都へ続く道端には小さな花が咲き、風が吹くたび草の青い匂いが立ち上った。遠くから荷車の音が聞こえ、都が近づくにつれて人の気配も増えていく。けれど昨日までとは違い、芹は周囲の景色をただ眺めるだけではいられなかった。
木陰、路地の奥、人混みの向こう。どこから鬼が出てくるか分からない。昼であっても安心できないのだと、もう知ってしまった。
(……普通ではない)
天也もそう言っていた。
鬼は本来、日を嫌う。それなのに昼間の都へ現れる。しかも、まるで何かに追われているように。
杏樹の言葉が蘇る。
――最近の鬼、何かに追われてるみたいなんだよね。
あれはどういう意味だったのだろう。
鬼が逃げるほどの何か。それは、人なのか。それとも――鬼よりも恐ろしい何かなのか。
考えているうちに、都の門が見えてきた。
昨日と同じように賑わっているが、よく見ると人々の表情には少し影が差していた。
「昨日も出たんだろう、鬼が」
「ああ、昼日中にだぞ」
「神威様がいなけりゃ、どうなっていたか」
「近頃おかしいよ。夜だけじゃ済まなくなってる」
すれ違う人々の声が耳に入る。
不安は確実に広がっている。それでも人は暮らしを止められない。店は開き、商人は声を張り、子どもたちは走り回る。いつもと変わらない日常の中に、薄い恐怖が混じっている。
芹は胸元を押さえた。
(……どこへ行けば)
天也にまた会いたいと言ったものの、どこへ行けば会えるのかは分からない。
神威家の屋敷を訪ねる勇気は、まだない。昨日の茶屋に行けば杏樹がいるだろうか、と考えた時だった。
「芹ちゃん」
背後から、どこかで聞いたことのある声が響いた。
芹は思わず肩をびくりとさせて振り返る。
そこには杏樹が立っていた。 昨日と同じように、人のよさそうな笑みを浮かべている。
「おはよう」
「……おはようございます」
「来ると思ってたよ」
当然のように言われて、芹は眉をひそめた。
「どうして……」
「顔に書いてあったから」
「私、そんなに分かりやすいですか」
「うん。かなり」
即答され、芹は少し肩を落とした。
杏樹は楽しそうに笑っている。
「今日はちゃんと朝餉を食べてきたみたいだね」
「え?」
「昨日より顔色がいい」
何気ない一言。けれど芹は、はっと胸をつかれた。
この人は本当に人をよく見ている。軽やかに見えて、細かな変化を決して見逃さない。
「……杏樹さまは、どうしてここに?」
「天也の使いだよ」
「神威様の?」
「昨日言ったでしょ。都に来るなら一人で歩くなって」
杏樹はひらりと手を振った。
「だから迎えに来たんだよ」
「迎え……」
思いがけない言葉に、芹は一瞬言葉を失った。
胸の奥がほんのりと温まる。天也が覚えていてくれた。それが単なる警戒心からでも、鬼狩りとしての責任からでも、嬉しいと感じてしまった。
(……困る)
まただ。心が揺れている。
「神威様は……」
芹が尋ねると、杏樹は手に持っていた扇で通りの先を指した。
「詰所にいるよ。昨日の鬼の件で報告中」
「詰所……」
「鬼狩りの本拠地。興味ある?」
「あります」
即答してしまい、芹は自分でも驚いた。
杏樹も一瞬目を丸くしていたが、にやりと笑っている。
「いい返事だね」
「……見ておきたいのです」
芹は小さく続けた。
「鬼のことも、神威様のお仕事のことも」
「天也のことも?」
からかうように言われ、芹は言葉に詰まった。
「……それは」
「それは?」
「……知りたい、です」
声は小さかった。でも、それは嘘じゃなかった。
杏樹は一瞬だけ顔から表情を消す。
本当に一瞬で、まばたきを一つした時にはもう笑顔に戻っていた。
「そっか」
軽い返事だが、その響きにはどこか安堵のようなものがあった。
「じゃ、行こっか」
杏樹に案内され、芹は都の北側へ向かった。
賑やかな通りを抜けると、人の流れが少し変わる。武具を扱う店や薬種問屋が増え、行き交う者たちの中にも刀を携えた人影が目立つようになった。
やがて、大きな門のある建物が見えてきた。黒い瓦屋根。簡素だが堅牢な造り。門前には鬼狩りらしき男たちが数人立っている。
「ここが詰所」
杏樹が言う。
「怪我人の手当てもするし、討伐の報告もここでまとめる。まあ、天也はだいたいここか現場にいるね」
芹は建物を見上げた。
ここが神威天也の仕事場。そう思うと、少しだけ緊張する。
「怖い?」
杏樹の問いかけに、芹は少し考えてから頷いた。
「……怖いです」
「正直だね」
「でも、見たいです」
「うん」
杏樹は笑った。
「そういうの、大事だよ」
門をくぐると、薬草の匂いと鉄の匂いが混じっていた。庭では木刀を振っている男たちの姿がある。奥の方では怪我人の手当てをする者もいた。包帯、血の滲んだ布、砥がれた刀。
