クラスで誕生日会をやってもらったけれど、宮内と言い合いになって最悪な気分になった誕生日から開けた翌日、僕は重い足取りで学校へ向かった。
できることなら、教室にはいかないで花壇にいたかった。だって花と喋るという秘密を宮内にバラされてしまった以上、どういう顔をしてみんなの前に出たらいいかわからないから。
(昨日、みんなドン引きしてたよな……ガチかよって声も聞こえたし……)
心なしか、廊下を歩いているだけで周りに笑われている気がしてくる。笑い声のすべてが僕を嗤ってるようだし、向けられる視線が好奇に見ているようで怖い。
自分の教室に着いて一歩中へ入ると、それまで特にいつもと変わりないようにしていたはずの教室の空気がぴたりと止まった。教室中の視線が一気に注がれ、僕の心臓がぎゅっと縮み上がる。
「グリーンサムだったっけ?」
「そうそう、花と喋るって言うやつ」
どこからともなく囁かれる誤解の言葉を訂正したい。でもそれができるくらいなら、僕が昨日あんな状態になった時に何某かの行動を起こせたはずだ。宮内の言葉の訂正とか、自分の言葉での説明とかしていれば、少なくとも今針の筵に座らされているような心境にはならなかっただろう。
(ああ……花壇に行きたい……)
見ごろを迎える花のことを想像しては恋しくなり、そして自分の置かれている状況の救いのなさを嘆く。最悪な気分は、日付が変わってもそのまま僕の中に居座っている。
小学校の時にも、似たような状態になったことがある。あの例の誕生日に花束を渡そうとした翌日以降の話だ。
僕が叩き落された花に話しかけているのを見たクラスの一部の男子たちが、翌日から僕の机に山のように草花を摘んで置いていくようになったのだ。
『樹は花と喋るんだろ? そいつらなに言ってんのか教えろよ』
周囲は遠巻きにして笑っていて、誰も彼らを止めなかった。くすくす笑ってて、「かわいそー」とは言いつつも楽しんでるように見えた。
僕は花に話しかけはするけれど、花の言葉を理解しているわけじゃない。しかも摘み取られてしまった花はきっともう話しかけたとしてもあまり意味はなく、あとはただ萎れていくしかないものだ。
でもそれを、なんて説明していいのか当時の僕はわからなくて――ただ机の上の花を片付け、学校の花壇に持って行くしかなかった。
幸い高校生になったいまは、机に積んできた花を乱暴に置かれているようなことはないみたいだ。それはそれでホッとしている絵けれど、遠巻きにされているのは昔と変わらない。みんな奇妙なものを見る様な目をしていて、やっぱり嗤っているんだろう。
空気のように誰からも存在を気にされていなかった頃は、すごく過ごしやすかった教室が、いまは息が詰まりそうに居心地悪い。行動の一つ一つを見張られているようで、つい動きがぎこちなくなる。だからうっかり手が滑ってしまい、ペンケースを落として床にぶちまけてしまった。
よりにもよってペンやシャーペンは思ったよりも広範囲に広がり、僕の半径一メートル以上の遠くまで転がっている。たかがペンケースなので誰も大して気に留めていなくて、拾ってももらえない。そうわかっているはずなのに……なんで今日はやたらと惨めに感じてしまうんだろう。
とにかく早く拾って席に戻ろう……そう思いながらあと一本見つからない赤ペンを探していると、誰かの手がそれを拾って差し出してくれた。
「あ、ありが……と……」
差し出されたペンを受け取りながら顔をあげ、その相手が誰なのかに気付いたら、何も言えなくなってしまった。だってそれは、いま一番顔を合わせたくない相手――宮内だからだ。
宮内は困ったような、怒っているような、いつものにこやかさのない顔で僕を見つめている。それはまるで僕を責めているような顔にも見え、僕はサッと目を逸らす。
ペンを受け取りはしたけれど、それ以上のことは言葉を交わしたくなかった。ペンのことだってお礼のことだって、本当のことを言えば宮内だとわかっていたら言わなかったと思う。
「……緑野、あのさ」
宮内が僕を呼んで何か言いたげにしていた気がしたけれど、気付かないふりをした。僕からは話すことなんて何もない。そう示すように。
急いで席に戻り、またじっとうつむいていたのだけれど、なんだか背中に視線を感じる。そっと窺うように振り返ると、宮内がまだ何か言いたげに僕を見ていた。
