花人間のカルテ――解釈について


 エディが去ることについて、コミュニティの仲間たちは残念がった。危険なことはしてほしくないと最後まで心配を寄せていたことは意外だったが、彼は素直に嬉しいと思えた。
 
 その夜は三人で医務室で過ごした。最後の時間を惜しんだというよりも、クレイがひとりで抜けださないようにと、ヒースが望んだことだった。
 相変わらずクレイは煩わしそうで、ヒースは引かない。いつも通りのふたりだった。特別な話をすることもなく、クレイが本のページをめくる音と、熱で薪が割れる音だけが響いている。
 最初に眠ったのはヒースだった。体を横に向け、眉間に皺を寄せたまま寝息を立てる彼に、エディは小さく笑う。別の方を見ればクレイがこちらに寝返りを打ったところだった。改めて、自分が真ん中にいることについて、不思議な気分になる。

「それ、好きだよね」

 訊ねると、クレイは横になったまま本を差し出してきた。腕を伸ばしてそれを受け取り、文字の羅列を目で追う。

「持って行ってもいいぜ」

 言いながら、クレイは毛布を鼻先まで引き上げる。エディは肩をすくめて彼の枕元に本を戻した。

「秘密を教えてあげようか」
「なんだよ」

 ぶっきらぼうなクレイの声に、何をもったいぶっているのかと可笑しくなる。エディはランプの明かりに目を細めた。

「字を読むの苦手なんだ」

 なんとなく言えなかったことだ。何度か目を瞬いたクレイは「ふうん」と相槌を打つ。天井に視線を移動させ、何か思いだしたように首をひねる。
 
「でもきみ、この内容知ってただろ?」
「読んだことがある人に教えてもらったからね」
「涙ぐましい努力だな」

 重なった二つの笑い声に目を開けたヒースは少しだけ体を起こして訝しそうに部屋を眺める。

「……何の話?」
「さあな。話してやれよ」

 にっと笑いかけるクレイに肩をすくめ、エディはヒースを見る。寝ぼけ眼の彼は、もとより会話には興味がなさそうだった。

「なんでもない」
「あ、そ」

 一度深く息を吸った後に寝返りを打ち、しばらくするとまた寝息を立て始める。その様子を耳で聞いていたクレイは乾いた笑い声をあげた。

「図太いやつだよな」

 エディも自然と笑みが漏れ、横になって天井を見上げる。ランプから伸びる影が揺らめいていて、あれは何だろうかと考えていると、次第に微睡んでいく。おやすみと聞こえて、それに返事をしたかどうか考えているうちに、眠りに落ちた。
 


 翌朝、目を覚ますとクレイのベッドだけが空だった。はっと息をのんで毛布をどけると同時に扉が開いてオレンジ色の髪が視界に入る。目が合うと、エディの慌てた様子に気づいたのかクレイは苦笑した。案じられることを嫌う彼は、それについて文句を言うのはもうやめたらしい。

 仲間たちに別れを告げながらヘイブンを出ていく。これまでと異なり、堂々と街の入り口から外へ出るのだ。食糧も武器も分けてもらうことができ、当然ではあるが黙って抜け出すよりも優遇されていることが可笑しかった。
 三人並んで歩くのはずいぶん久しぶりな気がする。視線を横に向けると、オレンジと白の花弁が見えた。何も言わず視線を前に戻すと、出入り口のところにイライザと、見送りに来た大人たちが待っていた。彼女の左半分だけが陽に照らされ、その瞳がこちらを向く。エディの願い通り、彼女がふたりに近づくことはなく、話をすることもなかった。

「ここまでにしておくよ」

 クレイが言い、彼は立ち止まる。ヒースはまた不安そうにクレイの横顔を見た後で、エディと向き合う。その灰色の瞳が輝いた。

「いろいろ感謝してる」

 ヒースの声ははっきりしていた。エディはそっと踏み出し、片手を彼の背中に回して軽く抱きしめた。ヒースは少し驚いたように身を固めたようだったが、息を吐き出すように力を抜くと、彼もまたエディの背中に触れた。

「元気でね」
「……ああ、きみも」

 彼の香りは甘く、苦い余韻を残していく。離れたその視線の先に、すました顔のクレイがいた。

「クレイ」
「よせよ、大げさだな」

 ぶっきらぼうに言い放つ彼には構わず、大げさに両腕で彼を抱きしめる。最初は嫌がったが、その腕が遠慮がちに背中に回されたのを感じて、思わず腕の力が強くなる。

 ――どうか消えないで。

 その爽やかな香りと白い花がずっとここにいてくれるようにと願った。クレイに伝わったのかは分からないが、彼もまた、息をつめて首元に顔をうずめる。
 随分長く感じられる一瞬があって、ゆっくりと離れた。出会った日も別れの日も、このふたつの花が並んでいた。たったそれだけのことで、この選択にも意味はあったのかもしれないと思わせる。
 耐え難い痛みが緩やかに全身を巡り、エディは眩しそうに目を細めた。

「きみたちに出会えてよかった」

 正しいことが分からない中で、それだけは確信できた。エディの言葉にふたりは苦しそうな顔をしたけれど、それぞれ小さくうなずいたのを見届け歩き出す。
 息を大きく吸うとまだふたりの香りがするようだった。イライザの元へたどり着き、仲間たちに声を掛けられ、コミュニティを出ていく。しばらく歩いて振り返ると、こちらに手を振る仲間たちの間から、白とオレンジの花が見えた気がした。