芹は縹家の一人娘である。
縹家は五百年前に大地を襲った強大な鬼を、鬼狩りの剣士と共に封じた巫女姫の末裔だ。のちにふたりの間に生まれた子が縹家を興し、巫として代々帝に仕えている。
時は煌月元年。帝が代替わりしたこの年、縹家は存続の危機にあった。
「──芹、すまない。父さんはこの春から職なしになる」
「……はい?」
突然の父からの報告に、芹は取り込み途中だった洗濯物を地面に落とした。はらりひらりと舞い落ちてゆくそれは、つい今朝繕い終えたばかりの着物だ。
芹の家は歴史ある名家だが貧乏なので、着物がほつれたら自分で繕い、嵐で屋根の瓦が吹き飛んだら自力で修繕をしなければならない。当然、使用人はひとりもいない。
芹は丸い瞳を大きく見開きながら、ひょっこりと現れるなりとんでもないことを告白した父・楊憲の顔をまじまじと眺める。
「ええと、父様。これでも我が家は由緒正しい家柄よね」
「うん、そうだね」
「巫として、五百年もの間帝をお支えしてきたはずだけれど」
「これからもそのつもりだよ」
「でも今、職なしになるって言ったわよね? え、どういうことなの?」
「言葉の通りだよ」
楊憲はにこやかに微笑み、芹の足元に落ちた着物を拾い上げた。
「新帝──先日即位された黄月帝がね、この世に神職は不要だと仰せで」
「何百年という歴史があるのに?」
芹は楊憲から受け取った着物をぎゅうっと握り締める。
縹家は巫として帝に仕えてきた一族だ。一般的に巫とは神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝えることを役割とする人のことを指すが、縹家の場合は少し異なる。
縹家は“星見”という稀有な力を受け継いでおり、その力でこの国と帝を支えてきたのだと芹は伝え聞いている。不透明なのは、芹自身がそれを見たことがないからだ。当主である楊憲は男である為、星見の力は使えない。
行使することができるのは、縹家直系の姫君──芹もこれにあたるが、一族で最後に女児が生まれたのは百年近く前である為、今の世に使い方を知る者はひとりもいない。
そもそも、星見の力とは何なのか、芹はそれすらもよく分かっていない。
「だとしてもだ。人と人が手を取り合いつくってゆく世に、我らの力は要らないのだそうだ」
楊憲は力なく微笑み、それから肺の中の空気を全て吐き切るような溜め息をこぼした。
「ここ数代は男しか生まれなくて、成人して宮中に上がっても、本来の職務を全うできていなかったとはいえ──何百年もお仕えしてきた一族を見捨てるなんて、酷い話だわ」
「いいや、悪いのは私だ。先の主上は頼りにしてくださっていたのに、私はその力を使うことができなかったのだからね」
長い間男子が生まれなかったせいで、その力を国のため帝のために使うことが出来なかったから、縹家は切り捨てられたのだと楊憲は語る。
芹は開きかけた口を閉ざし、顔を下に向けた。
──自分が“星見”の力を使えたのなら。巫女姫となりお仕えできていたのなら、縹家の明日は明るかっただろうか。
「それでね、芹」
楊憲は改まったように咳払いを一つする。
なあに、と目を丸くさせる芹に目線を合わせるように身を屈めると、芹の左を包み込むように握った。
「これからどうやって暮らしていこうかと考えていた矢先に、援助を申し出てくださった方がいてね」
「援助を?」
「そうなんだよ。その方がね、援助と引き換えに芹を嫁にと望まれていて」
芹はぱちぱちと目を瞬いた。
「あら、お受けすればいいじゃない」
「ええ、いいのかい?」
「いいもなにも、路頭に迷いそうな我が家に援助をしてくださるだなんて、有り難いことこの上ないわ。──で、その方はどなたなの?」
小首を傾げる芹に、楊憲は満面の笑みで応えた。
「当代一の鬼狩り──神威天也殿だよ」
──神威天也。その名は当代一の鬼狩りの剣士と謳われている青年の名だ。都一の美男としても知られている彼は、縹家と縁のある一族・神威家の嫡男である。
太古よりこの地に巣食い、夜になると人を襲う悪しき生き物である“鬼”を討伐する職務──“鬼狩り”として、この国の平和を守っている。
絹糸のような亜麻色の髪に翡翠の瞳を持ち、一目見たら誰だって恋に落ちてしまう美貌の持ち主だという噂があるが──。
「……神威天也様が? 私を?」
どうして、と信じられない思いでいる芹に、楊憲は柔らかに微笑みかけた。
「浮いた話一つない御方だ。誠実なお人柄で、主上からの信頼も厚いと聞く」
「そんな御方が、どうして私を?」
「それは天也殿に直接聞いてみるといい」
楊憲は糸目をさらに細めて笑うと、芹の頭をくしゃりと撫でる。
芹はぽかんと口を開けたまま、楊憲の背中を見送った。

