緑化委員は、僕が立ち上げた委員会だ。きっかけは、入学してすぐ、たまたま目にした校舎裏の花壇の惨状があまりに目に余ったので、居ても立ってもいられず、その場で勝手に世話を始めたことにある。
その様子が松茂先生の目に留まり、学校に掛け合ってくれて、委員会として存続できるようにしてくれたのだ。
「本当は予算とかつけてもらって、もっと庭仕事用の道具を買えたらいいんだろうけど……まあ、君一人だからなあ」
松茂先生はそういうばかりで、特にこれといった改善はしていないまま2年目の春が過ぎた。
昼休みと放課後、僕は花壇の手入れを一人でしている。植え替えとか水撒きとか、やることはかなり多くて体力を使う。先生もほんの時々手伝ってくれるけれど、基本は一人だ。
「僕は平気ですよ、先生。ひとりの方が作業は捗るんで」
強がりでも意地を張っているわけでもなく、心底そう思っている。放課後のいまも校舎の方から聞こえる馬鹿笑いだとか叫ぶような声だとか聴いていると、花壇のような静かな場所の方が僕には必要に思えるからだ。
「えーっと今日は花壇3の入れ替えの続きかな」
春の花がそろそろ盛りを過ぎるので、夏に向けて植え替えを行っている。最近の夏は強烈に暑いので、暑さに強い品種を先日ホームセンターで見つけて、購入してきたものを植えていく。
花壇は教室2つ分ほどの広さに、横並びに4面それぞれレンガのようなブロックで区切ってある。一つの花壇の広さは畳で言えば二枚半くらいだろうか。
花壇3は主に白い花を植えているので、白い花が咲くという札がついている物を選び、花壇の傍に並べていく。主にジニア(ヒャクニチソウとも言う)やセンニチコウ、サルビアといった初夏から夏にかけてきれいに咲いてくれる花を選んでいる。
「んー……夏の花壇はスペースに余裕を持たせないとなんだよね……もう少し離して配置しようかな」
夏は植物の生育が旺盛なので、あっという間に緑が生い茂ってしまうからだ。ぎゅうぎゅうに詰めて植えていると植物同士が邪魔し合ってしまうし、何より生育によくない。それに見た目も良くない。
種別ごとにまとめつつ、限られた敷地の中でスペースも取りつつ……ということを考えながら、そっと土を掘って穴をあけ、苗を植え変えていく。盛りを過ぎて枯れ始めている春の花を取り除き、新しい苗を植える。その繰り返しの作業が、僕にはとても楽しくて夢中になってしまう。
「たくさん咲いてくれてありがとね。きれいだったよ」
ひとつひとつにそう声をかけていくのは、花への感謝の気持ちから来ている。家で母さん達がやっていたのを見て来たということも大きく、気付けば僕も自然とやるようになっていた。
配置も決まり、大体の仮置きも決まったのであとは土をかぶせてきれいに植えていく仕上げをするばかり。
最後に水を撒いたら教の活動は終了。記録用にスマホで写真を撮ることも忘れないようにしないと。
「おお、やってるねぇ。夏物への衣替えだね」
「はい。今日は花壇3の手入れをしています。白の花で統一しようと思って」
「センニチコウにジニアにニチニチソウ……といったラインナップか。これなら夏もきれいに咲いてくれるだろうな。なにより、緑野くんはグリーンサムの持ち主だから」
グリーンサムとは、直訳すると緑の親指と言い、要は園芸名人のこと。植物を扱うのが上手い人のことを指して言うらしい。
「僕なんてまだまだですよ……」
「植物は好きだけれど、私はどうもブラックハンドのようでねぇ……知識だけは負けないんだがなぁ」
ブラックハンドとはグリーンサムの反対の意味。つまり、すぐ花を枯らせてしまう人のことを言うらしい。松茂先生の自称なので、本当のところはわからないけれど。
そんなことを話している内に生物学教室の内線が鳴り、先生はその応答に奥へ引っ込んでしまう。
改めて見渡す花壇は上々の出来栄えだ。いまはまだ緑ばかりだけれど、じきに白い小さな花が咲き誇ってくれるだろう。それはきっと地面に星がちりばめられたみたいにきれいなはずだ。
そう期待をしながら、僕は僕で花壇の手入れの続きに取り掛かるために再び土と向かい合う。
