さよなら、ワンダーランド

〔3〕ウサギとノロイ

「電脳型遷延(せんえん)性意識障害……って、知ってる?」
 俺が言うと、兎羽野が「ああ」と頷き返した。
「一般的に電脳症と呼ばれているものだな。ゴーグルと脳神経の信号を繋ぐために埋め込んだチップに負荷がかかり、ボディとスピリット(意識)がゴーグルを介して切断された状態になる。結果、脳に影響が出て植物状態となってしまう疾患だな。しかし、闇チップでも埋め込んでいない限りは、起こらないともいわれているが……」
「でも、ここ数年で電脳症と思われる症例が増えているんだ」
「調べたのか?」
 兎羽野が少し驚いたように聞き、ミツキがこっくりとする。
「全国の電脳科がある病院からデータをハッキングしたんです。去年あたりから患者数が増えており、今では電脳型遷延性意識障害と病名がついた患者は千人ほどいます」
「そこまで患者が増えているのに、マスコミなどで騒がれていないということは、電脳デジタル庁あたりから圧力があるのかな」
「可能性は高いと思います。そして、電脳症を発病した人のなかには共通してある言葉を残しているんです」
 兎羽野が目顔で問い、俺は口を開いた。
「兎を追いかけろ、といった意味の言葉を残して、意識を失っているんだ」
 兎羽野はソファーの背もたれに寄り掛かり、胸の前で腕を組んだ。
「なるほどな、それでラビット・パンチというリングネームにたどり着いたということか?」
「正直、まったく情報がなくて、兎というワードに関係するものを一つずつ調べるしかないんです」
 ミツキが肩を落とした。
「干し草のなかから一本の針を探すようなもんだ。それに、俺とは関係ないと思うぞ」
 やっぱりな……と俺は小さく溜息をついた。
「それにしても……なぜハヤト、お前は『兎』を追いかけているんだ?」
 兎羽野が俺だけに視線を向け、思わず自嘲の笑みが浮かんだ。
「お前たち、じゃないんだな。あんた……やっぱり、凄腕だ。いつから、気づいていた?」
「正直、確信は持てなかった。まず、ミツキ君が飲み物はいらないと言った時に、俺の第六感は正しいのかな、と思った。そして、ミツキ君のカップは口をつけても減っていないので、彼はプログラミングされた存在ではないか……と気づいた。ミツキ君、きみはAIだよな?」
「はい、僕はAIです」
 ミツキが柔らかく笑みを浮かべる。
 兎羽野がハッとした様子で「もしかして……」と呟き、俺は彼に頷き返す。
「ミツキ本人は一年前に電脳症を発症し、ボディとスピリットが切断された状態で今も入院しているんだ」
「……そうか」
 兎羽野が沈鬱な面持ちで首肯し、ふと思い出したように聞く。
「AIのミツキ君は、ハヤトが構築(コーディング)したのか?」
「まさか! 俺が得意なのはMELでの荒事くらいだよ。ミツキ自身が作成したものだ」
 ミツキが電脳症を発症したときのことを思い出してしまい、気分が沈む。そんな俺の反応に気づいたのか、兎羽野はそれ以上、聞いてこなかった。
 俺はずっと疑問に思っていたことを尋ねる。
「なあ、そういえばさ……あんたが言っていた『ノロイ』ってなんだ?」
「まだ深層部分にいる連中(ダイバー)の間でしか話題になっていないんだが、どうもオカルトめいた話なんだよな」
「オカルト、ですか?」
 ミツキが興味津々といった様子で少し身を乗り出す。
「なんでも、ノロイと呼ばれる不可解な現象が起きているんだ。それは、ゴーグルの汚染現象や、構築した空間に化け物が出現するらしい」
「それって、ウィルスの類いが原因なのでは?」
 ミツキの言葉に兎羽野が「可能性はある」と返す。
「だが、その痕跡が残っていなんだ。まあ、跡形もなく消えるウィルスもあるから、その可能性は高い。もう一つ、奇妙な仮説があってな」
 兎羽野は内緒話をするように、こちらに顔を近付けた。
 ミツキもわくわくとした面持ちで前のめりになり、思わず俺も同じようにしてしまう。
「ジャンクとなった人の念の集合体が悪さをしているんじゃないか、ってな」
 兎羽野曰く、MEL空間に漂う誹謗中傷や悪意のある言葉などのデータやサイト、構築された空間がまるで意思をもったように悪さをしているのではないか? そんな噂があるという。
 ミツキが興味深げに言う。
「MELに出没する幽霊や化け物といったところですか?」
「そんな馬鹿な」
 すかさず言ってしまった。
 俺は幽霊もUFOも信じていない。そんな現象は非科学的だ。
 ちょっと呆れる俺に、ミツキはきっぱりと首を横に振った。
「でもさ、兎羽野さんの説も一理あるんじゃないかな。だって電脳空間に漂うのは、人の意識の集合体だ。SNS空間でも毎日のように悪意のある言葉が発信され、見知らぬ者同士が罵詈雑言をぶつけあい、争っている。いつだって、どこかで炎上しているじゃないか。こういった悪意あるデータが蓄積され、botのように動きだすこともありえるんじゃないかな?」
「悪意ある言葉などがMELに漂っているのは分かるが、どうやってbotのように動きだすんだよ?」
 俺の言葉に、ミツキは「うーん」と胸の前で腕を組んで、少し俯き加減の姿勢のまま微動だにしなくなった。
 もしかしたら適切な答えを導くために、膨大な情報の海のなかをダイブ(検索)しているのかもしれない。
 ピタッと動きを止めたミツキに少し心配になって、彼の肩に触れた。
「お、おい……ミツキ? フリーズしてないか?」
 ミツキはぱちりと目を瞬かせ、「なんでノロイが発生するんだろ。わかんない」と顔を上げた。
「でも僕、ノロイに興味があるなあ。兎羽野さん、僕もノロイについて調査したいです」
「お、おい……」
 兎の件はどうなるんだ。俺が難色を示すと、兎羽野はカップを傾けて言う。
「俺も便利屋という職業柄、情報屋などの知り合いは多い。例の兎について調べることもできるぞ」
 ミツキが顔を明るくし、俺を見た。彼は子供が母親にねだるように俺の着ているパーカーの袖を引っ張った。
「ねえねえ、凄腕の便利屋さんの協力があれば、兎につながる情報が得られるかも」
「AIであるミツキ君こそ、広大なMEL空間からノロイの手掛かりが得られるかもな。こっちも二人の協力があれば心強い」
 ミツキと兎羽野から圧のようなものを感じる。俺は少したじろいで「それは、連携するってことだよな」と確認する。
「人手は多い方がいい、だろ?」
 兎羽野が小さく笑い、俺は背もたれに寄りかかって「まあな」と返した。
「わかった、ここはタッグを組んでみようぜ」
 俺が言うと、ミツキが満面の笑顔をこちらに向けた。
 そういえば、ミツキはオカルトや怪談のたぐいに目がないのだ。
「このダイナーは、俺が許可した者しか入店(アクセス)できないようになっている。店のアクセスポイントもこまめに変更しているんだ。二人がログインできるように登録しておくよ。ミツキ君、ノロイについて調査してまとめた資料があるんだが、見るか?」
「見ます、見ます!」
 喜色満面でミツキが返し、さっそく兎羽野が共用フォルダを作成する。
「兎に関しての資料もあったら、この中に放り込んでくれ。あとで確認しておくよ」
 兎羽野がこちらに顔を向け、俺はちょっとモヤモヤとしながら「わかった」と返した。

