花人間のカルテ――解釈について


 安全装置と引き金の感触を確かめる。手に収まる小さな武器を扱うのは久しぶりだった。こんなに重たかっただろうか。毎日猟銃を構えていたというのに、変な感覚だ。
 弾の数は一発だけだった。使いもしない武器をずっとあんな場所に隠し持っているのが彼らしい。ベッドの上で体を起こし、何度か両手で構える。両足で踏ん張りがきかず心許ないが、この距離ならば外すことはないだろう。不自然に見えないよう毛布を下腹部まで覆い、両手を中に入れてハンドガンを握る。あとは女が来るのを待った。
 日が高くなり、ちょうど顔のあたりまで日差しが伸びてくることに今更気づく。体をずらそうとした瞬間、扉がノックされた。中途半端な状態のせいか筋肉が硬直するのを感じる。
 扉が開いてヒースの白い髪がまず見えた。その不安そうな顔が横切って、後ろからイライザが入ってくる。エディの姿はない。都合が良かった。松葉杖が床を擦る音が横切っていく。

「……できれば二人にしてくれないか」

 ぼくの言葉にヒースは身を固くしたようだった。顔がみるみる曇っていくのを眺めながら、目を逸らさず動き出すのを待つ。彼は黙ってうなずいて、足早に部屋を出た。扉が閉まるのを見届け、部屋の中央までやってきたイライザへと視線を戻す。

「どういう状態か知られたくない」

 こちらの様子を観察しているイライザにそう声をかける。納得するかはどうでもよかった。未だに余裕の消えないその顔で肩をすくめると、ゆっくりベッド脇に歩み寄ってくる。
 歩き方は随分しっかりしていたが重心がまだ右に寄っている。一度座らせてしまえば素早く立ち上がることは無理だろう。すぐ横の椅子に腰を下ろすまでがずいぶん長く感じる。まるでその感触を確かめるように指先が動き、グリップの固い感触を伝えてきた。今だと言われたようだった。
 銃を握っていた右手を毛布から出す。イライザは一瞬息をつめたようだったが、表情は変わらなかった。
 
「知ってることを話してもらう」

 誰かを脅すのは初めてだったが、案外、難しくはない。指先で引き金を引けば一人死ぬ。優越感はなかったが、怖がらせたいという欲求を少しだけ感じた。この銃の持ち主だったあの大男もこんな気分だったのだろうか。
 それにしても、この女は武器を見慣れている。その視線が銃口をつたってぼくの顔まで流れ、不利な状況を論理的に判断しているようだった。であれば、ぼくが本気であることも分かっただろう。

「話したでしょう」
「全部話せってことだよ」

 その眉がゆっくり中心に寄っていく。この小さなものが加わってようやく、ぼくはこいつと対等な位置に立った。最初から事実を話す気などなかったのだと改めて理解する。

「……知らなくていいこともある」
「それはお前が決めることじゃない」

 視線がそらされた。女は顔を伏せ、長く息を吐きだす。少し掠れた、疲労のにじむ声で、「そうかもしれない」と呟くのが聞こえた。
 
「蔓まみれの花人間はクリーチャー化とは違う。あれについて何が危険なのか話せよ」
「……どちらも人間ではないという意味では同じ存在よ」
「いや違う。あれは生きてたし、意識があった」

 小屋の暗闇に浮いた一つ目が、確かにぼくを射貫いていた。あれは自我すら捨て去られた化け物とは違う、生き地獄を味わう人間の目だった。
 女は顔を伏せたまま、ゆっくり体の力を抜いたようだった。椅子に重心を預ける姿は初めて見る。諦めたようでもあったし、撃てるものならやってみろと挑発しているようにも見える。条件が揃っていれば足を撃ち抜いてもよかったが、できない方法を悔やむのは意味がない。
 銃口を向けたまま、ベッドを隔てた先に立つ。両足に力を込め、銃を握りなおすと、しっくりきた。これならいつでも撃てそうだ。少しは危機を感じたのか女は顔を上げる。滲み出るそれは苛立ちのように見え、唇が開いた。

「死を判断する基準はいくつかある」

 まるで予想もしなかった言葉に、一瞬遅れて怒りを感じた。ただ、けん制するような瞳がこちらを向いて言葉を失う。

「条件はいくつかあるけれど、すべて満たす必要はない。心臓が止まれば、それは死と呼べる」
「……お前、馬鹿にしてるのか? 誰がそんな話」
「自分の脈を測ったことは」

 耳鳴りがすると同時にすべての音が消える。その言葉を認識した脳は、あまりにも簡単にとある事象の点と点を繋いだ。

「あり得ない」

 よせばいいのに確かめずにはいられない。銃から左手を離し、その指先で自分の首筋を押さえる。指の腹を跳ね返す微かな振動を覚えている。指先が皮膚を抉るように食い込み、痛みを感じた。呼吸が次第に早くなる。ただ、いつまでたっても振動は伝わってこなかった。
 いや――騙されてはいけない。下瞼が微かに痙攣したが、ぼくの視線は女を逃さなかった。

