生真面目妖狐と 孤独な祓い屋の 嫁入り婚

 外に出ていた桂が自宅へと戻れば、庭から何者かの気配を感じた。忙しなく動き続ける気配は、果たして何者なのか。彼は気配のある方へと足を運ぶ
 そこにいたのは、昨日桂の元へ嫁いできた祓い人。愚かにも桂の命を狙うだけでなく、その罪の贖いとして自分を殺せと迫る奇妙な女。
 その女が桂の命を狩るため以外で、刃を振るうのを見たのは初めてだった。
 全て役者側として見ていた光景。それを観客側で見た時、抱く感想は全く違うものだ。
 自分に向かない刃。警戒のレベルを落とすと、彼女の動きがよく見える。足運び、短剣を振るう腕。全ての動きが洗練されていて、桂は感嘆の息を漏らす。

(まるで、舞台の上で舞っているかのようだ)

 実際には香澄が持っているのは武器である短剣。他の人が見れば感じるのは恐怖一択だろう。
 それでももし、その手に持っているのが武器ではなかったら。きっと誰もが目を留めてしまう。そのような美しさを桂は感じていた。
 香澄の動きに見惚れる桂。そして桂の存在にすでに気がついている香澄。
 この状況は彼女にとって間違いなくチャンスだった。
 香澄は桂に違和感を感じさせないように、ゆっくり着実に距離を詰め、そして胸を狙い短剣で突きを放った。

「……残念だったな」

 そしてそれは桂の手によって阻まれる。
 刃を振るった瞬間に、これでは駄目だと悟ったので阻まれたことについて香澄はあまり気にしていない。香澄が気にしているのは、もっと別なところ。

(なかなか術を使わせるまでいきませんね)

 術を使わず、簡単にあしらわれている現状に不満はある。それでも殺すこと自体が目的ではないので、香澄はその不快を飲み込み「殺しますか?」と尋ねた。

「殺すわけがないだろう」
「残念です」
「どこで残念がってるんだ……」

 殺してもらえなかったことは本当に残念だ。しかし命の期限が延びたことでできることもある。例えば小さな疑問を解決すること。

「どうして、私のことを見ていたんですか?」
「見てはいけなかったのか」
「いえ、そういうわけではなくて」

 香澄はそこで一度、言葉を止めた。率直に聞いても良いのか分からなかったからだ。
 少し考えて、彼への不敬に当たる可能性が低いことに落ち込みつつ、続きを口にした。

「時間の無駄なのではないかと」
「何がだ」
「私の鍛錬の様子など見ても、桂様には得がない。なので、時間の無駄だと」

 香澄からすれば当たり前のことだった。自己研鑽の時間は自身にとっては重要だが、他者にとっては違う。人の技を見て盗む、なんてことを言う人もいる。
 確かに香澄もずっと真似をしている。彼女の戦い方は、小さい頃の記憶を忘れないようになぞるものだ。なのでそうだろう、とは思う。
 しかし桂にその必要はない。そんなことをしなくとも十分に強いからだ。盗む必要がなければ、見る理由はない。そんなことをするのなら、もっと別なことに時間を使うほうが良いに決まっている。

(学校に行くか、妖怪を祓うか。それしかない私とは違って、桂様には仕事があります。それは妖怪にとっても、人にとっても重要なもののはず。もっと、時間は効率的に使うべきなのではないのでしょうか)

 じっと桂を見つめ、返答を待つ香澄。彼の行動の理由が知りたいからなのか、もしくは何かに期待をしているのか。彼女の中では、本人にすらわからない未明の感情がぐるぐると渦巻いていた。

「無駄か。お前からすればそうなのか」
「はい。得るものはないかと」
「確かに。わざわざ技を見て、対策をしなくとも俺はお前の攻撃を止めることができる。そういう意味では見る理由ないな」

 香澄は自分の胸の奥に違和感を感じ、胸を押さえた。言葉にしにくい些細な違和感。石を飲み込んで重くなったような、プラスチック製のフォークで何度も刺されるような。いや、どちらも正確ではない。しかしそれ以上近い例えが思い浮かばなかった。

(私は何を……?)

