オカ研部長は最強霊媒師なのに幽霊が視えない

 ここ、どこだ。
 俺は見覚えのない空間を見渡した。
 ぼんやりとしていた風景が徐々にはっきりとしてくる。子どもの背丈程ありそうな雑草が生えた地面。それ以外には何もない空間。
 どこかにある、放置された空き地だ。
 俺はそこの地面に座り込んでいる。
 履いていたはずの靴と靴下は離れたところに脱ぎ散らかされていて、足元は裸足だ。その状態で走り回ったのか、土に汚れている。

「っ……!?」

 立ち上がろうとしたはずなのに、俺は地面に倒されていた。頭と背中に痛みが走り、気付けば俺の上には見知らぬ男が覆いかぶさっている。

「逃げるんじゃねえよ。足出してんのは俺にやられたいからだろ。抵抗すんな、生意気なんだよ」

 わけのわからないことをブツブツと早口で言っている。
 男に触れられたところはムカデが這っているようで、吐き気を伴う嫌悪感に苛まれた。

「離せ、この……、ぐっ!」

 男の体を押し返そうとすると、顔面と腹を殴られた。鼻から温かいものが流れ出るのがわかる。

「気持ちよくしてやるんだからいいだろが。親にチクったら非処女の淫乱女って学校にバラして殺すからな」

 怖い。
 俺の力では男はびくともしなかった。
 少しでも動けば殴られ、痛みと恐怖だけが増していく。
 怖い。怖い。
 痛い、痛い痛い。痛い。
 爪が剥がれるのもお構い無しに地面を引っ掻いた。
 体が裂ける痛み。嫌悪と憎しみ。
 俺に残されたのはそれだけだった。










「う……」

 痛い。頭が痛い。
 頭の中でマイクの音割れが発生しているような衝撃がある。
 呻きながらどうにか目を開けると、そこは暗い場所だった。室内で、壁がすぐ両脇にある。おそらく廊下だ。
 俺は新幹線から落ちたはずなのに──いや、空き地にいたような気もするが──建物の中にいるはずがなかった。
 とにかく電気をつけたくてスイッチを探そうとすると、

(なんだ……?)

 異臭が鼻をついた。公衆トイレと生ごみが混ざったような。思わず腕で口元を覆う。
 臭いの方向へ目を凝らすと、廊下の奥、突き当たりに黒い塊があった。ゴミ袋でもあるのかと思い少し近づくと、塊が僅かに動いた。

「っ……!」

 息が止まり、全身が総毛立つ。
 廊下の作りからして、ここは民家だ。
 民家。
 不可解な現象が立て続けに起き、今俺の体調は最悪だ。
 これらのことから導かれる結論は。

(ここは……茂久田さんが死んだ拠点。つまり、山本の実家……)

 テリトリーに、俺は引きずり込まれたのだ。
 どうする。先輩はいない。どうやって乗り切ればいい。
 動かなくなった塊の手前にドアがあった。何の部屋に通じているかはわからないが、俺は俺の安全圏を確保しなければならない。

(そう、結界だ……。先輩にもらったお札を使って……。少しでも時間を稼いで対策を……)

 ポケットに手を入れお札を確認する。同時にお守りにも手が触れて、その違和感に俺は固まった。
 ゆっくり取り出してみると、お守りがハサミで切られたかのようにちぎれかけている。あと少しで真っ二つになろうとしていた。
 時間がない。
 お守りがやられたら、いよいよ俺は憑依され自我を失う。道理では説明できない確信があった。その前にやれることをやらなければ。
 俺は悪寒で冷え込んだ指先をほぐし、一度大きく息を吸った。恐怖を意識から消して、息を止めたままドアめがけて走り出す。
 その瞬間、廊下の塊が大きく動いた。小太りの男が顔を上げ、叫びながら腕で這ってくる。

「ギアアア! アアアア、アアアアア!!!」

 男の両手両足は何故かガムテームで縛られていたが、全身をめちゃくちゃに使った人間とは思えない動きでどんどん近づいてくる。
 あれに捕まったら死ぬ。
 強烈なイメージに足がもつれ、滑りそうになりながらどうにかドアノブを掴んだ。その腕を男が掴み、引きずり倒される。
 男が体に乗ってくると嫌悪感が体中を走り、俺は男を一心不乱に蹴りながらポケットに手を突っ込んだ。

「クソッ……! どけ!!」

 塩の入った袋を投げつける。
 目に入ったのか、男は大声でわめきながら廊下をのたうち回った。その隙に俺は体をぶつけながらドアを開け、閉めるのと同時にドアにお札を貼り付けた。

「はぁ……っ、はぁ……っ……!」

 震える手を握りながら、ドアを凝視する。
 今の今まで騒いでいた男の声が、ぱったりとしなくなった。
 代わりに、なんとも形容しがたい気配がドアの前に立った。
 何か障害にできるものはないかと部屋を見渡したが、部屋中ゴミだらけなことがわかり気分が悪くなる。

 ──ガチャ、ガチャガチャガチャッガチャガチャガチャ。

 部屋の様相と漂う悪臭に顔をしかめるとドアノブが突然動き、俺はまたドアを凝視するしかなくなった。
 息もせずに見つめるとドアノブはやがて止まり、中までは入ってこないことに一瞬気を抜いた時、今度は俺のスマホが鳴り響いた。

「っ……!」

 心臓が止まりそうになりながら取り出すと、静先輩の名前が画面に出ている。
 溢れ出る手汗を拭いて、恐る恐る通話ボタンを押した。

「はい、もしもし……」
『あ、マコトくん? やっと繋がった。まだ無事かな』

 その声は明らかに先輩のものだったが、俺はスマホを握り直して尋ねた。

「……あなた、本物ですか」
『お、用心深くていいねえ。僕はマコトくんのうなじに星座みたいな可愛いホクロが3個あることを知ってる、本物の先輩だよ』

 この期に及んでちょっと面白がっている声だった。
 しかしそこに流れる日常感に、俺は恐怖が薄れるのを感じた。強張っていた舌が動くようになる。

「……俺はたぶん山本の家にいます。どういう原理かわかりませんが、新幹線から落下してここに」
『今そっちに向かってる。一応安全圏にはいるみたいだけど、怨霊が調子に乗らないようにした方がいいね』

 ドアの前の圧は消えていない。すぐそこで俺が力尽きるのを待っている。
 頭痛と吐き気は毎分酷くなっていて、丁寧な会話をしている余裕がない。

「それで……俺は、どうしたらいいんですか」

 荒い息と共に声を絞り出し、どうにか先輩に対応策を求めた。