(なんで見てくるんだよ……秘密をばらして約束を破ったのは宮内くんなのに。これじゃあ僕が悪いみたいじゃないか)
反らされることなく向けられる視線には無言の圧力がにじんでいて、じりじりと責められているようで余計に息が詰まる。言いたいことがあれば言えよ! と、視線を振り切れるならどんなにいいことか。
(それとも僕は、何かひどいことをしてしまったんだろうか。……ううん。そんなことない。僕の方が迷惑かけられたんだ)
宮内からの視線を感じながら揺れる感情をなだめるように、そう旨の中で呟いては見るものの、視線を振り切れないせいか全く落ち着かない。
(ああ……やっぱり花壇に行きたい……保健室登校があるなら、花壇登校だってしていいんじゃないかな……)
そんなことを考えている内に予鈴がなり、授業が始まったことで視線を感じることが薄れていって少しだけホッとする。
でも心の中には、まだ何か溶けきれない感情が残されていて、もたれるように圧し掛かってきていた。
長いながい一日が終わり、ようやく放課後になった。
やっと花壇に行ける……! と、僕がリュックを抱えて席を立った時、背後でもガタンと誰かが席を立つ音がする。
もしかしたら、宮内かもしれない。そんな直感が働くけれど確証はない。だから振り向きたかったけれど、それでまた目が合ったりしても気まずさしかない。そうこうしている内に、背後から迫ってくる気配を感じていた。
「なあ、緑野……」
「陸人ぉ、ゲーセン寄らねぇ?」
僕の名を宮内の声で呼ばれた気がしたけれど、被せるように迫田か山本の声が重なる。そして同時に気配の動きが停まったのだけれど、何故か僕の足まで停まってしまった。
「あー、今日は……」
「いーじゃん、付き合えよ。今日は陸人の誕生日じゃん」
奢ってやるからさ! という言葉をかけられ、背後の宮内がためらいつつこっちを窺っている気がして、僕はそのまま足早に教室を出て行く。背後では宮内の属する陽キャなやつらが、いつもと変わりなく騒いでいる。僕には全く無縁な話をしながら。
(そうだ、僕と宮内くんはもともと住む世界が違うんだ。ただたまたま、あのことがあったから僕に付き合ってくれてただけだ)
その中で見聞きしたことを、仲間内に面白おかしく話しただけ。昨日のことだって――そうわかっているはずなのに、なんでこんなにやり切れない、モヤモヤした想いがくすぶっているんだろう。
「あ、そーだ。緑野くんも誘おうよ。昨日誕生日だったけど来れなかったんだしさ」
誰からともなく上がった声に、いいじゃんと賛同する声が続く。でもそれは僕にとってより一層窮地になる言葉とも言えた。
いまこの心境の中で宮内たちの仲間内に入れられたところで、正直昨日以上に愛想なく振る舞ってしまう可能性しかない。昨日だって決して喜んでいる風には見えなかっただろうに。
(それともあえてぼっちの僕を面白がって、ワザと言ってたりするのかな)
そう考えてしまうともうダメだった。宮内までそんな風に僕を見ていたり笑っていたりするんじゃないかと思い始めて、教室にいることが耐えられなくなっていた。
「緑野! 待てよ、俺も行く」
速足で廊下を歩いていたら不意に声が聞こえた。振り返ると、宮内がほぼ駆け足で着いて来ている。
なんで、ゲーセンに行くんじゃなかったの? そう聞きたいはずなのに、宮内の顔を見たら昨日の言葉がよみがえってイラっと来てしまい、顔を反らしてしまう。
答えない僕に、宮内は何か言いたげな目をしていたけれど、黙ってただ僕のあとをついて来ているだけだった。
だから気が付けば階段を降りて廊下を抜け、いつもの花壇の前に辿り着いていた。
「おお、緑野くん、宮内くん。ちょうどよかった。いま新しく買った肥料を試そうかと思っててね。手伝ってくれるかな」
珍しく花壇には松茂先生の姿があって、僕を見つけるなり手を振ってくる。どうやら先日ホームセンターで買った肥料を試そうということらしい。
だから僕と宮内は急いで荷物を置き、花壇へ向かう。軍手をつけながら向かった先では松茂先生が新しい肥料のボトルの封を開けていた。
「今回の追肥は水に溶かして使うタイプにしてみたんだ。三日ほどで効果が出るらしいからね」
「効果はどれくらいの間持続するんですか?」
