件の妖怪は同じ場所で三から四回事件を起こしたあと、別の場所に移動している。
現在判明している最後の事件はその一回目。移動してから間もないことが香澄には有利に働いた。
街の中心から離れていて夜の往来は少ない道路。その近くで香澄は息を殺す。犯行現場を確実に押さえるために。
しかし、問題が一つ生まれた。
「桂様」
「どうした」
「気配消してもらえませんか」
あまりにも桂のオーラが凄すぎるのだ。ダダ漏れすぎて普通の妖怪なら近づくだけで卒倒。どう考えてもそんなところに犯人が近づくわけがない。
「気づいていたのか」
「気づかないような祓い屋だと思われていたのですか」
これに気づかないのは才能がないとか、そういうレベル問題ではない。普通の人間すら目を引くオーラ。気づかないのは鈍感以下。いや、よく今まで生きていられたな、レベルだろう。
流石にそこまでの意味を内包してはいないだろうが、それでもかなりの侮辱にあたる。
内包していたとしても、香澄は気にしない。気にしたとしても、桂への不敬の自覚があるので怒ることはない。
ただ単純に、桂が自分のことをどう思っているのか。香澄が気になるのはその一点だけだ。
「気づいていたのだとしたら、お前は大物になるな」
その言葉と同時に、香澄の隣にいる桂からオーラが消える。正確には術を使い隠しているのだろう。
けれどそんなことは香澄にはどうでもよい。真剣に桂の言葉の意味を考えながら、夜食にしろ、と言われ千に貰ったおにぎりを食べる。
最近は食欲も増えた。まだ少しの変化だが、よい方向には向いていると香澄は思っている。千にそう伝えたら「まだまだ少食すぎるけどな」と嬉しそうに言っていた。
食べやすく栄養価の高い食事だけではなく、食べることの重要性や、食を摂ることへのメリットの講義もしていた。なのでその努力が実ったことが、僅かでも結果に現れて嬉しかったのだ。
もちろんそんなことに香澄が気づくわけもないし、桂の真意を図れるわけもない。
桂からしてみれば褒め言葉であった先ほどの言葉。それを香澄は、鍛錬が足りてないと思われていると解釈した。
どこを切り取ればそう聞こえるのか。褒め言葉か、あるいは皮肉か。そうとしか判断できないだろうに、鍛錬をもっと頑張れという意味にとらえた。
(鍛錬の時間は充分だと思っていましたが……時間ではなく効率的に行う方向に考えてみましょうか。でも、その鍛錬の結果を活かす機会があるかは分かりませんし……)
おにぎりをしっかり咀嚼しつつ、意識は前方に向け、頭では鍛錬について考える。なかなかに器用なことをしながら、事件が起きるのを待つ。
もちろん、今日事件が起きるとは限らない。事件の間隔はまばらで、立て続けに起きる時もあれば、一週間程度何も起きない時もある。
幸いにも事件が起きるのは決まった時間。十一時から二時の間であり、最低限の睡眠時間は確保できる。張り込みが連日に続いても体は持つはずだ。
だからじっと息を殺し、犯人らしき妖怪が現れるのをただ待つ。
そんな中、ふと香澄は気づく。自分はこういうことに慣れているが、桂はそうではない。退屈ではないのか。心配になり振り返れば、すぐ前に桂の顔があった。
「何故、いきなり振り返える」
香澄は答えずに自分の疑問を口にする。
「どうしてそんなに近くにいるんですか」
桂と香澄はそれなりに身長差がある。普通なら振り返ったところで桂の胸元辺りが見えるだけだ。
なのに今、目の前に美しい月のような瞳がある。今日は月の見えない夜だ。街灯の少なく、月も見えず、視界が悪い。
そんな場所でも美しく見える桂の瞳。すぐにでも張り込みに戻らなければいけないのに、目が逸らせなかった。
「術ですか」
「何がだ」
「ずっと見ていたい、って思ってしまうような術を使ってますか」
「なんだそれは」
本当に心当たりが桂にはないようだった。ならば何故、今香澄は動けないのか。いくら考えても分かりそうになかった。
「妙なことを言ってないで、さっさとあっちを見ろ」
香澄の顔を持ち、くるりと反転される。
そのことを惜しいと思う香澄。でもまた振り返り同じ状態になっては意味がないので、道路を見つめた。
「それで、どうして近くに……私と同じ目線でいたんですか?」
「それはどうしても知りたいことか」
耳元で聞こえる声に奇妙な感覚を覚えながらも「はい」と答えた。
「……大した意味はない。知りたかっただけだ」
「何をですか」
「お前のことを」
