〔11〕Lethe
ミツキに母親の死を知らせるべきか……
悩んだ末に、俺は彼にうちあけることにした。
彼に隠しごとはしたくなかったし、そもそも俺は嘘をつくのが苦手だ。
AIであっても、ミツキに様子がおかしいと見抜かれてしまうだろう。
俺たちはセーフハウスにログインし、ビーチハウスのポーチに並んで腰を下ろしていた。
兎羽野から聞いたコニリオ社のゴーグルの件……そしてミツキの母、白幡美彩が電脳症と思われる症状で亡くなったことを伝える。
すると、彼は静かな面持ちでこちらを見つめた。
俺は彼の手の甲に自分の手を重ねた。
「大丈夫か?」
ミツキは端正な顔をわずかに強張らせて、うつむいた。しばらく俺たちの間に沈黙が下り、寄せては返す波の音だけが響いた。
「……正直、どんな反応をしていいか分からないんだ」
ぽつりと彼が呟き、俺は「そうか」と頷く。
「悲しいというより、僕のゴーグルデータを探り、あげくにここに侵入してきたことに腹が立つんだ。だって、ここは僕らの……ハヤトと僕だけのセーフハウスなのに……!」
語気を強めるミツキの横顔には、怒りがありありと滲んでいた。
彼の言いたいことも分かる。ミツキの大切な場所であっても、ずかずかと土足で入ってくる。過干渉で支配的な母親がやりそうなことだ。
そして、ここはミツキにとって唯一、自分らしくいられるセーフティゾーンなのだ。
俺は、そっと彼の背中を撫でた。
「そうだよな。ミツキが怒るのも当然だ」
「……僕って、薄情なのかな……」
目顔で問うと、ミツキは少し俯いて呟く。
「母さんが死んじゃったのに……悲しいと思えない。それって、僕がAIだからなのかな?」
俺はたまらなくなって彼の肩に腕を回した。
「違うよ。俺もおふくろが死んだって知った時、悲しさよりどこかホッとしちまった。親の愛情を感じられる良好な関係だったら、とんでもなく悲しいと思う。だけどさ……俺たちの家は――そうじゃなかった……」
きっと……俺たちは親から百パーセント、憎まれていたわけじゃない。
生まれた瞬間は、祝福をうけたのかもしない。
もしかすると、白幡美彩は……いや、俺のおふくろも愛を感じられない環境で育ってきたのかもしれない。
だからこそ、子供に対して歪んだ愛しか示せなかった……そういうことなんじゃないだろうか。
俺がそんなふうに話すと、ミツキは俺の肩口に頭を乗せる。
「かもね。でも……それを許容する必要はないと思う。そんな親なら、愛されなくてもしょうがないよね、って認めることは簡単にはできないよ。それに、子を愛せない親もいるんだと思う……」
「そうだな。そんな親を赦すのって難しいよな」
俺は、いつか母親を赦すことはできるだろうか……?
今は、まだわからない。
でも……今は、それでいいんじゃないだろうか。
少しの間、互いに無言のまま、俺たちは肩を寄せあうようにして海を眺めていた。
「そういえばさ、僕の使っていたゴーグル、Lethe-34が本当に電脳症の原因なのかな?」
「それなんだよなあ。どんな不具合があって、電脳症を引き起こすんだろう……?」
ミツキが「Letheかあ」と呟いて、ウィンドウを表示させる。
MELで公開されているLethe-34のコマーシャルが流される。
最近、メディアでよく見る女性タレントが女神のような恰好をして、泉のようなところに手を入れると、水のなかからゴーグルが出てくる、というものだ。
たしか、他のパターンのコマーシャルもあったような気がする。
「たしか、この女優さん……清澄レオナが広告塔になって、ゴーグルの売り上げが伸びたってニュースになってた気がする」
『リアルを忘れるような体験をあなたに』
そんなナレーションと共に、清澄レオナがゴーグルを片手に微笑む姿が映しだされる。
「俺たちの場合、深層空間に潜ることも多いから最新型っていう理由で選んで、一緒に電気街で買ったんだよな」
「うん。スペックが良かったからね。深層空間でも耐えられるゴーグルだと思って買ったんだよね」
いくら考えても、しっくりとくる考えが浮かばずに思わず低く唸る。
「ねえ、ハヤト」
ミツキがこちらを見つめ、俺は「うん?」と返す。
彼は真剣な目をこちらに向けて言った。
「あのさ、母さんが亡くなった今なら、僕の入院先を訪ねることができるんじゃないかな?」
息を呑む俺に、ミツキは続ける。
「父さんのモバイルフォンの番号を教えるよ。父さんなら、きっとリアルの僕に会わせてくれると思う」
俺は少し動揺して視線を泳がせる。