「そうだなぁ、もって10日というところかなぁ。夏休みに入る前か休み中に一度やればいいかもね」
そんな話をしながら、松茂先生と並んで花殻摘みをしたり傷んだ葉を取り除いたりする。こうして追肥したことでより花が育ちやすくするためだ。
「じゃあ、宮内くんは肥料を計量してくれるかな。ボトルに書いてある通りにすればいいから」
それから肥料の粉を付属のスプーンで軽量して、1000倍に薄めて使う。例えば10リットルのジョウロの水に対しては10グラム溶かす、という具合に。
(そう言えばこの肥料、この前の買い出しで買ったやつだ)
ホームセンターの品ぞろえに驚き、夏の花の鮮やかさに感動し、そして帰り道には二人でマックでごはんを食べたりゲーセンで遊んだりもした日のことだ。すごく昔のように感じられるけど、たかだか十日余り前の話であることに驚かされる。
(昨日のたった数時間の出来事で、すべてが崩れてしまった気がするのは、どうしてだろう)
ほんの数日前であれば、この肥料の作業だって二人とも黙ったままじゃないだろうに。
「なんか二人とも今日は静かだね?」
不意に松茂先生がそう話題を振るもんだから、僕の胸が大きく音を立てる。あまりに大きな音で、先生や宮内に聞こえてしまったのではないかと思ったほどだ。
だからなのか、つい、上ずった大きな声で答えていた。
「そ、そんなことないです! 気のせいです!」
「ぅお! やべぇ!」
僕が答えた途端に宮内がヘンな声を上げて、焦り始める。どうやら僕の声に驚いたあまり計量スプーンの取りこぼしてジョウロの中に落としてしまったらしいのだ。
「わあ! す、すみません!!」
「ああ、いいよいいよ。あとで拭いておけばいいから」
先生はそう言って苦笑し、白衣の端でささっとスプーンを拭いてしまう。特に汚れるとか気にしていないのだろうか。
(っていうか、先生の白衣を汚させるようなことするなよ……先生は気にしないからいいけどさ……)
宮内は苦笑いしながら先生に謝り、肥料を作り直している。その手付きがさっきのこともあるからか、なんだか信用ができない。
「貸して。僕がやる」
そう、ひったくるように僕がスプーンとボトルを奪うと、宮内は呆気にとられ、少ししょ気た顔をする。それがまた、イラッと僕の神経に障る。
なんだよ、まるで僕が悪いみたいな顔をして。元はと言えばそっちが……なんてイライラがどんどん募っていく。
とりあえず出来上がった肥料で気を取り直して追肥を行う。水で溶かしたものは通常の水やりと同じように撒けばいいから楽――なはずなんだけれど……
「宮内くん! みーやーうーちーくん! そこやり過ぎ!」
「……へ? わ、わああ!」
追肥するにしても、やり過ぎは禁物だ。「肥料やけ」と呼ばれる、一見すると植物が枯れたようなしなびたような状態になってしまう症状を起こしてしまうからだ。肥料の与え過ぎで植物中の水分が土に取られてしまうことで起きると言われている。
「す、すみません! うわぁ……これ水で流すんですか?」
「ああ、だから大丈夫。ほら、落ち着いて。新しいジョウロ取ってきて」
先生に苦笑されて、宮内は慌てて倉庫にジョウロを取りに行く。こんな初歩的なミスを二回もするなんて、やっぱり宮内は花のことなんてちゃんと考えてないんだ。
バタバタとジョウロを取りに行った宮内のあとを追い、僕は横取りするようにジョウロを手に取る。宮内はぽかんと口を開けて僕を見つめ、やがて痛みを堪えるような顔をする。その表情を目にした途端、僕はとうとう言ってはいけないことを口走ってしまっていた。
「こんな初歩的なミスばっかりするならやらなくていい! 僕がやる!」
口走った言葉が、花壇一帯に響いてしんと静まり返る。遠くの運動部の声が聞こえるほどの重たい沈黙に、宮内も僕も、松茂先生も唖然としていた。
「……緑野くん、それは言い過ぎじゃないか? 宮内くんもさ、ワザとじゃないんだし。ね?」
沈黙を破ったのは苦笑いしている松茂先生のとりなす言葉だったけれど、僕も宮内もその場を動けないでいた。ただじっと睨みつけるように見つめ合いながら互いの出方を窺っている。
でもそれは、思いがけない言葉で断ち切られてしまった。
「――――わかった、もう俺、来るのやめるよ」
それだけを言い置いて、宮内は軍手を外し、そのまま放り出していた荷物を持って背を向ける。松茂先生も僕も止める間もないままに、宮内は僕らの前を去っていってしまった。
