セミの大合唱がが聞こえる。
青空に白く巨大な雲が浮かび、街並みのすべてに太陽光が降り注いでいる。
夏だ。少し前まで雨ばかりだったのが信じられないほど、圧倒的な夏が到来していた。
「暑い~! コンビニで涼んだのにもう汗ヤバい……!」
「今年猛暑だよな。タオル使うか?」
シャツの胸元をバタバタと忙しなく動かす俺と対照的に平然とした菩提寺が、タオルを貸してくれる。ほとんど汗もかいておらず、本当に俺と同じ外にいるとは思えない。真夏だろうとなんだろうと剣道着で鍛錬をしている人間は格が違うようだ。
放課後、学校のすぐ前にあるコンビニで軽食を買った俺と菩提寺は、徒歩圏内にあるという菩提寺の家に向かっていた。今はちょうど定期テスト前で部活が休みになっており、俺は菩提寺に勉強を教えてもらう約束をしていたのだ。
「あとどのくらいで着く? もうちょっとかかるならまたコンビニとかで涼みたい……」
暑さ耐性のない俺が数分歩いただけで音を上げると、菩提寺は少し笑って前を指差した。
「頑張れ。もう目の前だ、ほら」
向かう先からお香の香りがする。
菩提寺の指の先には、瓦屋根の大きな門と高い塀に囲まれた建物が鎮座していた。
そこは以前、憑依の体調不良に苦しんだ時に藁にも縋る思いで訪れたことがある場所だった。
「えっ、菩提寺のうちってお寺!?」
「言ってなかったか? まぁ小さい寺だけどな」
関係者以外入りにくい雰囲気の門を菩提寺はすんなりくぐる。この規模感で小さいという寺のヒエラルキーに慄きながら、俺も背中を追って中に入った。
鐘を掃除している事務員のような人が「坊っちゃん、おかえりなさい」と菩提寺に声をかけ、俺はペコペコと頭を下げて砂利の上を歩いた。
(菩提寺って苗字で実家が寺で霊能力がある兄弟って……。キャラが濃すぎる)
お寺の子ってやっぱ霊に強いのかなとか考えているうちに、本堂の横にある平屋に案内される。靴を揃えて上がると広い茶の間に通された。
「涼しい~! めっちゃいいお家だね。文化財みたい」
「古いだけだ。ほら、麦茶。あとそこの菓子は適当に食べてくれ」
俺は勧められるままに、グラスに入った麦茶と座卓の上にあった菓子鉢から和菓子をありがたく頂戴する。
茶の間は物が少なく重厚な仏壇があるくらいで、凛とした雰囲気が漂っていた。この環境で菩提寺が育つのは納得だが、逆に静先輩はなんでああなったんだと思いながら最中を一口かじった。
「それで、今日は何の教科にする」
「化学をお願いしたいです! もうね、ひとりでやってても訳がわからなくて」
「了解。まずは赤点回避のために、基本の部分をやろう」
留年を避けるという最低ラインの戦いをしている俺と違って、菩提寺は剣道だけでなく勉強もできる。文武両道を絵に描いたような人物だった。
「元素は覚えてるか?」
「えーっとですね……。あの、昨日の夜に暗記しようとはしました」
「じゃあ、俺が食べ終わるまでに思い出しといて」
そう言って菩提寺は買ってきた卵サンドを開封した。
俺は粛々とノートを開き、元素の周期表を眺めながら麦茶を飲む。
(古典元素、遷移元素……。アルカリ金属、ハロゲン、希ガス……。……卵サンドおいしそう。俺もパン買えばよかった……。てか、コンビニに田島さんもいたな……。友達といたけど一緒に勉強してるのかな……)
専門用語が並ぶノートから早々に意識が逸れ、勉強と関係ないことを考え始めてしまった。
田島さんとは静先輩との関係を誤解されて以降、特に喋ることもなかったが、誤解した関係については誰にも言いふらさず胸の内に留めてくれているようだ。
(さっきも菩提寺に釘付けだった)
目の前に菩提寺がいることもあって、つい思考が引っ張られた。
「あのさ、クラスの田島さんってどう思う?」
「田島さん?」
「ほら、いつもポニーテールしてる子。さっきコンビニにもいた」
「ああ……。チア部の人」
菩提寺は一応反応してくれているが、全然乗り気じゃない。クラスの女子の話題でこんなに盛り上がらない男は初めてだ。
(田島さん、かわいいのに)
菩提寺は剣道一筋の朴とつ青年だから、恋愛に疎いんだろう。少しは年頃らしく意識してもらおうと思って、俺はストレートに話すことにした。
