〔5〕セーフハウスと懺悔
バーから帰宅し、俺はすぐさまゴーグルを起動した。
兎羽野と話しているうちに、いますぐにミツキに俺の正直な気持ちを伝えたいと思たのだ。
AIのミツキと会話するために、スリープモードを解除する。
「ミツキ、ちょっといいか?」
呼びかけると目の前にミツキの姿が出現し、彼は「おかえり、ハヤト」と微笑んだ。
「ちょっと、俺たちのセーフハウスで話せないか?」
「もちろん、いいよ」
深層空間に二人で構築したセーフハウスに移動する。
それは浜辺にある白いビーチハウスで、昼間に設定した空間の凪いだ美しいエメラルドグリーンの海辺は、ずっと眺めていても飽きない。
ビーチハウスの内部は開放的な大きな窓の、フローリングの広々とした部屋になっている。ミツキと俺の自室も作ってはあるが、互いにあまり使ったことはない。
俺たちはいつものように、カバードポーチに置いた二人掛けのチェアに座った。
こうして二人で肩を並べて座っていると、妙に懐かしい気分になってしまう。
いや、そう思うのも無理はない。ミツキが電脳症で倒れる直前、彼と最後に会話をしたのがここだった。
あれ以来、俺はこのセーフハウスにはアクセスしていなかった。
「ここに来るのは久しぶりだねえ」
ミツキが伸びをして笑い、俺は彼の横顔を見つめて切り出す。
「まず……ノロイの調査についてだけど、悪かった。嫌な言いかたをしちまったよな」
ミツキはゆっくりと首を横に振った。
「僕こそ、ハヤトの気持ちを無視しちゃってたよね、ごめん」
「違うんだ……」
俺は彼を見つめ返して言葉を継ぐ。
「きっと俺は、ミツキがまたいなくなってしまうんじゃないか、って不安になったんだと思う」
ミツキが目を見開き、俺は自嘲的な笑みを浮かべる。
「たまに……怖くなることがあるんだ。今のミツキは広大な電脳世界をどこにでも行ける。自由に好きなところにダイブし、俺の前から消えることもできる」
ミツキは、膝の上に置いていた俺の手の甲を握った。
「僕は、ハヤトの前から消えないよ。絶対に」
胸が苦しくなって、俺は眉根を寄せる。
「俺は自分勝手なやつだ。ミツキに住む世界が違うなんて言って、傷つけたくせに……電脳症になった原因でもある俺のそばにいてほしいなんて、思ってしまうんだ」
「ハヤト、リアルで僕が電脳症になったのは、きみのせいじゃないよ」
俺は泣きそうになって俯いた。涙がこぼれそうになるのを堪えて言う。
「なんで俺は、ミツキにあんなことを言っちまったんだろう? 俺だって、ミツキのことを大切だと思っているのに……あんなふうに傷つけるつもりはなかったのに……」
今なら、わかる。
俺はミツキに対して、どこか卑屈な思いを抱えていたのだ。
家庭環境は互いに最悪でも、ミツキはきっと無事に電脳学科のある大学に進学し、技術者となって輝かしい未来がまっている。
それにくらべて、俺は?
ジャンク地区出身の俺には、この先に明るい希望に満ちた日々はあるのか?