芹は思わず息を呑む。ここは、命のやり取りのすぐそばにある場所なのだ。
木陰、路地の奥、人混みの向こう。どこから鬼が出てくるか分からない。昼であっても安心できないのだと、もう知ってしまった。
(……普通ではない)
天也もそう言っていた。
鬼は本来、日を嫌う。それなのに昼間の都へ現れる。しかも、まるで何かに追われているように。
杏樹の言葉が蘇る。
――最近の鬼、何かに追われてるみたいなんだよね。
あれはどういう意味だったのだろう。
鬼が逃げるほどの何か。それは、人なのか。それとも――鬼よりも恐ろしい何かなのか。
考えているうちに、都の門が見えてきた。
昨日と同じように賑わっているが、よく見ると人々の表情には少し影が差していた。
「昨日も出たんだろう、鬼が」
「ああ、昼日中にだぞ」
「神威様がいなけりゃ、どうなっていたか」
「近頃おかしいよ。夜だけじゃ済まなくなってる」
すれ違う人々の声が耳に入る。
不安は確実に広がっている。それでも人は暮らしを止められない。店は開き、商人は声を張り、子どもたちは走り回る。いつもと変わらない日常の中に、薄い恐怖が混じっている。
芹は胸元を押さえた。
(……どこへ行けば)
天也にまた会いたいと言ったものの、どこへ行けば会えるのかは分からない。
神威家の屋敷を訪ねる勇気は、まだない。昨日の茶屋に行けば杏樹がいるだろうか、と考えた時だった。
「芹ちゃん」
背後から、どこかで聞いたことのある声が響いた。
芹は思わず肩をびくりとさせて振り返る。
そこには杏樹が立っていた。 昨日と同じように、人のよさそうな笑みを浮かべている。
「おはよう」
「……おはようございます」
「来ると思ってたよ」
当然のように言われて、芹は眉をひそめた。
「どうして……」
「顔に書いてあったから」
「私、そんなに分かりやすいですか」
「うん。かなり」
即答され、芹は少し肩を落とした。
杏樹は楽しそうに笑っている。
「今日はちゃんと朝餉を食べてきたみたいだね」
「え?」
「昨日より顔色がいい」
何気ない一言。けれど芹は、はっと胸をつかれた。
この人は本当に人をよく見ている。軽やかに見えて、細かな変化を決して見逃さない。
「……杏樹さまは、どうしてここに?」
「天也の使いだよ」
「神威様の?」
「昨日言ったでしょ。都に来るなら一人で歩くなって」
杏樹はひらりと手を振った。
「だから迎えに来たんだよ」
「迎え……」
思いがけない言葉に、芹は一瞬言葉を失った。
胸の奥がほんのりと温まる。天也が覚えていてくれた。それが単なる警戒心からでも、鬼狩りとしての責任からでも、嬉しいと感じてしまった。
(……困る)
まただ。心が揺れている。
「神威様は……」
芹が尋ねると、杏樹は手に持っていた扇で通りの先を指した。
「詰所にいるよ。昨日の鬼の件で報告中」
「詰所……」
「鬼狩りの本拠地。興味ある?」
「あります」
即答してしまい、芹は自分でも驚いた。
杏樹も一瞬目を丸くしていたが、にやりと笑っている。
「いい返事だね」
「……見ておきたいのです」
芹は小さく続けた。
「鬼のことも、神威様のお仕事のことも」
「天也のことも?」
からかうように言われ、芹は言葉に詰まった。
「……それは」
「それは?」
「……知りたい、です」
声は小さかった。でも、それは嘘じゃなかった。
杏樹は一瞬だけ顔から表情を消す。
本当に一瞬で、まばたきを一つした時にはもう笑顔に戻っていた。
「そっか」
軽い返事だが、その響きにはどこか安堵のようなものがあった。
「じゃ、行こっか」
杏樹に案内され、芹は都の北側へ向かった。
賑やかな通りを抜けると、人の流れが少し変わる。武具を扱う店や薬種問屋が増え、行き交う者たちの中にも刀を携えた人影が目立つようになった。
やがて、大きな門のある建物が見えてきた。黒い瓦屋根。簡素だが堅牢な造り。門前には鬼狩りらしき男たちが数人立っている。
「ここが詰所」
杏樹が言う。
「怪我人の手当てもするし、討伐の報告もここでまとめる。まあ、天也はだいたいここか現場にいるね」
芹は建物を見上げた。
ここが神威天也の仕事場。そう思うと、少しだけ緊張する。
「怖い?」
杏樹の問いかけに、芹は少し考えてから頷いた。
「……怖いです」
「正直だね」
「でも、見たいです」
「うん」
杏樹は笑った。
「そういうの、大事だよ」
門をくぐると、薬草の匂いと鉄の匂いが混じっていた。庭では木刀を振っている男たちの姿がある。奥の方では怪我人の手当てをする者もいた。包帯、血の滲んだ布、砥がれた刀。
芹は思わず息を呑む。ここは、命のやり取りのすぐそばにある場所なのだ。

