〔7〕ペアダイブ
俺は兎羽野の住むサイバー地区の電気街に程近い、マンションの一室を訪ねていた。
彼が住むのは七階建てのマンションの最上階にある部屋だった。
便利屋の事務所を兼ねているという部屋は整然としていた。
Tシャツにジーンズという姿の兎羽野に迎えられ、応接スペースに通される。
広めのリビングの窓際には観葉植物が置かれ、部屋の隅にあるデスクには、モニターが二台設置されたパソコン一式や、ゴーグルなどが置かれている。
衝立で仕切られた奥は、彼のプライベートルームがあるのかもしれない。
革張りのソファーに腰を下ろしていると、兎羽野が珈琲を注いだカップを俺の前に置いた。
天然ものにこだわりがあるらしい彼が淹れた珈琲は美味く、少しぼんやりしていた頭が覚醒していくのを感じた。
ローテーブルを挟んで向かいに座る兎羽野が珈琲の注がれたカップを手に、俺に聞く。
「よく眠れたか?」
「意外にも、ぐっすりだった」
自覚はなかったが、かなり疲弊していたのかもしれない。
いつの間にか深い眠りのなかに落ちており、甲高いアラームの電子音に叩き起こされた。
「精神的にも疲れていたんだろうな」
俺は小さく吐息を漏らしながら「かもな」と返した。
「ダイブのことだが、ハヤト、お前さんは、電脳酔いをしやすいか?」
「いや……MELの深層空間でも酔ったことはないな」
兎羽野は席を立って、作業机からゴーグルなどの機材を手にして戻ってくる。
「まあ、地下格闘場でやりあっていたくらいだから、三半規管は強そうだな。しかし、超深海帯は、かなりチップやスピリットに負荷が掛かる。今回の超深海帯へのダイブは一回で済ませたい。それだけ負担のかかる空間で、何回もダイブできるところじゃない。表層空間のように、リアルへ行ったり来たりはできないんだ」
初めて超深海帯にダイブすることを自覚して、俺はわずかに緊張する。
「兎羽野は、ヘイダルゾーンにダイブしたことはあるのか?」
「数回だが、潜ったことがある。それと、今回はペアダイブで潜る。俺がアシストするし、万が一の策も練ってある。だが、ミツキ君がいる空間が汚染されている可能性があり、想定外のことが起きて、お前さんが強制ログアウトをするかもしれないし、それこそ電脳症になる可能性もある。それでも、やるか?」
危険なダイブであることは覚悟していた。
なにもせずに、リアルでただ待つなんて考えられなかった。
「俺の手でミツキを助けたいんだ」
兎羽野がじっと俺の顔を見つめ、迷いがないことを察したのか小さく頷いた。
「じゃあ、ダイブするか。今回は、外付けのチップで容量を増やす。これを、従来のチップが埋め込まれていない箇所に貼るぞ」
兎羽野が手にしていたのは、シール型のチップだった。彼がこちらに移動し、俺のチップを埋め込んでいない左側の耳たぶの裏……頭部に近い箇所に貼る。
それから、ペアリングするためだろう。手のひらサイズの長方形の機械に二台のゴーグルのケーブルを繋いだ。
受け取ったヘイダルゾーンに潜るために専用のゴーグルは、耐久性や容量があるものなのだろう。
その大きさは俺が使っているゴーグルと変わらないが、装着すると少し重みがあった。
「ダイブ用のリクライニングチェアを使うか?」
「いや、このソファーでいいよ」
どうやらリクライニング式らしく、兎羽野が背もたれを倒した。
サンキュー、と返して俺は茶色の革張りのソファーに仰向けになる。
兎羽野もゴーグルを装着し、向かいのソファーに横たわった。
「まず、ヘイダルゾーンに潜る前に、DINER666を中継点にする。一度、ダイナーに入店するぞ」
「わかった」
兎羽野がアクセスポイントを俺のゴーグルに表示させる。俺は深層空間のダイナーへとアクセスした。
