さよなら、ワンダーランド

〔13〕電犯

 DINER666に入店(ログイン)すると、いつもの窓際のボックス席に兎羽野がいた。
 彼がこちらに気づいて「よお」と淡く笑みを浮かべた。
 自分の顔が強張っているのを感じながら、彼の待つ席へと向かった。
 向かいに座る兎羽野が「なにか飲むか?」と言うが、俺は緩く首を横に振った。
「ミツキ君は同席しないのか?」
「ああ、ちょっと兎羽野とサシで話したいことがあってさ」
 俺の様子に兎羽野がわずかに訝るように、こちらを見つめる。
「ハヤト、なにかあったのか?」
 俺はじっと兎羽野を見つめ返す。彼はこちらを心配する面持ちで、覚悟をきめて切りだす。
「兎羽野、あんたさ……便利屋なんかじゃないだろ?」
 兎羽野の精悍な顔に驚愕の色が滲んだ。ああ……ミツキの言うことは本当だったんだな、と溜息をついた。
 兎羽野は髪を混ぜるように頭を掻いて、背もたれに寄りかかる。
「AIミツキ君が俺のことを調べたのか?」
「ああ、かなり昔の記事のリンクが深層空間の掲示板に落ちてたみたいだ」
 ミツキが見せてくれたのは、警視庁の電脳犯罪対策部 捜査壱課が電脳地下カジノを一斉検挙したというニュース記事だった。
 そこに電脳犯罪対策部は新しく創設された部署で、班を率いるリーダーとして、兎羽野忍という名前があったのだ。
 そのことを話すと、兎羽野は「随分と懐かしい記事だな」と苦く笑う。
「なあ、隠しごとはなしだ。あんた、電犯の捜査官なのか?」
 思い返せば、兎羽野のダイブ能力や戦闘技術、構築などの腕は一介の便利屋がそう簡単に身につけられるものじゃない。
 おまけに、ヘイダルゾーンにダイブした際は、特殊部隊のようなアーマースーツを用意していた。
 堂に入ってるな、と思っていたが本職なのだから当たり前だ。
 俺が詰め寄るように身を乗り出すと、兎羽野は軽く両手を上げた。
「元、だよ。元電犯捜査官だ。二年前に退職している。だからバッチは持ってないし、疑うなら電犯(でんはん)に問い合わせてみろ」
 その様子に嘘はないと思った。
 俺は少し脱力して背もたれに寄りかかった。
「じゃあ、いまは便利屋っていうのは本当なんだな」
「まあな。本職の警官が、ここにいるようなMELの裏稼業の連中とつるむと思うか?」
「……悪徳警官なら、あると思う」
 兎羽野が少し呆れたように笑い「映画やドラマの見過ぎだ」と肩を竦める。
「まあ、信用できないっていうなら仕方ないが……しかし、俺は光希君のゴーグルの調査からは手を引かないぞ。俺ひとりでもやる」
 兎羽野の目には真剣な光が浮かんでおり、俺は「信用するよ」と返した。
「俺は馬鹿だけどさ、人を見る目はあるつもりだ。あんたは悪人なんかじゃない。もし、あんたが俺とミツキを騙していたとしても、その時は思いきりぶん殴ればいい」
 兎羽野が呆れたように首を横に振った。
「信用してくれるのはありがたいが、どうしてお前さんはそうやってすぐに、拳で解決しようとするんだよ。それにハヤト、お前は馬鹿じゃないぞ」
 まっすぐな目を向けられて、俺は少したじろぐ。
「ジャンク地区出身だからと自分を卑下するな。お前は頭の回転も速いし、MELでの戦闘能力も高い。これは生まれもっての才能だぞ」
 真摯な言葉に、どう反応していいか分からずに口籠る。
 同じようなことをミツキも前に言っていた気がするが、素直に受けとめられない自分がいた。
「まあ、この話はまた今度にしよう。ところで『兎を追いかけて』の意味がわかったと話していたな」
 俺は気持ちを切り替えてフォルダにアクセスし、画像を表示させる。
 目の前にウィンドウが展開され、そこには金の髪に青いリボンをつけた、スカイブルーを基調にしたフリルのワンピースを着た清澄レオナの姿が映しだされた。
 彼女は白い兎を抱いて、こちらに微笑んでいる。
 その下には『あなたとワンダーランドに』というキャッチコピーがある。
