さよなら、ワンダーランド

〔12〕兎を追いかけて

 俺は公園を出て自宅へと戻った。
 バーテンダーとして立つ『Trigger&happy』は定休日なので、ミツキと話しておこうとゴーグルを手に取った。
 ミツキはセーフハウスを改築すると話していたので、ビーチハウスにダイブした。
 てっきり室内にいるかと思ったが、彼は外の浜辺に佇んでいた。
「ミツキ!」
 砂浜を歩きながら声を掛けると、ミツキはこちらを振り返って、にっこりとした。
「ハヤト、おかえり」
「てっきり、ビーチハウスを改装していると思った」
「手をつけようと思ったけどね、ハヤトと一緒に決めながら作業したくて。壁を白からコバルトブルーにしようかなと考えたんだけど、どうかな?」
 俺はビーチハウスを振り返って眺める。
 白い壁も海辺に映えるが、海と同じ色もいいだろう。
「いいんじゃないか。屋根も塗り替えるか?」
「何色にしようか? それはハヤトが決めてよ」
「わかった、考えとく」
 ミツキが横に立つ俺を見上げた。
「どうだった?」
 今日、ミツキが治療を受けている病院を訪ねることは話していた。
 俺は小さく頷いて、父親の正光さんがミツキを発見したときのことや、彼も連れて家を出ようとしていたことを伝える。
「もっと早く、そうしてくれてたらなあ……」
「俺も同じようなことを親父さんに責める口調で話しちまったよ」
 すると、ミツキは破顔して「ハヤトらしい」と肩を揺らした。
「僕の様子はどうだった?」
「機械とゴーグルに繋がれていたが、ちゃんと身体は生きていたよ」
 ミツキは「そっか」と呟いて、目の前の海に視線をやる。
 しばらくの間、俺たちは無言のまま凪いだ海を眺めていた。
「そろそろかな?」
 ミツキが言い、俺は目顔で問う。すると、彼は海を指さして俺はその方向に視線をやる。
 次の瞬間、イルカが水面から勢いよく姿を見せて俺は目を丸くする。
 見事なドルフィンジャンプをして、イルカが海中へと飛沫(しぶき)をあげて潜っていった。
「今のって、イルカだよな?」
 驚く俺にミツキがちょっと得意げにニンマリとした。
「うん。いままで生き物は設定していなかったからね。試しにイルカを構築して放してみた」
「凄いな……」
 感心して言うと、ミツキが「ほかの魚とか生き物を増やしてさ、僕たちも海に潜れるようにしてもいいね」と微笑む。
「そういえば、MEL空間のメルって、海と航海の神『メルカルト』から名づけられているんだよな」
 俺が言うと、ミツキが相槌をうつ。
「うん。MELって、広大な海みたいだよね。そんな空間で、ハヤトと出会えたのは凄いことなのかも」
「そうだな」
 MEL空間がなかったら、プラチナ地区のミツキと出会うことなんてなかっただろう。
 それどころか一緒に地下格闘技でファイトマネーを稼ぐなんて、想像だにしなかった。そう話すと、ミツキも「だよね」と肩を竦める。
「でもさ、僕はハヤトに出会えて、人生で一番楽しかったな。リアルで初めて電気街に行って、二人でゴーグルを買いに行ったのも面白かった。ほかにもエキサイティングな経験もいっぱいしたし、MELでハヤトと会えるだけで心が弾んだよ」
 なんだか胸騒ぎがして、俺は眉根を寄せた。
「なんか……最後の別れみたいな言いかただ」
 俺の言葉にミツキがはっとしたように、こちらに顔を向ける。
「そんなことない。僕はハヤトのそばにいるよ」
 じわじわと不安が胸のなかに広がっていくのが分かった。
 そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、ミツキが手を伸ばしてそっと俺の頬に触れた。
「ごめん、変な言いかたをしちゃったよね」
 ミツキが形の良い二重の瞳を細め、俺は強張った顔になんとか笑みを浮かべた。

 セーフハウスからログアウトし、ゴーグルを外す。
 なんとなく落ち着かない気分で、リクライニングチェアから身体を起こした。
 さきほどのミツキの言葉を反芻する。
 MELでしか交流がなかったミツキと、初めてリアルで顔を合わせたのは電気街だった。
 地下格闘技に参戦するためにゴーグルなどを揃えるためで、駅前で待ち合わせて対面した時、ミツキは少し悪戯っぽく笑ってみせた。
「なんか、リアルでもケンカが強そう」
 目の前のミツキは、頭からつま先まで清潔感あふれる好青年といった感じで、身につけているものも仕立ての良い服だった。
 成金という感じではなく、さりげなく高級な部類のメーカーの時計や靴を身につけている。
 プラチナ地区のお上品な住人といった雰囲気だった。
 対して俺は、いかにもジャンク地区の住人といった、オーバーサイズのパーカーに、ワイドパンツというファッションだった。
 褒めているのか貶しているのか分からず、俺は思わず皮肉っぽく返した。
「あんたも、いいとこのお坊ちゃんって感じだぜ?」
 ミツキは驚いたように目を瞬かせたが、すぐさま破顔する。
「気に障ったなら、ごめん。MELにいる時と一緒でかっこいい、って意味だよ」
「じゃあ、そう言ってくれよ」
 苦笑する俺に、ミツキは「ごめん、ごめん」と相好を崩した。
 あれから数回、リアルでミツキと会う機会があった。ミツキは過干渉な母親の目があるので、塾に行くとか図書館で勉強すると嘘をついていたようだ。
 最後にリアルであったのも、電気街でゴーグルを買い替えた時だった。
 あの時、Lethe(レテ)-34をショップで購入したのだ。
 コニリオ社のゴーグルショップでは、最新モデルのイメージモデルを務める清澄レオナのホログラム看板などが設置されていた。
 少し前に見たコマーシャルのように女神のような恰好をしたものや、長い金髪に青いリボンをつけて、フリルのワンピースを着た……
 そこまで考えて俺は息をのんだ。
「そうだ――兎を追いかけて……」
 どうして忘れていたんだろう……!
 俺はモバイルフォンを手にとり、兎羽野に連絡を入れた。
 彼はすぐに応答し、俺は勢い込んで言う。
「兎羽野……! 兎を追いかけて、って言葉について思い出したんだ!」
『俺もゴーグルの履歴を見ていて、気になることがあったんだ』
 兎羽野の言葉に息を呑む。
『とりあえず、DINER666で話そう。だが、ちょっと立て込んでいてな。三十分後でいいか?』
「分かった」
 通話を切ると、AIのミツキがこちらに呼びかけていたという通知が表示される。
 ちょうどいい、さきほど思い出したことをミツキが知っているか確認しよう。
 キットを起動すると、ミツキの姿が液晶画面に映しだされる。
「なあ、ミツキ……」
『ハヤト、ちょっと兎羽野さんのことで気になることが分かったんだ』
 ミツキの思いもよらない言葉に、俺は「え?」と眉根を寄せた。