いや……そんな未来は想像できなかった。
たとえジャンク地区を出たところで、中卒の俺がまともな仕事に就けるわけがない。
結局はチャブ同士でつるんで、適当に日々を過ごしていく……そんなドブネズミみたいな暮らしを続けるにちがいない。
だが、ミツキは違う。
ミツキは秀才で努力家だ。きっとこの先、エンジニアとして成功するだろう。
俺とは正反対の未来、いくらでも望む人生を謳歌できる。
そんな彼の隣にこれからもいたら、俺自身がみじめなクソ野郎だと思い知らされそうで、それが辛かったのだ。
ミツキの為にならない……そんな上っ面の言葉でごまかして、俺はミツキから離れようとしたのだ。
片手で目元を覆う俺の肩にミツキが腕を回したのが分かった。
「大丈夫だよ……ハヤト。ミツキはきみの気持ちを分かっていたと思う。だから、AIの僕をコーディングしていたんじゃないかな?」
俺は息を呑んで彼を見つめかえす。彼は優しく笑みを浮かべた。
「きっと、僕が構築されたのはリアルのミツキが、もし本当に二人の繋がりが切れてしまっても、代わりにAIの僕ならば……きみと一緒にいられる、って思ったからじゃないかな」
堪えきれずに、俺は涙を流しながら彼に言う。
「あの時……ひどいことを言って、ごめん。ずっと謝りたかった」
「いいんだ。いいんだよ、ハヤト」
そうミツキが慰撫するように俺の背中を撫でる。
しかし、MEL空間の……しかもAIであるミツキの手のぬくもりも、俺にそっと寄り添うように凭れる彼の身体の重みも感じられない。
そのことが、とてつもなく寂しく、悲しかった。
思えばミツキが電脳症で倒れて、悲しみに打ちひしがれながらも泣いていなかったことに気づいた。
しばらく泣いていた俺は、少し落ち着きを取りもどして口を開く。
「俺が『兎』について調べるのはさ……」
ミツキが「うん」と頷いて、俺は続けた。
「電脳症で切断されたミツキのスピリットがMELのどこかに漂っているんじゃないか、って思うからだ」
ミツキが形の良い目を瞬かせた。
「切断されたスピリットがMELを漂う……それ都市伝説みたいな、まことしやかに囁かれている噂だよね?」
「ああ。だけど、俺はその可能性に賭けたいんだ」
ミツキは、少し困ったように眉を下げた。
「オカルト好きな僕が言いそうなことだ」
「ああ。俺は妖怪や幽霊の存在は否定派だけど、この噂だけは信じたい」
ミツキは波立つ海を見つめ、小さく笑った。
「僕はね、いまとても自由で幸せなんだ。MELで、こうしてハヤトといられる。リアルではいつも息苦しくて、ボンベもつけずに海のなかにいるみたいだった。でも、今は違う。AIである僕という存在は、全てから解放されているんだ。もう、母さんから干渉されることも、自由を奪われることもない。それがね、嬉しいんだよ」
ミツキの穏やかな横顔に、俺は「そうか」と頷いた。
しばらく互いに無言のまま海辺を眺めていると、ミツキが「そうだ!」とぱっと顔を輝かせた。
「ねえ、今度さ、このセーフハウスを改築しない?」
「改築……もっと広くするとか?」
「それもいいけどさ、もっと二人の好きなものを置くっていうのは? 模様替えしてもいいかも」
好きなもの……すぐには思いつかず、ミツキに聞く。
「ミツキは、なにを置きたいんだ?」
「そうだなあ……メタル合金の『ロボット・ダイナ』のデジタルグッズとか?」
以前、聞いたことがある。
ミツキの母親はなぜか、彼が欲しがるゲームやおもちゃを買ってくれなかったそうだ。
ミツキがコミック本を欲しがれば植物図鑑を、クラスで流行っているスーパーヒーローのプリントされたペンケースをねだると、大人が使うような地味なものを与える。
わざとミツキの意志を無視していたとしか思えない、最悪な行為だ。
子供の喜ぶ顔を見たい……親ならそう思うのが当たり前で、それが親心だと考えがちだ。
俺の家も含めて、すべての親がそんなふうに健全なわけじゃない。
ミツキは、小学生の頃に流行っていたアニメの『ロボット・ダイナ』を模した変形ロボのおもちゃが欲しくて、一生懸命に小遣いを貯めて買ったのだという。
当時の彼にとっては、唯一の宝物だったのではないだろうか。
しかし、母親はテストで満点をとれなかったミツキに何度も平手打ちをし、それだけでおさまらずに彼の前でロボットを床に叩きつけて壊してしまったのだと言う。
こんなもので遊んでるから、成績が落ちるんだよ!