苗の一つ一つを丁寧に植え終え、あとは水を撒くだけだ。
「よし、じゃあホースを出してこようかな……」
そう言いながらちょっと花壇の傍を離れたその時だった。
「あーッ! 何やってんだよ!!」
校舎の上の階の方で大きな声がして思わず振り返ると、3階の窓から何かが飛び出してくるのが見えた。 え? 人!? と、その黒い影に驚いて声も出なかったし、咄嗟に目もつぶってしまう。
次の瞬間に「ドスン」という音が鈍く聞こえて、恐る恐る目を開けてみると……
「ああッ!? 嘘……そんな……!!」
目に飛び込んできたのは、ついさっきまで僕が丁寧に植え替えをしていた花壇3。そこに並べて植えたばかりの花々が、大きなリュックの下敷きになっていたのだ。細い茎も可憐な花びらも、すべて薄汚いリュックが踏みにじるように潰している。見るも無残な有り様だ。押し潰されている花の声にならない声や悲鳴が聞こえる気がする。
「ああ! なんてことを……! ジニア! センニチコウ!」
ホースを放り出して駆け寄っても、状況が好転するわけがないのは明らかだ。しかもリュックは見た目以上に重たく、僕がようやく持ち上げて避けてはみたものの、花は潰されてぺしゃんこだ。センニチコウのかわいらしい花弁は飛び散り、ニチニチソウの星のような花弁はちぎれてしまっている。こんなのあんまりだ。もし彼らが声を発せられたとしても、僕は言葉を聴きとれるだろうかというほどひどい有り様だ。
「ニチニチソウ……センニチコウ……ああ、かわいそうに……何でこんな事に……」
突然降ってきた災難に、僕はどう対処したらいいかわからなかった。どうにかリュックだけは避けたけれども、花の状態は最悪だ。
あり得ない方向にねじ曲がってしまった茎や、ずたずたになってしまった葉っぱ、花弁を拾い集めていたら涙があふれてくる。いままで花を育てている間にトラブルは多少あったけれど、こんなひどいことは初めてだった。
「あー、悪い! ケガないか?」
花壇に座り込んで半泣きで呟いていると、そんな声が聞こえてくる。振り返ると、一人の男子生徒がたたずんでいた。
すらっと高くて長い手足に、日に透かされると金色のように明るい茶髪。甘く垂れた目元でいかにもやんちゃそうな目鼻立ちをしている。
どこかで見たような顔だな……と、僕がぼんやりと駆け寄ってくる彼を見ていると、彼もまた僕を見て何か気付いたような顔をする。
「あれ? みの?」
「……え?」
みの、と僕を呼ぶのは一人しか知らない。先日僕にぶつかってきた彼だ。彼の名は確か――
「えっと……宮内……くん?」
宮内、と呼び捨てに出来ないのは、単純にそうしたことで変にまた逆上されても困るからだ。
しかしいまはそれどころじゃない。僕は目の前にたたずむ宮内を押し退け、その足元の白い花たちの残骸を手に取る。やっぱりもう、どうしようもなくぐしゃぐしゃであることは揺るがないようだ。
白く可憐だったはずのものを抱き寄せるようにして見つめていると、「みの? それがどうかした?」と、おずおずと宮内が声をかけてくる。
すべてはこいつのせいで――という怒りが一気に吹き上がり、僕はついカッとなって言い返していた。さっきなんて宮内の名前すら呼び捨てに出来なかったのに。
「どうしたもこうしたもないよ! 君が僕の花壇をめちゃくちゃにしたんじゃないか!!」
「へ? 花壇? 花壇って……これ?」
そう言いながら宮内が指したのは、彼のリュックが鎮座していた地面でもあり、僕が日頃丹精込めて手入れしてきた花壇だ。植え替えの途中だったうえに花が潰されたことで花壇とは言い難い状態なので、宮内にはすぐにわからなかったようだ。
でもそんなのは言い訳だろう。ここには確かに僕の花壇があって、いままさに夏に向けての植え替えを終えて仕上げの水撒きをし、うっとりと愛でる最高のひと時を過ごせたはずなのに……台無しにされたのだから。
「そうだよ! ここは僕の花壇だ! 折角、せっかくきれいにしたばかりだったのに……それを、君が……!」
