腕の中で何かが動く。その振動で鳴海はパチリと目を覚ました。
夢も見ないほど熟睡していたな、と思いながら、鳴海は自身の腕の中にいる晴香の存在を確認すると、その体をギュッと抱きしめた。晴香は小さく唸るぐらいで、まだ目覚めない。
寝る前に晴香が傍に居て、朝起きても晴香が傍に居る。これ以上の幸せがあるだろうか――と鳴海は噛み締めた。
晴香が傍に居てくれるだけで、欠けていた穴が埋まり、心身が満たされる。もし許されるならば、このままこの部屋に晴香をずっと閉じ込めてしまいたいとすら思った。でもそれをするときっと晴香からは笑顔が失われるだろうからそれはしない、と心に誓う。
鳴海は少しだけ身じろぎ、自身のスマホをタップする。画面には十時二十分と表示されていた。
今日は日曜日だからいつまで寝ていてもいいのだが、さすがに寝すぎは良くないか、と鳴海は晴香を起こすことに決める。
「晴香さん……晴香さん、朝です」
「ん……ぅん……?」
「晴香さん、おはようございます」
「……うん……ん……」
うんうん、むにゃむにゃ、と晴香はなかなか起きない。
それを心の底から愛しいと思いながら、鳴海は晴香の耳に唇を寄せる。そしてそのまま、はむはむと晴香の耳を甘噛みした。
「晴香さん……起きないと襲いますよ……」
「ん……なに……? え、何!?」
寝ぼけていた晴香も、今の自分の状態に気付いたのか一気に覚醒する。
「ギャー!? な、な、何してるの鳴海くん!?」
「晴香さんがなかなか起きないので耳を食べてます」
「食べないでよ! やっ……起きる、起きるから!」
腕の中でジタバタとする晴香を、鳴海は名残惜しそうに見つめながら、腕の拘束を解いてやる。
そうして二人は上体を起こし起床した。
「……おはよう」
「おはようございます」
気まずそうにしている晴香に、鳴海は目を細めて笑いながら挨拶を返す。
「よく眠れましたか?」
「うん。そういえば夢も見なかったかも。いっぱい寝れた」
「それは良かったです。俺も晴香さんのお陰でたくさん寝れました」
「僕、何もしてないけど……」
「この世で一番愛おしい抱き枕でしたよ」
「っ!」
鳴海がうんうんと頷きながらそう告げると、晴香はますます顔を赤くさせ、慌てて話題を変えた。
「そ、それより! 鳴海くんのお母さん、いるよね? 挨拶しないと……!」
「いや、いません」
「へ?」
「さっきスマホ見たらメッセージ来てて、早くに出かけたみたいです。会食とかなんとか」
「わぁ……日曜日なのに凄いね。でもそっか、いないのか……」
「何か用がありましたか?」
「用っていうか、おうちにお邪魔してるからちゃんと挨拶しておこうかと思って。まあ、それはまたの機会に」
「……それって、またうちに来てくれるってことですか?」
晴香の自然な発言に、鳴海は驚きと喜びを感じていた。
言われた晴香も、無意識の発言だったことに気付き、照れ笑いを浮かべている。
「えっと……鳴海くんが良ければ」
「いいに決まってるじゃないですか。なんなら毎日来てほしいぐらいです」
「ははは」
「俺は本気ですからね?」
「はは、は」
スルーしようとする晴香に念押しするが、彼は頬を引き攣らせて笑うのみだった。
鳴海としては今すぐにでも同棲したいぐらいなのだが、それを言うのはさすがにまだ早いと、なんとか自制していた。あまり押せ押せすぎると晴香も引いてしまうだろうし、実際晴香に引かれでもしたら受けるダメージが相当なものなのもわかっている。
だがいずれは……と、鳴海は目の前の晴香を可愛いと思いながら、心の中で拳を握るのだった。
「朝ご飯、どうしますか?」
階段を下りながら鳴海が切り出す。
晴香はうーんと来首を傾げながら、リズムよく階段を下りていく。
「そうだね……僕もさすがに帰らなきゃだから、帰る途中で見つけたお店にでも入ろうかな」
「俺も一緒していいですか?」
「もちろん」
振り返り、晴香から笑いかけられる。
その笑顔は柔らかい木漏れ日のような光だった。鳴海はそれを、うっとりとした表情で受け止める。
この光をもっともっと大事にしたい。
何度目かわからないその思いを抱きながら、鳴海は階段を下りたら晴香を思い切り抱きしめようと画策するのだった。
