生真面目妖狐と 孤独な祓い屋の 嫁入り婚

「ほらよ、頼まれてたやつ」

 千が桂に茶色の封筒を手渡す。かなりの厚さがある封筒はずっしりと重い。

「すまない。引き取りに行ってもらって」
「買い出しのついでだから気にしなくていい」

 借りを作られた相手が気にしなくてもよいと言うものの、借りを作った側はそうは思えない。桂が一人よりも律儀なせいもあるだろう。何かしらで返さなくてはという意識が強い。

「もし、俺に頼んだことに対して何かを返したいと思うなら――」

 そしてそんな考えは、長い付き合いである千にはお見通しだった。千がピシリと指さす先には封筒がある。

「そんなのじゃなくて、本人としっかり話をしな」

 それだけ言って千はさっさと部屋を出ていく。どうやら彼は封筒の中身を察していたようだ。

「話をする、のが本当に最善なのだろうか……」

 必ずしも本音を聞くことが正解ではない。聞かないことが正解になることもある。
 どちらが正しいのか。それを知るための情報でもある。桂は正解を判断できるようにと、祈りながら封筒の中身を取り出した。

 平助が調べた香澄に関する調査記録。それを一枚づつ、丁寧に読み進めていく。
 一枚目は、パーソナルデータについて書かれていた。生年月日に学歴。身長体重と、あまりひとには見られたくないであろう記述ばかりだったので、ざっと見てから次に移る。

 二枚目以降は生い立ちについて。幼少の頃に両親を失い、伯父夫婦に引き取られたこと。それから伯父に祓い屋としての手ほどきを受けるが、才能がなく無能と呼ばれていること。

 伯父家族について書かれた書類もある。桂が気になったのは香澄の伯母が祓い屋の家系ではなく、一般の出だということだが、関係ないかと思考の端に追いやる。
 そして最後に入っていたのは、国に提出される報告書の写しだった。

「……これは」

 報告書の写しは香澄と倉橋家を調べていた平助が、もしかしたらの可能性を考慮して入れたものだった。そしてその考えは正しい。

 報告書に書かれていること。それが嘘であることが桂には分かったからだ。

 報告書の写しはここ数年のものが入っており、その中には少し前に桂が同行した依頼のものもあった。
 報告書に記載するのは祓った妖怪に、依頼に参加した人間の氏名、祓った手段が主だ。桂が着目したのは参加した人間。

 報告書の書き方にはルールがあり、祓った人間の氏名を一番上に、二番目からは貢献度順に書くようになっている。貢献度に関しては、主観で良いとされている。このルールはそんなに厳しいものではない。虚偽は許されないが、多少の忖度は許される。

 だが、この報告書は全てが事実とは乖離していた。

 本来祓った人間を書く一番上には、参加していない篝の名前が書かれていて、二番目には手毬の名前がある。三番目にようやく香澄の名前があった。
 祓った人間を詐称するのも、参加していない人間の名前を書くのはルールに反している。
 他の報告書も読むが、どれも同じように書かれていた。

 つまりこれが、香澄が無能と呼ばれる理由。搾取されてきたことの何よりの証拠だった。

「あいつは……このことを、知っていたのか?」

 もしかしたら搾取されることに嫌気が差して、桂が依頼に同行することを了承したのか。頭に思いついた考えを桂はすぐに否定した。

「多分、知らないのだろうな」

 報告書の書き方も、ルールも、彼女は何も知らされていなかったのだろう。それは後継者以外には不要だと。知識を持つことすら許されない。

「……最悪だな」

 少しづつ、香澄が形成してきた価値観が見えてきた。手元にある情報と、香澄の行動。組み合わせれば、彼女の行動の真意が朧気ながら見えてくる。

「つまり、あれは自傷か、自殺行為か」

 勝てないと分かりつつも、桂の命を狙う香澄。その行為自体が目的ではなく、桂に自分を殺させること。それが目的なのだと分かっていた。
 桂に殺されること自体が願いとやらなのか。或いはその先の何かを望んでいるのか。

 そこまで考えて、少し違うと思い直す。香澄が望んでいることは、桂に殺されることではない。自分以外の誰かに殺されることだろう。
 依頼に同行した時、自分の安全を顧みずに突っ走ったのを見ても確かだ。あれは命を大切にしていない。殺されてもいいと思っているからこその動き。

 殺してくれる相手は、別に桂に限ったわけではない。他の誰かでもいい。

 その事実に桂は胸焼けのような感覚がした。

「なんだ、これは……?」

 桂は考える。胸焼けと似ているが、暴飲暴食をした覚えはない。だから違う、似ている何か。この感覚をなぜ今、覚えたのか。そのことについて深く考えてみる。
 感じたのは、香澄の望みを叶える相手が自分ではなくてもいいという事実に気づいた時。
 そのことについて考えるとモヤモヤとする。気持ちの悪い感覚だ。

「毒でも盛られたか」

 自分に生半可な毒は効かない。それは分かっている。しかしならなぜ、こんなにもムカムカするのか。
 書類を机に置き、自分と向き合う。この体調の変化の理由は、知らなければいけないことのように思えたからだ。

 まずどこに引っかかりを覚えたのか。おそらく、顔も名前も分からない誰かではなく、香澄だ。いつもそうだ。香澄は桂の感情を引っかき回す。

 次に香澄のことを考える。最初は哀れな人間だと思った。しかしすぐに変人に変わった。それから真面目な変人なのだと改めた。関わっていくにつれて、彼女への印象も考えもコロコロ変わる。

 ――ならば、今は何を思うのか。

 強い人間だ。同時に死にすがる弱い人間でもある。別にそれはいい。弱さも強さもあるのが生き物だ。相手が誰でもいいと考えているのは、良くない。
 そこの理由。少し手を伸ばせば届く距離にある感情に手を伸ばす。懸命に、ひたすらに。そうして届いた先にあったのは、聞いたことしかない、体感したことのない心。

「……俺は、香澄の縋る先が、自分であればいいと思ったのか」

 強さを持って生まれた女。強いから持ってしまった弱さ。それを向けるのが自分であればいいと願った。
 人は、妖怪は、その感情を何と呼ぶのか。答えはもう持っていた。

「俺には、遠いものだと思っていたんだがな」

 長い時を生きる妖怪にとって、時間を共にする相手はいた方が良い。分かっていながらも、桂は誰にもその感情を抱くことはなかった。

 きっとそれは、自分には似合わない程に綺麗なのだと。自分には手の届かないものなのだと。とっくの昔に諦めていた。
 しかし違った。出会うべきは妖怪ではなく、人間。だから手に届かなかったのだ。
 こうして気づいてしまえば、簡単な話だった。そして難しいのは、ここからなのだということはすでに理解していた。

「アイツにも、生きたいと思わせなくてはな」

 変化しつつある香澄。しかし桂はその事に気づいておらず、まだ彼女が生に微塵も希望を抱いていないと考える。
 どうすればいいのか。彼女の心と共に生きるには、どうするべきか。
 決まっている。香澄の望むものを与える。その輪郭はすでに掴んでいた。

「覚悟しろ、香澄」

 そうして妖狐は覚醒する。恋を知った生き物として。唯一を手に入れるために。