リアルの……病床に臥せった彼と再会する。そのことに思い至らなかった。
「そう……だな」
逡巡する俺の腕にそっとミツキが触れた。
「もしかして……怖い?」
そう、彼の言うとおり怖かった。ミツキが機械やチューブに繋がれてベッドに横たわる姿を想像するだけで、冷静でいられそうになかった。
口を噤む俺にミツキが微かに笑みを浮かべる。
「無理に行く必要はないと思う。もし、なにか父さんに聞きたいことがあれば、兎羽野さんに訪ねてもらってもいいと思うし……」
ミツキが倒れたときの状況など、俺も知っておきたかった。
俺は緩く首を横に振った。
「いや、ミツキのお父さんに連絡をしてみるよ。それで、許可がおりたらリアルのミツキにも会いたい」
ミツキは俺をまっすぐ見つめ返して「無理はしないでね」と返した。
数日後。
俺と兎羽野は、メディカル行政区にある総合病院にいた。
ミツキが治療を受けている入院棟の休憩スペースで、ミツキの父である白幡正光さんと対面する。
テーブルを挟んで座る正光さんは、真面目そうな印象をあたえる四十代後半くらいの男性で、少しやつれて見えた。
「ご多忙のところ、お時間をいただき感謝いたします」
俺の隣の椅子に座った兎羽野が切りだし、正光さんが恐縮したように「いえ、とんでもない」と頭を下げる。
兎羽野があらためて正光さんに名刺を渡し、俺は「暁隼人です」と告げた。
地下格闘技のことなどは伏せ、兎羽野が電脳症について調査していることを話し、そのなかでミツキの友人の俺と知り合ったと説明する。
「光希君のボディとスピリットが切断されてしまった時の状況をお父様は、ご存知ですか?」
「ええ、じつはわたしが発見したんです」
そう顔を曇らせて俯く正光さんの様子に、俺と兎羽野は一瞬、目を合わせた。
「あの夜……もう耐えられなくなって、家を出ようとしていたんです。以前から離婚したいと妻には話していたのですが、なかなか承諾してもらえなくて……あの晩も言い争いになり、もう限界だと思ったんです。光希も一緒に連れて行こうと、あの子の部屋に入ったら……ゴーグルをしたまま、意識を失っていました」
スピリットが切断された直後だったので、すぐさま病院に搬送されて一命を取りとめたのだという。
「そうですか」
兎羽野が相槌を打ち、俺は肩を落とす正光さんをまっすぐ見つめる。
「ミツキが母親にひどい扱いを受けていたこと、あなたは知っていたんですよね? なのに、どうして放っておいたんですか?」
もっと早く、父親がミツキと一緒に家を出ていたら……ミツキは深層空間で電脳イェンを稼ぐ必要もなかったはずだし、電脳症を発症しなかったかもしれない。
そう思うとやるせなさと、怒りが湧いてくる。
「ハヤト」
兎羽野が静かに制し、正光さんは「暁さんのおっしゃるとおりだと思います」と俺を見つめ返した。
「わたしが父親として、もっとしっかりとしていれば光希も……妻だって、あんなことにならずに済んだと思います」
悄然した彼の様子に、俺は「……すみません」と謝り、兎羽野が正光さんに切り出した。
「どうか、ご自分を責めないでください。我々は電脳症の発生の原因について調べていまして、よろしければ光希君のゴーグルデータを確認したいんです。美彩さんは、彼のデータをコピーしたゴーグルをお持ちでしたね」
正光さんが空いていた椅子においていた紙袋をテーブルに乗せた。
「ええ、これがそうです。あの……ゴーグルの中を調べたら、光希の意識が戻る手立てが見つかりますか?」
縋るような顔で正光さんが言い、兎羽野はそんな彼を見つめ返す。
「ゴーグルの内部や履歴を確認しても、手掛かりはない可能性もあります」
「そう……ですよね。でも、一縷の望みに賭けてみたいんです。息子が目を覚ましてくれるなら……なんでもしたいんです……! どうか、お願いします!」
深々と頭を下げられて、俺はぎょっとする。兎羽野も「お父さん、顔を上げてください」と返す。
「俺も彼に戻ってきてほしいと思っています。だから、俺にできることはなんでもしたいと思っています」
正光さんに言うと、彼は「ありがとう」と疲労の滲んだ顔に、弱く笑みを浮かべた。
ゴーグルを受け取り、俺たちはミツキのいる病室に通された。
病室に入る寸前に少し緊張したが、ベッドに横たわるミツキの姿が目に入った瞬間、なんともいえない気持ちが胸に広がった。
約一年ぶりのリアルでの再会に不思議な懐かしさと、そして悲しさが綯交ぜになった気分になる。