つかんでいた潰された苗ごと宮内に殴りかかろうとした泥だらけの手を、あっさりと宮内に捕らえられてしまう。しかも宮内はきょとんとした顔でこうも尋ねてきた。
「え、ここってみのの花壇なの? だからさっきから花に話しかけてたのか?」
「……ッ!? な、なんでそれを知って……」
僕が絶対に知られたくない秘密。それは花に話しかけていること。しかも花を人に見立てるようにして。小学生の時、花を誕生日に送って笑われたことと同時にこの事も友達に笑われたことがある。だから僕はそれ以来、花以外を信じていない。ぼっちで緑化委員をしていることを苦にしていないのもそういうことだ。
でもまさかそれを、よりにもよって一番苦手な陽キャなタイプの彼に知られるなんて――絶望で深く地中に埋もれてしまいたくなる。
「だってさっきすごい悲鳴あげながらなんか叫んでたからさ、俺、下にいた誰かにリュックが当たったのかと思って飛んできたんだけど……もしかして、花があっただけ?」
「花があっただけ、じゃないよ! 僕が大事に育ててきた花と花壇を、君がめちゃくちゃにしたんだ! 君のせいだ!! 突然空から隕石が降って来たようなもんなんだぞ、彼らにとっては!」
たかが花じゃないかと言われた気がして、つい言い返してしまった。相手はクラスの中でもかなり目立つグループの中心人物なのに。慌てて口を抑えてみるも、言ってしまった言葉は戻らない。
ヤバい、逆ギレされるかも……と、いまになって冷や汗をかいて青ざめていたのだけれど、返ってきた反応は全く違うものだった。
「そっか……それは、マジでごめん。俺が悪かった」
「え、あ、う、うん……」
「ヒトの大切なもん壊すとかやっちゃいけねえよな……。なあ、みの。俺なんかお詫びしたい。何したらいい?」
気にしないでいいよ、とは確かに言い難い状況ではあるから、お言葉に甘えようかなとは思うけれど……どうしたら一番いいのかがわからない。
宮内はまるで叱られた大型犬のようにうな垂れていて、反省しているんだなというのはなんとなくわかる。だから、何かさせてほしいという申し出は無下にしてはいけない気がする。
欲を言えば花壇を元通りにして欲しいことだけど、それはきっと不可能だ。だって彼は花壇の存在すら知らなかったんだから。
(でもな……なにをどう言えば角が立たないんだろう……)
半ば途方に暮れていると、「緑野くん? 何かさっきすごい声聞こえたけど……」と、松茂先生が窓から顔を出してきた。
「うわ、ヒドイなそれ! 何があったんだ!? ジニアもニチニチソウもめちゃくちゃじゃないか!! 誰だこんな無体なことをしたのは!!」
普段温厚な松茂先生が怒りを爆発させん限りに声を荒げたものだから、僕も宮内もびくりと体を強張らせる。松茂先生だって植物ヲタクだから、この惨状が許せるわけがないのだ。
窓から飛び出して来んばかりに怒っている松茂先生の剣幕に、「……すみません、俺です」と、宮内がおずおずと手を挙げる。
「君なのか! どうしてこんなことをしたんだ!」
「ワザとじゃないんです! 友達とふざけていて窓からリュック投げちゃって……そしたらその……花壇の上に落ちちゃったみたいで……」
すみません、ともう一度神妙な顔で宮内が言うと、松茂先生は一旦怒りの矛を収めるように黙り込んだ。
改めて花壇を見ると、本当に悲惨な状態だ。特にジニアを並べていた一角は壊滅的だし、センニチコウも苗が潰れてしまっている。
これを治すのにまた僕は一から一人で土の調整をして、苗を買ってきて、配置して植えて……と言うのをしなくちゃなんだろうか。確かに僕は花の世話が好きだし、苦ではない。でも、無残に荒らされたようになったものを一人でまた作り直すのはさすがに心に来るものがある。しかもまだもう一つ花壇の整備が残っているのだ。
花が盛りになる時期までにちゃんと終わるだろうかという途方のない気持ちになっていると、ふと、松茂先生が顔をあげた。
「君、名前は? 部活は?」
「宮内陸人っす。部活は入ってません」
「そうか……じゃあ、ちょうどいいな」