 自分の中の違和感に思考を割こうとした香澄。

「ただ――」

 それを中断したのは桂の言葉の続きがあったから。香澄は顔を上げる。その先の、桂は口角を上げて、楽しそうに香澄を見ていた。

「お前の動きは綺麗だった。まるで、風に吹かれて宙を舞う花びらのように。見惚れていたんだ」

 飾らない褒め言葉。彼女がなぞっている誰かではなく、香澄だからこそ、彼は認めてくれた。真剣に香澄に向かって放たれたそれは、香澄の心の周りにそびえる壁を穿つ。
 小さな穴。まだ大きく何かが変化するわけではない。それでも確かに、香澄に届く言葉だった。

「……なんだ、お前顔が赤いぞ。風邪か?」

 桂に言われ、香澄は自身の顔が熱いことに気づく。その理由は本人にもよく分からなかった。

「見ないでください」
「大丈夫。妖怪と人間ではかかる病が違う。風邪はうつらん」
「そういう話じゃないです」
「じゃあなんだ?」

 桂の言葉に黙るしかできない香澄。
 言いたくない様子と赤らめた顔を見て、ようやく察したのか桂は「そうかそうか」と楽しそうに言う。

「なにが、そうかなのですか」
「お前にも褒められれば照れる、という機能が備わっているのかと思ってな」
「人間ですから、免疫がなければ過剰に反応してしまうのも仕方ないことでは」
「……免疫がない?」
「はい、その……綺麗、なんて言われたのは初めてです」

 それもそのはずだ。幼い頃、両親が健在だった頃は「綺麗」よりも「かわいい」と言われる年頃だ。そして倉橋家では褒められることはまったくない。香澄からすれば、悪口のほうが言われ慣れている。
 紫風は香澄の容姿を認めてはいるものの、絶対にそれを口にはしないし、他の祓い屋の一族は香澄を名家の無能だと思っており、褒めることなどない。そもそも祓い屋にとって容姿は評価基準にはならないというのもある。
 そんなことをもちろん知らない桂は驚いたように目を見開き、少しして納得するかの頷く。その反応に疑問はあるものの、今は羞恥から逃げ出したくて「そういえば」と別の話を切り出す。

「食事の件で話があります」
「あぁ、朝も進みが悪かったな。嫌いなものでもあったか」

 どうやら桂も、香澄の食事の様子は気になっていたらしい。違和感に気づくのは流石だが、残念なことに予想は外れだった。

「そういうわけではないのですが……」
「いや、理由は俺じゃなくて千に言え」
「千さん」

 鈴との会話でも出てきた名前だ。鈴いわくご飯担当らしい妖怪。会ったことはないので、香澄にはそれ以上のことは分からない。

「この家の食に関してはアイツに一任している。先代と同じように頑固でな、不満は直接言わないと絶対に改善しない」
「そうなんですか」

 先代も本人も知らないが、気難しい妖怪らしい。

「大抵の時間は厨房にいるから、会うのはそう難しくはない」
「ブラックな職場環境なんですか」
「違う。休めと言っても休まないんだ。挙句の果てに『食事を作ることが休息なんだ』とか言い始める。調理バカだ」

 その時の幻肢痛か、頭を押さえる桂。どうやら相当に問題児のようだった。

「変な方ですね」
「アイツも、お前には言われなくないだろうな」

 夫(仮)への対応への問題は自覚しているので、そこには突っ込まず「聞いてもらえますかね」と不安を口にする香澄。
 桂はポンと香澄の頭に手を置き、安心させるように撫でた。それは恋人や異性にするものでなく、親戚の子供にするような少しの雑さを感じさせるものだ。

「頑固だが、大抵の理由なら了承はしてくれる。嫌いな物を出すな、とかではないなら大丈夫だ。安心しろ」

 会ったこともない香澄の不安よりも、桂の言葉の持つ安心感のほうが強い。彼の方が付き合いはずっと長いのだから。きっと大丈夫。香澄は心の底からそう思えた。

「はい、行ってきます」

 不意に、ふわりと香澄は笑顔を浮かべる。

 初めて見る笑顔に、桂は驚きながらもどこか安心をした。年相応の子供らしい顔もできるのだと。それはやはり、夫よりは親戚のお兄さんのような感情だった。

「あぁ」

 去り際で油断している桂の首を狙った香澄だが、もちろん桂に止められる。彼女の表情はいつの間にか無に戻っていた。

「早く行け」
「はい」

 さっきの笑顔は気の所為だったのかもしれない。そんなことを考えながら、桂は面倒そうに追い払うように手を動かした。