「田島さん、絶対菩提寺のこと好きだよ」
「気のせいだろ。大して喋ったこともないし」
なんの動揺もなく、バッサリと言い切られた。パンを食べる手を止めもしない。
菩提寺の背をずーっと見つめる田島さんが思い返されて、俺はお節介に拍車をかけた。
「いや好きだからこそ話しかけにくいんだってば。俺、こう見えて察しはいいんだよ。1回玄関で会ったの覚えてる? その時だって──」
「善本は察しよくないだろ。鈍感だ」
「いやいや、菩提寺に言われたくないって!」
軽口だと思って大げさに言い返したら、菩提寺はなぜか少し拗ねたように黙った。しかしそれも一瞬で、すぐに無表情に戻る。
「善本は恋人いるのか」
「え? それ俺に聞いてどうするの」
「いるのか?」
「いないけど。そもそも体調のせいで友達だって少ないし」
「じゃ好きなやつは?」
「いないよ。菩提寺、急にどうした?」
なんで俺に矛先が向かってきたのかわからない。菩提寺なりの照れ隠しだろうか。
「今の質問、どう思った」
「どうって言われても……。意外と恋バナ好きなのかな~って」
「ほら、全然察しがよくない。鈍感男」
ふん、と鼻で笑って菩提寺は麦茶を飲む。何を察するべきだったのかはわからないが、小馬鹿にされたのだけはわかって身を乗り出した。
「なんだよ、その反応~! てか俺答えたんだから菩提寺も教えてよ」
「恋人はいない。好きな人はいる。以上」
「っ、好きな人いるの!? 誰、誰!」
「今の善本には教えない」
「ええ~!? 思わせぶりだなぁ。ヒントは? 同い年? てかうちの学校の人?」
「善本、恋バナ好きだな……」
確実に化学の復習より面白い話が始まってしまい、俺は菩提寺の好きな人を当てたくて首をひねった。ここ最近1番一緒にいるのは俺だと思うが、それでも菩提寺が意識していそうな相手は思い浮かばない。
近所のパン屋の店員さん、とかそういうパターンもあり得るなとひとりで可能性を見出す。
「菩提寺って全然関わったことのない人、好きになるタイプ?」
「……まぁ。でも最近は、前より仲良くなってると思う」
青空に白く巨大な雲が浮かび、街並みのすべてに太陽光が降り注いでいる。
夏だ。少し前まで雨ばかりだったのが信じられないほど、圧倒的な夏が到来していた。
「暑い~! コンビニで涼んだのにもう汗ヤバい……!」
「今年猛暑だよな。タオル使うか?」
シャツの胸元をバタバタと忙しなく動かす俺と対照的に平然とした菩提寺が、タオルを貸してくれる。ほとんど汗もかいておらず、本当に俺と同じ外にいるとは思えない。真夏だろうとなんだろうと剣道着で鍛錬をしている人間は格が違うようだ。
放課後、学校のすぐ前にあるコンビニで軽食を買った俺と菩提寺は、徒歩圏内にあるという菩提寺の家に向かっていた。今はちょうど定期テスト前で部活が休みになっており、俺は菩提寺に勉強を教えてもらう約束をしていたのだ。
「あとどのくらいで着く? もうちょっとかかるならまたコンビニとかで涼みたい……」
暑さ耐性のない俺が数分歩いただけで音を上げると、菩提寺は少し笑って前を指差した。
「頑張れ。もう目の前だ、ほら」
向かう先からお香の香りがする。
菩提寺の指の先には、瓦屋根の大きな門と高い塀に囲まれた建物が鎮座していた。
そこは以前、憑依の体調不良に苦しんだ時に藁にも縋る思いで訪れたことがある場所だった。
「えっ、菩提寺のうちってお寺!?」
「言ってなかったか? まぁ小さい寺だけどな」
関係者以外入りにくい雰囲気の門を菩提寺はすんなりくぐる。この規模感で小さいという寺のヒエラルキーに慄きながら、俺も背中を追って中に入った。
鐘を掃除している事務員のような人が「坊っちゃん、おかえりなさい」と菩提寺に声をかけ、俺はペコペコと頭を下げて砂利の上を歩いた。
(菩提寺って苗字で実家が寺で霊能力がある兄弟って……。キャラが濃すぎる)
お寺の子ってやっぱ霊に強いのかなとか考えているうちに、本堂の横にある平屋に案内される。靴を揃えて上がると広い茶の間に通された。
「涼しい~! めっちゃいいお家だね。文化財みたい」
「古いだけだ。ほら、麦茶。あとそこの菓子は適当に食べてくれ」
