生真面目妖狐と 孤独な祓い屋の 嫁入り婚

 思い出すのは遠い昔。もう戻れはしない、香澄が子供の頃。
 香澄の両親が存命だった頃は、香澄と手毬の仲は悪くなかった。まるで本当の姉妹のように、手毬は香澄の手を引いて、一緒に遊んでいた。
 母親と義理の娘という設定で、おままごとをしたこともあった。たくさんの色が散らばる花畑で、花冠を作ったこともあった。

 香澄は両親と同じくらい、手毬のことが好きだった。

 両親が亡くなって、心細かった香澄にとって、手毬のいる家に引き取られることは救いでもあったのだ。
 祓い屋達は足の引っ張り合いをする。笑顔の仮面を被っていたら、その内側の表情は見えない。その内側が醜いことを子供は機敏に感じ取る。
 周りの大人は怖い人ばかり。親を失ったばかりの香澄にとって、手毬は数少ない心を許せる人だったのだ。

(昔をいくら懐かしんでも、意味なんてないってわかってます。それでも思い出していれば少しは楽)

 バチンっと、大きな音が響く。

 香澄の頬には赤い跡が、そして彼女の前方にいる手毬の手のひらも赤く染まる。怒りに任せ、手毬が香澄の頬を叩いたのだと、誰が見てもわかる状況だった。

「なんで……なんで、なんでなんで! お父様は……あんたにばっか……なんで私のお父さんを取るの!?」

 人気のない学校の裏側で、手毬は泣きながら叫ぶ。

 ずっと彼女は我慢していた。父親から愛されないことを。父親は自分ではなく、香澄にばかり意識を向けていた。

 手毬も香澄と同じく術をまともに扱えない。香澄と違うのは、彼女は満足に戦うことすらできないこと。
 手毬は自分よりも香澄の方が実力があるから。だから父親は香澄を気に入り、仕事を分けているのだとずっと思っていた。
 香澄がいなくなれば、父親は自分にも時間を割いてくれる。祓い屋としての鍛錬を重ねている自分を見て、仕事を任せてくれる。愛してくれる、と信じていた。

 けれど、そうはならなかった。家から出た香澄に仕事を頼んでいたのを、手毬は母から聞いて知ってしまった。
 黙ってはいられなかった。教室いた香澄を引っ張り出してきて、鬱憤をぶつけてしまうくらいには、彼女も傷ついていたのだ。
 実の娘ではなく、姪である香澄を頼ることを、手毬は愛していると捉えた。

 そしてその思い込みが事実ではないことを、香澄は絶対に口にしなかった。

(もし、お姉様に、伯父様は私のことなんて愛していないと。仕事を押し付け、死を望んでいると。あの人が本当に当主に添えたいのはお姉様だと。すべて伝えたとして、良いことがあるのだろうか)

 篝が手毬と会わないのは愛していないからではない。何か別の理由があるのはわかる。でもその理由は分からない。その理由が手毬を傷つけるものだったら、伝えない方がいいに決まっている。
 真実を伝えれば、手毬は香澄を責めていた自分を責める。香澄の方が厭われていると、そんな彼女を更に傷つけてしまったと。後悔をするはずだ。

 真相は人を傷つけるだけ。救いはしない。見ないままでいる方が手毬にとっては楽だ。香澄を諸悪の根源とし続けて憎しみを向け続けていられるのだから。

「何とか言ったらどうなの!?」 
「……申し訳ありません」

 真実を伝えないという選択肢を取り続ける以上、香澄には謝ることしかできない。自分が罪を被り続けることしか。

「謝ってほしいんじゃない! 返してほしいの、私に!」
「申し訳ありません」
「違う! ……なんで、なんで……神様は、私に才能をくれなかったの……どうして私は、術の一つまともに使えないの……」

 昔は術を使うことができた香澄と違い、手毬は生まれた時から今に至るまで、一度も術を使えたことがない。
 最初は練習すればできるようになると思っていたが、なぜか一向に使えるようにならない。体術も思うように身につかない。

 自分から自信がポロポロと剥がれ落ちていく中、求めたのが親の愛情なのは当然のことだった。

 愛されているなら、期待されているなら、祓い屋として未熟でも生きていていい。そういう考えに至るのは、祓い屋という特殊な環境では当然で。それが香澄に向かうことに耐えられるはずもなかった。

(知ってる。もう戻れないことを。お姉様と昔みたいに手を握って、野原を駆け回って、たくさん笑う。そんな日常は蜃気楼でしかないってわかってます)

 分かっていても、期待してしまうのが人だ。もしかしたらと、小さい香澄が穴から顔を出す。その頭を抑えつけて香澄は願う。唯一無二の望みを。

 それがいつも通りだった。

 でも今は少し変わっていた。

(……どうして、桂様が頭に浮かぶんでしょうか)

 桂だけではない。香澄の頭に浮かぶのは、桂に嫁いで出会った妖怪達の顔。
 倉橋家で過ごした時間の方が圧倒的に長かった。亡くなってしまった両親との時間と比べても短い。
 それでも、とても短い時間だったとしても。桂と一緒にご飯を食べた。鈴と蘭と一緒に遊んだ。千には食べる事の大切さを教えてもらった。

(私は、いつの間にか期待をしていたんですね。あの場所に、妖怪達に)

 望まないと決めたのに。あの願い以外、全てを切り捨ててきたのに。

「――お姉様」
「香澄……?」

 香澄は頭を上げる。その表情は先程までと、心を殺して謝罪をしていた時とは一転して、血の通った人らしい顔つきになっていた。
 困惑する手毬に気づきながらも、香澄は自分の言いたいことを優先する。

「お姉様の努力を私は知っています。術を使えるようになろうとしているのを、体術を磨く為に伯母様の目を盗んで、夜遅くまで鍛錬していたのを知っています」

 伯母――玉代は手毬が努力するのを、あまり良い目で見ていなかった。正確に言えば、そんなことはしなくていいと、彼女の努力を否定していた。
 玉代に甘え、生きることもできたはずだ。手毬はそうはしなかった。その覚悟を香澄は知っていた。

「な、に……を……いっ、てるの?」

 その言葉に、香澄は答えない。

「だから大丈夫です。貴女は、例え誰からも愛されなくても、生きていていいんです」
「……なっ、ん……で」

 それは他の誰でもなく、香澄が誰かに言ってもらいたかった言葉だ。でも誰も彼女に伝えてはくれなかった。

 そして手毬にとっても同じだった。

 何も言わず、ただ静かに香澄を見つめる手毬。何かを言いたくても言えない。そんな様子だった。

「お姉様、またお話しましょう」

 そう言って頭を下げて、香澄は静かにその場をあとにした。
 残された手毬は、しばらくその場に立ち尽くしていた。