ヒステリックに叫びながら、癇癪をおこす子供ようにロボットのおもちゃを何度も何度も踏みつける様子に、ミツキは悲しさよりも嫌悪感を抱いたという。
ロボットの頭部はもげ、足が折れてぐちゃぐちゃになったロボットを茫然とみつめるミツキに、母親は「ほら、もうこれで遊べないでしょ?」と笑ったそうだ。
「あんなに醜く人って笑えるんだな、って……怖かったな」
とんでもなく辛い話のはずなのに、笑みを浮かべて話していたミツキに胸が苦しくなったのを思い出す。
「いくらでも置けよ。ロボットのフィギアでもおもちゃでも、好きなだけここなら飾っておける」
「やったね! ねえ、ハヤトはなにか飾っておきたいものはある?」
俺は「うーん」と小さく唸る。
ミツキのように好きなアニメやキャラクターもないし、そういえば俺って趣味らしい趣味がないな、と気づく。
というより、ミツキとは少し違う意味で欲しいものが与えられるような環境ではなかった。
ジャンキーな母親になにかをねだっても、罵詈雑言を浴びせられるだけなので、ガキの頃からあきらめていたのだと思う。
「そうだな、ここに置けるとかじゃないけど……やってみたい、いや行ってみたいところはある」
あれは、ミツキが電脳症になる前のことだ。ミツキとビーチハウスの前の砂浜を散歩しながら、話したことがある。
「僕、ここみたいに綺麗なリアルの海を見てみたいな」
ミツキが遠くの水平線を眺めながら呟き、俺は「金が貯まったら、行くか」と返したのだ。
途端に彼は嬉しそうに相好を崩した。
「ねえ、どのあたりの海がいい? いっそ、海外に行っちゃう?」
「そうだな。どうせなら、国外の南の島とかにするか」
「綺麗な海辺でさ、ハヤトと写真を撮りたいなあ」
行ったことのない海外、美しい海の広がるところ……夢のような話だった。
しかし、今ではリアルで彼と海を見に行くことはできないのだ。
沈みそうになる気持ちを押しやるようにして、ミツキに言う。
「……今度、海辺で写真を撮ろうぜ。それでさ、その写真を飾るよ」
ミツキがにっこりとして、目の前の砂浜を指さした。
「ねえ、今から撮影しようよ」
ミツキがチェアから立ち上がって、「行こうよ」とこちらに手を差し出す。
「わかった」
ミツキの手を握り返そうとした時だった。
彼の背後からにゅっと幾本もの黒いなにかが飛び出したのである。
「……え?」
ぎくりと息を呑んだ直後、それらが腕であると気づいた。
「ミツキ!」
俺が声を上げて立ち上がったのと、複数の黒く長い腕がミツキを羽交い絞めするように巻きついたのは同時だった。
異常に気づいたミツキが目を見開き、俺は彼に巻きつく腕を引き剥がそうとする。
「やっと、見つけたぁ!」
不気味な女の声がしたかと思えば、ミツキの背後に髪の長い、黒いペンキで顔を塗りつぶしたような顔面の化け物が現れる。
ぎらぎらとした目と、歯をむき出して笑う口元が黒い顔に際立って見え、俺は息を呑んだ。
瞬く間に、触手のように伸びた漆黒の腕に拘束され、ミツキの姿が目の前から消えてしまった。
「ミツキ……ミツキー!」
まるで煙のように消えてしまったミツキの名を叫ぶが、この空間からどこかに転送されてしまったのか、彼の気配はない。
いったい、なんなんだ!? ミツキはどこにいったんだ!?
俺は突然のことに混乱してしまい、茫然と立ちすくんだが、ハッと我に返って兎羽野のゴーグルに連絡を入れる。
兎羽野の応答は早く、俺は動揺しながら叫ぶように言う。
「兎羽野! ミツキが……ミツキが化け物にさらわれて、いなくなっちまった……!」
通話ウィンドウに表示された兎羽野が瞠目して「わかった」と頷いた。
「今すぐそっちにダイブする。アクセスポイントを教えてくれ。ハヤト、ともかく落ち着くんだ」