「これは、Lethe(レテ)-34の広告で、彼女が『不思議の国のアリス』に扮したバージョンなんだ。そして『ワンダーランドキャンペーン』という、Lethe(レテ)-34の販促のためのキャンペーンがあったんだ」
 ミツキとゴーグルを買いにいったショップでは、Lethe(レテ)-34のプロモーション映像が流されていた。
 そして、購入の際にショップの店員から「いま、Lethe(レテ)-34をご利用いただけるお客様を対象にした、キャンペーンを展開しています」と案内されたのだ。
「特設空間『ワンダーランド』にアクセスして、白い兎を見つけると清澄レオナのグッズが当たる、ゴーグル使用料が割引される……そういった特典のキャンペーンがあったんだ」
 俺は特に興味が無くて聞き流していたが、ミツキはアクセスしてしまったかもしれない。
 俺が話しに兎羽野は合点がいったように「これを見てくれ」とミツキのゴーグルの履歴を表示させる。
 そこには、『wonderland』とある英字の羅列……MELアドレスがあった。おそらく、Lethe(レテ)-34の特設空間のものだろう。
「光希君は、電脳症を発症する前にワンダーランドに数回アクセスしていた。俺もそれが少し気になってな。調べてみたが、今はすでに閉鎖されているようだ」
「兎を追いかけないで……ミツキが残した言葉って、この空間と関係しているんじゃないか?」
 俺が言うと、兎羽野も「だろうな」と返す。
「だけど、閉鎖されてるなら中に入ることはできないよな?」
「まあ……閉鎖はされていてもMELに空間自体が残っているなら、入り込むことが可能だ」
「さすが元・電犯の凄腕捜査官……」
 感心して言うと「よせ」と心底、嫌そうに返される。
「とはいえ、空間が汚染されている可能性もあるし、ワンダーランドの裏から忍び込むための準備が必要だ」
「そうだよな……」
 ほうっと吐息すると、兎羽野が「それとな」と続ける。
「光希君がよくアクセスしていた空間で、チャット形式のログが残っていた。そこはメンバー登録制の場所で、きっと光希君の母……美彩さんの目には触れていないと思う」
 限られたメンバー同士が会話する場所ということか……ミツキの意外な一面を知ってしまった気がして心が少しざわついた。
「それって……どんな空間なんだ?」
「光希君は、オカルト趣味があったようだな。MELでの都市伝説的な話や、怪談話なんかを収集して、そのことについて考察する、そんなところだ」
「なんか……ミツキらしい」
 一瞬、セクシャルな場所かと身構えたが、オカルトかよ……と少し力が抜ける。
「そのなかで、プライベートなことも話していた友人がいたようだ」
 ずきりと胸が痛むのを感じる。ミツキに親しい友人がいてもおかしくない。
 俺にだって、ジャンク地区で昔馴染みといえる奴らがいる。
 だけど、なぜだろう。ミツキにも、そんな相手がいたことを知らなかった……そのことに、少しショックをうけていた。
 俺以上に信頼して、悩みを打ちあけられる誰かがいたのだろうか。
「ちょっとログの量が膨大でな。すべてを確認できていないが、お前さんに関する大切なログがあって、それを抜粋しておいた」
 目を見開く俺に、兎羽野は「読むか読まないかは任せる」と共有フォルダにファイルを放り込んだ。
「ハヤトっていう、クソチャブとつるんでるけど実は迷惑してる……とか、そういうショックを受ける内容?」
 思わず上目遣いで兎羽野を見やる。途端に、兎羽野が笑い声を上げた。
「馬鹿を言うなよ! お前って、ほんとうに自分のことを低く見積もりすぎだぞ!」
 兎羽野はなにがそこまでおかしいのか、しばし肩を揺らして笑いつづける。
 俺は恥ずかしいやらムカつくやらで、思わずテーブルを軽く叩く。
「そこまで笑うことないだろ!」
「いや、悪い悪い。なんだか捨てられた子犬みたいな目をするもんだから……」
 くくくっ、と兎羽野が笑いを噛み殺しながら言い、俺は「なんだよ」とふてくされる。
「ともかく、家でゆっくり読んでみろ」
 兎羽野が優しい表情になり、俺は「……わかった」と素直に頷いた。