そう言って先生が僕に振り返り、宮内を見やりながら、「緑野くん、一つ朗報だ」なんて言うのだ。いまこの状況で何の良いことがあるというのだろう。
「彼を緑化委員の臨時委員にしよう。それで、花壇が直るまでの間、手伝ってもらえばいい」
「臨時委員!? 彼をですか!?」
こんな花になんて欠片も興味がなさそうな彼に手伝ってもらおうなんて、なんてことを言うのだろう。しかも彼は僕の秘密を知っているようだし……。
(でも花壇の調整とか整備とか考えたら、人手があった方がいいのは確かなんだよな……)
ちらりと宮内の方を窺うと、彼は彼で「俺は何でもやるぜ!」みたいな、妙なやる気に満ちた目を向けてくる。こうなってしまうと実質1対2で、僕が折れて受け入れる方が無難だろう。
「……じゃあ、お願いします」
お詫びされる方がおずおずとしているような妙な状況で、クラスの陽キャグループの宮内が僕と共に緑化委員をすることとなった。
松茂先生は事が一応解決したと思ったらしく、「じゃあ片付け頑張って」と言って部屋の奥に引っ込んでしまった。
「あ、あのさ……さっきの……誰にも言わないでよ」
先生がいなくなってすぐに僕がそういうと、宮内はきょとんと瞬く。
「さっきの? ……あー、緑野が花と話すってやつか?」
「声が大きい! と、兎に角、誰にも言わないでよ!」
僕が念を押すように声を潜めつつ喚くと、宮内は慌てて口を抑え、指でOKサインを作ってコクコクと肯く。本当に信用していいものかわからないけれど、言質は取ったと言えるんじゃないだろうか。
そうして思いがけない出来事をきっかけとして、ぼっち緑化委員だった僕に、予想外の仲間が加わることになった。
本当に大丈夫かな……という不安がありつつも、僕はあることに気付いた。
(……あれ? 僕のこと、みの、じゃなくて緑野って呼んでいたな……)
いつどこでみのがまちがいだって気付いて、言い直してくれていたんだろう。この前教室で接触した時には僕の名前すら知らなかったみたいなのに。
(案外いいやつだったりするのかな?)
そんなことを考えたりしながら、僕は期間限定二人体制緑化委員を、宮内と共に始めることになった。
その様子が松茂先生の目に留まり、学校に掛け合ってくれて、委員会として存続できるようにしてくれたのだ。
「本当は予算とかつけてもらって、もっと庭仕事用の道具を買えたらいいんだろうけど……まあ、君一人だからなあ」
松茂先生はそういうばかりで、特にこれといった改善はしていないまま2年目の春が過ぎた。
昼休みと放課後、僕は花壇の手入れを一人でしている。植え替えとか水撒きとか、やることはかなり多くて体力を使う。先生もほんの時々手伝ってくれるけれど、基本は一人だ。
「僕は平気ですよ、先生。ひとりの方が作業は捗るんで」
強がりでも意地を張っているわけでもなく、心底そう思っている。放課後のいまも校舎の方から聞こえる馬鹿笑いだとか叫ぶような声だとか聴いていると、花壇のような静かな場所の方が僕には必要に思えるからだ。
「えーっと今日は花壇3の入れ替えの続きかな」
春の花がそろそろ盛りを過ぎるので、夏に向けて植え替えを行っている。最近の夏は強烈に暑いので、暑さに強い品種を先日ホームセンターで見つけて、購入してきたものを植えていく。
花壇は教室2つ分ほどの広さに、横並びに4面それぞれレンガのようなブロックで区切ってある。一つの花壇の広さは畳で言えば二枚半くらいだろうか。
花壇3は主に白い花を植えているので、白い花が咲くという札がついている物を選び、花壇の傍に並べていく。主にジニア(ヒャクニチソウとも言う)やセンニチコウ、サルビアといった初夏から夏にかけてきれいに咲いてくれる花を選んでいる。
「んー……夏の花壇はスペースに余裕を持たせないとなんだよね……もう少し離して配置しようかな」
夏は植物の生育が旺盛なので、あっという間に緑が生い茂ってしまうからだ。ぎゅうぎゅうに詰めて植えていると植物同士が邪魔し合ってしまうし、何より生育によくない。それに見た目も良くない。