兎羽野の声に、狼狽した俺は少し落ち着きを取り戻す。
動揺しているからだろう。ボディの状態を表示するウィンドウが起動し、心拍数や血圧が上昇していることが表示された。
俺の使用している最新型のゴーグルは、ボディの異常値を感知すると自動的にMELからログアウトする仕様となっていた。
自動ログアウトが機能すると、一定の時間が経過しないとMEL空間にダイブできなくなるのだ。
俺のゴーグルは最短の十五分に設定している。
今、ここから一秒でも離れるわけにはいかないのだ。
落ち着け、冷静になれ……自分に言い聞かせていると、次第に数値が正常値に戻っていった。
途端に膝から力が抜けてしまい、俺はチェアに座り込む。
そうだ、ともかく平常心を失うな……自分に言い聞かせるように呟きながら、兎羽野に来客用の出入り口となるアクセスポイントを送った。
バーから帰宅し、俺はすぐさまゴーグルを起動した。
兎羽野と話しているうちに、いますぐにミツキに俺の正直な気持ちを伝えたいと思たのだ。
AIのミツキと会話するために、スリープモードを解除する。
「ミツキ、ちょっといいか?」
呼びかけると目の前にミツキの姿が出現し、彼は「おかえり、ハヤト」と微笑んだ。
「ちょっと、俺たちのセーフハウスで話せないか?」
「もちろん、いいよ」
深層空間に二人で構築したセーフハウスに移動する。
それは浜辺にある白いビーチハウスで、昼間に設定した空間の凪いだ美しいエメラルドグリーンの海辺は、ずっと眺めていても飽きない。
ビーチハウスの内部は開放的な大きな窓の、フローリングの広々とした部屋になっている。ミツキと俺の自室も作ってはあるが、互いにあまり使ったことはない。
俺たちはいつものように、カバードポーチに置いた二人掛けのチェアに座った。
こうして二人で肩を並べて座っていると、妙に懐かしい気分になってしまう。
いや、そう思うのも無理はない。ミツキが電脳症で倒れる直前、彼と最後に会話をしたのがここだった。
あれ以来、俺はこのセーフハウスにはアクセスしていなかった。
「ここに来るのは久しぶりだねえ」
ミツキが伸びをして笑い、俺は彼の横顔を見つめて切り出す。
「まず……ノロイの調査についてだけど、悪かった。嫌な言いかたをしちまったよな」
ミツキはゆっくりと首を横に振った。
「僕こそ、ハヤトの気持ちを無視しちゃってたよね、ごめん」
「違うんだ……」
俺は彼を見つめ返して言葉を継ぐ。
「きっと俺は、ミツキがまたいなくなってしまうんじゃないか、って不安になったんだと思う」
ミツキが目を見開き、俺は自嘲的な笑みを浮かべる。
「たまに……怖くなることがあるんだ。今のミツキは広大な電脳世界をどこにでも行ける。自由に好きなところにダイブし、俺の前から消えることもできる」
ミツキは、膝の上に置いていた俺の手の甲を握った。
「僕は、ハヤトの前から消えないよ。絶対に」
胸が苦しくなって、俺は眉根を寄せる。
「俺は自分勝手なやつだ。ミツキに住む世界が違うなんて言って、傷つけたくせに……電脳症になった原因でもある俺のそばにいてほしいなんて、思ってしまうんだ」
「ハヤト、リアルで僕が電脳症になったのは、きみのせいじゃないよ」
俺は泣きそうになって俯いた。涙がこぼれそうになるのを堪えて言う。
「なんで俺は、ミツキにあんなことを言っちまったんだろう? 俺だって、ミツキのことを大切だと思っているのに……あんなふうに傷つけるつもりはなかったのに……」
今なら、わかる。
俺はミツキに対して、どこか卑屈な思いを抱えていたのだ。
家庭環境は互いに最悪でも、ミツキはきっと無事に電脳学科のある大学に進学し、技術者となって輝かしい未来がまっている。
それにくらべて、俺は?
ジャンク地区出身の俺には、この先に明るい希望に満ちた日々はあるのか?