彼の目元はゴーグルに覆われ、ベッドの周囲にはモニターなどの生命維持装置に囲まれていた。心電図モニターには、ミツキがちゃんと生きていることが示されている。
管に繋がったミツキの姿に涙がこぼれそうになった。
「光希、暁さんたちが来てくれたぞ」
正光さんが話しかけるが、当然ミツキの反応はない。それがたまらなく悲しかった。
「……ミツキ……」
それ以上、言葉が出ずに俺は意識を失った彼の姿を見つめた。
病室を辞して、兎羽野が軽く俺の肩に手を置いた。
「ハヤト、大丈夫か?」
俺は彼に「うん」と、頷き返した。
「ミツキの親父さんへの連絡とか任せちゃって、ごめん」
俺から連絡をしようかと思った。しかし、兎羽野から話をしてもらったほうが不審がられないと考え、彼にお願いしたのだ。
おかげでこうして、ミツキを見舞うことができた。
「気にするな。俺も同席できてよかったよ」
兎羽野はこれから別の用事があると話し、車で途中まで送ってくれると言ってくれた。だが今は一人になりたくて、それを断った。
「光希君のダイブ履歴などを調べたいので、ゴーグルは預かってもいいか?」
「うん。なにかわかったら、連絡して」
病院の前で兎羽野と別れ、近くにあった緑に囲まれた公園へとなんとなく足を向けた。
適当にベンチに腰を下ろし、少し離れたところにある噴水が太陽の光に煌めいている様子を眺める。
憔悴した光希の父親の姿……
そして、生命維持装置に繋がれたミツキの姿が脳裏に浮かんだ。
ほんとうに彼のスピリットは戻るのだろうか……?
もしかしたら……あのまま、意識を失ったまま――
そこまで考えて、俺はそれを打ち消すように深く溜息をつく。
弱気になるな。ミツキが目を覚ますと、信じるんだ。
俺は自分に言い聞かせるように胸のなかで呟いた。
ミツキに母親の死を知らせるべきか……
悩んだ末に、俺は彼にうちあけることにした。
彼に隠しごとはしたくなかったし、そもそも俺は嘘をつくのが苦手だ。
AIであっても、ミツキに様子がおかしいと見抜かれてしまうだろう。
俺たちはセーフハウスにログインし、ビーチハウスのポーチに並んで腰を下ろしていた。
兎羽野から聞いたコニリオ社のゴーグルの件……そしてミツキの母、白幡美彩が電脳症と思われる症状で亡くなったことを伝える。
すると、彼は静かな面持ちでこちらを見つめた。
俺は彼の手の甲に自分の手を重ねた。
「大丈夫か?」
ミツキは端正な顔をわずかに強張らせて、うつむいた。しばらく俺たちの間に沈黙が下り、寄せては返す波の音だけが響いた。
「……正直、どんな反応をしていいか分からないんだ」
ぽつりと彼が呟き、俺は「そうか」と頷く。
「悲しいというより、僕のゴーグルデータを探り、あげくにここに侵入してきたことに腹が立つんだ。だって、ここは僕らの……ハヤトと僕だけのセーフハウスなのに……!」
語気を強めるミツキの横顔には、怒りがありありと滲んでいた。
彼の言いたいことも分かる。ミツキの大切な場所であっても、ずかずかと土足で入ってくる。過干渉で支配的な母親がやりそうなことだ。
そして、ここはミツキにとって唯一、自分らしくいられるセーフティゾーンなのだ。
俺は、そっと彼の背中を撫でた。
「そうだよな。ミツキが怒るのも当然だ」
「……僕って、薄情なのかな……」
目顔で問うと、ミツキは少し俯いて呟く。
「母さんが死んじゃったのに……悲しいと思えない。それって、僕がAIだからなのかな?」
俺はたまらなくなって彼の肩に腕を回した。
「違うよ。俺もおふくろが死んだって知った時、悲しさよりどこかホッとしちまった。親の愛情を感じられる良好な関係だったら、とんでもなく悲しいと思う。だけどさ……俺たちの家は――そうじゃなかった……」
きっと……俺たちは親から百パーセント、憎まれていたわけじゃない。
生まれた瞬間は、祝福をうけたのかもしない。
もしかすると、白幡美彩は……いや、俺のおふくろも愛を感じられない環境で育ってきたのかもしれない。
だからこそ、子供に対して歪んだ愛しか示せなかった……そういうことなんじゃないだろうか。
俺がそんなふうに話すと、ミツキは俺の肩口に頭を乗せる。
「かもね。でも……それを許容する必要はないと思う。そんな親なら、愛されなくてもしょうがないよね、って認めることは簡単にはできないよ。それに、子を愛せない親もいるんだと思う……」
「そうだな。そんな親を赦すのって難しいよな」
俺は、いつか母親を赦すことはできるだろうか……?
