「何かあったのか?」
桂の自室に入った香澄を見て、桂が開口一番に尋ねた。
何かは確かにあった。香澄にとって大きすぎる出来事が、気づきが。でも本心を言うのは少し気恥ずかしく「大したことではないです」と誤魔化した。
「それよりも、用事は何ですか?」
今日は桂に呼ばれ、彼の自室へと訪れていた。もちろん短刀は懐にしまってある。一応持ってきてはいるが、使うかどうかは悩むところだった。
「お前が術を使えない理由を調べると、約束しただろう。ちょうど俺も暇だからな、今からやるぞ」
香澄は素早く桂の前へ移動して「私は何をすればいいんですか」と尋ねる。
「手を」
桂の白い手が香澄に差し出される。手を取れ、ということだろう。分かっていても、香澄は躊躇する。
「どうした? 早くしろ」
「……はい」
前はこうではなかった。どうして今更になって触れることを考えると緊張するのか。
悩んでいる暇はない。香澄は意を決して、桂の手を取った。
「少し気持ち悪いかもしれない。耐えろ」
「気持ち悪い……ですか」
「そうとしか表現できない。いくぞ」
香澄はとりあえずお腹に力を入れる。何が来ても耐えられるように。
突如としてゾクリとした悪寒が香澄を襲う。背中にイモムシが這っているみたいな、気持ち悪いとしか形容できない感覚。香澄は俯き、唇を噛んでただ耐える。
幸いにも、それは数分で終わった。
気持ち悪い感覚が消え、顔を上げた香澄の目に入ったのは、苦々しい表情の桂。
「桂様?」
香澄からすれば、どう考えても悪い結果を告げる前の医師のようだった。良い話と悪い話どちらから聞きますか、と問いかけてきそうだ。この場合の良い話は原因が特定ができましたであり、悪い話は手の施しようがありませんだろうが。
「……お前は、俺の一族と会ったことがあるか?」
「桂様の一族……?」
「あぁ、妖狐の中でも特別な血筋だ。一等強い力を持っている」
香澄は幼少の思い出せる記憶から漁っていくが、妖狐と会った記憶すらない。首を横に振って否定する。
「そうか……なら、記憶にも細工をしてるのか……」
「あの、説明してくれませんか。私が術を使えないことと、桂様の一族に何の関係が?」
話が見えてこなかったので、素直に聞く。桂は暗い顔のまま、頭を抱えた。今回ばかりは香澄が原因ではない頭痛のようだった。
「術を使えないように、術で封じられていた」
「術を封印する術……そんなものがあるんですか」
妖怪を封印する術なら各家に伝わっている。けれど術を封印する術、というのは初耳だ。そんなものがあれば、祓い屋達が有能な同業を蹴落とすために使いそうなのに今まで聞いたこともない。なら少なくとも、祓い屋達の中には存在しない術なのだろう。
「人間には扱えないだろうがな。あればかなりの妖力を消費する。まともに使えるものは殆どいないし、使えたとしてもせいぜい数十分が限界だ」
「でも、私はずっと術が使えません」
「何かしら制約があるのだろうな」
「……制約」
「制約については知っているか?」
「はい。前に聞いたことがあります」
香澄の頭に浮かぶのは、紫風がかつて教えてくれた制約と術の関係性だ。
何かしらの条件を付与することによって、術の効果を底上げしたり、霊力の消費をへらしたりできるらしい。
例えば相手の頭以外に当たる攻撃を無効化する代わりに、頭に当たった時の威力を倍にしたり。封印ができない程強い力を持つ妖怪を封印する代わりに、その近くで封印に霊力を流し込み続けたり。
こういう制約を付与する術は扱いが面倒で、術も複雑になるから極力使いたくない。そう愚痴っていた。紫風の術者としての実力は高いので、そうそう使うことはないだろう、と思ったのを香澄はよく覚えていた。
「長期間、術の使用を封じる為の制約……。その正体は分からないが、この封印術の特徴は一族に伝わるものだ」
「特徴があるんですか」
「祓い屋達の使う術も、その家によって様々だろう。それと同じだ」
そう言われると納得するしかない。術を使えなくとも、その程度の知識は必須だからだ。術を使うのが得意な家と、そうではない家に伝わる術は美しさが全然違う。紫風も得意げに言っていた。
「それじゃあ私が術を使えないのは、桂様の一族の誰かが封印しているから」
「あぁ」