***
「おーっす、おはよ」
「おっはよー!」
「……おはよう」
月曜日。それなりに雨脚の強い日だった。
教室に入って来た黒川も、傘だけでは防げなかったのか肩をやや濡らしている。
「あーもう最悪。昨日買った新しいシューズ履く予定だったのによ」
黒川にしては珍しく、感情を露わにして愚痴っている。
鳴海はそれを横目にスマホを確認した。
最近は学校に着いたら晴香に挨拶がてら連絡を入れる。今日は猫なのか熊なのかわからないスタンプが返ってきた。それを見て、つい口元がにやけてしまう。
「おーい、鳴海くぅん? なんかめっちゃにやけてませーん?」
目ざとい白井の、いつものウザがらみが始まった。
鳴海はスマホをしまい、目をそらす。
「……べつに」
「嘘つけ! どうせ御影先輩だろ! くっそー、一人で幸せになりやがって~!」
やいのやいの言う白井を、いつもならスルーしただろう。
しかし今、鳴海は非常に機嫌が良かった。
ので、うるさくなることは承知であえて話に乗った。
「土曜日、デートに行って……」
「は?」
「そのまま泊まってもらった」
「はあ!?」
「一緒に寝れたし、最高だったな」
「はああああ!?」
遠くから、白井うるさい、という女子からのクレームが入る。
それを気にした様子も無く、白井はこの世の終わりだと言わんばかりの表情を浮かべた。
「嘘だろ鳴海! 冗談だって言えよ! いやおまえマジかよ! エイプリルフールはとっくに終わってんだぞ!?」
「落ち着けよ白井」
苦笑を浮かべる黒川の隣で、白井は少しも落ち着かなかった。
「だっておまえ……この間付き合い始めたばっかじゃん! なんでそんなサクサク進展してんだよ! こちとらまだ絶賛恋人募集中だっての!」
そういうとこだろ白井ー、とやはり女子からヤジが飛んでくる。
白井はガバッと自分の顔に手を当て、泣き真似までしてみせた。
「酷いわ鳴海くん! 一人で大人になろうっていうの!?」
「大人には一人でなるものだろうが」
「黒川は黙っててちょうだい!」
えーんえーんと泣き出した白井を無視し、黒川が鳴海の方を向いた。
「わざわざ言うってことは、よっぽど楽しかったんだな。良かったじゃん」
「まあな。学校じゃ見れない晴香さんをたくさん見れた」
「あー、わかる。オフの時の恋人のゆるっとした姿、いいよな」
「これを俺にしか見せていないと思うと興奮してたまらなかった」
分かり合える者同士、コクコクと頷きながら共感する。
鳴海は土日の晴香のことを思い出し、ますます幸せな気分に浸った。
晴香は、本当に特別な存在だと思う。近くにいても離れていても、その愛おしさは過熱するばかりだ。
そうして退屈な授業をいくつか終え、ようやくやって来た昼休み。
いつものように女子たちから昼を誘われるがスルーし、鳴海は晴香との昼食場所へと急いだ。
「………」
到着したが、晴香の姿はまだない。
晴香がいるだけであんなに眩しく感じたこの場所も、今はただの薄暗い階段の踊り場に過ぎなかった。
もう少しすれば来るだろう、と鳴海は適当に腰かけ、とりあえず飲み物用に買った炭酸飲料を開けて飲む。
今日、晴香さんはどんなお弁当だろうか……どんな顔をして食べ、どんな楽しい話題を振ってくれるのだろうか。
それを考えるだけで鳴海の心は期待で熱くなった。
普段は爬虫類のように温度の変わらない感情も、晴香が関わるだけで大きく動く。その初めての経験に対し、鳴海は戸惑いも含めて嬉しく思っていた。欠けた穴を塞いでもらえるこの幸せに勝るものは無いと、心の底から感じ取れるからだ。
「………」
鳴海がスマホを見る。
昼休みが始まってから、すでに二十分が経過していた。
なので晴香にメッセージを送っておく……が、既読は付かない。
こんなに来るのが遅くなることは今まで一度も無かったし、もし遅れるならば晴香の方から連絡をしそうなものだが……それ以上に忙しいのかもしれない。
仕方なく鳴海は買ってきたコンビニのパンやおにぎりを広げる。
先に食べ終わってしまうのは味気ないが、その分、晴香が食べている姿をじっくり見せてもらおう。
そうして鳴海は昼食を食べ始めた。
