花人間のカルテ――解釈について

 ◇
 
 ヘイブンでの集団生活には当番制があって、毎週その役割分担が講堂のボードに書かれる。それを眺めながら、僕はため息をついた。今週はヒースと同じ役割が二つもある。クレイのハンター探しを手伝うたび、彼に会うのが憂鬱になっていた。
 朝一の作業のため、薄く霜が張った地面を踏みしめながら家畜小屋へ向かう。ヒースを呼びにいかなかったのはすでに出て行っていると思ったからで、予想通り彼は先に作業を始めていた。

「早いね」

 挨拶代わりに声をかける。彼はこちらを見ることなく、「あぁ」とだけ返事した。お互い沈黙を好んでいるわけではないけれど、彼との作業は毎回こうだった。
 体を動かして温まってきたのか、吐く息が白い。昇り始めたばかりの太陽はオレンジ色に滲んでいて、彼はまたクレイのことを心配してるんだろうなとふと思った。

 一切の会話がないまま作業を終え、二人でヘイブンへと戻る。空腹を感じながら、すぐ隣を歩く白い花弁を横目で見た。

「訊いてもいいか」

 急に声を掛けられ、動揺のせいか茎の髪をかき上げる。僕は頷いた。

「最近のクレイの様子をどう思う?」
「……さぁ、いつも通りじゃない」

 まさかこんな風に訊ねられるとは思っておらず、しどろもどろな答えになる。そっと彼の表情を盗み見るけれど、いつもの不機嫌な顔があるだけだった。

「なにか変わったことでも?」

 返事はない。はぐらかそうとしていることに気づいているのだろう。とはいえ僕が非難されるのは不公平な気がする。
 
「俺には話せないことも……きみになら話すだろ。彼はハンターの話をしてたか?」

 予想に反したか細い声に驚いて言葉が出ていかない。ヒースはきっと、クレイがハンターを恨んでいることに気づいているのだろう。その不安を想像して喉が苦しくなった。
 できることならその不安を拭ってやりたい。ただ、ハンターの話を出せば彼らはお互いを鬱陶しく思い、解決を遠ざける気がした。

「……してないよ」
 
 僕の言葉を合図にヒースが立ち止まる。こちらを向いた彼の目元は疲弊したものだった。こうして真正面から表情を見るのは初めてのような気がする。もしかすると、『不機嫌』というのは、一番的外れな言葉だったのかもしれない。

「クレイは毎回無茶なことをする。だから、誰かが止めてやらないと……」
「そ……」

 言葉が喉に引っかかった。短く息を吸ってつばを飲み込み、もう一度口を開く。

「それは……分かるけど。かといって彼が無茶をしなくなるとは思えないよ」
「ああ。だからきみに頼みたい」
「何を」
 
 正直なところ先を聞きたくない。自然と眉根が寄って、眩しいものを見るときみたいな顔になる。太陽は目線の先にないから言い訳できなくて困った。

「もしクレイが危険なことをしようとしてたら……俺に教えてほしい」

 苛立った。
 なぜ? 面倒だから?
 僕はきみらの友情のために努力しているし、これ以上問題を増やしたくない。
 
「嫌だよ……」

 苦し紛れに出たのは本音のほうで動揺が大きくなる。口元が引くついたまま戻らなかった。
 こちらを非難したりもせず、ただ目を伏せたヒースを置いて歩き出した。しばらくすると白い花弁が横に追いついてくる。彼は追い抜きざまに「忘れてくれ」と言った。
 その先にある太陽の光がいまさら眩しい。
 
 

 ヒースに頼まれたことが頭に残ったまま、僕は今日もクレイと廃屋にいる。この重たいものが罪悪感であるとどこかで自覚していた。

「今日はずいぶん無口じゃないか」

 屋根の上からクレイの声がする。否定とも肯定ともつかない返事をして、周囲の警戒を続けた。
 朝の快晴が嘘のように雲に覆われ、雪が降りだしていた。狩りも早めに切り上げると言っていたから、あまり長居はできないだろう。
 要領のいい彼は、狩場を探すという理由に齟齬がないよう毎回大人たちに周囲の状況を書き留めたものを渡していた。そのおかげで最近は毎日のように訪れている。

「なぁ、どうしたんだよ。手伝いが嫌になった?」

 大人たちとの約束の時間が近づき、切り上げてきたクレイが姿を現す。無事に地面に降りるまで黙って見守り、こちらにやってきた彼に肩をすくめた。

「ヒースが心配してる」
「あぁ……」

 自分にとって都合の悪い話題だと分かった途端、彼はさっさと歩きだした。少し腹立たしくなりながらその後ろに続く。

「もしかしてきみも質問攻めにされた?」
「クレイが危険なことをしようとしてたら教えてほしいって言われた」
「黙ってくれたんだな。感謝するよ」
「……感謝されたくてやってるとでも?」
「分かってるさ」

 食い気味に返事するものだから、本当か、と訊ねてやりたくなる。横に並ぶと、クレイの視線が僕に向かい、地面に向かい、そして遠くに向かう。彼はマフラーを軽く引き上げ鼻先まで覆った。

「怒らないでくれよ。これでも努力してる」

 ふてくされたように声が萎れる。こちらが指摘したわけではないのに彼は地図を手元で広げて見せてきた。マルの上にバツが重なるように記されている。最初に見せてもらった頃よりバツは増えていた。

「この辺は何もないだろうな」
「それはよかった。もう満足してもいい頃じゃない?」
「まだ全部確認してない。けど、新しい狩場候補も見つけたし、案外悪いものじゃないだろ」
「それは話が別だと思うけど……」

