていなかった平助の発言に、香澄は言葉を失う。
「それは、本当か」
「そんな嘘を僕がついてどうするのよ」
「そうなのだが……」
にわかに信じられないのは、桂も同じのようだった。香澄はぎゅっと両手を握る。
篝について関心があるかと言われればそうではない。それでも訃報を聞かされて心を乱されぬ程、非情ではなかった。
「その……話と、私に何の関係があるんですか」
「君にとっては伯父だろう。全く関係ないとは言えないんじゃない?」
「私は、嫁ぐ時に『帰ってくるな』と言われてます。実質的な絶縁宣言だと捉えています。葬式に出ろという話ならともかく、今日死んだ伯父の話がすぐに来る理由が分かりません」
「……どうやら面倒ごとらしいね。こういうの、関わりたくないんだけどな」
わざとらしくため息をつく。一つ一つが仰々しく、本心が掴みにくい人、というのが香澄の率直な印象だった。
「実はね、第一発見者の倉橋手毬――君の義姉に当たる人が、逃走した人物を見たと言っているんだ」
「おい、まさか……」
「そのまさか。彼女は君を見たと証言している。倉橋香澄ちゃん」
「あり得ない!!」
香澄が何か反応を示す前に、桂が激昂して叫ぶ。その反応の想像がついていたのか、平助は「それを僕に言われても」と不満げに口を膨らませた。
「本当ですか……?」
「本当だよ。倉橋手毬は君を犯人にご指名だ」
平助の用事とやらが、香澄にも読めてきた。つまりは容疑者として連行したいのだろう。香澄はゴクリと唾を飲む。
「任意同行ってやつだね。了承してくれると嬉しいんだけど……」
「了承するわけないだろう!」
「君には聞いてないよ」
どうするべきか、判断がつかない。情報が足りてないからだ。
「一応聞くんだけど、君は倉橋篝を殺したかい?」
「いいえ」
迷いのなく否定する。心当たりも理由もない。その香澄の姿に「だろうね」と平助は頷く。仮にも容疑者なのに、香澄の言葉を信じてくれる平助に、香澄は首を傾げた。
「……お姉様が、私を犯人だと証言したのでは?」
「半狂乱な様子で『アイツが! 香澄が犯人よ!』と叫ぶ子の発言を信じろというのが無理だと思うよ。君、あの子に何をしたのよ……」
大きくため息をつく平助。本心が読みにくいとは思ったが、今ばかりは面倒くさいという本音が読めた。
「ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」
「僕の部下が、宥めてるんだ。どうにかしてくれないかな」
任意同行という名の、体よい生贄らしかった。香澄はそれなら仕方ないと腰を浮かせる。
「わかりま――」
「待て」
桂が香澄の動きを止めた。どうしたのだろうと思いつつも、座り直す。
「何? 少なくとも香澄ちゃんは了承してくれそうだったけど」
「ちゃん付けで呼ぶな、気色悪い」
「それを君が言う資格なくない? ね、香澄ちゃん」
「はい。特段、不都合はありませんので、お好きに呼んでもらえればと」
「ほらね」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる平助に、桂は腹を立てているようだった。平助はなんとなく理由を察しているが、香澄は全然わかっていない。
「俺が嫌だと言っているんだ」
「でも……」
「はいはい。分かったよ。男の嫉妬を見てても何も楽しくないしね」
結局、平助が引くことになった。香澄としてはどっちでも良かったので、これ以上何も言わない。
「それで、君は何が言いたかったんだい?」
「その任意同行、俺も連れて行け」
「……え!?」
香澄からすれば、驚きの展開。平助からすれば、読めていた展開だ。なので平助は迷わず「いいよ」と頷く。
「いいんですか?」
「そう言うだろって思ってたし。車は広いからまだ乗れるよ」
そういう問題ではない気がした。桂は倉橋家からすれば部外者。部外者を現場に連れて行ってもいいのか。