次の瞬間、以前に訪れたDINER666の赤いボックス席に俺はいた。
テーブルを挟んで兎羽野も座っており、彼はカウンター席に向かって軽く手をあげた。
「コンパス!」
カウンターを挟んでウェイトレスのジーナと話していた男が「おう」とこちらにやってくる。
筋骨隆々で顎鬚をたくわえたレスラーのような体躯の男だった。
彼はテーブル席から椅子を一脚、持ってきて横に腰を下ろす。
「ハヤト、彼は座標師のコンパスだ」
「よろしくな、坊主。ご依頼とあれば、CIAの機密ファイルのアクセスポイントだって調べてやるよ」
いかついコンパスが、にっこりと笑うと途端にフランクな印象になった。
俺は「はじめまして」と軽く頭を下げる。
「コンパス、話していた例のヘイダルゾーンにこれからダイブする」
「おう。きっかり一時間後にここに戻らなかったら緊急通報をして、二人がいるリアルの事務所に救助の手配をする、だったな」
「悪いな、頼んだ」
コンパスが「遠慮するなって」と、兎羽野に悪戯っぽくウィンクした。
兎羽野が「さて」とこちらに顔を向けた。
「さっきも話したとおり、これからダイブする空間はどんな場所か分からない。空間が汚染されていた場合、リアルではありえないような不可解な現象や、恐怖を覚えるような光景を目のあたりにするかもしれない」
ミツキを連れ去った彼の母親に似た化け物の姿を思い出し、俺は少し緊張する。
「覚悟はしてる」
兎羽野をまっすぐ見つめて返すと、彼は「そのようだな」と首肯し、それと同時に目の前に道具箱が出現した。
「武器や装備一式を入れてある。ヘイダルゾーンに着いたら、すぐに身につけろ」
「わかった」
俺は道具箱を収納して、兎羽野に頷き返した。
「じゃあ、いくぞ」
「楽しんで来いよ、スーパーダイバー!」
コンパスが俺たちにサムズアップし、次の瞬間、目の前が白く光った。
気が付くと、俺は一軒家の前に立っていた。
俺は兎羽野の住むサイバー地区の電気街に程近い、マンションの一室を訪ねていた。
彼が住むのは七階建てのマンションの最上階にある部屋だった。
便利屋の事務所を兼ねているという部屋は整然としていた。
Tシャツにジーンズという姿の兎羽野に迎えられ、応接スペースに通される。
広めのリビングの窓際には観葉植物が置かれ、部屋の隅にあるデスクには、モニターが二台設置されたパソコン一式や、ゴーグルなどが置かれている。
衝立で仕切られた奥は、彼のプライベートルームがあるのかもしれない。
革張りのソファーに腰を下ろしていると、兎羽野が珈琲を注いだカップを俺の前に置いた。
天然ものにこだわりがあるらしい彼が淹れた珈琲は美味く、少しぼんやりしていた頭が覚醒していくのを感じた。
ローテーブルを挟んで向かいに座る兎羽野が珈琲の注がれたカップを手に、俺に聞く。
「よく眠れたか?」
「意外にも、ぐっすりだった」
自覚はなかったが、かなり疲弊していたのかもしれない。
いつの間にか深い眠りのなかに落ちており、甲高いアラームの電子音に叩き起こされた。
「精神的にも疲れていたんだろうな」
俺は小さく吐息を漏らしながら「かもな」と返した。
「ダイブのことだが、ハヤト、お前さんは、電脳酔いをしやすいか?」
「いや……MELの深層空間でも酔ったことはないな」
兎羽野は席を立って、作業机からゴーグルなどの機材を手にして戻ってくる。
「まあ、地下格闘場でやりあっていたくらいだから、三半規管は強そうだな。しかし、超深海帯は、かなりチップやスピリットに負荷が掛かる。今回の超深海帯へのダイブは一回で済ませたい。それだけ負担のかかる空間で、何回もダイブできるところじゃない。表層空間のように、リアルへ行ったり来たりはできないんだ」
初めて超深海帯にダイブすることを自覚して、俺はわずかに緊張する。