意思と反し、反射的に振り返ろうとしてしまう。しかし桂に頭を押さえられていて、できなかった。
振り返ろうとした理由が分からず、混乱する香澄。耳から入ってくる桂の言葉が、混乱をさらに強めていく。
「同じ目線で世界を見れば、何かわかるかもと思っただけだ。俺を本気で殺そうとする、救いようない程の愚か者。だが俺以外の妖怪には真摯で過度に嫌ったりせず、文句をつけることもない。奇妙で憎めない。そんなお前のことを知りたかった。それだけだ」
香澄は何も言えなかった。真剣に自分を思う桂への答えを口にできないだ。
唯一の願い以外を望まないと決めた。その願いだけは絶対に叶えるために迷信にすら手を伸ばし、誰にも伝えずに秘匿した。
(本当は言ってしまいたい。貴方が言うような真摯さなど、私には欠片もないことを。私は自分の望むものを掴むために、貴方を利用しようとしている。罪を背負わせようとしている。私なんか、貴方のような優しい妖怪に知ってもらう価値などないです、と)
彼を殺そうと狙う理由は過程にすぎないと。欲しいのは、彼が自分を殺すという結果だけ。
どこまでも自分の為にしか動いてない。自分勝手な人間だと。伝えてしまえば、どれだけ救われるのか香澄は想像して口を噤む。
(……例え、望み通りに殺してもらえたとして、私は辿り着けるのでしょうか。会いたい人達に。こんなにも利己的に成長した私に会ってもいいと、二人は思ってくれるのかな)
弱い本音が心を占拠する。それは子供の頃の香澄の姿形をしていた。
強くなるしかなかった。願いのためと言って他を切り捨てた。そのはずだったのに、未だに子供の香澄は心の中にいて、泣き声を上げる。
香澄はその口を塞ぎ、芽生えつつある本音を押し殺した。
「……香澄?」
香澄の異常に気づいたのか、桂が名前を呼ぶ。
初めて桂が香澄の名前を呼んだ。それだけで込み上げそうになる何かを抑え、香澄は何も気にしていないかのような振りをする。
「どうかしましたか」
「……いや、何でもない。……いつ犯人が来るかも分からない。集中しないといけないな」
鈍い香澄でも桂が何かを誤魔化したのがわかるほど、拙い言葉だった。
踏み込みたい。この手を伸ばして、触れてみたい。そんな気持ちに駆られるが、結局香澄は何もしない。
(自惚れてはいけません。もし本当を知られたら、彼は私のことなんか嫌いになるに決まってるんですから。誰にも好きになってもらえるわけがない。だから私は会いたいんです。無条件で愛してくれる人達に)
チリチリと痛む胸。すっかり痛みには鈍感になったと思ったのに。もしかしたら、過去の分もまとめて蘇った痛みなのかもしれなかった。それならこんなに痛いのも仕方ないと香澄は耐える。
しばらくの間、二人の間に沈黙が落ちた。時折車の走る音がBGMとして流れるが、この時間の交通量は多くない。殆どの時間はお互いの呼吸しか聞こえなかった。
桂のことを気にしないように努めた香澄だったが、呼吸音が聞こえると近くにいることを実感してしまい、気になってしまう。
極力思考から追い出して、千がスープジャーに入れてくれた味噌汁を飲む。保温機能は流石というべきか、味噌汁は出来たてのように温かった。
いくら春とはいえ、この時間は気温も低い。冷えた身体で飲めば、美味しい味噌汁はさらに美味しく感じた。
日付同士の境目の時間。今日は外れかもしれない、と考え始めた頃だった。それが起こったのは。
スープジャーの蓋を閉じて、トートバッグにしまったすぐ後。一台の車が道路を走っているのが見えた。ピンク色の可愛らしいフォルムの軽自動車。その後方の闇の中から何かが現れる。
夜から這い出てきた、人間と似ているが、全く違う設計図で生まれた生き物。片足しかないそれを視界に入れた瞬間、香澄は刀を抜いた。
妖怪は凄まじいスピードで車を追い抜き、前に出る。そして減速し、車に接触しないギリギリを狙う。当然車の運転手は困惑し速度を落とすが、それに合わせて妖怪も減速する。
その動きを見て、あれが犯人の妖怪だと確信した香澄は、被害が出る前に止めようと走り出そうとする。
「待て」
桂が香澄の手首を掴んで引き留めた。
「なんですか、早く行かないと――」
「車に轢かれればお前もただじゃ済まないだろう。どうやって止めるつもりだ」
「こう、上手くやります」
「何も考えてないだろ!」
こうやって話す間にも、車と妖怪はどんどん離れていってしまう。早く追いかけないと香澄の足では追いつけない。香澄は桂の静止を振り払い「急がないと追いつけなくなります!」と叫んで走り出した。