 ダイナーから退店(ログアウト)して、俺はゴーグルを外した。
 時計を見ると、昼の十二時を少し過ぎた頃だった。
 今夜はバーの出勤日だ。軽く飯を食って、少し寝ておくか……そんなことを考えていると、モバイルフォンから「ハヤト」とミツキの声がした。
 液晶画面に表示されたミツキは気遣わしげにこちらを見つめている。
「ねえ、ノロイの調査に協力すること……怒ってる?」
「……いや、怒っちゃいないさ」
 他人の機微に聡いのは、リアルのミツキと変わりない。胸がぎゅっと痛んだ。
「本当に? その……つい、好奇心がおさえられなくて……」
「兎より、ノロイのほうがオカルトっぽくて、楽しそうだもんな」
 言ってから、しまったと思った。
 ミツキが傷ついた面持ちで目を瞬かせ、俺は自分自身にうんざりとしながら「悪い」と返す。
 これ以上、会話をしていたらケンカ……いや、俺が一方的にキレて、ミツキを責めてしまいそうだ。
「ちょっと疲れているんだ。少し、休ませてくれ」
「……うん、わかった」
 ミツキが薄く笑みを浮かべて頷き、俺はいたたまれなくてミツキとの通信画面を切った。
 モバイルフォンをスリープモードにし、俺はベッドに身体を投げだす。
 まったく……俺って奴は、自分でも呆れるくらいの愚かものだ。