いつまで経っても晴香は来ないとも知らず―――。
***
そこはテリトリーとでも言うべきか。
南校舎の一階と二階は一年生のテリトリー。三階と四階は二年生のテリトリー。そして北校舎は三年生のテリトリーだ。
一つ二つ学年が違うだけでも、学生の身分ではその差を大きく感じられる。だから本能的に、他のテリトリーには極力近寄らないようにするものである。
「………」
そんな中、今、鳴海は二年生のテリトリーへと足を運んでいた。
上履きの色が違うからか、それともまとった空気が違うからか。すれ違う先輩たちは皆、鳴海のことを見たり振り返ったりしていた。
普通なら気圧されたり委縮したりするものだが、鳴海はどこ吹く風で颯爽と目的の教室まで向かう。
それは晴香のいる2-Aだった。
現在、時刻は昼休みを終え、五時間目に移り変わる間の五分休みの最中である。
何故そんな時間に晴香が所属するクラスに鳴海が向かっているのか。
答えは簡単だ。昼休み、晴香があの場所に来なかった――それどころかメッセージすら既読にならなかったからだ。
先生やクラスメイトに呼ばれていただけとかなら別にいい。だとしても既読が付かないほど忙しいのは心配だし、それ以上に、体調の悪さなどで倒れていたりしないか、という心配がよぎる。
不安に思えば思うほど、次から次へと嫌な予感が浮かんでは消えを繰り返す。
鳴海はそれを振り払うためにも、こうして直接確かめに来たというわけだ。
「あれ、本郷くんじゃん」
2-Aの教室をそっと覗いてみた矢先、一番近くの席に座っていた女生徒――朱音から声をかけられる。
どうやって晴香のことを聞き出すか迷っていた鳴海は、知り合いがいたことに内心胸を撫で下ろす。
「……どうも」
「もしかして、御影くん?」
「そうです」
理解の早い朱音に助かるな……と思った鳴海だったが、朱音の表情がどことなく曇っており、嫌な予感がした。
一旦席を立った朱音は、鳴海と話しやすいよう廊下にまで出てきてくれた。
廊下の窓には、吹き荒れる雨が当たって音を立てている。
「鳴海くん。今日、御影くんの姿、見た?」
「いえ……。朝、メッセージを送り合った以外は特に。というか昼に送ったメッセージは既読が付かないままです」
「やっぱり? それがさぁ……」
朱音は言葉を選ぶように、慎重に話し始めた。
「今朝、確かに下駄箱で御影くんのこと見たんだよね。なのによ? 朝のホームルームの時には御影くんいなくて。保健室でも行ったのかなと思ったんだけど、先生に聞いたら今日は登校してないんだって」
「それは、どういう……」
「私の見間違いじゃなきゃ、確かに御影くんは学校に来てたはず。なのに今朝以降その姿は見てない。私もメッセージを送ったんだけどずっと既読が付かない」
鳴海は固まった。
そして、迷子になった子供のように不安な気持ちでいっぱいになった。
こんなの、晴香に何かがあったことは明白だ。
鳴海の脳裏には、様々な嫌な予感が浮かんでくる。
「探さないと……っ」
「あ、本郷くん!」
朱音の制止も振り切って、鳴海は駆け出す。
授業の始まるチャイムが鳴り響いたが、お構いなしにまず保健室へと向かった。しかし居たのは保険医だけで、鳴海はすぐに次の場所へと急いだ。
授業が始まっている所為で大っぴらには動けないのがもどかしい。
屋上に続く階段はもちろん、全ての校舎の階段を探した。裏庭や中庭にも行った。
けれどどこにも晴香の姿は無い。
「………」
表情にこそ出ていないが、鳴海の感情はぐちゃぐちゃだった。
埋まっていた心から、晴香の部分がドロリと溶けて落ち、再び欠けた部分が露呈していくような気がする。
恐い。恐くてたまらない。
もし何か事件に巻き込まれでもしていたらと思うと気が気ではない。
焦る鳴海の気持ちを煽るように、雨脚はどんどん強くなっていく。
「晴香さん……」
自宅に行ってみるか。
いや、さすがにそう判断するのは早すぎる気がするし、大事になってしまう。
かといって、後は何処を探せばいい。
もう残るは―――
「……悪用じゃないからいいよな」
鳴海は覚悟を決め、スマホを取り出す。
そして以前晴香と共に入れた、お互いの位置がわかるアプリを起動させるのだった。