現在判明している最後の事件はその一回目。移動してから間もないことが香澄には有利に働いた。
街の中心から離れていて夜の往来は少ない道路。その近くで香澄は息を殺す。犯行現場を確実に押さえるために。
しかし、問題が一つ生まれた。
「桂様」
「どうした」
「気配消してもらえませんか」
あまりにも桂のオーラが凄すぎるのだ。ダダ漏れすぎて普通の妖怪なら近づくだけで卒倒。どう考えてもそんなところに犯人が近づくわけがない。
「気づいていたのか」
「気づかないような祓い屋だと思われていたのですか」
これに気づかないのは才能がないとか、そういうレベル問題ではない。普通の人間すら目を引くオーラ。気づかないのは鈍感以下。いや、よく今まで生きていられたな、レベルだろう。
流石にそこまでの意味を内包してはいないだろうが、それでもかなりの侮辱にあたる。
内包していたとしても、香澄は気にしない。気にしたとしても、桂への不敬の自覚があるので怒ることはない。
ただ単純に、桂が自分のことをどう思っているのか。香澄が気になるのはその一点だけだ。
「気づいていたのだとしたら、お前は大物になるな」
その言葉と同時に、香澄の隣にいる桂からオーラが消える。正確には術を使い隠しているのだろう。
けれどそんなことは香澄にはどうでもよい。真剣に桂の言葉の意味を考えながら、夜食にしろ、と言われ千に貰ったおにぎりを食べる。
最近は食欲も増えた。まだ少しの変化だが、よい方向には向いていると香澄は思っている。千にそう伝えたら「まだまだ少食すぎるけどな」と嬉しそうに言っていた。
食べやすく栄養価の高い食事だけではなく、食べることの重要性や、食を摂ることへのメリットの講義もしていた。なのでその努力が実ったことが、僅かでも結果に現れて嬉しかったのだ。
もちろんそんなことに香澄が気づくわけもないし、桂の真意を図れるわけもない。
桂からしてみれば褒め言葉であった先ほどの言葉。それを香澄は、鍛錬が足りてないと思われていると解釈した。
どこを切り取ればそう聞こえるのか。褒め言葉か、あるいは皮肉か。そうとしか判断できないだろうに、鍛錬をもっと頑張れという意味にとらえた。
(鍛錬の時間は充分だと思っていましたが……時間ではなく効率的に行う方向に考えてみましょうか。でも、その鍛錬の結果を活かす機会があるかは分かりませんし……)
おにぎりをしっかり咀嚼しつつ、意識は前方に向け、頭では鍛錬について考える。なかなかに器用なことをしながら、事件が起きるのを待つ。
もちろん、今日事件が起きるとは限らない。事件の間隔はまばらで、立て続けに起きる時もあれば、一週間程度何も起きない時もある。
幸いにも事件が起きるのは決まった時間。十一時から二時の間であり、最低限の睡眠時間は確保できる。張り込みが連日に続いても体は持つはずだ。
だからじっと息を殺し、犯人らしき妖怪が現れるのをただ待つ。
そんな中、ふと香澄は気づく。自分はこういうことに慣れているが、桂はそうではない。退屈ではないのか。心配になり振り返れば、すぐ前に桂の顔があった。
「何故、いきなり振り返える」
香澄は答えずに自分の疑問を口にする。
「どうしてそんなに近くにいるんですか」
桂と香澄はそれなりに身長差がある。普通なら振り返ったところで桂の胸元辺りが見えるだけだ。
なのに今、目の前に美しい月のような瞳がある。今日は月の見えない夜だ。街灯の少なく、月も見えず、視界が悪い。
そんな場所でも美しく見える桂の瞳。すぐにでも張り込みに戻らなければいけないのに、目が逸らせなかった。
「術ですか」
「何がだ」
「ずっと見ていたい、って思ってしまうような術を使ってますか」
「なんだそれは」
本当に心当たりが桂にはないようだった。ならば何故、今香澄は動けないのか。いくら考えても分かりそうになかった。
「妙なことを言ってないで、さっさとあっちを見ろ」
香澄の顔を持ち、くるりと反転される。
そのことを惜しいと思う香澄。でもまた振り返り同じ状態になっては意味がないので、道路を見つめた。
「それで、どうして近くに……私と同じ目線でいたんですか?」
「それはどうしても知りたいことか」
耳元で聞こえる声に奇妙な感覚を覚えながらも「はい」と答えた。
「……大した意味はない。知りたかっただけだ」
「何をですか」
「お前のことを」
意思と反し、反射的に振り返ろうとしてしまう。しかし桂に頭を押さえられていて、できなかった。