今は、まだわからない。
でも……今は、それでいいんじゃないだろうか。
少しの間、互いに無言のまま、俺たちは肩を寄せあうようにして海を眺めていた。
「そういえばさ、僕の使っていたゴーグル、Lethe-34が本当に電脳症の原因なのかな?」
「それなんだよなあ。どんな不具合があって、電脳症を引き起こすんだろう……?」
ミツキが「Letheかあ」と呟いて、ウィンドウを表示させる。
MELで公開されているLethe-34のコマーシャルが流される。
最近、メディアでよく見る女性タレントが女神のような恰好をして、泉のようなところに手を入れると、水のなかからゴーグルが出てくる、というものだ。
たしか、他のパターンのコマーシャルもあったような気がする。
「たしか、この女優さん……清澄レオナが広告塔になって、ゴーグルの売り上げが伸びたってニュースになってた気がする」
『リアルを忘れるような体験をあなたに』
そんなナレーションと共に、清澄レオナがゴーグルを片手に微笑む姿が映しだされる。
「俺たちの場合、深層空間に潜ることも多いから最新型っていう理由で選んで、一緒に電気街で買ったんだよな」
「うん。スペックが良かったからね。深層空間でも耐えられるゴーグルだと思って買ったんだよね」
いくら考えても、しっくりとくる考えが浮かばずに思わず低く唸る。
「ねえ、ハヤト」
ミツキがこちらを見つめ、俺は「うん?」と返す。
彼は真剣な目をこちらに向けて言った。
「あのさ、母さんが亡くなった今なら、僕の入院先を訪ねることができるんじゃないかな?」
息を呑む俺に、ミツキは続ける。
「父さんのモバイルフォンの番号を教えるよ。父さんなら、きっとリアルの僕に会わせてくれると思う」
俺は少し動揺して視線を泳がせる。
リアルの……病床に臥せった彼と再会する。そのことに思い至らなかった。
「そう……だな」
逡巡する俺の腕にそっとミツキが触れた。
「もしかして……怖い?」
そう、彼の言うとおり怖かった。ミツキが機械やチューブに繋がれてベッドに横たわる姿を想像するだけで、冷静でいられそうになかった。
口を噤む俺にミツキが微かに笑みを浮かべる。
「無理に行く必要はないと思う。もし、なにか父さんに聞きたいことがあれば、兎羽野さんに訪ねてもらってもいいと思うし……」
ミツキが倒れたときの状況など、俺も知っておきたかった。
俺は緩く首を横に振った。
「いや、ミツキのお父さんに連絡をしてみるよ。それで、許可がおりたらリアルのミツキにも会いたい」
ミツキは俺をまっすぐ見つめ返して「無理はしないでね」と返した。
数日後。
俺と兎羽野は、メディカル行政区にある総合病院にいた。
ミツキが治療を受けている入院棟の休憩スペースで、ミツキの父である白幡正光さんと対面する。
テーブルを挟んで座る正光さんは、真面目そうな印象をあたえる四十代後半くらいの男性で、少しやつれて見えた。
「ご多忙のところ、お時間をいただき感謝いたします」
俺の隣の椅子に座った兎羽野が切りだし、正光さんが恐縮したように「いえ、とんでもない」と頭を下げる。
兎羽野があらためて正光さんに名刺を渡し、俺は「暁隼人です」と告げた。
地下格闘技のことなどは伏せ、兎羽野が電脳症について調査していることを話し、そのなかでミツキの友人の俺と知り合ったと説明する。
「光希君のボディとスピリットが切断されてしまった時の状況をお父様は、ご存知ですか?」
「ええ、じつはわたしが発見したんです」
そう顔を曇らせて俯く正光さんの様子に、俺と兎羽野は一瞬、目を合わせた。
「あの夜……もう耐えられなくなって、家を出ようとしていたんです。以前から離婚したいと妻には話していたのですが、なかなか承諾してもらえなくて……あの晩も言い争いになり、もう限界だと思ったんです。光希も一緒に連れて行こうと、あの子の部屋に入ったら……ゴーグルをしたまま、意識を失っていました」
スピリットが切断された直後だったので、すぐさま病院に搬送されて一命を取りとめたのだという。