できることなら、教室にはいかないで花壇にいたかった。だって花と喋るという秘密を宮内にバラされてしまった以上、どういう顔をしてみんなの前に出たらいいかわからないから。
(昨日、みんなドン引きしてたよな……ガチかよって声も聞こえたし……)
心なしか、廊下を歩いているだけで周りに笑われている気がしてくる。笑い声のすべてが僕を嗤ってるようだし、向けられる視線が好奇に見ているようで怖い。
自分の教室に着いて一歩中へ入ると、それまで特にいつもと変わりないようにしていたはずの教室の空気がぴたりと止まった。教室中の視線が一気に注がれ、僕の心臓がぎゅっと縮み上がる。
「グリーンサムだったっけ?」
「そうそう、花と喋るって言うやつ」
どこからともなく囁かれる誤解の言葉を訂正したい。でもそれができるくらいなら、僕が昨日あんな状態になった時に何某かの行動を起こせたはずだ。宮内の言葉の訂正とか、自分の言葉での説明とかしていれば、少なくとも今針の筵に座らされているような心境にはならなかっただろう。
(ああ……花壇に行きたい……)
見ごろを迎える花のことを想像しては恋しくなり、そして自分の置かれている状況の救いのなさを嘆く。最悪な気分は、日付が変わってもそのまま僕の中に居座っている。
小学校の時にも、似たような状態になったことがある。あの例の誕生日に花束を渡そうとした翌日以降の話だ。
僕が叩き落された花に話しかけているのを見たクラスの一部の男子たちが、翌日から僕の机に山のように草花を摘んで置いていくようになったのだ。
『樹は花と喋るんだろ? そいつらなに言ってんのか教えろよ』
周囲は遠巻きにして笑っていて、誰も彼らを止めなかった。くすくす笑ってて、「かわいそー」とは言いつつも楽しんでるように見えた。
僕は花に話しかけはするけれど、花の言葉を理解しているわけじゃない。しかも摘み取られてしまった花はきっともう話しかけたとしてもあまり意味はなく、あとはただ萎れていくしかないものだ。
でもそれを、なんて説明していいのか当時の僕はわからなくて――ただ机の上の花を片付け、学校の花壇に持って行くしかなかった。
幸い高校生になったいまは、机に積んできた花を乱暴に置かれているようなことはないみたいだ。それはそれでホッとしている絵けれど、遠巻きにされているのは昔と変わらない。みんな奇妙なものを見る様な目をしていて、やっぱり嗤っているんだろう。
空気のように誰からも存在を気にされていなかった頃は、すごく過ごしやすかった教室が、いまは息が詰まりそうに居心地悪い。行動の一つ一つを見張られているようで、つい動きがぎこちなくなる。だからうっかり手が滑ってしまい、ペンケースを落として床にぶちまけてしまった。
よりにもよってペンやシャーペンは思ったよりも広範囲に広がり、僕の半径一メートル以上の遠くまで転がっている。たかがペンケースなので誰も大して気に留めていなくて、拾ってももらえない。そうわかっているはずなのに……なんで今日はやたらと惨めに感じてしまうんだろう。
とにかく早く拾って席に戻ろう……そう思いながらあと一本見つからない赤ペンを探していると、誰かの手がそれを拾って差し出してくれた。
「あ、ありが……と……」
差し出されたペンを受け取りながら顔をあげ、その相手が誰なのかに気付いたら、何も言えなくなってしまった。だってそれは、いま一番顔を合わせたくない相手――宮内だからだ。
宮内は困ったような、怒っているような、いつものにこやかさのない顔で僕を見つめている。それはまるで僕を責めているような顔にも見え、僕はサッと目を逸らす。
ペンを受け取りはしたけれど、それ以上のことは言葉を交わしたくなかった。ペンのことだってお礼のことだって、本当のことを言えば宮内だとわかっていたら言わなかったと思う。
「……緑野、あのさ」
宮内が僕を呼んで何か言いたげにしていた気がしたけれど、気付かないふりをした。僕からは話すことなんて何もない。そう示すように。
急いで席に戻り、またじっとうつむいていたのだけれど、なんだか背中に視線を感じる。そっと窺うように振り返ると、宮内がまだ何か言いたげに僕を見ていた。