夢も見ないほど熟睡していたな、と思いながら、鳴海は自身の腕の中にいる晴香の存在を確認すると、その体をギュッと抱きしめた。晴香は小さく唸るぐらいで、まだ目覚めない。
寝る前に晴香が傍に居て、朝起きても晴香が傍に居る。これ以上の幸せがあるだろうか――と鳴海は噛み締めた。
晴香が傍に居てくれるだけで、欠けていた穴が埋まり、心身が満たされる。もし許されるならば、このままこの部屋に晴香をずっと閉じ込めてしまいたいとすら思った。でもそれをするときっと晴香からは笑顔が失われるだろうからそれはしない、と心に誓う。
鳴海は少しだけ身じろぎ、自身のスマホをタップする。画面には十時二十分と表示されていた。
今日は日曜日だからいつまで寝ていてもいいのだが、さすがに寝すぎは良くないか、と鳴海は晴香を起こすことに決める。
「晴香さん……晴香さん、朝です」
「ん……ぅん……?」
「晴香さん、おはようございます」
「……うん……ん……」
うんうん、むにゃむにゃ、と晴香はなかなか起きない。
それを心の底から愛しいと思いながら、鳴海は晴香の耳に唇を寄せる。そしてそのまま、はむはむと晴香の耳を甘噛みした。
「晴香さん……起きないと襲いますよ……」
「ん……なに……? え、何!?」
寝ぼけていた晴香も、今の自分の状態に気付いたのか一気に覚醒する。
「ギャー!? な、な、何してるの鳴海くん!?」
「晴香さんがなかなか起きないので耳を食べてます」
「食べないでよ! やっ……起きる、起きるから!」
腕の中でジタバタとする晴香を、鳴海は名残惜しそうに見つめながら、腕の拘束を解いてやる。
そうして二人は上体を起こし起床した。
「……おはよう」
「おはようございます」
気まずそうにしている晴香に、鳴海は目を細めて笑いながら挨拶を返す。
「よく眠れましたか?」
「うん。そういえば夢も見なかったかも。いっぱい寝れた」
「それは良かったです。俺も晴香さんのお陰でたくさん寝れました」
「僕、何もしてないけど……」
「この世で一番愛おしい抱き枕でしたよ」
「っ!」
鳴海がうんうんと頷きながらそう告げると、晴香はますます顔を赤くさせ、慌てて話題を変えた。
「そ、それより! 鳴海くんのお母さん、いるよね? 挨拶しないと……!」
「いや、いません」
「へ?」
「さっきスマホ見たらメッセージ来てて、早くに出かけたみたいです。会食とかなんとか」
「わぁ……日曜日なのに凄いね。でもそっか、いないのか……」
「何か用がありましたか?」
「用っていうか、おうちにお邪魔してるからちゃんと挨拶しておこうかと思って。まあ、それはまたの機会に」
「……それって、またうちに来てくれるってことですか?」
晴香の自然な発言に、鳴海は驚きと喜びを感じていた。
言われた晴香も、無意識の発言だったことに気付き、照れ笑いを浮かべている。
「えっと……鳴海くんが良ければ」
「いいに決まってるじゃないですか。なんなら毎日来てほしいぐらいです」
「ははは」
「俺は本気ですからね?」
「はは、は」
スルーしようとする晴香に念押しするが、彼は頬を引き攣らせて笑うのみだった。
鳴海としては今すぐにでも同棲したいぐらいなのだが、それを言うのはさすがにまだ早いと、なんとか自制していた。あまり押せ押せすぎると晴香も引いてしまうだろうし、実際晴香に引かれでもしたら受けるダメージが相当なものなのもわかっている。
だがいずれは……と、鳴海は目の前の晴香を可愛いと思いながら、心の中で拳を握るのだった。
「朝ご飯、どうしますか?」
階段を下りながら鳴海が切り出す。
晴香はうーんと来首を傾げながら、リズムよく階段を下りていく。
「そうだね……僕もさすがに帰らなきゃだから、帰る途中で見つけたお店にでも入ろうかな」
「俺も一緒していいですか?」
「もちろん」
振り返り、晴香から笑いかけられる。
その笑顔は柔らかい木漏れ日のような光だった。鳴海はそれを、うっとりとした表情で受け止める。
この光をもっともっと大事にしたい。
何度目かわからないその思いを抱きながら、鳴海は階段を下りたら晴香を思い切り抱きしめようと画策するのだった。