その封印さえどうにかしてしまえば、術を使えるようになるのだろう。しかし封印を解く方法など、香澄には分からない。術関連なら紫風を頼るべきだが、紫風が助けてくれるかは不明だ。気が乗らないと断る可能性の方が高い。
(いえ、まずは桂様に聞いてみるべきですね。この方が調べてくれたから、原因がわかったわけですし)
しかし、今の桂は何かを考え込んでいる。桂の思考を中断させでも良いのか。悩みながら、桂をじっと見つめた。
香澄の視線に気づいたのか、桂が香澄の瞳を見返す。と、思ったらすぐに逸らしてしまった。
「どうして目を逸らしたんですか?」
「何でもない!」
何かしらある時の反応だが、その何かに香澄は興味が湧かない。なので、術を解けるかどうかの話をすることにした。
「この術は解けるんでしょうか」
「それに関しては大丈夫だ。制約を満たせなくなったのか、他の理由かは分からないが、すでに綻びが見えている。段々と解けるだろう」
「そうですか」
使えるようになっても、すぐに達人レベルにはなれない。そもそも倉橋家に伝わる術の詳細が分からない以上、実戦に投入できるのはずっと先になる。それでも使えるようになるという事実が嬉しかった。
「それと、お前には他にも術がかけられている」
「他の……」
「詳細はよく分からなかった。恐らく人間のかけた術だ。妖怪の術よりも人間の術の方が繊細だからな」
「下手に効果を調べると術を消しかねない、ってこのですか?」
「そうだ。悪い効果ではないようだし、放置しておいても問題ないだろう」
人間がかけた術。悪い効果ではないという発言を信じるとするならば、果たして、誰が何のためにかけたのだろうか。
もしこれが害する効果なら、倉橋家の誰かか、他の祓い屋達か。どちらにしても理由がわかる。
しかし良い効果の術をかけられる心当たりが、香澄には一切なかった。紫風の顔が一瞬浮かぶが、絶対に違う。良い効果でも悪い効果でも、どちらであっても使わない。紫風は香澄にとって、悪い人ではないが、良い人でもないからだ。
問題が解決したと思ったら、また問題が積み重なる現状。少しでも不明の霧を晴らすために、頭を使う香澄。
その向かいで、桂は難しい顔をしてひと言呟く。
「……まさか、アイツが?」
その声は香澄には届かなかった。
桂の自室に入った香澄を見て、桂が開口一番に尋ねた。
何かは確かにあった。香澄にとって大きすぎる出来事が、気づきが。でも本心を言うのは少し気恥ずかしく「大したことではないです」と誤魔化した。
「それよりも、用事は何ですか?」
今日は桂に呼ばれ、彼の自室へと訪れていた。もちろん短刀は懐にしまってある。一応持ってきてはいるが、使うかどうかは悩むところだった。
「お前が術を使えない理由を調べると、約束しただろう。ちょうど俺も暇だからな、今からやるぞ」
香澄は素早く桂の前へ移動して「私は何をすればいいんですか」と尋ねる。
「手を」
桂の白い手が香澄に差し出される。手を取れ、ということだろう。分かっていても、香澄は躊躇する。
「どうした? 早くしろ」
「……はい」
前はこうではなかった。どうして今更になって触れることを考えると緊張するのか。
悩んでいる暇はない。香澄は意を決して、桂の手を取った。
「少し気持ち悪いかもしれない。耐えろ」
「気持ち悪い……ですか」
「そうとしか表現できない。いくぞ」
香澄はとりあえずお腹に力を入れる。何が来ても耐えられるように。
突如としてゾクリとした悪寒が香澄を襲う。背中にイモムシが這っているみたいな、気持ち悪いとしか形容できない感覚。香澄は俯き、唇を噛んでただ耐える。
幸いにも、それは数分で終わった。
気持ち悪い感覚が消え、顔を上げた香澄の目に入ったのは、苦々しい表情の桂。
「桂様?」
香澄からすれば、どう考えても悪い結果を告げる前の医師のようだった。良い話と悪い話どちらから聞きますか、と問いかけてきそうだ。この場合の良い話は原因が特定ができましたであり、悪い話は手の施しようがありませんだろうが。
「……お前は、俺の一族と会ったことがあるか?」
「桂様の一族……?」
「あぁ、妖狐の中でも特別な血筋だ。一等強い力を持っている」
香澄は幼少の思い出せる記憶から漁っていくが、妖狐と会った記憶すらない。首を横に振って否定する。
「そうか……なら、記憶にも細工をしてるのか……」
「あの、説明してくれませんか。私が術を使えないことと、桂様の一族に何の関係が?」