(なんで見てくるんだよ……秘密をばらして約束を破ったのは宮内くんなのに。これじゃあ僕が悪いみたいじゃないか)
反らされることなく向けられる視線には無言の圧力がにじんでいて、じりじりと責められているようで余計に息が詰まる。言いたいことがあれば言えよ! と、視線を振り切れるならどんなにいいことか。
(それとも僕は、何かひどいことをしてしまったんだろうか。……ううん。そんなことない。僕の方が迷惑かけられたんだ)
宮内からの視線を感じながら揺れる感情をなだめるように、そう旨の中で呟いては見るものの、視線を振り切れないせいか全く落ち着かない。
(ああ……やっぱり花壇に行きたい……保健室登校があるなら、花壇登校だってしていいんじゃないかな……)
そんなことを考えている内に予鈴がなり、授業が始まったことで視線を感じることが薄れていって少しだけホッとする。
でも心の中には、まだ何か溶けきれない感情が残されていて、もたれるように圧し掛かってきていた。
長いながい一日が終わり、ようやく放課後になった。
やっと花壇に行ける……! と、僕がリュックを抱えて席を立った時、背後でもガタンと誰かが席を立つ音がする。
もしかしたら、宮内かもしれない。そんな直感が働くけれど確証はない。だから振り向きたかったけれど、それでまた目が合ったりしても気まずさしかない。そうこうしている内に、背後から迫ってくる気配を感じていた。
「なあ、緑野……」
「陸人ぉ、ゲーセン寄らねぇ?」
僕の名を宮内の声で呼ばれた気がしたけれど、被せるように迫田か山本の声が重なる。そして同時に気配の動きが停まったのだけれど、何故か僕の足まで停まってしまった。
「あー、今日は……」
「いーじゃん、付き合えよ。今日は陸人の誕生日じゃん」
奢ってやるからさ! という言葉をかけられ、背後の宮内がためらいつつこっちを窺っている気がして、僕はそのまま足早に教室を出て行く。背後では宮内の属する陽キャなやつらが、いつもと変わりなく騒いでいる。僕には全く無縁な話をしながら。
(そうだ、僕と宮内くんはもともと住む世界が違うんだ。ただたまたま、あのことがあったから僕に付き合ってくれてただけだ)
その中で見聞きしたことを、仲間内に面白おかしく話しただけ。昨日のことだって――そうわかっているはずなのに、なんでこんなにやり切れない、モヤモヤした想いがくすぶっているんだろう。
「あ、そーだ。緑野くんも誘おうよ。昨日誕生日だったけど来れなかったんだしさ」
誰からともなく上がった声に、いいじゃんと賛同する声が続く。でもそれは僕にとってより一層窮地になる言葉とも言えた。
いまこの心境の中で宮内たちの仲間内に入れられたところで、正直昨日以上に愛想なく振る舞ってしまう可能性しかない。昨日だって決して喜んでいる風には見えなかっただろうに。
(それともあえてぼっちの僕を面白がって、ワザと言ってたりするのかな)
そう考えてしまうともうダメだった。宮内までそんな風に僕を見ていたり笑っていたりするんじゃないかと思い始めて、教室にいることが耐えられなくなっていた。
「緑野! 待てよ、俺も行く」
速足で廊下を歩いていたら不意に声が聞こえた。振り返ると、宮内がほぼ駆け足で着いて来ている。
なんで、ゲーセンに行くんじゃなかったの? そう聞きたいはずなのに、宮内の顔を見たら昨日の言葉がよみがえってイラっと来てしまい、顔を反らしてしまう。
答えない僕に、宮内は何か言いたげな目をしていたけれど、黙ってただ僕のあとをついて来ているだけだった。
だから気が付けば階段を降りて廊下を抜け、いつもの花壇の前に辿り着いていた。
「おお、緑野くん、宮内くん。ちょうどよかった。いま新しく買った肥料を試そうかと思っててね。手伝ってくれるかな」
珍しく花壇には松茂先生の姿があって、僕を見つけるなり手を振ってくる。どうやら先日ホームセンターで買った肥料を試そうということらしい。
だから僕と宮内は急いで荷物を置き、花壇へ向かう。軍手をつけながら向かった先では松茂先生が新しい肥料のボトルの封を開けていた。
「今回の追肥は水に溶かして使うタイプにしてみたんだ。三日ほどで効果が出るらしいからね」
「効果はどれくらいの間持続するんですか?」
「そうだなぁ、もって10日というところかなぁ。夏休みに入る前か休み中に一度やればいいかもね」
