「なぁ、阿琳」
「……」
「蘭零琳!」
「なんだ」
「……すまん!ちょっとここ、教えてくれない?」
放課後の教室内で居残りしているのは、たった二人だけだった。
ひとりは学内でも優等生と名高い、蘭零琳。黒絹のような黒髪と琥珀色の瞳を持ち、成績はトップクラスで眉目秀麗・才色兼備だとクラスの中でも密かに人気は高い。しかし本人はまったくその気がないらしく、誰とでも話せる気さくな性格だが他人にあまり興味はないようで、友人の数は数えるほどしか居なかった。見た目は女子生徒と見まごうばかりの美しさがあり、人気の一方で妬む生徒も男女問わず数多くいるのは確かだった。切り揃えられた前髪は不思議と長さが一定で、所謂「ぱっつん」と呼ばれるものだが彼にはとても似合っていた。
もう一人は全学年、全クラスの中でも不良生徒だと自他共に認める不良生徒のテオ・テスカ。自分で「ワル」だと認めているので世話はないが、本人は「なりたくてなった訳ではない」と必ず言う。両親がおらず施設で育ち、灰色がかった白髪と左右の瞳で色が違うオッドアイ。それ故に幼少期はいじめの対象になりかけたが、社交的で明るい性格のためか昔から友人は多かった。とにかく素行が悪く、耳にピアスを付けているのは当たり前、制服を自分でアレンジして着崩し授業は話半分、テストの点も赤点擦れ擦れを平行移動してきたような成績だ。しかし運動神経は誰よりも良く、この学校に入れたのもかつて打ち込んでいた競技のスポーツ特待生としての実績があったからだった。しかしテオが入学後、その競技を行う生徒が彼以外におらず廃部に追い込まれてしまい、今やその影は鳴りを潜めている。
そんな正反対の二人が何故放課後、教室に残っているのか。
テオは補習のため、残って勉強するようにと担任から言われていたが、今日は抜け出さず珍しく言いつけを守り学業に勤しんでいた。その隣の席で涼しい顔をしてノートを纏めていた蘭零琳は、担任から「宿題をやりながらでもいいのでテオを見張るように」と言われたクラスの級長だった。
部活動に所属もせず、帰宅しても大してやることが無い所謂『帰宅部』の蘭零琳は頷き一つで承諾した。担任や教師たちからは「優秀だが何を考えているか分からない、自分の周りから一線を引いた生徒」だと評価されている。当の本人は求めるものもなく、早々に宿題を終わらせられるので好都合だと思っていた。テオが彼のことを阿琳、と呼ぶのは蘭零琳の父方の故郷で「琳ちゃん」という意味を持つ、愛称のようなものだった。何故彼がそのことを知っているかは分からないが、クラスの中でもテオだけが密かに彼をそう呼んでいる。
「……で、何がどう分からないのか俺に教えろ」
横目でテオが対峙している数学プリントを眺め、蘭零琳がぶっきらぼうに声を掛けた。座席は隣合っているのに普段はほとんど喋らない蘭零琳の反応に、テオは驚きつつも言葉を返す。
「それがなぁ~…理屈は分かるんだけどいまいち納得いかねぇんだ…」
テオが示したのは数学のプリントではなく、机の中から引っ張り出した保健体育の教科書だった。シャーペンで突き、ふてくされたように唇を尖らせる。蘭零琳は自分で書いていたノートの別ページを破り取り、その部分を書き込んだ。
「…納得がいかないのはどの場所だ?」
「ここだよ。この……特徴的な二次性徴の所見」
「しかし……ここはテスト範囲ではない筈だ。何故悩む」
蘭零琳は涼しい顔で首を傾げ、問い掛けるがテオは俯きテーブルに向かってぼそぼそと呟いているだけだった。
「だって…おれ、まだ生えてないんだよ…髭とか。別のものは生えてるけど」
「それには個人差がある。気にする必要はない……と俺は思う」
「大アリだよ!来月からの修学旅行、大浴場だろ?その…裸、見られるじゃん。クラスメイトに」
「……そんなに嫌なのか?なら部屋に備え付けてある風呂に入ればいい」
「おんなじ部屋になるヤツに揶揄われるのが嫌なんだ…不良なのになんでコソコソ隠れるんだよ、てな。そ、それでさ……」
テオが身を乗り出し、蘭零琳の耳元でひっそりと囁く。その言葉を聞いた蘭零琳は、一瞬目を見開いてテオの顔を凝視した。