いや……そんな未来は想像できなかった。
たとえジャンク地区を出たところで、中卒の俺がまともな仕事に就けるわけがない。
結局はチャブ同士でつるんで、適当に日々を過ごしていく……そんなドブネズミみたいな暮らしを続けるにちがいない。
だが、ミツキは違う。
ミツキは秀才で努力家だ。きっとこの先、エンジニアとして成功するだろう。
俺とは正反対の未来、いくらでも望む人生を謳歌できる。
そんな彼の隣にこれからもいたら、俺自身がみじめなクソ野郎だと思い知らされそうで、それが辛かったのだ。
ミツキの為にならない……そんな上っ面の言葉でごまかして、俺はミツキから離れようとしたのだ。
片手で目元を覆う俺の肩にミツキが腕を回したのが分かった。
「大丈夫だよ……ハヤト。ミツキはきみの気持ちを分かっていたと思う。だから、AIの僕をコーディングしていたんじゃないかな?」
俺は息を呑んで彼を見つめかえす。彼は優しく笑みを浮かべた。
「きっと、僕が構築されたのはリアルのミツキが、もし本当に二人の繋がりが切れてしまっても、代わりにAIの僕ならば……きみと一緒にいられる、って思ったからじゃないかな」
堪えきれずに、俺は涙を流しながら彼に言う。
「あの時……ひどいことを言って、ごめん。ずっと謝りたかった」
「いいんだ。いいんだよ、ハヤト」
そうミツキが慰撫するように俺の背中を撫でる。
しかし、MEL空間の……しかもAIであるミツキの手のぬくもりも、俺にそっと寄り添うように凭れる彼の身体の重みも感じられない。
そのことが、とてつもなく寂しく、悲しかった。
思えばミツキが電脳症で倒れて、悲しみに打ちひしがれながらも泣いていなかったことに気づいた。
しばらく泣いていた俺は、少し落ち着きを取りもどして口を開く。
「俺が『兎』について調べるのはさ……」
ミツキが「うん」と頷いて、俺は続けた。
「電脳症で切断されたミツキのスピリットがMELのどこかに漂っているんじゃないか、って思うからだ」
ミツキが形の良い目を瞬かせた。
「切断されたスピリットがMELを漂う……それ都市伝説みたいな、まことしやかに囁かれている噂だよね?」
「ああ。だけど、俺はその可能性に賭けたいんだ」
ミツキは、少し困ったように眉を下げた。
「オカルト好きな僕が言いそうなことだ」
「ああ。俺は妖怪や幽霊の存在は否定派だけど、この噂だけは信じたい」
ミツキは波立つ海を見つめ、小さく笑った。
「僕はね、いまとても自由で幸せなんだ。MELで、こうしてハヤトといられる。リアルではいつも息苦しくて、ボンベもつけずに海のなかにいるみたいだった。でも、今は違う。AIである僕という存在は、全てから解放されているんだ。もう、母さんから干渉されることも、自由を奪われることもない。それがね、嬉しいんだよ」
ミツキの穏やかな横顔に、俺は「そうか」と頷いた。
しばらく互いに無言のまま海辺を眺めていると、ミツキが「そうだ!」とぱっと顔を輝かせた。
「ねえ、今度さ、このセーフハウスを改築しない?」
「改築……もっと広くするとか?」
「それもいいけどさ、もっと二人の好きなものを置くっていうのは? 模様替えしてもいいかも」
好きなもの……すぐには思いつかず、ミツキに聞く。
「ミツキは、なにを置きたいんだ?」
「そうだなあ……メタル合金の『ロボット・ダイナ』のデジタルグッズとか?」
以前、聞いたことがある。
ミツキの母親はなぜか、彼が欲しがるゲームやおもちゃを買ってくれなかったそうだ。
ミツキがコミック本を欲しがれば植物図鑑を、クラスで流行っているスーパーヒーローのプリントされたペンケースをねだると、大人が使うような地味なものを与える。
わざとミツキの意志を無視していたとしか思えない、最悪な行為だ。
子供の喜ぶ顔を見たい……親ならそう思うのが当たり前で、それが親心だと考えがちだ。
俺の家も含めて、すべての親がそんなふうに健全なわけじゃない。
ミツキは、小学生の頃に流行っていたアニメの『ロボット・ダイナ』を模した変形ロボのおもちゃが欲しくて、一生懸命に小遣いを貯めて買ったのだという。
当時の彼にとっては、唯一の宝物だったのではないだろうか。
しかし、母親はテストで満点をとれなかったミツキに何度も平手打ちをし、それだけでおさまらずに彼の前でロボットを床に叩きつけて壊してしまったのだと言う。
こんなもので遊んでるから、成績が落ちるんだよ!