 次は僕の声が萎れる番だった。代わりにクレイの声が弾んでいく。

「よりよい生活のためにはリスクも必要だってことさ。ぼくらがやってることは必ず町のみんなの役に立つ」
「……物は言いようだね」
「でも事実だろ。ぼくたちならもっと遠くの状況も調べられると思わないか?」

 その無邪気な笑みにはハンターへの憎しみを感じないけれど、予想していたところとは違う先へ進んでいるような胸騒ぎがした。
 雪がやむ気配はなく、風も強くなってくる。雲の状態からして、おそらくこれからまた酷くなるだろう。こんな状況で不満を垂れ流すわけにもいかず、僕は黙って歩く速度を上げた。
 そして視線の先にある木々の間に見慣れた白い花弁を見つけ――息が止まる。

「冗談だろ……」

 僕の代わりにクレイが困惑の声を上げる。行き先を変えることはできないので、そのまま二人でヒースの待つ森へと向かった。なかなか顔を上げられない僕と違って、クレイは足早に歩み寄る。

「どうしてここにいるんだよ?」
「外へ出る理由が上手いのは自分だけだと? きみらこそ、観測所で何をしてたんだ」

 どちらも明らかに苛立っていて、下手に邪魔をすると長くなりそうだ。体にまとわりつく雪を払いながらしばらくふたりの声を聞く。
 それにしても――ヒースはあの廃屋を『観測所』と言った。それはとても特別な呼び名のように思えて、悪気なんてないのに、大事なものを踏みにじったみたいな気分になる。

「何度も言ってるだろ? 外へは狩りのために来てるんだ。街のみんなのためにな……!」
「勝手に安全区域の外に出ることが? 別の理由のほうが本命だろ。危険な場所でわざわざハンターを探すなんて馬鹿げてる」
「お前に分かって欲しいなんて言ったか?! 放っておいてくれよ!」

 間に入るのは嫌だが、それ以上に会話を聞き続けるほうが耐えられない。次第に前のめりになるふたりの前に手をかざした。

「先に戻ったほうがいい。これ以上雪がひどくなったら危険だよ」
 
 僕の言葉で状況を思い出したのか、ふたりは会話を切り上げ顔をそむけた。先にヒースが歩き出し、その後ろに僕が続く。ふと白い花弁が揺れて顔がこちらを向いた。眉根を寄せたヒースは吐き捨てるように言う。

「……きみが彼に付き合ってやるなんて意外だな」

 どういうつもりで言ったのかは分からない。ただ、悪意みたいなものをそこに感じて愕然とする。
 どんな顔を晒しているのか考えたくもないけれど、少しだけヒースの表情が曇ったのを見ると、同情させるような惨めなものなのだろう。いたたまれなくなって目を伏せようとした瞬間、急に彼が立ち止まる。
 はっと息を詰めた。気遣ってくれると期待でもしたのだろうか。

「クレイ!」

 響いた大きな声に我に返る。僕は慌てて振り返り、地面にうずくまるクレイの姿を見つけた。さっと血の気が引き、すぐさま彼の元へと駆け寄る。背中に触れると体が震えていることが分かった。

「クレイ? どうしたの?」
「わ、分からない……寒くて、動けないんだ」
「え?」

 声も途切れ途切れで辛そうだ。タイミング悪く一層風が強くなり、視界も悪くなったように感じる。

「まずいな……。先に行って仲間を呼んでくれる?」
「分かった。クレイを頼む」
 
 走り出したヒースの背中を見送った。雪はどんどん酷くなっているが、行き先はなんとか目視できる。クレイの腕を自分の肩に回し、立たせようと試みた。

「支えるから、少し歩ける?」
「当然だろ……! きみまで遭難させる気はないぜ」

 声まで震えているというのに強気な性格のせいでちぐはぐなのが可笑しい。声に出して笑う余裕はないけれど少し動揺がおさまった。
 ほとんど引きずるようにしてクレイを連れていく。地面にはすでに雪が積もり始めていた。お互いの呼吸音がやけに耳に残る。方向は間違っていないはずなのに、じわじわと不安が滲み出た。

「……昔は、あいつよりずっと丈夫だったのに」

 無意識にこぼれたような声を聞き逃さなくてよかった。クレイを支える手の力が無意識に強くなる。他人を憐れむなんて立場ではないけれど、少しだけ彼がかわいそうに思えた。

「でも、相変わらず心配ばかりかけてる」
「はは……それ気に入った」

 弱々しい笑い声に不思議と鼓舞され、地面を踏みしめながら先へと進む。すると目の前にぼんやりと明かりが滲み――仲間たちの姿が見えた。途端に体の力が抜け、その場に膝をついてしまう。

「怪我はないか?」

 返事をする気力もなく何度か頭を上下に動かした。仲間の一人がクレイを抱え、僕の荷物も代わりに持ってくれる。
 またなんとか生き延びることができた。安堵感が体の自由を奪う前に慌てて立ち上がり、仲間たちの後に続く。

「待て……お前たち、ヒースは一緒じゃないのか?」

 重力が半分になったように足元の感覚が鈍くなった。遅れて脈が大きく跳ねる。僕は周囲を見渡し、少し先もほとんど見渡せないこの空間に戦慄した。

「先に……みんなを呼びに一人で戻ったんだ……」

 僕の言葉に呆然とする大人たちの表情ですべてを理解した。
 帰れなくなったのは僕たちではなくヒースだったのだ。