そんな話をしながら、松茂先生と並んで花殻摘みをしたり傷んだ葉を取り除いたりする。こうして追肥したことでより花が育ちやすくするためだ。
「じゃあ、宮内くんは肥料を計量してくれるかな。ボトルに書いてある通りにすればいいから」
それから肥料の粉を付属のスプーンで軽量して、1000倍に薄めて使う。例えば10リットルのジョウロの水に対しては10グラム溶かす、という具合に。
(そう言えばこの肥料、この前の買い出しで買ったやつだ)
ホームセンターの品ぞろえに驚き、夏の花の鮮やかさに感動し、そして帰り道には二人でマックでごはんを食べたりゲーセンで遊んだりもした日のことだ。すごく昔のように感じられるけど、たかだか十日余り前の話であることに驚かされる。
(昨日のたった数時間の出来事で、すべてが崩れてしまった気がするのは、どうしてだろう)
ほんの数日前であれば、この肥料の作業だって二人とも黙ったままじゃないだろうに。
「なんか二人とも今日は静かだね?」
不意に松茂先生がそう話題を振るもんだから、僕の胸が大きく音を立てる。あまりに大きな音で、先生や宮内に聞こえてしまったのではないかと思ったほどだ。
だからなのか、つい、上ずった大きな声で答えていた。
「そ、そんなことないです! 気のせいです!」
「ぅお! やべぇ!」
僕が答えた途端に宮内がヘンな声を上げて、焦り始める。どうやら僕の声に驚いたあまり計量スプーンの取りこぼしてジョウロの中に落としてしまったらしいのだ。
「わあ! す、すみません!!」
「ああ、いいよいいよ。あとで拭いておけばいいから」
先生はそう言って苦笑し、白衣の端でささっとスプーンを拭いてしまう。特に汚れるとか気にしていないのだろうか。
(っていうか、先生の白衣を汚させるようなことするなよ……先生は気にしないからいいけどさ……)
宮内は苦笑いしながら先生に謝り、肥料を作り直している。その手付きがさっきのこともあるからか、なんだか信用ができない。
「貸して。僕がやる」
そう、ひったくるように僕がスプーンとボトルを奪うと、宮内は呆気にとられ、少ししょ気た顔をする。それがまた、イラッと僕の神経に障る。
なんだよ、まるで僕が悪いみたいな顔をして。元はと言えばそっちが……なんてイライラがどんどん募っていく。
とりあえず出来上がった肥料で気を取り直して追肥を行う。水で溶かしたものは通常の水やりと同じように撒けばいいから楽――なはずなんだけれど……
「宮内くん! みーやーうーちーくん! そこやり過ぎ!」
「……へ? わ、わああ!」
追肥するにしても、やり過ぎは禁物だ。「肥料やけ」と呼ばれる、一見すると植物が枯れたようなしなびたような状態になってしまう症状を起こしてしまうからだ。肥料の与え過ぎで植物中の水分が土に取られてしまうことで起きると言われている。
「す、すみません! うわぁ……これ水で流すんですか?」
「ああ、だから大丈夫。ほら、落ち着いて。新しいジョウロ取ってきて」
先生に苦笑されて、宮内は慌てて倉庫にジョウロを取りに行く。こんな初歩的なミスを二回もするなんて、やっぱり宮内は花のことなんてちゃんと考えてないんだ。
バタバタとジョウロを取りに行った宮内のあとを追い、僕は横取りするようにジョウロを手に取る。宮内はぽかんと口を開けて僕を見つめ、やがて痛みを堪えるような顔をする。その表情を目にした途端、僕はとうとう言ってはいけないことを口走ってしまっていた。
「こんな初歩的なミスばっかりするならやらなくていい! 僕がやる!」
口走った言葉が、花壇一帯に響いてしんと静まり返る。遠くの運動部の声が聞こえるほどの重たい沈黙に、宮内も僕も、松茂先生も唖然としていた。
「……緑野くん、それは言い過ぎじゃないか? 宮内くんもさ、ワザとじゃないんだし。ね?」
沈黙を破ったのは苦笑いしている松茂先生のとりなす言葉だったけれど、僕も宮内もその場を動けないでいた。ただじっと睨みつけるように見つめ合いながら互いの出方を窺っている。
でもそれは、思いがけない言葉で断ち切られてしまった。
「――――わかった、もう俺、来るのやめるよ」
それだけを言い置いて、宮内は軍手を外し、そのまま放り出していた荷物を持って背を向ける。松茂先生も僕も止める間もないままに、宮内は僕らの前を去っていってしまった。