「桂様。私なら一人でも――」
「良くない」
「ですが……」
「半狂乱の人間の元に、一人で行かせるわけがないだろう。……心配ぐらいさせろ。俺はお前の夫だぞ」
そこまで言われてしまえば、香澄は断ることができない。だから香澄は顔を上げて「桂様、ありがとうございます」とお礼を言った。
「じゃあ、二人とも。出かける準備をしておいで。下手すると夜までかかるからね」
「犯人はまだ絞れてないのか。祓い屋が殺された場合、疑われるのは外――妖怪だろう」
仲間を祓われたことに対する復讐。その可能性が真っ先に疑われるのが常識だ。しかし平助は首を横に振る。
「うん。そうなんだけど……今回ばかりは違うようでね」
「どういうことですか?」
「……君らには教えといてもいっか。実は、篝は倉橋家にあった包丁で胸を刺されていたんだ。妖怪絡みなら妖力で殺されるパターンが多い。だから今回は人間による他殺が疑われている」
香澄の中には嫌な想像が浮かぶ。それが現実でなければいい。祈ることしかできなかった。
「よく眠れませんでした……」
昨日の桂とのやり取り。布団に入ってからも、その回答を考えていたため、寝付けたのは日付が変わってからだった。
依頼がない日は八時間睡眠を心がけている香澄からすれば、いつもよりも短い睡眠時間と、浮かばない答え。今日が休日で助かった。
着替えをして、洗面所で身支度をして部屋に戻る。いつも通りの朝の準備をこなし終わる頃に、鈴と蘭は香澄の元を訪れた。
「おはようございます」
「おはようです!」
「おはようございます。朝食の支度が終わりましたので、参りましょう」
すっかりこの流れが普通になっている。倉橋家で生活していたのが、遠い昔のようだった。
自分よりも背丈の小さい二人の後をついていき、食堂へと向かう。中に入れば、定位置で香澄を待つ桂がいた。
「おはよう、よく眠れたか?」
余裕綽々といった様子の桂に、香澄は胸のざわつきを覚えた。苛つきに似た感覚を表に出さないようにしながら「おはようございます。眠りに関してはまぁまぁです」と、嘘とも本当とも言えない返答をした。
「そうか。……今日の夜、楽しみにしているぞ」
「頑張ります」
答えが出ていない。そう言っているようなものだと気づいたのは、すぐ後のことだった。
会話もそこそこに、朝食を食べ始める。
最初の頃よりは食事の量も少し増えた。バランス良く食べ進めながら、千にもう少し増やしても大丈夫だと伝えようかと考える。
香澄としてはこれでも充分なのだが、千としては蘭の食事と同量くらいにまでしたいらしい。蘭がどのくらいの量食べるのか知らない身としては、いつまで報告を続ければいいのか疑問だった。
(今度、みんなで食事をできないか、聞いてもいいかもしれません)
蘭は使用人だと遠慮しそうだ。でも知らないと、香澄は無限に食事量を気にしなければいけない。何とかして実現したい。
(……今日の夜、答えを出した後にでも提案してみましょう。桂様から言えば、蘭さんも断りにくいはずです)
そもそも今日の夜までに答えをだせるのか。その疑問が再燃してきて、頭を抱えたくなった。
(食事が終わったら散歩でもしましょう。動いた方が感情を整理できる気がしますし)
そんな予定は、来客のせいで瓦解することを香澄は知らなかった。
来客を知らせるチャイムが鳴ったのは、朝食の終わった直後。
急いで蘭が玄関に向かい、そしてすぐに戻ってくる。表情から疑問が滲んでいた。
「妖怪捜査課の虎尾様でした」
「アイツが? こんな朝から一体何の用だ」
「それが、用があるのは香澄様だと」
「私ですか?」
妖怪捜査課の人間とはあまり関わりがない。多少の会話くらいならしたことがあるかもしれない。けれど、虎尾という名前を聞いても顔が思い浮かばないくらいには、関係が希薄だ。
「俺も同席しても良いのなら通せ」
「……桂様」