***
「おーっす、おはよ」
「おっはよー!」
「……おはよう」
月曜日。それなりに雨脚の強い日だった。
教室に入って来た黒川も、傘だけでは防げなかったのか肩をやや濡らしている。
「あーもう最悪。昨日買った新しいシューズ履く予定だったのによ」
黒川にしては珍しく、感情を露わにして愚痴っている。
鳴海はそれを横目にスマホを確認した。
最近は学校に着いたら晴香に挨拶がてら連絡を入れる。今日は猫なのか熊なのかわからないスタンプが返ってきた。それを見て、つい口元がにやけてしまう。
「おーい、鳴海くぅん? なんかめっちゃにやけてませーん?」
目ざとい白井の、いつものウザがらみが始まった。
鳴海はスマホをしまい、目をそらす。
「……べつに」
「嘘つけ! どうせ御影先輩だろ! くっそー、一人で幸せになりやがって~!」
やいのやいの言う白井を、いつもならスルーしただろう。
しかし今、鳴海は非常に機嫌が良かった。
ので、うるさくなることは承知であえて話に乗った。
「土曜日、デートに行って……」
「は?」
「そのまま泊まってもらった」
「はあ!?」
「一緒に寝れたし、最高だったな」
「はああああ!?」
遠くから、白井うるさい、という女子からのクレームが入る。
それを気にした様子も無く、白井はこの世の終わりだと言わんばかりの表情を浮かべた。
「嘘だろ鳴海! 冗談だって言えよ! いやおまえマジかよ! エイプリルフールはとっくに終わってんだぞ!?」
「落ち着けよ白井」
苦笑を浮かべる黒川の隣で、白井は少しも落ち着かなかった。
「だっておまえ……この間付き合い始めたばっかじゃん! なんでそんなサクサク進展してんだよ! こちとらまだ絶賛恋人募集中だっての!」
そういうとこだろ白井ー、とやはり女子からヤジが飛んでくる。
白井はガバッと自分の顔に手を当て、泣き真似までしてみせた。
「酷いわ鳴海くん! 一人で大人になろうっていうの!?」
「大人には一人でなるものだろうが」
「黒川は黙っててちょうだい!」
えーんえーんと泣き出した白井を無視し、黒川が鳴海の方を向いた。
「わざわざ言うってことは、よっぽど楽しかったんだな。良かったじゃん」
「まあな。学校じゃ見れない晴香さんをたくさん見れた」
「あー、わかる。オフの時の恋人のゆるっとした姿、いいよな」
「これを俺にしか見せていないと思うと興奮してたまらなかった」
分かり合える者同士、コクコクと頷きながら共感する。
鳴海は土日の晴香のことを思い出し、ますます幸せな気分に浸った。
晴香は、本当に特別な存在だと思う。近くにいても離れていても、その愛おしさは過熱するばかりだ。
そうして退屈な授業をいくつか終え、ようやくやって来た昼休み。
いつものように女子たちから昼を誘われるがスルーし、鳴海は晴香との昼食場所へと急いだ。
「………」
到着したが、晴香の姿はまだない。
晴香がいるだけであんなに眩しく感じたこの場所も、今はただの薄暗い階段の踊り場に過ぎなかった。
もう少しすれば来るだろう、と鳴海は適当に腰かけ、とりあえず飲み物用に買った炭酸飲料を開けて飲む。
今日、晴香さんはどんなお弁当だろうか……どんな顔をして食べ、どんな楽しい話題を振ってくれるのだろうか。
それを考えるだけで鳴海の心は期待で熱くなった。
普段は爬虫類のように温度の変わらない感情も、晴香が関わるだけで大きく動く。その初めての経験に対し、鳴海は戸惑いも含めて嬉しく思っていた。欠けた穴を塞いでもらえるこの幸せに勝るものは無いと、心の底から感じ取れるからだ。
「………」
鳴海がスマホを見る。
昼休みが始まってから、すでに二十分が経過していた。
なので晴香にメッセージを送っておく……が、既読は付かない。
こんなに来るのが遅くなることは今まで一度も無かったし、もし遅れるならば晴香の方から連絡をしそうなものだが……それ以上に忙しいのかもしれない。
仕方なく鳴海は買ってきたコンビニのパンやおにぎりを広げる。
先に食べ終わってしまうのは味気ないが、その分、晴香が食べている姿をじっくり見せてもらおう。
そうして鳴海は昼食を食べ始めた。