「そうですか」
兎羽野が相槌を打ち、俺は肩を落とす正光さんをまっすぐ見つめる。
「ミツキが母親にひどい扱いを受けていたこと、あなたは知っていたんですよね? なのに、どうして放っておいたんですか?」
もっと早く、父親がミツキと一緒に家を出ていたら……ミツキは深層空間で電脳イェンを稼ぐ必要もなかったはずだし、電脳症を発症しなかったかもしれない。
そう思うとやるせなさと、怒りが湧いてくる。
「ハヤト」
兎羽野が静かに制し、正光さんは「暁さんのおっしゃるとおりだと思います」と俺を見つめ返した。
「わたしが父親として、もっとしっかりとしていれば光希も……妻だって、あんなことにならずに済んだと思います」
悄然した彼の様子に、俺は「……すみません」と謝り、兎羽野が正光さんに切り出した。
「どうか、ご自分を責めないでください。我々は電脳症の発生の原因について調べていまして、よろしければ光希君のゴーグルデータを確認したいんです。美彩さんは、彼のデータをコピーしたゴーグルをお持ちでしたね」
正光さんが空いていた椅子においていた紙袋をテーブルに乗せた。
「ええ、これがそうです。あの……ゴーグルの中を調べたら、光希の意識が戻る手立てが見つかりますか?」
縋るような顔で正光さんが言い、兎羽野はそんな彼を見つめ返す。
「ゴーグルの内部や履歴を確認しても、手掛かりはない可能性もあります」
「そう……ですよね。でも、一縷の望みに賭けてみたいんです。息子が目を覚ましてくれるなら……なんでもしたいんです……! どうか、お願いします!」
深々と頭を下げられて、俺はぎょっとする。兎羽野も「お父さん、顔を上げてください」と返す。
「俺も彼に戻ってきてほしいと思っています。だから、俺にできることはなんでもしたいと思っています」
正光さんに言うと、彼は「ありがとう」と疲労の滲んだ顔に、弱く笑みを浮かべた。
ゴーグルを受け取り、俺たちはミツキのいる病室に通された。
病室に入る寸前に少し緊張したが、ベッドに横たわるミツキの姿が目に入った瞬間、なんともいえない気持ちが胸に広がった。
約一年ぶりのリアルでの再会に不思議な懐かしさと、そして悲しさが綯交ぜになった気分になる。
彼の目元はゴーグルに覆われ、ベッドの周囲にはモニターなどの生命維持装置に囲まれていた。心電図モニターには、ミツキがちゃんと生きていることが示されている。
管に繋がったミツキの姿に涙がこぼれそうになった。
「光希、暁さんたちが来てくれたぞ」
正光さんが話しかけるが、当然ミツキの反応はない。それがたまらなく悲しかった。
「……ミツキ……」
それ以上、言葉が出ずに俺は意識を失った彼の姿を見つめた。
病室を辞して、兎羽野が軽く俺の肩に手を置いた。
「ハヤト、大丈夫か?」
俺は彼に「うん」と、頷き返した。
「ミツキの親父さんへの連絡とか任せちゃって、ごめん」
俺から連絡をしようかと思った。しかし、兎羽野から話をしてもらったほうが不審がられないと考え、彼にお願いしたのだ。
おかげでこうして、ミツキを見舞うことができた。
「気にするな。俺も同席できてよかったよ」
兎羽野はこれから別の用事があると話し、車で途中まで送ってくれると言ってくれた。だが今は一人になりたくて、それを断った。
「光希君のダイブ履歴などを調べたいので、ゴーグルは預かってもいいか?」
「うん。なにかわかったら、連絡して」
病院の前で兎羽野と別れ、近くにあった緑に囲まれた公園へとなんとなく足を向けた。
適当にベンチに腰を下ろし、少し離れたところにある噴水が太陽の光に煌めいている様子を眺める。
憔悴した光希の父親の姿……
そして、生命維持装置に繋がれたミツキの姿が脳裏に浮かんだ。
ほんとうに彼のスピリットは戻るのだろうか……?
もしかしたら……あのまま、意識を失ったまま――
そこまで考えて、俺はそれを打ち消すように深く溜息をつく。
弱気になるな。ミツキが目を覚ますと、信じるんだ。
俺は自分に言い聞かせるように胸のなかで呟いた。
