さよなら、ワンダーランド

〔8〕懐かしい光景

 ここが――超深海帯(ヘイダルゾーン)……
 周囲は夜のように暗い、広大な空間だった。
 目の前にある大きな一軒の家だけしかなく、妙な威圧感をおぼえる。
 隣には兎羽野がおり、ほっとした。
「ハヤト、眩暈(めまい)など症状はないか?」
「目は回ってないけど、少し身体が重い感覚がする」
「ヘイダルゾーンだからな。チップに負荷が掛かってるんだろう。ゆっくり呼吸を繰り返せ。少ししたら馴染むはずだ」
 兎羽野に言われたように、俺は深呼吸する。すると、四肢がしだいに軽くなっていくのを感じた。
 俺は道具箱にアクセスし、装備キットを起動する。
 いつも地下格闘技で使うような甲冑型アーマースーツかと思ったが、俺が装着したのは特殊部隊が使用するようなアーマースーツだった。
 タクティカルベストや拳銃が収められたレッグホルスターも身につけている。
「なかなか様になってるな」
 隣の兎羽野も同じ装備に身を包んでおり、俺に小さく笑う。
「あんたこそ、本職みたいだ」
 兎羽野は軽く肩を竦め、一軒家に顔を向けた。
「さて、このなかにミツキ君がいる可能性が高いな」
 白い壁に赤い屋根の二階建ての家をあらためて眺める。どこにでもありそうな一般的な家という印象だ。
 兎羽野が「行こう」と、玄関のドアを開けた。
 ミツキ……今、助けにいくからな。どうか、無事でいてくれ……
 胸の中で呟き、俺も家のなかに踏み込む。
 次の瞬間、目の前の光景のおかしさに気づく。
 薄暗い廊下がトンネルのように延々と続いており、その長さが普通じゃない。
 廊下を挟んでいくつもドアが連なり、俺と兎羽野は顔を見合わせた。
「片っ端から開けていくしかないな」
「二手に分れる?」
 俺が聞くと、兎羽野が相槌をうった。
「ああ。だが、この空間が汚染されている可能性もある。音声通信は繋げておいてくれ。ドアを開けた瞬間に何者かが飛び出してくる可能性もある。拳銃は構えておいたほうがいいぞ」
「わかった」
「拳銃に装填された弾丸は特殊なもので、当たれば強制デリートし、ウィルスならば無効化できるものだ。ミツキ君を連れ去った化け物がいたら、迷わずに撃て」
 俺はレッグホルスターからオートマチック拳銃を取りだして「了解」と返した。
 兎羽野は右側のドアを、俺は左側のドアを手前から開けていくことにする。
 俺は片手で拳銃を構え、手前の白いドアのノブをひねって開ける。
 ドアを開けると、そこは寒々としたコンクリートの壁に囲まれた部屋だった。
 部屋の真ん中にはシルバーの、アルミ製だろうか……金属製の机と二脚の椅子が置かれている。なんだか取調室のようだった。
 テーブルには一輪挿しの花瓶が置かれ、黄色いカーネーションが一本だけ挿されている。
 俺は室内に誰もいないのを確認し、部屋を出る。同時に兎羽野も一つ目のドアから廊下へ出てきた。
「ハヤト、そっちはどうだった?」
「ここは異常なし。そっちも?」
「ああ。がらんどうだった」
 俺たちは、それぞれ二番目のドアを開ける。刹那、息を呑んだ。
 そこには、よく知った光景が広がっていたのだ。
 目の前に広がるのは俺が十八歳まで暮らしていた集合住宅の部屋だった。
 年季の入った公営の集合住宅の狭いダイニング……小さなキッチンに立っていた人物がこちらを見た。
「隼人、おかえり」
「なんで……」
 唖然とする俺に、母親がこちらに笑いかけた。
「今日は、あんたの誕生日だからさ。夕飯は、隼人の好きなカレー」
 水商売をしていた母親は、いつも派手なワンピースに身を包んでいた。
 目の前の彼女も同じ恰好で、ヤク中になる前の健康的な姿だった。
「うちは母子家庭で、あんたに苦労かけてるよね。いつも寂しい想いさせて、ごめんね」
 母親が鍋をお玉でかき混ぜながら言い、俺は「嘘だ……」と呟く。
「だって、おふくろは……もう――」
 絞り出すように呟くと、母親がこちらを見やった。
「ほら、なにボーっとしてんの。ねえ、お皿を出してくれる?」
 ああ……俺は、この光景を知っている。
 俺が子供の頃……おふくろは俺の誕生日には、いつもカレーを作った。
 料理の苦手な母親の、唯一の得意料理だった。
 信じられない思いと奇妙な懐かしさを感じ、吸い寄せられるように部屋のなかへ一歩、踏み込んだ。
 ――ハヤト……!
 その時、ミツキの声がし、俺は我に返った。
 違う……! こんな光景はまやかしだ……!
