〔15〕不吉な海
藤堂さんが帰り、俺は兎羽野と向かい合うように移動する。
「まったく……藤堂のやつ、相変わらずマイペースなやつだ」
「藤堂さんとは、長い付き合いなのか?」
苦笑する兎羽野に聞くと、彼はちょっと懐かしそうな顔をした。
「俺と同じく、電犯の創設時のメンバーだからな。もう十年以上のつきあいだよ」
それにしても、Lethe-34に故意の仕掛けがあり、電脳症が引き起こされるかもしれないなんて……とんでもなく恐ろしい話だ。
そう話すと、兎羽野は藤堂さんが持ってきた書類を読みながら「まったくだな」とため息をつく。
兎羽野が思い出したように、こちらを見やった。
「光希君のゴーグルの履歴を調べていたんだが、彼は例のオカルト系のコミュニティー空間でワンダーランドに関する噂があって、アクセスを何度かしていたらしい」
「それって、どんな噂なんだ?」
「どうもワンダーランドは不思議の国のアリスをイメージした遊園地のような空間らしい。そこで凶暴なウサギに噛みつかれそうになった、まるでホラーハウスのようなようなアトラクションがあったなど、来訪者が危険を感じるようなことがあったようだ」
「それって、下手をしたら訪れた人のスピリットが危険にさらされる。コニリオ社が公式に設定、構築したわけじゃないってことだよね」
兎羽野が「だろうな」と軽く頷く。
オカルトが好きなミツキなら、その噂を調べに何度かワンダーランドにログインしていてもおかしくない。
「灰島春臣が会社に隠して構築した可能性もあるな」
「性質が悪すぎるぜ」
呆れて顔を顰めると、兎羽野も「まったくだな」と忌々しそうに返す。
「ワンダーランドにはいつダイブするんだ?」
俺が問うと、兎羽野は少し眉を下げてこちらを見やった。
「裏から侵入するには、コンパスの助けが必要だ。前回のヘイダルゾーンとは違い、表層空間にあるので、ボディとスピリットに負担はさほどないだろう。だが、空間が汚染されており、スピリットに危険が及ぶ可能性もある」
「だから黙って見ていろ、っていうのはやめてくれよ。ここまできて、それはないぜ?」
俺がすかさず口を挟むと、兎羽野は「そう言うと思ったよ」とちょっと呆れた面持ちになった。
「Lethe-34とワンダーランドにはなんらかの因果関係があって、電脳症が引き起こされる可能性が高い。ダイブ当日は俺が他社のゴーグルを用意するので、電脳症の危険は回避できるだろう。だが、それだって絶対とはいえない。今回も危険なダイブ、ということだ」
兎羽野が真剣な目を向け、俺も彼をじっと見つめ返した。俺の覚悟を感じとってか、兎羽野がなんどか頷く。
「万が一のための準備も必要だ。お前さん、次はいつなら空いている?」
バイトが休みなのは三日後だと伝えると、その日にダイブするということになった。
翌日。
俺は、ミツキの入院する病院を訪ねていた。
白幡正光さんに連絡をとり、お見舞いの許可を得ていたので、病棟の受付を済ませてミツキのいる病室に向かった。
生命維持装置やゴーグルなどに繋がった状態のミツキに笑いかけ、ベッドの横に置かれた椅子に腰を下ろした。
「ミツキ、この前はろくに話さずに帰っちまってごめんな。今日はすげえ、天気がいいぞ……それと――」
自然とミツキに話したいことが、途切れることなく口をついて出てくる。
『Trigger&happy』でバイト中に客のカップルのいさかいを仲裁したら、なぜか俺がブチギレた彼女から酒をぶっかけられたこと。