ヒステリックに叫びながら、癇癪をおこす子供ようにロボットのおもちゃを何度も何度も踏みつける様子に、ミツキは悲しさよりも嫌悪感を抱いたという。
ロボットの頭部はもげ、足が折れてぐちゃぐちゃになったロボットを茫然とみつめるミツキに、母親は「ほら、もうこれで遊べないでしょ?」と笑ったそうだ。
「あんなに醜く人って笑えるんだな、って……怖かったな」
とんでもなく辛い話のはずなのに、笑みを浮かべて話していたミツキに胸が苦しくなったのを思い出す。
「いくらでも置けよ。ロボットのフィギアでもおもちゃでも、好きなだけここなら飾っておける」
「やったね! ねえ、ハヤトはなにか飾っておきたいものはある?」
俺は「うーん」と小さく唸る。
ミツキのように好きなアニメやキャラクターもないし、そういえば俺って趣味らしい趣味がないな、と気づく。
というより、ミツキとは少し違う意味で欲しいものが与えられるような環境ではなかった。
ジャンキーな母親になにかをねだっても、罵詈雑言を浴びせられるだけなので、ガキの頃からあきらめていたのだと思う。
「そうだな、ここに置けるとかじゃないけど……やってみたい、いや行ってみたいところはある」
あれは、ミツキが電脳症になる前のことだ。ミツキとビーチハウスの前の砂浜を散歩しながら、話したことがある。
「僕、ここみたいに綺麗なリアルの海を見てみたいな」
ミツキが遠くの水平線を眺めながら呟き、俺は「金が貯まったら、行くか」と返したのだ。
途端に彼は嬉しそうに相好を崩した。
「ねえ、どのあたりの海がいい? いっそ、海外に行っちゃう?」
「そうだな。どうせなら、国外の南の島とかにするか」
「綺麗な海辺でさ、ハヤトと写真を撮りたいなあ」
行ったことのない海外、美しい海の広がるところ……夢のような話だった。
しかし、今ではリアルで彼と海を見に行くことはできないのだ。
沈みそうになる気持ちを押しやるようにして、ミツキに言う。
「……今度、海辺で写真を撮ろうぜ。それでさ、その写真を飾るよ」
ミツキがにっこりとして、目の前の砂浜を指さした。
「ねえ、今から撮影しようよ」
ミツキがチェアから立ち上がって、「行こうよ」とこちらに手を差し出す。
「わかった」
ミツキの手を握り返そうとした時だった。
彼の背後からにゅっと幾本もの黒いなにかが飛び出したのである。
「……え?」
ぎくりと息を呑んだ直後、それらが腕であると気づいた。
「ミツキ!」
俺が声を上げて立ち上がったのと、複数の黒く長い腕がミツキを羽交い絞めするように巻きついたのは同時だった。
異常に気づいたミツキが目を見開き、俺は彼に巻きつく腕を引き剥がそうとする。
「やっと、見つけたぁ!」
不気味な女の声がしたかと思えば、ミツキの背後に髪の長い、黒いペンキで顔を塗りつぶしたような顔面の化け物が現れる。
ぎらぎらとした目と、歯をむき出して笑う口元が黒い顔に際立って見え、俺は息を呑んだ。
瞬く間に、触手のように伸びた漆黒の腕に拘束され、ミツキの姿が目の前から消えてしまった。
「ミツキ……ミツキー!」
まるで煙のように消えてしまったミツキの名を叫ぶが、この空間からどこかに転送されてしまったのか、彼の気配はない。
いったい、なんなんだ!? ミツキはどこにいったんだ!?
俺は突然のことに混乱してしまい、茫然と立ちすくんだが、ハッと我に返って兎羽野のゴーグルに連絡を入れる。
兎羽野の応答は早く、俺は動揺しながら叫ぶように言う。
「兎羽野! ミツキが……ミツキが化け物にさらわれて、いなくなっちまった……!」
通話ウィンドウに表示された兎羽野が瞠目して「わかった」と頷いた。
「今すぐそっちにダイブする。アクセスポイントを教えてくれ。ハヤト、ともかく落ち着くんだ」
兎羽野の声に、狼狽した俺は少し落ち着きを取り戻す。
動揺しているからだろう。ボディの状態を表示するウィンドウが起動し、心拍数や血圧が上昇していることが表示された。
俺の使用している最新型のゴーグルは、ボディの異常値を感知すると自動的にMELからログアウトする仕様となっていた。
自動ログアウトが機能すると、一定の時間が経過しないとMEL空間にダイブできなくなるのだ。
俺のゴーグルは最短の十五分に設定している。
今、ここから一秒でも離れるわけにはいかないのだ。
落ち着け、冷静になれ……自分に言い聞かせていると、次第に数値が正常値に戻っていった。
途端に膝から力が抜けてしまい、俺はチェアに座り込む。
そうだ、ともかく平常心を失うな……自分に言い聞かせるように呟きながら、兎羽野に来客用の出入り口となるアクセスポイントを送った。