種別ごとにまとめつつ、限られた敷地の中でスペースも取りつつ……ということを考えながら、そっと土を掘って穴をあけ、苗を植え変えていく。盛りを過ぎて枯れ始めている春の花を取り除き、新しい苗を植える。その繰り返しの作業が、僕にはとても楽しくて夢中になってしまう。
「たくさん咲いてくれてありがとね。きれいだったよ」
ひとつひとつにそう声をかけていくのは、花への感謝の気持ちから来ている。家で母さん達がやっていたのを見て来たということも大きく、気付けば僕も自然とやるようになっていた。
配置も決まり、大体の仮置きも決まったのであとは土をかぶせてきれいに植えていく仕上げをするばかり。
最後に水を撒いたら教の活動は終了。記録用にスマホで写真を撮ることも忘れないようにしないと。
「おお、やってるねぇ。夏物への衣替えだね」
「はい。今日は花壇3の手入れをしています。白の花で統一しようと思って」
「センニチコウにジニアにニチニチソウ……といったラインナップか。これなら夏もきれいに咲いてくれるだろうな。なにより、緑野くんはグリーンサムの持ち主だから」
グリーンサムとは、直訳すると緑の親指と言い、要は園芸名人のこと。植物を扱うのが上手い人のことを指して言うらしい。
「僕なんてまだまだですよ……」
「植物は好きだけれど、私はどうもブラックハンドのようでねぇ……知識だけは負けないんだがなぁ」
ブラックハンドとはグリーンサムの反対の意味。つまり、すぐ花を枯らせてしまう人のことを言うらしい。松茂先生の自称なので、本当のところはわからないけれど。
そんなことを話している内に生物学教室の内線が鳴り、先生はその応答に奥へ引っ込んでしまう。
改めて見渡す花壇は上々の出来栄えだ。いまはまだ緑ばかりだけれど、じきに白い小さな花が咲き誇ってくれるだろう。それはきっと地面に星がちりばめられたみたいにきれいなはずだ。
そう期待をしながら、僕は僕で花壇の手入れの続きに取り掛かるために再び土と向かい合う。
苗の一つ一つを丁寧に植え終え、あとは水を撒くだけだ。
「よし、じゃあホースを出してこようかな……」
そう言いながらちょっと花壇の傍を離れたその時だった。
「あーッ! 何やってんだよ!!」
校舎の上の階の方で大きな声がして思わず振り返ると、3階の窓から何かが飛び出してくるのが見えた。 え? 人!? と、その黒い影に驚いて声も出なかったし、咄嗟に目もつぶってしまう。
次の瞬間に「ドスン」という音が鈍く聞こえて、恐る恐る目を開けてみると……
「ああッ!? 嘘……そんな……!!」
目に飛び込んできたのは、ついさっきまで僕が丁寧に植え替えをしていた花壇3。そこに並べて植えたばかりの花々が、大きなリュックの下敷きになっていたのだ。細い茎も可憐な花びらも、すべて薄汚いリュックが踏みにじるように潰している。見るも無残な有り様だ。押し潰されている花の声にならない声や悲鳴が聞こえる気がする。
「ああ! なんてことを……! ジニア! センニチコウ!」
ホースを放り出して駆け寄っても、状況が好転するわけがないのは明らかだ。しかもリュックは見た目以上に重たく、僕がようやく持ち上げて避けてはみたものの、花は潰されてぺしゃんこだ。センニチコウのかわいらしい花弁は飛び散り、ニチニチソウの星のような花弁はちぎれてしまっている。こんなのあんまりだ。もし彼らが声を発せられたとしても、僕は言葉を聴きとれるだろうかというほどひどい有り様だ。
「ニチニチソウ……センニチコウ……ああ、かわいそうに……何でこんな事に……」
突然降ってきた災難に、僕はどう対処したらいいかわからなかった。どうにかリュックだけは避けたけれども、花の状態は最悪だ。
あり得ない方向にねじ曲がってしまった茎や、ずたずたになってしまった葉っぱ、花弁を拾い集めていたら涙があふれてくる。いままで花を育てている間にトラブルは多少あったけれど、こんなひどいことは初めてだった。
「あー、悪い! ケガないか?」
花壇に座り込んで半泣きで呟いていると、そんな声が聞こえてくる。振り返ると、一人の男子生徒がたたずんでいた。