「兎羽野は、ヘイダルゾーンにダイブしたことはあるのか?」
「数回だが、潜ったことがある。それと、今回はペアダイブで潜る。俺がアシストするし、万が一の策も練ってある。だが、ミツキ君がいる空間が汚染されている可能性があり、想定外のことが起きて、お前さんが強制ログアウトをするかもしれないし、それこそ電脳症になる可能性もある。それでも、やるか?」
危険なダイブであることは覚悟していた。
なにもせずに、リアルでただ待つなんて考えられなかった。
「俺の手でミツキを助けたいんだ」
兎羽野がじっと俺の顔を見つめ、迷いがないことを察したのか小さく頷いた。
「じゃあ、ダイブするか。今回は、外付けのチップで容量を増やす。これを、従来のチップが埋め込まれていない箇所に貼るぞ」
兎羽野が手にしていたのは、シール型のチップだった。彼がこちらに移動し、俺のチップを埋め込んでいない左側の耳たぶの裏……頭部に近い箇所に貼る。
それから、ペアリングするためだろう。手のひらサイズの長方形の機械に二台のゴーグルのケーブルを繋いだ。
受け取ったヘイダルゾーンに潜るために専用のゴーグルは、耐久性や容量があるものなのだろう。
その大きさは俺が使っているゴーグルと変わらないが、装着すると少し重みがあった。
「ダイブ用のリクライニングチェアを使うか?」
「いや、このソファーでいいよ」
どうやらリクライニング式らしく、兎羽野が背もたれを倒した。
サンキュー、と返して俺は茶色の革張りのソファーに仰向けになる。
兎羽野もゴーグルを装着し、向かいのソファーに横たわった。
「まず、ヘイダルゾーンに潜る前に、DINER666を中継点にする。一度、ダイナーに入店するぞ」
「わかった」
兎羽野がアクセスポイントを俺のゴーグルに表示させる。俺は深層空間のダイナーへとアクセスした。
次の瞬間、以前に訪れたDINER666の赤いボックス席に俺はいた。
テーブルを挟んで兎羽野も座っており、彼はカウンター席に向かって軽く手をあげた。
「コンパス!」
カウンターを挟んでウェイトレスのジーナと話していた男が「おう」とこちらにやってくる。
筋骨隆々で顎鬚をたくわえたレスラーのような体躯の男だった。
彼はテーブル席から椅子を一脚、持ってきて横に腰を下ろす。
「ハヤト、彼は座標師のコンパスだ」
「よろしくな、坊主。ご依頼とあれば、CIAの機密ファイルのアクセスポイントだって調べてやるよ」
いかついコンパスが、にっこりと笑うと途端にフランクな印象になった。
俺は「はじめまして」と軽く頭を下げる。
「コンパス、話していた例のヘイダルゾーンにこれからダイブする」
「おう。きっかり一時間後にここに戻らなかったら緊急通報をして、二人がいるリアルの事務所に救助の手配をする、だったな」
「悪いな、頼んだ」
コンパスが「遠慮するなって」と、兎羽野に悪戯っぽくウィンクした。
兎羽野が「さて」とこちらに顔を向けた。
「さっきも話したとおり、これからダイブする空間はどんな場所か分からない。空間が汚染されていた場合、リアルではありえないような不可解な現象や、恐怖を覚えるような光景を目のあたりにするかもしれない」
ミツキを連れ去った彼の母親に似た化け物の姿を思い出し、俺は少し緊張する。
「覚悟はしてる」
兎羽野をまっすぐ見つめて返すと、彼は「そのようだな」と首肯し、それと同時に目の前に道具箱が出現した。
「武器や装備一式を入れてある。ヘイダルゾーンに着いたら、すぐに身につけろ」
「わかった」
俺は道具箱を収納して、兎羽野に頷き返した。
「じゃあ、いくぞ」
「楽しんで来いよ、スーパーダイバー!」
コンパスが俺たちにサムズアップし、次の瞬間、目の前が白く光った。
気が付くと、俺は一軒家の前に立っていた。
