さよなら、ワンダーランド

〔6〕ヘイダルゾーン

 すぐさま兎羽野がセーフハウスにログインし、ポーチに姿を見せる。
 俺は勢いよく立ち上がった。
「兎羽野! ミツキが……!」
「なにがあったのか、話を聞かせてくれ」
 兎羽野がゆっくりと頷き、俺はさきほど現れた不気味な化け物のことを話した。
 彼は柱に寄りかかりながら、じっと俺の話に耳を傾け、ゆっくりと辺りに視線を這わせた。
「ここは、さっきのように招待されない限り、外部の者はログインできない空間だよな?」
「ああ。ミツキがセキュリティ関係にはかなり気を配って構築して、ロックは簡単には解除できないはずだ」
「そのようだな。見事な構築(コーディング)だ。その女の化け物について、なにか気づいたことはあるか?」
「真っ黒な顔で、蜘蛛みたいに何本もある腕……髪が長くて……」
 ――やっと、見つけたぁ!
 化け物が言い放った言葉……甲高い声が甦り、俺はハッとなる。
「あの声を……知ってる……」
 兎羽野が目顔で問い、俺は「ああ、そうだ、知ってる……!」と彼に告げる。
「あれは、ミツキの母親の声だった」
「例の過干渉な母親か?」
「間違いない。以前、電話が掛かってきた時に聞いた声と同じだ。なあ、ミツキの母親に似た化け物が襲ってくる……こんな現象、信じられないよ。こんなオカルトめいたことって……」
 言いかけて、俺は背中に戦慄が走った。
「これって、例のノロイってやつなのか……!?」
「可能性はあるだろうな。ハヤト、ちょっとこの空間の裏側を覗いてもいいか?」
 首を傾げる俺に、兎羽野は「コーディングされたコードを確認させてくれ」とつけ加える。
「このセーフハウスは、おそらくDINER666と同じように、キットを使わずにコードから構築していたんじゃないか? だとすると、彼は緊急事態が起きたときのためになにか仕掛けているかもしれん」
「そういうことか。ミツキの行方が掴めるなら、なんでもやってくれ。俺はこの空間のデザインを伝えるくらいしかしてなくて、構築の知識はほとんどない。だけど、俺にできることはなんでもやる」
「助かるよ。とりあえず、この空間の隙間を探させてくれ」
 兎羽野はゆっくりと周囲を見回しながら、ポーチを出て少し離れたところからビーチハウスを点検するように眺める。
 空間の隙間を探す……専用コードで構築された空間には、作成者の個性や癖などが反映されるらしい。
 リアルと錯覚するくらい完璧に構築しても、熟練のプロでない限り、その空間にわずかな隙間ができるのだそうだ。
 その隙間から、コーディングした者しかアクセスできない空間……裏側に侵入できるらしい。
 しかし、そんな荒技は凄腕のハッカーやクラッカー、ダイバーくらいしかできないと聞く。
 やっぱり、この兎羽野忍という男は、ただ者じゃない……
 集中している様子の兎羽野の邪魔にならないように、俺はポーチからその様子を見守る。
 青空を見上げた兎羽野が道具箱にアクセスする。すると彼の前に、とんでもない長さのハシゴが出現した。
 兎羽野はハシゴを上りはじめ、どんどん空へ向かっていく。その様子にぎょっとして、俺もポーチから出て、ハシゴのもとへ移動する。
 この空間のヘッド部分……天井まではリアルな数値で換算するなら、だいたい五メートルくらいの高さで構築したはずだ。
 閉塞感のないように空をホログラムで覆うように設計したとミツキが話していたっけ……
 上空に移動した兎羽野が、ナイフのようなものを手に青空に四角形に切り込みを入れる。
 すると、ソースコードで埋め尽くされた黒い空間が露出した。兎羽野の言う、空間の裏側ってやつだろう。
 黒い空間に浮かぶコードを見ていた兎羽野が、ハシゴを下りてくる。
「どうだった?」
 勢い込んで聞く俺に、彼は軽く片手を上げた。
「このセーフハウスは、ハヤトと光希君の埋め込みチップの番号が登録されていて、二人だけがログインできるように設定されている。例外として招待された者はログインできるが、そうではない招かれざる客が、ここに侵入した場合、強制的に転送されるようなトラップを仕掛けていたようだ。光希君の母親に似た化け物が彼をどこかに連れ去ろうとしても、彼の仕掛けたコードが優先して発動されるようになっていた」
「ということは……ミツキは、彼が指定した空間に転送されているってことか?」
「おそらくな。きっとAIミツキ君はそこにいるはずだ」
 早くミツキを助け出さないと……! 気が急く俺に、兎羽野が俺の肩に手を置いた。
「その場所なんだが、超深海帯(ヘイダルゾーン)にあるようだ」
 超深海帯(ヘイダルゾーン)……それは俺たちが今いる深層空間より、もっと深いところにある空間だ。
 かなりチップに負荷が掛かる危険なゾーンであり、特別なゴーグルやチップでないと安全にはアクセスできないはずだ。
「なんで、そんなところに……」
 驚愕して呟くと、兎羽野が髪を混ぜるようにして頭を掻く。
「まあ、実験的なトラップなのかもしれないな。光希君は意外と、大胆なことをするタイプのようだな」
 苦笑を滲ませる兎羽野に、俺は動揺しながら言う。
「ミツキを助けにいかないと……」
「ああ。でも、そのためには準備が必要だ」
「ゴーグルとチップだよな? 頼む、俺も一緒にダイブさせてくれ! 置いていくつもりなら、力づくでも……」
 詰め寄る俺に、兎羽野は少し呆れた面持ちになる。
「落ち着け。そして、すぐに暴力に訴えようとするな。電脳ギャングやパンク(不良)じゃあるまいし……俺は、ひとことも置いていくなんて言ってないだろ」
「……悪い」
 どうにもミツキのこととなると、平静でいられなくなってしまう。
「ヘイダルゾーンで、化け物を相手にしなくちゃならない場合、腕っぷしの強い奴がいたほうが助かる。リアルで落ち合あおう」
「わかった、どこで会う?」
「俺の自宅だ。住所をモバイルフォンに送っておいた」
 兎羽野は腕時計に目を落とす。
「今、リアルは夜中の2時半だ。少し眠ってからにしよう」
「でも……」
 のんきに寝ている間にミツキの身に何があったら……
 こちらの言いたいことなど彼にはお見通しらしく、兎羽野は俺の背中を軽く叩いた。
超深海帯(ヘイダルゾーン)にダイブするんだ。体調は万全な状態にしておく必要がある。それに、ミツキ君はAIだ。そう簡単にMELからデリート(消失)はされないはずだ」
 十時にサイバー地区にある兎羽野の事務所兼自宅で会うことになり、俺たちはログアウトした。

 俺はゴーグルを外し、大きく溜息をついた。
 なんでこんなことに……ミツキのことを考えると、不安でどうにかなりそうになる。
 ともかく、身体を休めることが先決だ。モバイルフォンを操作して七時にアラームをセットし、ベッドに身体を横たえた。
 AIのミツキが常駐しているプライベート空間につながるキットを起動しても、エラーメッセージが表示されるだけだった。
 やはり、彼はいなかった。
 ミツキの不在をつきつけられ、気分が沈んだ。
 色々なことを考えてしまい眠れそうになかったが、それでも目を閉じる。
 ミツキを連れ去った、蜘蛛のように腕が何本もある女の化け物の姿が脳裏によぎった。
「ミツキ……どうか、無事でいてくれ」
 俺は祈るように囁いた。