前回、一緒にきた兎羽野のこと……最近ハマっている歌手の話、ミツキが好きそうな映画が公開されるから、目を覚ましたら一緒に観よう……
きっと眠っていても俺の声は、聞こえているはずだ。
「――あとさ、ミツキが調べてたワンダーランドにダイブするんだ。なにかミツキが目を覚ます方法が見つかればと思うんだ」
俺は、そっとミツキの手の甲に自分の手を重ねた。
触れた手は体温が感じられ、彼が生きていることを実感した。
「また、来るから」
ミツキに伝えて、俺は病室を後にする。
すると、廊下でスーツ姿の正光さんと行き合った。
きっと仕事の合間をぬって来ているのだろう。互いに会釈する。
「暁さんに来てもらえて、きっと光希も喜んでいると思います」
「そう言ってもらえると嬉しいです。あの……この前は不躾なことを言ってしまい、すみませんでした」
俺が頭を下げると、正光さんは「気にしないでください」と淡く笑みを浮かべた。
「わたしは父親としても、美彩のパートナーとしても逃げていたんです。仕事が忙しいことを理由にして、向き合わなければいけない問題からずっと目を逸らしていたんです」
どう返してよいか分からず口籠る俺に、正光さんが続ける。
「よかったら、また光希に会いに来てやってください」
「はい。必ず、また伺います」
俺は彼に一礼して、病院を後にした。
寄せては返す波音……
湿り気を帯びた潮風が頬を撫でていく。
気がつくと俺は砂浜に立っていた。
プシューというなにかが吹きだす音がして、横を向くとそこには派手な花柄のワンピースを着た母親がいた。
しかし、彼女の首から上は切断されて頭部がない。首の断面からは噴水みたいにどす黒い血液が際限なく噴き出している。
プシュー。スプリンクラーの音みたいだ。
そんなことを思っていると、おふくろはすっと腕をまっすぐ上げ、大海原を指さした。
指し示された方向を辿って顔を向けると、波立つ海中にはミツキがいた。
彼は首のあたりまで海に浸かっている。
少し荒れた海に呑み込まれそうになりながら、ミツキは満面の笑みを浮かべながらこちらに大きく手を振っている。
このままでは、溺れてしまうんじゃないか?
焦った俺は「ミツキ!」と声をあげる。
ミツキはにこにことしながら、「こっちにおいでよ」といわんばかりに俺に手を振り続け、俺は必死に彼の名前を呼んだ。
突如、大きな波が背後からミツキを呑み込み、息を呑んだ。
彼の姿が海のなかに沈み、隣に佇む頭部のない母親が「はははは」と笑った。
ビクン! と陸に打ちあげられた魚のように身体が跳ねる。
薄暗い自室の天井が目に飛び込む。また悪夢を見ていたようだ。
時計は深夜の三時を過ぎたころを示している。
うんざりとした気分で上半身を起こす。ふと首筋が熱を帯びている気がして、手をやった。
耳たぶの後ろ、頭部に近い部分……チップを埋め込んだあたりが熱くなっている気がして、ぎくりとする。
洗面所の鏡に映して確認するが、チップを埋め込んだあたりが赤くなっている、皮膚が盛り上がっている、といったことはなかった。
チップは無茶なダイブをした時や、劣化したときに熱を帯びることがある。
そしてチップは埋め込めば、三年ほど持つという。
そういえば、前回に新しいものにしたのはミツキとLethe-34を買いにいったときに、ついでに交換したんだっけ?