 なぜなら、母親はもう死んでいるのだ。
「クソったれ! お前は偽者だ!」
 俺は拳銃の引き金に指を掛け、発砲する。
 撃った弾は、こちらを向いた母親の眉間を貫通する。まるで風船が割れるようにパンッ! と乾いた音をたてて頭が飛散した。
 頭部が吹き飛んだ母親に似た化け物が「いひゃひゃひゃ!」と、不気味な笑い声を上げながらこちらに駆け寄ってくる。
 しかもその両手には、包丁が握られていた。めちゃくちゃに腕を振り回しながら俺に向かって切りつけようとしていた。
 俺は続けざまに弾を撃ち込んだ。
「ハヤト!」
 異常を察知したらしい兎羽野も、俺の横で拳銃を構えて発砲する。
 特殊な銃弾を何発もくらった化け物は、甲高い笑い声とも悲鳴ともつかない声をあげて、後ろざまに倒れた。
「大丈夫か?」
 兎羽野がこちらを見やり、俺はなんとか平静を保ちながら「ああ」と返した。
 次の瞬間、周囲の景色が溶けるように消失しはじる。
「転送か?」
 兎羽野が警戒しながら呟いた直後、目の前の光景が変化した。
 そこは広大な、柔らかなクリーム色の壁に囲まれた空間だった。
 ベビーベッドに、巨大なうさぎやクマのぬいぐるみ、天井からは星や魚のオブジェがついたモビールが吊るされている。
 そして、その真ん中にはミツキを連れ去った全身が黒く、千手観音のように長い腕が幾本も生えた巨大な化け物が胡坐をかいて座っている。
 体長三メートルほどの化け物は半分目を閉じた状態で、ミツキを赤ん坊でもあやすように胸元で横抱きにしている。
 ミツキはスリープ状態なのか、(かいな)に抱かれた彼は目を閉じた状態で、微動だにしない。
 真っ黒な化け物は、仏像が纏うような天衣に身を包み、黄金の装飾を着けている。
 頭部には宝冠、首元には瓔珞(ようらく)……首飾り、腕輪などの宝飾品で飾られている。しかし漆黒の全身からは神々しさではなく、禍々しさが滲んでいる。
「ミツキ!」
 俺が呼んでも、ミツキの反応はない。
「ミツキを離せ!」
 俺が拳銃を構えたのと、化け物の目がカッと見開かれたのは同時だった。真っ黒な女の顔面が醜悪に歪んだ。
「わたしの子は渡さないぃいいいッ――!」
 金切り声をともに、背中から生えている漆黒の腕がこちらにむかって何本も伸びてくる。
「ハヤト、KATANAを使え!」
 兎羽野がKATANAを構えて言い、俺も道具箱から取り出す。
 長大な腕が俺たちを掴みかからんと伸びてきて、俺はKATANAで斬りつけていく。
 巨大な手が虫を叩き潰すような動きで、俺の頭上へと迫ってくる。とっさに大きく後ろにジャンプして回避する。
 ズンッという衝撃とともに、床に亀裂が走った。
「出ていけぇええええっ!」
 その叫び声は、やはりミツキの母親にそっくりだった。
 俺と兎羽野は次から次に襲いかかってくる腕の攻撃をいなし、KATANAを振り下ろす。
 しかし、腕は切っても切っても際限なく現れて、キリがない。
 ブンッ! と横ざまに振られた拳で兎羽野が吹っ飛ばされる。
 彼は横の壁に激突し、床に倒れた。
「兎羽野!」
 焦って叫んだ刹那、一瞬の隙をついて俺の身体が大きな手に掴まれてしまった。
 ギリギリと握りしめるように力が加えられ、スピリットに負荷が掛かるのがわかった。
 リアルではないはずなのに、息苦しさに目の前が霞む。
 俺を掴んだ手が持ち上げられ、化け物の顔へむけて移動する。
 化け物の口元が三日月の形に大きく裂け、真っ赤な口が開かれる。ノコギリのような細かい歯が覗いた。
 嘘だろ……食われる……!?
 パカリと開いた口に俺の身体がどんどん近づいていく。
「クソッ……離せ……!」
 必死にもがくが拘束する指の力が強くなり、俺の手からKATANAが滑り落ちる。
「ミ、ツキ……」
 目の前に異常値を示すエラーメッセージが表示され、このままだと強制的にログアウトさせられるかもしれない。
 意識が薄れた直後、ドンッという音ともに化け物の顔面をもうもうと煙が包んだ。
 (こうべ)(めぐ)らせると、少し離れたところで兎羽野が発射したらしいロケットランチャーを構えていた。
 しかし、化け物の頭部は吹っ飛ばされるどころか、まったくダメージを受けていないようで、俺は絶望する。
 その時だった。
「……死ね」
 ミツキの声がしたかと思うと、起き上がった彼が俺の落としたKATANAを握り、化け物の心臓あたりを貫いていた。
 きぃやぁああああっ! という切り裂くような悲鳴をあげ、俺を掴んでいた手の力が緩んだ。
 放り投げられるようにして開放された俺は、少し離れた地面に着地する。化け物は何本もある腕を蠢かせながら長い髪を振り乱すようにして叫び声をあげた。
 ミツキは化け物から離れたところに移動し、俺は拳銃を抜いて、化け物の心臓を狙って何発も射ち込んだ。
 呻くような声をあげて、化け物の上半身がひっくりかえるように倒れていく。
 ミツキがこちらに駆け寄ってきた。
「ハヤト!」
 彼は走ってきた勢いのまま抱きついてくる。
「……ミツキ!」
 俺もミツキを抱きとめる。そのまま俺は、化け物からミツキを庇うように背を向けた。
 倒れた不気味な化け物を肩越しに見やると、霧散するようにその姿が消えていった。
 よかった……ミツキが無事だった……
 安堵が胸のなかに広がり、彼の背中に回した腕に少し力を込める。
「ミツキ……大丈夫か?」
 俺の肩口に額をつけていた彼を覗きこむと、顔を強張らせたミツキは「うん」とこちらを見上げた。
「よかった……」
 安心して笑みを浮かべた俺に、ミツキは「……やっと、自由になれた」と囁いた。
「大丈夫か、二人とも」
 兎羽野がやってきて、ミツキが俺から離れる。
「助けてくれて、ありがとうございました」
 ミツキが頭を下げ、兎羽野が頷き返す。
「話はあとにしよう。ヘイダルゾーンに長居は危険だ。中継地点のDINER666に戻ろう」
 兎羽野に促され、俺たちはDINER666へと移動した。