不安を気取られたのだろう。桂が蘭に指示を出す。迷惑をかけたくはない。でも一人は避けたかった。
「安心しろ、一人にはしない」
だからその言葉は何よりも嬉しく、香澄は食後のお茶を一気に飲み干し、平助を待った。
「おはよう、新婚さん。朝早くにごめんね」
部屋に入って来た平助を見て、香澄は咄嗟に身構える。その男が、僅かに見たことのある他の妖怪捜査課の人間とは違い、全く隙のない動きをしていたからだ。
しかしその動きは攻撃のため、というよりは防御のため。誰がいつ襲ってきても対処できるように、周りに気を配り続ける男の動きだと気づき、警戒を解く。
(きっと戦闘力はそこまでではない。だからこそ周囲を警戒しているのですね)
もし彼の用事が香澄か、桂を殺すことならば、もうすでにしているはずだ。少なくともそうではない。
「全くだ。今日は大事な一日になるというのに」
そして桂も警戒していない。砕けた話し方に態度、どうやら親しいらしかった。
そして香澄が今気になるのは虎尾ではなく、桂の発言。今日、何か用事があることを仄めかしたことについてだ。
(明後日、とかにしたほうが良かったかもしれないですね)
その用事は、香澄の答えを聞くことなのだと本人は思いもせずに、少しズレたことを考えていた。
「君がそんな風に言うなんて珍しいね。まぁ、新婚さんにはいろいろあるか」
いろいろに含みを感じた桂。不機嫌を隠そうともせずに「それで、香澄に何の用だ」と話を進める。
「うーん。まずは挨拶してもいいかな」
確かに香澄は平助の名前すら知らないし、自分から名乗ってもいない。慌てて頭を下げて「倉橋香澄です」と名乗った。
「お嬢さんが名乗ってくれるなら、こちらも名乗らないとね。改めまして、妖怪捜査課の警部、虎尾平助です」
名刺を差し出してくる平助。香澄は受け取り方が分からずにわたわたとしてしまう。
「いいよ、適当で。僕も結構適当だから、合わせると思ってさ」
平助がそう言うが、あまり失礼であってはいけない。妖怪捜査課にはお世話になっている。そのトップに近い人間に粗相するのは良くない。
ただ作法がわからないのも事実。とりあえず両手で受け取っておいた。
「真面目ちゃんだなぁ」
ケラケラと笑っている様子を見るに、不興を買ってはいないらしい。
「それで何の用だ。早くしろ、暇ではない」
香澄の目には、桂の様子が先程よりも不機嫌そうに見える。平助から見ても同様のようで、一瞬固まるが、すぐに笑顔に戻る。
「じゃあ、今日の予定は全部キャンセルしてね。新妻が大切なら」
「なに?」
奇妙な言い回しに桂も香澄も疑問を抱く。そのことに気付いていながら、知らぬふりのまま平助は驚くべきひと言を投下する。
「実はね、今日の未明、倉橋家当主である倉橋篝の死体が発見された」
「……っ!」
想像もしていなかった平助の発言に、香澄は言葉を失う。
「それは、本当か」
「そんな嘘を僕がついてどうするのよ」
「そうなのだが……」
にわかに信じられないのは、桂も同じのようだった。香澄はぎゅっと両手を握る。
篝について関心があるかと言われればそうではない。それでも訃報を聞かされて心を乱されぬ程、非情ではなかった。
「その……話と、私に何の関係があるんですか」
「君にとっては伯父だろう。全く関係ないとは言えないんじゃない?」
「私は、嫁ぐ時に『帰ってくるな』と言われてます。実質的な絶縁宣言だと捉えています。葬式に出ろという話ならともかく、今日死んだ伯父の話がすぐに来る理由が分かりません」
「……どうやら面倒ごとらしいね。こういうの、関わりたくないんだけどな」
わざとらしくため息をつく。一つ一つが仰々しく、本心が掴みにくい人、というのが香澄の率直な印象だった。
「実はね、第一発見者の倉橋手毬――君の義姉に当たる人が、逃走した人物を見たと言っているんだ」
「おい、まさか……」
