君に捧げる愛

「嶺緒さん。外出の許可が下りました。」

 まじで?!と嶺緒さんの声が病室に響く。こんなに元気そうな嶺緒さんはいつぶりだろう。許可が降りた条件は、激しい運動をしないこと、3時間以内の外出にすること、半径15kmより遠くにいかないこと。

「どこにいきたいですか」

 外に行く計画を立てる。嶺緒さんにとってどれほど特別なことなのかは手に取るようにわかる。自分から外に行きたいなんて初めてだから。

「公園で弁当食うとか。水族館も行ってみたい。」

 嶺緒さんが楽しそうに話す声で病室が満たされていく。

「でも、翠がいるならそれでいい。」

 嶺緒さんの耳がほんのり赤い気がしたのは気のせいだろうか。いつの日か、嶺緒さんは私とよく話すようになって、よく笑うようになった。そんな嶺緒さんをみているうちに、そんな嶺緒さんを知るうちに。

 多分私は、嶺緒さんに惹かれていた。

 嶺緒さんはきっと、好きとかそういうのじゃないとわかっている。だからこそ、私の心をえぐる。これ以上惹かれないように、いつでも手放すことができるように、と。

「水族館、私も行ったことないです。」

 19歳で水族館に行ったことのない人間はどれほどいるのだろう。水族館に行く機会など、生まれてから存在したことがない。彼氏はもちろん、好きな人でさえまともにできなかった私がデートの定番水族館なんて行くはずもない。

「水族館にしよう。」

 そういう嶺緒さんはどこか楽しそうにしていた。そういう嶺緒さんを見るたびに胸がきゅっと締め付けられるのはきっと私の気のせいだ。

 半径15kmの中にある、一つの水族館のチケットを3枚用意した。

 嶺緒さんと、私、そして付き添いの医師のもの。

 予定の日は3日後。その3日という数字が、今までとは比べ物にならないほどやけに長く感じた。服はなににしようとか、なにを食べようとか。柄にもなく考えて。自分でも驚くほど浮かれていた。ただの外出に。

 嶺緒さんが逆ナンされたらどうしようなんて意味のわからない心配を心に留めながら、ゆっくりと時間が流れた。

 当日。嶺緒さんは珍しい服装をしていた。というのも、いつもどこかしらチューブで繋がれていて、どこか痛々しかったのが、今日はない。「嶺緒さん」という人間だった。服装は、灰色のtシャツにジーパン、黒の上着を羽織っていた。180㎝の身長が映える。

 太陽の光に黒髪が照らされ、白い肌が透き通るように綺麗だった。きっと、今の嶺緒さんはどこにいても異様な雰囲気を漂わせるだろう。だってきっとこんな美しい人間はそういないだろうから。

 もちろん、医師がついてくる。嶺緒さんも外出なんてそうないのだから、なにが起きるかなんて予想がつかない。

 でももし、今日彼が発作を起こしたら。

 考えたくなくても、考えなければならない。

「行こ。」

 嶺緒さんは私の目の前でそういう。160㎝の私からみた嶺緒さんは壁みたいだった。

 電車で、と言いたいところだが、そうも行かず、車に乗せられていく。きっとその分、水族館では動けるようになるのだろう。そういうことにしておく。

 30分ほど車に揺られ、嶺緒さんと車を出る。念願の水族館がもう目の前に見えている。ああ、今日は特別な日になるんだろうな。手に取るようにわかった。

 隣にいるのに触れることもない距離が煩わしい。ただ、いつもよりずっと近い距離に思えた。

「4年分思い出作る」

 綺麗な肌にシワを作って笑みを浮かべる。私はきっと、こうやってどんどん未練がましくなってしまうんだ。嶺緒さんの笑顔を見れるだけで、もうそれだけでいいんだって。思ってしまうんだ。わかってる。2人でいられる未来がないことくらいは。でも、そんな未来を浮かべるたび苦しいほど胸が痛くなる。

「そうですね。たくさん作りましょう。」

「暁月さん、ちょっと。」

 医師に呼ばれ、嶺緒さんに会釈しその場を離れる。

「嶺緒さんはいつ発作を起こしてもおかしくありません。少しでも異変を感じたらすぐに連絡お願いします。私は休憩でもして出口の近くで待っているので。」

 淡々とした医師の説明はどこか壁を感じた。

「わかりました。注意深くみておきます。」

 礼をして、嶺緒さんのところへ戻る。遠巻きから見ると、すれ違う人達の視線が少し長く注がれていることがいやでも伝わった。そりゃあそうだろう。水族館特有の青いライトに白い肌が照らされて随分と様になっている。

「行きましょうか。」

 嶺緒さんに声をかけまずは、なんとも言えない魚を見る。

「なにこの魚。」

 嶺緒さんが見ている魚はきっとあの銀色の鱗をした小さめの魚だろう。でも、私は目の前の綺麗にライトアップされた魚よりも、楽しそうに口角を少し上げた嶺緒さんの横顔から目が離せなかった。

「翠?」

 その言葉と共に目が合った。もうとっくに気づいていた。引き返せないくらい嶺緒さんに惹かれてること。もうとっくに離したくないと、一緒にいたいと、思ってしまっていること。

「はい!」

 声が上擦った。嶺緒さんの透き通るようなその綺麗な目が、私を離してくれないから。

「なに張り切ってんの」

 くすくすと声を出して笑う嶺緒さんを一生頭に焼き付けておきたかった。

「みて!あっちくらげだって」

 楽しそうにそういう声は、いつもの何倍も生き生きとしていた。そういう新しい嶺緒さんを見るたびに好きがまた積もっていく。ただの世話係だったら、どれほど楽だっただろう。

「クラゲですか。私も好きです。」

 言われるがままにクラゲの展示へと連れて行かれる。そこは他の場所より暗くて、水槽だけが白く照らされ、光るクラゲがすごく綺麗だった。

「翠楽しそう。」

 そう私を見ながら口角を上げる嶺緒さんが目に映るだけで、今の距離でいいとそう思わせる。嶺緒さんも私と同じ気持ちなんじゃないかって錯覚する。

「クラゲは猛毒なんですよ。綺麗なものにはいつだって棘があるものですね。」

「綺麗なものは遠くで見るから綺麗に見えるんだよ。」

 嶺緒さんの言葉一つ一つに胸を踊らされる私をいっそバカだと言ってほしい。

「嶺緒さん?」

 終わりが近づく音が、館内に響いた。