「…俺と相部屋になりたい?」
「そう!阿琳なら揶揄ってこないし、こうして悩みみたいなの打ち明けただろ?だからさ」
突然の申し出に蘭零琳は視線を泳がせ、開いていたノートを閉じる。一拍置いて、小さく溜息をついた後に渋々と言った様子で頷いた。
「……別に構わん。男子は四人部屋と二人部屋に別れるから、俺は貴様と同じ部屋でいい」
「ほんとか!」
「…俺も大浴場には行かないから好都合だ」
「え?そうなんだ…なら、仲良くやろうぜ?」
先程までの暗い表情を一変させ、テオがにこやかに笑う。その笑顔を見た蘭零琳は不意に視線を逸らし、やや恥ずかしそうに頬を朱色に染めてこくんと頷いた。
「別に…利害が一致しただけだ。このことは誰にも言うな」
「え?」
「宿泊班決めで、確実にそうなるようにするから…」
「へへ……これで優等生の蘭零琳も『不良』の仲間入りだな!」
「おっ、おまえと一緒にするんじゃない…!」
珍しく声を荒げた蘭零琳の様子に、テオは珍しいものでも見ているような表情で彼を見つめる。それまで大して接点のなかった蘭零琳とここまで話せる仲になったのが嬉しいのと、共通の秘密を持ったことが特別なように思えた。
「……その前に、赤点回避しないと修学旅行どころではないだろう」
「わかってるよ。難問は数学と社会と物理なんだよなぁ…」
頭を抱えるテオをちらりと横目で伺い、蘭零琳がノートの切れ端の裏に別のことを書き入れ、テオに渡す。そこにはテオが躓いていた数学の問題の解き方が書かれており、何故分かったのかと驚きつつ蘭零琳の顔を見た。
「な、なんで…?」
「…おまえの表情を見ていれば、何処で分からないのかなんて簡単にわかる」
蘭零琳がぶっきらぼうに返せば、テオは嬉しそうに蘭零琳の頭を撫でた。
「ふふ、ありがと。やっぱりおまえは本当にイイ奴なんだな」
その言葉だけ返すと視線を机の上に戻し、再び補習プリントを睨みつけた。一方で蘭零琳は撫でられた頭部を自分の手でなぞり、俯いてノートに対峙する。しかし一向にシャーペンは動かず、時計の針が秒を刻む音が響くだけだった。
「……」
「蘭零琳!」
「なんだ」
「……すまん!ちょっとここ、教えてくれない?」
放課後の教室内で居残りしているのは、たった二人だけだった。
ひとりは学内でも優等生と名高い、蘭零琳。黒絹のような黒髪と琥珀色の瞳を持ち、成績はトップクラスで眉目秀麗・才色兼備だとクラスの中でも密かに人気は高い。しかし本人はまったくその気がないらしく、誰とでも話せる気さくな性格だが他人にあまり興味はないようで、友人の数は数えるほどしか居なかった。見た目は女子生徒と見まごうばかりの美しさがあり、人気の一方で妬む生徒も男女問わず数多くいるのは確かだった。切り揃えられた前髪は不思議と長さが一定で、所謂「ぱっつん」と呼ばれるものだが彼にはとても似合っていた。
もう一人は全学年、全クラスの中でも不良生徒だと自他共に認める不良生徒のテオ・テスカ。自分で「ワル」だと認めているので世話はないが、本人は「なりたくてなった訳ではない」と必ず言う。両親がおらず施設で育ち、灰色がかった白髪と左右の瞳で色が違うオッドアイ。それ故に幼少期はいじめの対象になりかけたが、社交的で明るい性格のためか昔から友人は多かった。とにかく素行が悪く、耳にピアスを付けているのは当たり前、制服を自分でアレンジして着崩し授業は話半分、テストの点も赤点擦れ擦れを平行移動してきたような成績だ。しかし運動神経は誰よりも良く、この学校に入れたのもかつて打ち込んでいた競技のスポーツ特待生としての実績があったからだった。しかしテオが入学後、その競技を行う生徒が彼以外におらず廃部に追い込まれてしまい、今やその影は鳴りを潜めている。
そんな正反対の二人が何故放課後、教室に残っているのか。
テオは補習のため、残って勉強するようにと担任から言われていたが、今日は抜け出さず珍しく言いつけを守り学業に勤しんでいた。その隣の席で涼しい顔をしてノートを纏めていた蘭零琳は、担任から「宿題をやりながらでもいいのでテオを見張るように」と言われたクラスの級長だった。
