灯火みたいな恋だった

スタジオから帰ったその日から、私の世界は少しだけ変わってしまった。

優さんは変わらない。相変わらず忙しそうにシャッターを切り、私を食事に誘い、車で家まで送ってくれる。助手席から見る彼の横顔は、あの日海辺の家で見た時と同じように、穏やかで洗練されていた。

「……朱莉? さっきから元気ないね。パスタ、口に合わなかった?」

お洒落なイタリアンレストランのテラス席。街灯に照らされた彼は、本気で心配そうに私を覗き込む。
その優しさに触れるたび、私の胸の奥は、鋭い針で刺されたような痛みに襲われた。

「……ううん、大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」

私は嘘をつく。
あの日から、二私たちの間には奇妙な「隙間」が増えていった。とりとめもない話をしていても、最後にはどこか冷めた静寂が訪れる。かつては心地よかった沈黙が、今は苦しい。

ある夜、彼が私の首元に手を伸ばし、乱れたマフラーを直そうとしたことがあった。
その瞬間、私は無意識に身を引いてしまった。

「……あ」

彼の指が、空を切る。
街灯の下、優さんは少しだけ驚いたように目を見開き、それから悲しそうに細めた。

「……ごめん。きつく締めすぎたかな」
「……違うの。ちょっと、びっくりしただけ」

私は慌てて取り繕ったけれど、彼の手のひらが触れた場所だけが、雪を押し当てられたように冷たかった。
彼はそれ以上何も言わず、ただ静かにマフラーから手を離した。

彼は私を愛している。
彼がかつて誰を愛していたとしても、いまそばにいるのは私。過去は関係ない。写真だって、職業柄、撮ったものを捨てられないだけかも。でも──。

「ねえ、優さん。私……見ちゃったの」

耐えかねて、私は自分から切り出した。彼は手を止めて、私をまっすぐに見た。

「……女の人がたくさん映ってるアルバム」
「……ああ」

カチャン、と、彼がフォークを置く。

「……昔縁があった子たちだよ。仕事柄、美しい写真は残しておきたくて……でもごめん、配慮が足りなかったね」
「……うん」
「そんなに嫉妬しないで」
「……私のこと好き?」
「……もちろんだよ」

私は、あの中の写真の一枚、特に綺麗な女性の姿を思い出す。あの人がつけていた、あの赤いマフラーもあなたがあげたものなの?

──そう聞きたかったけれど、できなかった。まったくの偶然かもしれない。そうだとしたら理不尽に彼を責めてしまうことになるし、なにより、昔のことに嫉妬している幼い自分を、彼に知られるのが怖かった。

「……そうだ、来週は朱莉の誕生日だね。どこか、行きたい場所はある?」

彼はいつものように優しく微笑む。その笑顔を信じたかった。

「……どこでもいい。ただ一緒にいたい」

私は精一杯笑顔を作りながら、祈るようにシャツの裾を握りしめた。

二十五歳。
大人への階段をまた一段登るこの特別な日を彼と一緒に過ごして、あの古い家で過ごしたように二人愛を確かめられれば、この冷たい違和感も、あのアルバムの残像も、全部忘れられる。そう思った。