俺は勧められるままに、グラスに入った麦茶と座卓の上にあった菓子鉢から和菓子をありがたく頂戴する。
茶の間は物が少なく重厚な仏壇があるくらいで、凛とした雰囲気が漂っていた。この環境で菩提寺が育つのは納得だが、逆に静先輩はなんでああなったんだと思いながら最中を一口かじった。
「それで、今日は何の教科にする」
「化学をお願いしたいです! もうね、ひとりでやってても訳がわからなくて」
「了解。まずは赤点回避のために、基本の部分をやろう」
留年を避けるという最低ラインの戦いをしている俺と違って、菩提寺は剣道だけでなく勉強もできる。文武両道を絵に描いたような人物だった。
「元素は覚えてるか?」
「えーっとですね……。あの、昨日の夜に暗記しようとはしました」
「じゃあ、俺が食べ終わるまでに思い出しといて」
そう言って菩提寺は買ってきた卵サンドを開封した。
俺は粛々とノートを開き、元素の周期表を眺めながら麦茶を飲む。
(古典元素、遷移元素……。アルカリ金属、ハロゲン、希ガス……。……卵サンドおいしそう。俺もパン買えばよかった……。てか、コンビニに田島さんもいたな……。友達といたけど一緒に勉強してるのかな……)
専門用語が並ぶノートから早々に意識が逸れ、勉強と関係ないことを考え始めてしまった。
田島さんとは静先輩との関係を誤解されて以降、特に喋ることもなかったが、誤解した関係については誰にも言いふらさず胸の内に留めてくれているようだ。
(さっきも菩提寺に釘付けだった)
目の前に菩提寺がいることもあって、つい思考が引っ張られた。
「あのさ、クラスの田島さんってどう思う?」
「田島さん?」
「ほら、いつもポニーテールしてる子。さっきコンビニにもいた」
「ああ……。チア部の人」
菩提寺は一応反応してくれているが、全然乗り気じゃない。クラスの女子の話題でこんなに盛り上がらない男は初めてだ。
(田島さん、かわいいのに)
菩提寺は剣道一筋の朴とつ青年だから、恋愛に疎いんだろう。少しは年頃らしく意識してもらおうと思って、俺はストレートに話すことにした。
「田島さん、絶対菩提寺のこと好きだよ」
「気のせいだろ。大して喋ったこともないし」
なんの動揺もなく、バッサリと言い切られた。パンを食べる手を止めもしない。
菩提寺の背をずーっと見つめる田島さんが思い返されて、俺はお節介に拍車をかけた。
「いや好きだからこそ話しかけにくいんだってば。俺、こう見えて察しはいいんだよ。1回玄関で会ったの覚えてる? その時だって──」
「善本は察しよくないだろ。鈍感だ」
「いやいや、菩提寺に言われたくないって!」
軽口だと思って大げさに言い返したら、菩提寺はなぜか少し拗ねたように黙った。しかしそれも一瞬で、すぐに無表情に戻る。
「善本は恋人いるのか」
「え? それ俺に聞いてどうするの」
「いるのか?」
「いないけど。そもそも体調のせいで友達だって少ないし」
「じゃ好きなやつは?」
「いないよ。菩提寺、急にどうした?」
なんで俺に矛先が向かってきたのかわからない。菩提寺なりの照れ隠しだろうか。
「今の質問、どう思った」
「どうって言われても……。意外と恋バナ好きなのかな~って」
「ほら、全然察しがよくない。鈍感男」
ふん、と鼻で笑って菩提寺は麦茶を飲む。何を察するべきだったのかはわからないが、小馬鹿にされたのだけはわかって身を乗り出した。
「なんだよ、その反応~! てか俺答えたんだから菩提寺も教えてよ」
「恋人はいない。好きな人はいる。以上」
「っ、好きな人いるの!? 誰、誰!」
「今の善本には教えない」
「ええ~!? 思わせぶりだなぁ。ヒントは? 同い年? てかうちの学校の人?」
「善本、恋バナ好きだな……」
確実に化学の復習より面白い話が始まってしまい、俺は菩提寺の好きな人を当てたくて首をひねった。ここ最近1番一緒にいるのは俺だと思うが、それでも菩提寺が意識していそうな相手は思い浮かばない。
近所のパン屋の店員さん、とかそういうパターンもあり得るなとひとりで可能性を見出す。
「菩提寺って全然関わったことのない人、好きになるタイプ?」
「……まぁ。でも最近は、前より仲良くなってると思う」