「そのまさか。彼女は君を見たと証言している。倉橋香澄ちゃん」
「あり得ない!!」
香澄が何か反応を示す前に、桂が激昂して叫ぶ。その反応の想像がついていたのか、平助は「それを僕に言われても」と不満げに口を膨らませた。
「本当ですか……?」
「本当だよ。倉橋手毬は君を犯人にご指名だ」
平助の用事とやらが、香澄にも読めてきた。つまりは容疑者として連行したいのだろう。香澄はゴクリと唾を飲む。
「任意同行ってやつだね。了承してくれると嬉しいんだけど……」
「了承するわけないだろう!」
「君には聞いてないよ」
どうするべきか、判断がつかない。情報が足りてないからだ。
「一応聞くんだけど、君は倉橋篝を殺したかい?」
「いいえ」
迷いのなく否定する。心当たりも理由もない。その香澄の姿に「だろうね」と平助は頷く。仮にも容疑者なのに、香澄の言葉を信じてくれる平助に、香澄は首を傾げた。
「……お姉様が、私を犯人だと証言したのでは?」
「半狂乱な様子で『アイツが! 香澄が犯人よ!』と叫ぶ子の発言を信じろというのが無理だと思うよ。君、あの子に何をしたのよ……」
大きくため息をつく平助。本心が読みにくいとは思ったが、今ばかりは面倒くさいという本音が読めた。
「ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」
「僕の部下が、宥めてるんだ。どうにかしてくれないかな」
任意同行という名の、体よい生贄らしかった。香澄はそれなら仕方ないと腰を浮かせる。
「わかりま――」
「待て」
桂が香澄の動きを止めた。どうしたのだろうと思いつつも、座り直す。
「何? 少なくとも香澄ちゃんは了承してくれそうだったけど」
「ちゃん付けで呼ぶな、気色悪い」
「それを君が言う資格なくない? ね、香澄ちゃん」
「はい。特段、不都合はありませんので、お好きに呼んでもらえればと」
「ほらね」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる平助に、桂は腹を立てているようだった。平助はなんとなく理由を察しているが、香澄は全然わかっていない。
「俺が嫌だと言っているんだ」
「でも……」
「はいはい。分かったよ。男の嫉妬を見てても何も楽しくないしね」
結局、平助が引くことになった。香澄としてはどっちでも良かったので、これ以上何も言わない。
「それで、君は何が言いたかったんだい?」
「その任意同行、俺も連れて行け」
「……え!?」
香澄からすれば、驚きの展開。平助からすれば、読めていた展開だ。なので平助は迷わず「いいよ」と頷く。
「いいんですか?」
「そう言うだろって思ってたし。車は広いからまだ乗れるよ」
そういう問題ではない気がした。桂は倉橋家からすれば部外者。部外者を現場に連れて行ってもいいのか。
「桂様。私なら一人でも――」
「良くない」
「ですが……」
「半狂乱の人間の元に、一人で行かせるわけがないだろう。……心配ぐらいさせろ。俺はお前の夫だぞ」
そこまで言われてしまえば、香澄は断ることができない。だから香澄は顔を上げて「桂様、ありがとうございます」とお礼を言った。
「じゃあ、二人とも。出かける準備をしておいで。下手すると夜までかかるからね」
「犯人はまだ絞れてないのか。祓い屋が殺された場合、疑われるのは外――妖怪だろう」
仲間を祓われたことに対する復讐。その可能性が真っ先に疑われるのが常識だ。しかし平助は首を横に振る。
「うん。そうなんだけど……今回ばかりは違うようでね」
「どういうことですか?」
「……君らには教えといてもいっか。実は、篝は倉橋家にあった包丁で胸を刺されていたんだ。妖怪絡みなら妖力で殺されるパターンが多い。だから今回は人間による他殺が疑われている」
香澄の中には嫌な想像が浮かぶ。それが現実でなければいい。祈ることしかできなかった。