いつまで経っても晴香は来ないとも知らず―――。
***
そこはテリトリーとでも言うべきか。
南校舎の一階と二階は一年生のテリトリー。三階と四階は二年生のテリトリー。そして北校舎は三年生のテリトリーだ。
一つ二つ学年が違うだけでも、学生の身分ではその差を大きく感じられる。だから本能的に、他のテリトリーには極力近寄らないようにするものである。
「………」
そんな中、今、鳴海は二年生のテリトリーへと足を運んでいた。
上履きの色が違うからか、それともまとった空気が違うからか。すれ違う先輩たちは皆、鳴海のことを見たり振り返ったりしていた。
普通なら気圧されたり委縮したりするものだが、鳴海はどこ吹く風で颯爽と目的の教室まで向かう。
それは晴香のいる2-Aだった。
現在、時刻は昼休みを終え、五時間目に移り変わる間の五分休みの最中である。
何故そんな時間に晴香が所属するクラスに鳴海が向かっているのか。
答えは簡単だ。昼休み、晴香があの場所に来なかった――それどころかメッセージすら既読にならなかったからだ。
先生やクラスメイトに呼ばれていただけとかなら別にいい。だとしても既読が付かないほど忙しいのは心配だし、それ以上に、体調の悪さなどで倒れていたりしないか、という心配がよぎる。
不安に思えば思うほど、次から次へと嫌な予感が浮かんでは消えを繰り返す。
鳴海はそれを振り払うためにも、こうして直接確かめに来たというわけだ。
「あれ、本郷くんじゃん」
2-Aの教室をそっと覗いてみた矢先、一番近くの席に座っていた女生徒――朱音から声をかけられる。
どうやって晴香のことを聞き出すか迷っていた鳴海は、知り合いがいたことに内心胸を撫で下ろす。
「……どうも」
「もしかして、御影くん?」
「そうです」
理解の早い朱音に助かるな……と思った鳴海だったが、朱音の表情がどことなく曇っており、嫌な予感がした。
一旦席を立った朱音は、鳴海と話しやすいよう廊下にまで出てきてくれた。
廊下の窓には、吹き荒れる雨が当たって音を立てている。
「鳴海くん。今日、御影くんの姿、見た?」
「いえ……。朝、メッセージを送り合った以外は特に。というか昼に送ったメッセージは既読が付かないままです」
「やっぱり? それがさぁ……」
朱音は言葉を選ぶように、慎重に話し始めた。
「今朝、確かに下駄箱で御影くんのこと見たんだよね。なのによ? 朝のホームルームの時には御影くんいなくて。保健室でも行ったのかなと思ったんだけど、先生に聞いたら今日は登校してないんだって」
「それは、どういう……」
「私の見間違いじゃなきゃ、確かに御影くんは学校に来てたはず。なのに今朝以降その姿は見てない。私もメッセージを送ったんだけどずっと既読が付かない」
鳴海は固まった。
そして、迷子になった子供のように不安な気持ちでいっぱいになった。
こんなの、晴香に何かがあったことは明白だ。
鳴海の脳裏には、様々な嫌な予感が浮かんでくる。
「探さないと……っ」
「あ、本郷くん!」
朱音の制止も振り切って、鳴海は駆け出す。
授業の始まるチャイムが鳴り響いたが、お構いなしにまず保健室へと向かった。しかし居たのは保険医だけで、鳴海はすぐに次の場所へと急いだ。
授業が始まっている所為で大っぴらには動けないのがもどかしい。
屋上に続く階段はもちろん、全ての校舎の階段を探した。裏庭や中庭にも行った。
けれどどこにも晴香の姿は無い。
「………」
表情にこそ出ていないが、鳴海の感情はぐちゃぐちゃだった。
埋まっていた心から、晴香の部分がドロリと溶けて落ち、再び欠けた部分が露呈していくような気がする。
恐い。恐くてたまらない。
もし何か事件に巻き込まれでもしていたらと思うと気が気ではない。
焦る鳴海の気持ちを煽るように、雨脚はどんどん強くなっていく。
「晴香さん……」
自宅に行ってみるか。
いや、さすがにそう判断するのは早すぎる気がするし、大事になってしまう。
かといって、後は何処を探せばいい。
もう残るは―――
「……悪用じゃないからいいよな」
鳴海は覚悟を決め、スマホを取り出す。
そして以前晴香と共に入れた、お互いの位置がわかるアプリを起動させるのだった。