まだ交換時期でもない。痛みは特になく、俺は溜息をついてベッドに戻った。
今日、ワンダーランドにダイブする。
少しでも身体を休めておかないと……しかし、なかなか眠気はやってこない。
ベッドサイドテーブルに置いたモバイルフォンを手にとり、AIミツキに話しかけようとした。
しかし、悪夢での海に沈む姿が甦ってしまい、起動しようとした手が止まった。
海のなかに沈みながら、にこにことしているミツキの姿に不吉なものを感じてしまい、俺はモバイルフォンをベッドサイドテーブルに戻す。
ともかく眠るんだ……胸のなかで呟き、俺は目蓋を閉じた。
藤堂さんが帰り、俺は兎羽野と向かい合うように移動する。
「まったく……藤堂のやつ、相変わらずマイペースなやつだ」
「藤堂さんとは、長い付き合いなのか?」
苦笑する兎羽野に聞くと、彼はちょっと懐かしそうな顔をした。
「俺と同じく、電犯の創設時のメンバーだからな。もう十年以上のつきあいだよ」
それにしても、Lethe-34に故意の仕掛けがあり、電脳症が引き起こされるかもしれないなんて……とんでもなく恐ろしい話だ。
そう話すと、兎羽野は藤堂さんが持ってきた書類を読みながら「まったくだな」とため息をつく。
兎羽野が思い出したように、こちらを見やった。
「光希君のゴーグルの履歴を調べていたんだが、彼は例のオカルト系のコミュニティー空間でワンダーランドに関する噂があって、アクセスを何度かしていたらしい」
「それって、どんな噂なんだ?」
「どうもワンダーランドは不思議の国のアリスをイメージした遊園地のような空間らしい。そこで凶暴なウサギに噛みつかれそうになった、まるでホラーハウスのようなようなアトラクションがあったなど、来訪者が危険を感じるようなことがあったようだ」
「それって、下手をしたら訪れた人のスピリットが危険にさらされる。コニリオ社が公式に設定、構築したわけじゃないってことだよね」
兎羽野が「だろうな」と軽く頷く。
オカルトが好きなミツキなら、その噂を調べに何度かワンダーランドにログインしていてもおかしくない。
「灰島春臣が会社に隠して構築した可能性もあるな」
「性質が悪すぎるぜ」
呆れて顔を顰めると、兎羽野も「まったくだな」と忌々しそうに返す。
「ワンダーランドにはいつダイブするんだ?」
俺が問うと、兎羽野は少し眉を下げてこちらを見やった。
「裏から侵入するには、コンパスの助けが必要だ。前回のヘイダルゾーンとは違い、表層空間にあるので、ボディとスピリットに負担はさほどないだろう。だが、空間が汚染されており、スピリットに危険が及ぶ可能性もある」
「だから黙って見ていろ、っていうのはやめてくれよ。ここまできて、それはないぜ?」
俺がすかさず口を挟むと、兎羽野は「そう言うと思ったよ」とちょっと呆れた面持ちになった。
「Lethe-34とワンダーランドにはなんらかの因果関係があって、電脳症が引き起こされる可能性が高い。ダイブ当日は俺が他社のゴーグルを用意するので、電脳症の危険は回避できるだろう。だが、それだって絶対とはいえない。今回も危険なダイブ、ということだ」
兎羽野が真剣な目を向け、俺も彼をじっと見つめ返した。俺の覚悟を感じとってか、兎羽野がなんどか頷く。
「万が一のための準備も必要だ。お前さん、次はいつなら空いている?」
バイトが休みなのは三日後だと伝えると、その日にダイブするということになった。
翌日。
俺は、ミツキの入院する病院を訪ねていた。
白幡正光さんに連絡をとり、お見舞いの許可を得ていたので、病棟の受付を済ませてミツキのいる病室に向かった。
生命維持装置やゴーグルなどに繋がった状態のミツキに笑いかけ、ベッドの横に置かれた椅子に腰を下ろした。
「ミツキ、この前はろくに話さずに帰っちまってごめんな。今日はすげえ、天気がいいぞ……それと――」
自然とミツキに話したいことが、途切れることなく口をついて出てくる。
『Trigger&happy』でバイト中に客のカップルのいさかいを仲裁したら、なぜか俺がブチギレた彼女から酒をぶっかけられたこと。
