灯火みたいな恋だった

その日、私は仕事の打ち合わせで代官山を訪れていた。

三年という月日は、私をすっかり「仕事のできる編集者」に変えていた。手元には、かつて彼に褒められたあの企画をさらに発展させた、最新の雑誌のゲラがある。

「お疲れ様でした。では、また来週」

クライアントと別れ、駅へと続く坂道を下る。

あの別れ以降、一度だけ、やり直したいと彼から連絡があった。返信はしなかった。あの決別のあとで、それまでと同じように彼からの愛を信じることはできないと思った。あの以来、あのマフラーは部屋の隅に置いたままだ。

街角の郵便局を通り過ぎようとして、私は不意に足が止まった。視線の先、横断歩道の向こう側に、あのボルボが停まっている。

「……あ」

あまりにも鮮烈な記憶が蘇る。
車から降りてきたのは、彼だった。三年前と変わらず、少しだけ気怠げにコートの襟を立てて、誰かを待つように時計に目を落としている。

私は反射的に一歩踏み出した。

その瞬間、目の前を大きなトラックが重い走行音とともに私の前を横切った。激しい風圧に、私は思わず目を細める。トラックが去りって我に帰った。横断歩道の信号は、赤だった。

車の正面の建物から、女の子が飛び出してきた。二十歳そこそこに見える、若い女の子。彼に手を振りながら、眩しいほどの笑顔を浮かべている。そして彼女の首元には、鮮やかな、真っ赤なマフラーが巻かれていた。

彼女は、迷いのない足取りで彼のもとへ駆け寄り、彼の腕に抱きついた。優さんは、彼女の頭を愛おしそうに撫で、眼鏡の奥の瞳を、さらに優しく細めた。

彼女が助手席に乗り込むと、ボルボはすぐに走り出した。

「……あー、もう」

乾いた笑いが、喉の奥から小さく漏れた。恨みも未練もなく、ただ、深く納得した。

彼が愛していたのは、きっと、あの赤が似合う私だ。

あの頃、あの秋の日、あの灯火の中、あの赤を纏った私は、世界一、綺麗だったはずだ。でも、きっと今は似合わない。彼は、自分に似合わないと知りながらも、これかもずっと追い求めるのだろう。彼はこれからもあの赤いマフラーを幾人もの女の子に贈り続けるし、そして彼女たちが大人になり、自分と対等な色を持ち始めるたびに、また新しい「赤」を探しに行くのだ。

「あのマフラー、もう捨てちゃおう」

私は大きく一歩を踏み出した。
首元を吹き抜ける風は冷たいけれど、不思議と寒さは感じない。
信号は、青に変わっていた。