部活動に所属もせず、帰宅しても大してやることが無い所謂『帰宅部』の蘭零琳は頷き一つで承諾した。担任や教師たちからは「優秀だが何を考えているか分からない、自分の周りから一線を引いた生徒」だと評価されている。当の本人は求めるものもなく、早々に宿題を終わらせられるので好都合だと思っていた。テオが彼のことを阿琳、と呼ぶのは蘭零琳の父方の故郷で「琳ちゃん」という意味を持つ、愛称のようなものだった。何故彼がそのことを知っているかは分からないが、クラスの中でもテオだけが密かに彼をそう呼んでいる。
「……で、何がどう分からないのか俺に教えろ」
横目でテオが対峙している数学プリントを眺め、蘭零琳がぶっきらぼうに声を掛けた。座席は隣合っているのに普段はほとんど喋らない蘭零琳の反応に、テオは驚きつつも言葉を返す。
「それがなぁ~…理屈は分かるんだけどいまいち納得いかねぇんだ…」
テオが示したのは数学のプリントではなく、机の中から引っ張り出した保健体育の教科書だった。シャーペンで突き、ふてくされたように唇を尖らせる。蘭零琳は自分で書いていたノートの別ページを破り取り、その部分を書き込んだ。
「…納得がいかないのはどの場所だ?」
「ここだよ。この……特徴的な二次性徴の所見」
「しかし……ここはテスト範囲ではない筈だ。何故悩む」
蘭零琳は涼しい顔で首を傾げ、問い掛けるがテオは俯きテーブルに向かってぼそぼそと呟いているだけだった。
「だって…おれ、まだ生えてないんだよ…髭とか。別のものは生えてるけど」
「それには個人差がある。気にする必要はない……と俺は思う」
「大アリだよ!来月からの修学旅行、大浴場だろ?その…裸、見られるじゃん。クラスメイトに」
「……そんなに嫌なのか?なら部屋に備え付けてある風呂に入ればいい」
「おんなじ部屋になるヤツに揶揄われるのが嫌なんだ…不良なのになんでコソコソ隠れるんだよ、てな。そ、それでさ……」
テオが身を乗り出し、蘭零琳の耳元でひっそりと囁く。その言葉を聞いた蘭零琳は、一瞬目を見開いてテオの顔を凝視した。
「…俺と相部屋になりたい?」
「そう!阿琳なら揶揄ってこないし、こうして悩みみたいなの打ち明けただろ?だからさ」
突然の申し出に蘭零琳は視線を泳がせ、開いていたノートを閉じる。一拍置いて、小さく溜息をついた後に渋々と言った様子で頷いた。
「……別に構わん。男子は四人部屋と二人部屋に別れるから、俺は貴様と同じ部屋でいい」
「ほんとか!」
「…俺も大浴場には行かないから好都合だ」
「え?そうなんだ…なら、仲良くやろうぜ?」
先程までの暗い表情を一変させ、テオがにこやかに笑う。その笑顔を見た蘭零琳は不意に視線を逸らし、やや恥ずかしそうに頬を朱色に染めてこくんと頷いた。
「別に…利害が一致しただけだ。このことは誰にも言うな」
「え?」
「宿泊班決めで、確実にそうなるようにするから…」
「へへ……これで優等生の蘭零琳も『不良』の仲間入りだな!」
「おっ、おまえと一緒にするんじゃない…!」
珍しく声を荒げた蘭零琳の様子に、テオは珍しいものでも見ているような表情で彼を見つめる。それまで大して接点のなかった蘭零琳とここまで話せる仲になったのが嬉しいのと、共通の秘密を持ったことが特別なように思えた。
「……その前に、赤点回避しないと修学旅行どころではないだろう」
「わかってるよ。難問は数学と社会と物理なんだよなぁ…」
頭を抱えるテオをちらりと横目で伺い、蘭零琳がノートの切れ端の裏に別のことを書き入れ、テオに渡す。そこにはテオが躓いていた数学の問題の解き方が書かれており、何故分かったのかと驚きつつ蘭零琳の顔を見た。
「な、なんで…?」
「…おまえの表情を見ていれば、何処で分からないのかなんて簡単にわかる」
蘭零琳がぶっきらぼうに返せば、テオは嬉しそうに蘭零琳の頭を撫でた。
「ふふ、ありがと。やっぱりおまえは本当にイイ奴なんだな」
その言葉だけ返すと視線を机の上に戻し、再び補習プリントを睨みつけた。一方で蘭零琳は撫でられた頭部を自分の手でなぞり、俯いてノートに対峙する。しかし一向にシャーペンは動かず、時計の針が秒を刻む音が響くだけだった。
