生真面目妖狐と孤独な祓い屋の嫁入り婚

 木々に囲まれたとある山の奥深く。人目を避けるように、擬態するかのように建てられた和風建築の屋敷。その周りを囲う塀の中央の門の前、そこに三つの影があった。
 その一つは、昔ながらの形の紺色のセーラー服を身にまとった少女。黒く長い髪を邪魔にならないようにくるりとお団子の形でひとつにまとめていて、赤いリボンがゆらゆらと風に吹かれて揺れていた。顔立ちは端正だが、まだ少し幼さを残す少女は、無表情のまま頭を下げた。

「今日からお世話になります。倉橋家の次女、倉橋香澄と申します」
「顔を上げろ」

 香澄と名乗った少女の向かいにいる男が言葉を発した。
 満月を思わせる美しい金色の髪。その頭には髪と同じ色の耳が二つついており、時折体の後ろからしっぽがちらついた。一目で人ではないとわかる容姿を持つ男。その隣には形は違えど、同じように頭に耳を付けた、髪を三つ編みにしている小柄な少女がいた。
 彼らは妖怪と呼ばれる生き物であり、倉橋家は妖怪達を祓う仕事を生業としてきた家系だ。
 香澄はとある事情から、妖怪である男の元へ嫁ぐことを強制された。これは政略的な婚姻であり、その役目を押し付けられた立場の男から冷遇されても仕方ない。

「知っているとは思うが、俺の名前は桂。こっちはお前の世話係の一人の蘭だ」
「蘭と申します」

 簡潔な挨拶だった。だが、世話係を付けるということは、放っておかれることはないということだ。祓い人に付ける監視の意味合いが強いとしても、思っていたよりは香澄に配慮をしているようだった。
 香澄は一瞬だけ蘭に視線を向けて「よろしくお願いします」と挨拶をするが、すぐに桂へと視線を戻した。
 じっと桂を見つめる香澄。それは人ならざるものへの恐怖、というよりは何かを探るようなものだ。

(きっと、我が主の圧倒的な存在感に驚いているのでしょう)

 表情は崩さぬまま、蘭は自分の仕える桂を誇らしく思った。
 香澄の生きてきた世界にとって、桂や蘭のような存在は当然のものではある。しかし桂ほどの存在感、いや威圧感とも呼ぶべきオーラを持つものはそうそういない。

(驚くのも無理はありません。桂様は人間共が無視できない程に強大な力を持つ、現代における三大妖怪の一席に鎮座する御方なのですから)

 いくら妖怪に慣れた祓い人だからといって、桂のような尊くも素晴らしい御方には慣れていない。それが蘭の考えだった。

 ――しかし、実際にはそうではなかった。

 香澄はじっとりと黒い両目で桂を見つめる。桂の威圧感に目を奪われている訳ではなく、ただ機会を伺っていた。千載一遇のチャンス。彼の警戒が一番薄くなる、その一瞬を。

「細かい話は中でするとしよう。早く中に――」

 くるりと香澄に背を向けた桂。視線も注意も逸れたその一瞬。香澄は袖に仕込ませておいた短刀を手に握り、素早い動きで距離を縮め、桂の首元を掻き切るために腕を振るう。
 蘭は一連の動きを視界に収めていた。
 だがあまりにも自然かつ、早すぎる動きに声を上げることさえできず、反射的に目を瞑った。
 蘭が恐怖心を押し殺し、そんなことあるはずがないと思いながらも、最悪の事態を想定しながら目を開けば、そこには憤怒を瞳に宿して香澄を睨む主の姿があった。短刀は彼の指ふたつで押さえられていた。
 ほっと安堵の息を吐く蘭は、下手人である香澄を見た。きっと、暗殺が失敗し落ち込んでいるのだろう。それか、憎々しげに桂を睨んでいるのだろう。いや、桂の怒りを前に恐怖ですくみあがっている可能性が一番高い。
 その蘭の予測は全て外れていた。
 香澄は先程までと変わらない、感情を感じさせない表情のまま、自分を睨む桂の瞳を見返していた。失敗で落胆するでもなく、チャンスを掴むことが出来ず憎むでもなく、桂の怒りを前に怯えるでもなく。読めない表情のまま、何かを待つようにじっとしていた。
 よく見れば、先程よりも瞳が輝いているようにも見えた。それは子どもが何かを期待し、親に察してほしい時と似たようなものだった。
 桂も違和感に気づいたのだろう。怒りよりも困惑が表情に強く出てきた。

「娘、なぜ俺を狙った」
「理由などどうでも良いでしょう。貴方がすべきはただ一つしかありません」

 相変わらず感情が薄いが、間違いなく挨拶の時よりも弾んだ声。この状況でどうしてそんな声が出せるのか。
 自分たちを害せる人間への恐怖ではない。全く想像の及ばない、未知への恐怖に蘭は身体を震わせた。

「お前の言う、俺がすべきこととはなんだ」
「決まっています。貴方の命を狙った私の処断。それしかないでしょう。……切腹は自殺と同意義とみなされる可能性があるので、貴方が一思いに殺してください」

 下手人からのまさかの提案に、蘭はぽかんと口を開き、桂は天を仰ぐ。
 そして香澄本人は、自分の願いが叶う瞬間を期待し、キラキラと目を輝かせていたのだった。