振り返ろうとした理由が分からず、混乱する香澄。耳から入ってくる桂の言葉が、混乱をさらに強めていく。
「同じ目線で世界を見れば、何かわかるかもと思っただけだ。俺を本気で殺そうとする、救いようない程の愚か者。だが俺以外の妖怪には真摯で過度に嫌ったりせず、文句をつけることもない。奇妙で憎めない。そんなお前のことを知りたかった。それだけだ」
香澄は何も言えなかった。真剣に自分を思う桂への答えを口にできないだ。
唯一の願い以外を望まないと決めた。その願いだけは絶対に叶えるために迷信にすら手を伸ばし、誰にも伝えずに秘匿した。
(本当は言ってしまいたい。貴方が言うような真摯さなど、私には欠片もないことを。私は自分の望むものを掴むために、貴方を利用しようとしている。罪を背負わせようとしている。私なんか、貴方のような優しい妖怪に知ってもらう価値などないです、と)
彼を殺そうと狙う理由は過程にすぎないと。欲しいのは、彼が自分を殺すという結果だけ。
どこまでも自分の為にしか動いてない。自分勝手な人間だと。伝えてしまえば、どれだけ救われるのか香澄は想像して口を噤む。
(……例え、望み通りに殺してもらえたとして、私は辿り着けるのでしょうか。会いたい人達に。こんなにも利己的に成長した私に会ってもいいと、二人は思ってくれるのかな)
弱い本音が心を占拠する。それは子供の頃の香澄の姿形をしていた。
強くなるしかなかった。願いのためと言って他を切り捨てた。そのはずだったのに、未だに子供の香澄は心の中にいて、泣き声を上げる。
香澄はその口を塞ぎ、芽生えつつある本音を押し殺した。
「……香澄?」
香澄の異常に気づいたのか、桂が名前を呼ぶ。
初めて桂が香澄の名前を呼んだ。それだけで込み上げそうになる何かを抑え、香澄は何も気にしていないかのような振りをする。
「どうかしましたか」
「……いや、何でもない。……いつ犯人が来るかも分からない。集中しないといけないな」
鈍い香澄でも桂が何かを誤魔化したのがわかるほど、拙い言葉だった。
踏み込みたい。この手を伸ばして、触れてみたい。そんな気持ちに駆られるが、結局香澄は何もしない。
(自惚れてはいけません。もし本当を知られたら、彼は私のことなんか嫌いになるに決まってるんですから。誰にも好きになってもらえるわけがない。だから私は会いたいんです。無条件で愛してくれる人達に)
チリチリと痛む胸。すっかり痛みには鈍感になったと思ったのに。もしかしたら、過去の分もまとめて蘇った痛みなのかもしれなかった。それならこんなに痛いのも仕方ないと香澄は耐える。
しばらくの間、二人の間に沈黙が落ちた。時折車の走る音がBGMとして流れるが、この時間の交通量は多くない。殆どの時間はお互いの呼吸しか聞こえなかった。
桂のことを気にしないように努めた香澄だったが、呼吸音が聞こえると近くにいることを実感してしまい、気になってしまう。
極力思考から追い出して、千がスープジャーに入れてくれた味噌汁を飲む。保温機能は流石というべきか、味噌汁は出来たてのように温かった。
いくら春とはいえ、この時間は気温も低い。冷えた身体で飲めば、美味しい味噌汁はさらに美味しく感じた。
日付同士の境目の時間。今日は外れかもしれない、と考え始めた頃だった。それが起こったのは。
スープジャーの蓋を閉じて、トートバッグにしまったすぐ後。一台の車が道路を走っているのが見えた。ピンク色の可愛らしいフォルムの軽自動車。その後方の闇の中から何かが現れる。
夜から這い出てきた、人間と似ているが、全く違う設計図で生まれた生き物。片足しかないそれを視界に入れた瞬間、香澄は刀を抜いた。
妖怪は凄まじいスピードで車を追い抜き、前に出る。そして減速し、車に接触しないギリギリを狙う。当然車の運転手は困惑し速度を落とすが、それに合わせて妖怪も減速する。
その動きを見て、あれが犯人の妖怪だと確信した香澄は、被害が出る前に止めようと走り出そうとする。
「待て」
桂が香澄の手首を掴んで引き留めた。
「なんですか、早く行かないと――」
「車に轢かれればお前もただじゃ済まないだろう。どうやって止めるつもりだ」
「こう、上手くやります」
「何も考えてないだろ!」
こうやって話す間にも、車と妖怪はどんどん離れていってしまう。早く追いかけないと香澄の足では追いつけない。香澄は桂の静止を振り払い「急がないと追いつけなくなります!」と叫んで走り出した。