前回、一緒にきた兎羽野のこと……最近ハマっている歌手の話、ミツキが好きそうな映画が公開されるから、目を覚ましたら一緒に観よう……
きっと眠っていても俺の声は、聞こえているはずだ。
「――あとさ、ミツキが調べてたワンダーランドにダイブするんだ。なにかミツキが目を覚ます方法が見つかればと思うんだ」
俺は、そっとミツキの手の甲に自分の手を重ねた。
触れた手は体温が感じられ、彼が生きていることを実感した。
「また、来るから」
ミツキに伝えて、俺は病室を後にする。
すると、廊下でスーツ姿の正光さんと行き合った。
きっと仕事の合間をぬって来ているのだろう。互いに会釈する。
「暁さんに来てもらえて、きっと光希も喜んでいると思います」
「そう言ってもらえると嬉しいです。あの……この前は不躾なことを言ってしまい、すみませんでした」
俺が頭を下げると、正光さんは「気にしないでください」と淡く笑みを浮かべた。
「わたしは父親としても、美彩のパートナーとしても逃げていたんです。仕事が忙しいことを理由にして、向き合わなければいけない問題からずっと目を逸らしていたんです」
どう返してよいか分からず口籠る俺に、正光さんが続ける。
「よかったら、また光希に会いに来てやってください」
「はい。必ず、また伺います」
俺は彼に一礼して、病院を後にした。
寄せては返す波音……
湿り気を帯びた潮風が頬を撫でていく。
気がつくと俺は砂浜に立っていた。
プシューというなにかが吹きだす音がして、横を向くとそこには派手な花柄のワンピースを着た母親がいた。
しかし、彼女の首から上は切断されて頭部がない。首の断面からは噴水みたいにどす黒い血液が際限なく噴き出している。
プシュー。スプリンクラーの音みたいだ。
そんなことを思っていると、おふくろはすっと腕をまっすぐ上げ、大海原を指さした。
指し示された方向を辿って顔を向けると、波立つ海中にはミツキがいた。
彼は首のあたりまで海に浸かっている。
少し荒れた海に呑み込まれそうになりながら、ミツキは満面の笑みを浮かべながらこちらに大きく手を振っている。
このままでは、溺れてしまうんじゃないか?
焦った俺は「ミツキ!」と声をあげる。
ミツキはにこにことしながら、「こっちにおいでよ」といわんばかりに俺に手を振り続け、俺は必死に彼の名前を呼んだ。
突如、大きな波が背後からミツキを呑み込み、息を呑んだ。
彼の姿が海のなかに沈み、隣に佇む頭部のない母親が「はははは」と笑った。
ビクン! と陸に打ちあげられた魚のように身体が跳ねる。
薄暗い自室の天井が目に飛び込む。また悪夢を見ていたようだ。
時計は深夜の三時を過ぎたころを示している。
うんざりとした気分で上半身を起こす。ふと首筋が熱を帯びている気がして、手をやった。
耳たぶの後ろ、頭部に近い部分……チップを埋め込んだあたりが熱くなっている気がして、ぎくりとする。
洗面所の鏡に映して確認するが、チップを埋め込んだあたりが赤くなっている、皮膚が盛り上がっている、といったことはなかった。
チップは無茶なダイブをした時や、劣化したときに熱を帯びることがある。
そしてチップは埋め込めば、三年ほど持つという。
そういえば、前回に新しいものにしたのはミツキとLethe-34を買いにいったときに、ついでに交換したんだっけ?
まだ交換時期でもない。痛みは特になく、俺は溜息をついてベッドに戻った。
今日、ワンダーランドにダイブする。
少しでも身体を休めておかないと……しかし、なかなか眠気はやってこない。
ベッドサイドテーブルに置いたモバイルフォンを手にとり、AIミツキに話しかけようとした。
しかし、悪夢での海に沈む姿が甦ってしまい、起動しようとした手が止まった。
海のなかに沈みながら、にこにことしているミツキの姿に不吉なものを感じてしまい、俺はモバイルフォンをベッドサイドテーブルに戻す。
ともかく眠るんだ……胸のなかで呟き、俺は目蓋を閉じた。