すらっと高くて長い手足に、日に透かされると金色のように明るい茶髪。甘く垂れた目元でいかにもやんちゃそうな目鼻立ちをしている。
どこかで見たような顔だな……と、僕がぼんやりと駆け寄ってくる彼を見ていると、彼もまた僕を見て何か気付いたような顔をする。
「あれ? みの?」
「……え?」
みの、と僕を呼ぶのは一人しか知らない。先日僕にぶつかってきた彼だ。彼の名は確か――
「えっと……宮内……くん?」
宮内、と呼び捨てに出来ないのは、単純にそうしたことで変にまた逆上されても困るからだ。
しかしいまはそれどころじゃない。僕は目の前にたたずむ宮内を押し退け、その足元の白い花たちの残骸を手に取る。やっぱりもう、どうしようもなくぐしゃぐしゃであることは揺るがないようだ。
白く可憐だったはずのものを抱き寄せるようにして見つめていると、「みの? それがどうかした?」と、おずおずと宮内が声をかけてくる。
すべてはこいつのせいで――という怒りが一気に吹き上がり、僕はついカッとなって言い返していた。さっきなんて宮内の名前すら呼び捨てに出来なかったのに。
「どうしたもこうしたもないよ! 君が僕の花壇をめちゃくちゃにしたんじゃないか!!」
「へ? 花壇? 花壇って……これ?」
そう言いながら宮内が指したのは、彼のリュックが鎮座していた地面でもあり、僕が日頃丹精込めて手入れしてきた花壇だ。植え替えの途中だったうえに花が潰されたことで花壇とは言い難い状態なので、宮内にはすぐにわからなかったようだ。
でもそんなのは言い訳だろう。ここには確かに僕の花壇があって、いままさに夏に向けての植え替えを終えて仕上げの水撒きをし、うっとりと愛でる最高のひと時を過ごせたはずなのに……台無しにされたのだから。
「そうだよ! ここは僕の花壇だ! 折角、せっかくきれいにしたばかりだったのに……それを、君が……!」
つかんでいた潰された苗ごと宮内に殴りかかろうとした泥だらけの手を、あっさりと宮内に捕らえられてしまう。しかも宮内はきょとんとした顔でこうも尋ねてきた。
「え、ここってみのの花壇なの? だからさっきから花に話しかけてたのか?」
「……ッ!? な、なんでそれを知って……」
僕が絶対に知られたくない秘密。それは花に話しかけていること。しかも花を人に見立てるようにして。小学生の時、花を誕生日に送って笑われたことと同時にこの事も友達に笑われたことがある。だから僕はそれ以来、花以外を信じていない。ぼっちで緑化委員をしていることを苦にしていないのもそういうことだ。
でもまさかそれを、よりにもよって一番苦手な陽キャなタイプの彼に知られるなんて――絶望で深く地中に埋もれてしまいたくなる。
「だってさっきすごい悲鳴あげながらなんか叫んでたからさ、俺、下にいた誰かにリュックが当たったのかと思って飛んできたんだけど……もしかして、花があっただけ?」
「花があっただけ、じゃないよ! 僕が大事に育ててきた花と花壇を、君がめちゃくちゃにしたんだ! 君のせいだ!! 突然空から隕石が降って来たようなもんなんだぞ、彼らにとっては!」
たかが花じゃないかと言われた気がして、つい言い返してしまった。相手はクラスの中でもかなり目立つグループの中心人物なのに。慌てて口を抑えてみるも、言ってしまった言葉は戻らない。
ヤバい、逆ギレされるかも……と、いまになって冷や汗をかいて青ざめていたのだけれど、返ってきた反応は全く違うものだった。
「そっか……それは、マジでごめん。俺が悪かった」
「え、あ、う、うん……」
「ヒトの大切なもん壊すとかやっちゃいけねえよな……。なあ、みの。俺なんかお詫びしたい。何したらいい?」
気にしないでいいよ、とは確かに言い難い状況ではあるから、お言葉に甘えようかなとは思うけれど……どうしたら一番いいのかがわからない。
宮内はまるで叱られた大型犬のようにうな垂れていて、反省しているんだなというのはなんとなくわかる。だから、何かさせてほしいという申し出は無下にしてはいけない気がする。