話が見えてこなかったので、素直に聞く。桂は暗い顔のまま、頭を抱えた。今回ばかりは香澄が原因ではない頭痛のようだった。
「術を使えないように、術で封じられていた」
「術を封印する術……そんなものがあるんですか」
妖怪を封印する術なら各家に伝わっている。けれど術を封印する術、というのは初耳だ。そんなものがあれば、祓い屋達が有能な同業を蹴落とすために使いそうなのに今まで聞いたこともない。なら少なくとも、祓い屋達の中には存在しない術なのだろう。
「人間には扱えないだろうがな。あればかなりの妖力を消費する。まともに使えるものは殆どいないし、使えたとしてもせいぜい数十分が限界だ」
「でも、私はずっと術が使えません」
「何かしら制約があるのだろうな」
「……制約」
「制約については知っているか?」
「はい。前に聞いたことがあります」
香澄の頭に浮かぶのは、紫風がかつて教えてくれた制約と術の関係性だ。
何かしらの条件を付与することによって、術の効果を底上げしたり、霊力の消費をへらしたりできるらしい。
例えば相手の頭以外に当たる攻撃を無効化する代わりに、頭に当たった時の威力を倍にしたり。封印ができない程強い力を持つ妖怪を封印する代わりに、その近くで封印に霊力を流し込み続けたり。
こういう制約を付与する術は扱いが面倒で、術も複雑になるから極力使いたくない。そう愚痴っていた。紫風の術者としての実力は高いので、そうそう使うことはないだろう、と思ったのを香澄はよく覚えていた。
「長期間、術の使用を封じる為の制約……。その正体は分からないが、この封印術の特徴は一族に伝わるものだ」
「特徴があるんですか」
「祓い屋達の使う術も、その家によって様々だろう。それと同じだ」
そう言われると納得するしかない。術を使えなくとも、その程度の知識は必須だからだ。術を使うのが得意な家と、そうではない家に伝わる術は美しさが全然違う。紫風も得意げに言っていた。
「それじゃあ私が術を使えないのは、桂様の一族の誰かが封印しているから」
「あぁ」
その封印さえどうにかしてしまえば、術を使えるようになるのだろう。しかし封印を解く方法など、香澄には分からない。術関連なら紫風を頼るべきだが、紫風が助けてくれるかは不明だ。気が乗らないと断る可能性の方が高い。
(いえ、まずは桂様に聞いてみるべきですね。この方が調べてくれたから、原因がわかったわけですし)
しかし、今の桂は何かを考え込んでいる。桂の思考を中断させでも良いのか。悩みながら、桂をじっと見つめた。
香澄の視線に気づいたのか、桂が香澄の瞳を見返す。と、思ったらすぐに逸らしてしまった。
「どうして目を逸らしたんですか?」
「何でもない!」
何かしらある時の反応だが、その何かに香澄は興味が湧かない。なので、術を解けるかどうかの話をすることにした。
「この術は解けるんでしょうか」
「それに関しては大丈夫だ。制約を満たせなくなったのか、他の理由かは分からないが、すでに綻びが見えている。段々と解けるだろう」
「そうですか」
使えるようになっても、すぐに達人レベルにはなれない。そもそも倉橋家に伝わる術の詳細が分からない以上、実戦に投入できるのはずっと先になる。それでも使えるようになるという事実が嬉しかった。
「それと、お前には他にも術がかけられている」
「他の……」
「詳細はよく分からなかった。恐らく人間のかけた術だ。妖怪の術よりも人間の術の方が繊細だからな」
「下手に効果を調べると術を消しかねない、ってこのですか?」
「そうだ。悪い効果ではないようだし、放置しておいても問題ないだろう」
人間がかけた術。悪い効果ではないという発言を信じるとするならば、果たして、誰が何のためにかけたのだろうか。
もしこれが害する効果なら、倉橋家の誰かか、他の祓い屋達か。どちらにしても理由がわかる。
しかし良い効果の術をかけられる心当たりが、香澄には一切なかった。紫風の顔が一瞬浮かぶが、絶対に違う。良い効果でも悪い効果でも、どちらであっても使わない。紫風は香澄にとって、悪い人ではないが、良い人でもないからだ。
問題が解決したと思ったら、また問題が積み重なる現状。少しでも不明の霧を晴らすために、頭を使う香澄。
その向かいで、桂は難しい顔をしてひと言呟く。
「……まさか、アイツが?」
その声は香澄には届かなかった。