欲を言えば花壇を元通りにして欲しいことだけど、それはきっと不可能だ。だって彼は花壇の存在すら知らなかったんだから。
(でもな……なにをどう言えば角が立たないんだろう……)
半ば途方に暮れていると、「緑野くん? 何かさっきすごい声聞こえたけど……」と、松茂先生が窓から顔を出してきた。
「うわ、ヒドイなそれ! 何があったんだ!? ジニアもニチニチソウもめちゃくちゃじゃないか!! 誰だこんな無体なことをしたのは!!」
普段温厚な松茂先生が怒りを爆発させん限りに声を荒げたものだから、僕も宮内もびくりと体を強張らせる。松茂先生だって植物ヲタクだから、この惨状が許せるわけがないのだ。
窓から飛び出して来んばかりに怒っている松茂先生の剣幕に、「……すみません、俺です」と、宮内がおずおずと手を挙げる。
「君なのか! どうしてこんなことをしたんだ!」
「ワザとじゃないんです! 友達とふざけていて窓からリュック投げちゃって……そしたらその……花壇の上に落ちちゃったみたいで……」
すみません、ともう一度神妙な顔で宮内が言うと、松茂先生は一旦怒りの矛を収めるように黙り込んだ。
改めて花壇を見ると、本当に悲惨な状態だ。特にジニアを並べていた一角は壊滅的だし、センニチコウも苗が潰れてしまっている。
これを治すのにまた僕は一から一人で土の調整をして、苗を買ってきて、配置して植えて……と言うのをしなくちゃなんだろうか。確かに僕は花の世話が好きだし、苦ではない。でも、無残に荒らされたようになったものを一人でまた作り直すのはさすがに心に来るものがある。しかもまだもう一つ花壇の整備が残っているのだ。
花が盛りになる時期までにちゃんと終わるだろうかという途方のない気持ちになっていると、ふと、松茂先生が顔をあげた。
「君、名前は? 部活は?」
「宮内陸人っす。部活は入ってません」
「そうか……じゃあ、ちょうどいいな」
そう言って先生が僕に振り返り、宮内を見やりながら、「緑野くん、一つ朗報だ」なんて言うのだ。いまこの状況で何の良いことがあるというのだろう。
「彼を緑化委員の臨時委員にしよう。それで、花壇が直るまでの間、手伝ってもらえばいい」
「臨時委員!? 彼をですか!?」
こんな花になんて欠片も興味がなさそうな彼に手伝ってもらおうなんて、なんてことを言うのだろう。しかも彼は僕の秘密を知っているようだし……。
(でも花壇の調整とか整備とか考えたら、人手があった方がいいのは確かなんだよな……)
ちらりと宮内の方を窺うと、彼は彼で「俺は何でもやるぜ!」みたいな、妙なやる気に満ちた目を向けてくる。こうなってしまうと実質1対2で、僕が折れて受け入れる方が無難だろう。
「……じゃあ、お願いします」
お詫びされる方がおずおずとしているような妙な状況で、クラスの陽キャグループの宮内が僕と共に緑化委員をすることとなった。
松茂先生は事が一応解決したと思ったらしく、「じゃあ片付け頑張って」と言って部屋の奥に引っ込んでしまった。
「あ、あのさ……さっきの……誰にも言わないでよ」
先生がいなくなってすぐに僕がそういうと、宮内はきょとんと瞬く。
「さっきの? ……あー、緑野が花と話すってやつか?」
「声が大きい! と、兎に角、誰にも言わないでよ!」
僕が念を押すように声を潜めつつ喚くと、宮内は慌てて口を抑え、指でOKサインを作ってコクコクと肯く。本当に信用していいものかわからないけれど、言質は取ったと言えるんじゃないだろうか。
そうして思いがけない出来事をきっかけとして、ぼっち緑化委員だった僕に、予想外の仲間が加わることになった。
本当に大丈夫かな……という不安がありつつも、僕はあることに気付いた。
(……あれ? 僕のこと、みの、じゃなくて緑野って呼んでいたな……)
いつどこでみのがまちがいだって気付いて、言い直してくれていたんだろう。この前教室で接触した時には僕の名前すら知らなかったみたいなのに。
(案外いいやつだったりするのかな?)
そんなことを考えたりしながら、僕は期間限定二人体制緑化委員を、宮内と共に始めることになった。