「花人間の脈は元から遅いことくらい知ってる」
「そうね。けど、以前触れた時には、あなたの脈は止まっていた」
「随分嘘が雑だな。体はまだ動くし、頭だって正常だ」
「それは植物に生かされてるだけ。いずれ脳がやられ、クリーチャー化する」

 とうとう何も言えなくなったぼくと違い、女は前かがみになって苦々しい顔をする。その視線がゆっくりこちらを向いた。

「最初に出た症状を覚えている? 血液の循環が完全に止まり、体温が保てなくなり――激しい痙攣を起こす。そのタイミングでクリーチャー化する症例もあるけれど、あなたは違った。ただ……その瞬間にあなたは死んだのよ」

 あの日を思い出す。すべてが変わった吹雪の日。
 ぼくはあの日に死んでいた。

「……当然ね」

 聞こえてきた声に意識が戻る。気づけば片手で額を押さえながら俯いていた。口の端が引きつる感覚があって、笑っていることに気づく。

「冗談にしか聞こえないでしょうけど、あなたの体がその証よ」
「それで? もともと花人間なんて新人類みたいなものだろ。脈がない個体もあるってだけだ。こんな姿になっても生き続ける生物が、人間と同じ状態なわけがない」
「じゃあ、ここにいる全員の脈を測ってみましょうか。あなたがどれだけ危険な状態か自覚できるのであれば、やる価値はある」
「話を逸らしたいんだな?」
 
 魂胆が分かった。この女はどうしても、蔓まみれの花人間について話をしたくないらしい。動揺を誘う言葉を投げかけ、こちらがどんな思いでそれを聞いているかも知ったことではないのだ。
 銃を両手で握りなおす。引き金に指をかけた。

「はっきりしたよ、コミュニティをめちゃくちゃにするのが目的なんだな。ハンターがやりそうなことだ」
「そんな存在が本当にいると思う?」
「ぼくはこの目で見た。お前らは子供にすら容赦なく弾丸をぶち込む」
「人間にとって、元より花人間は脅威よ。例えば今みたいに自分の命が危険なら、子供だろうが撃つ」
「あんなに小さい花人間が危険だって?」

 こいつの話は何も的を射ていない。むしろ真面目に話していることすら馬鹿らしくなってくる。ぼくは思い出していた。このコミュニティで一番ぼくに懐いていた子供だった。人でなしの親に見放されたあの子は、自分の髪によく似たぼくの髪が好きでよく触りたがった――。
 そういえば、あの子の髪は、ぼくの色に似た赤色をしていた。
 クリーチャー化する花人間の髪色には傾向があるという。あの時、怪物だったのはどちらだろう。
 
「――お前の方だ」

 唇を震わせたその声に現実へと呼び戻される。目の前にいる女は、たった一人でこのコミュニティを崩壊させる力を持っていた。死体に咲く鮮やかな花より、外を徘徊するクリーチャーより、この女が世界で最も危険だったのだ。
 最初に出くわしたのがぼくならよかった。ヒースは怖がりだし、エディは優しい。だから怪物を生かしてしまった。
 慈善の顔を被ったこの胡散臭い人間は、この先も自分たちが生きられるよう、ぼくたちをただの個体として見る。誰も救う気などないし、救う方法などどこにも存在しない。それなりに退屈で、それなりに楽しかった日常を、こいつはたった数日で全て取り上げてしまった。

「ぼくたちの前から消え去れよ」

 手の中にある固い感触だけがすべてになる。信じられないほど頭が冴えていて、確実に女の頭を撃ち抜けると確信した。まだ問題は山積みだが、この女が死ねば心配事はひとつ減る。
 瞬きのたびに、瞼裏にエディの顔がよぎるようだった。彼は言った。できることがあるならやりたいと。ぼくやヒースのためにそう言ったのだ。これに可能性を見出そうとして、前に進もうとしている。その覚悟はこの引き金一つで粉々になるのだ。

 ――彼はきっとぼくを軽蔑する。

 だから何だというのだろう。この女が死ぬことで、コミュニティは保たれる。エディが危険を冒す必要もなくなる。やるべきことをやるだけだ。
 浅い呼吸を続けながら、いつまでたっても響かない銃声に、全身から力が抜けていくのが分かった。両腕がだらりと下がり、その信じられない事実に呆然と立ち尽くす。
 できなかったのだ。ただできなかっただけではない。ひとりの相手から軽蔑されたくないというあまりにも下らない理由で、ぼくはやるべきことから逃げ出したのだ。
 いつの間にか肩で息をしていることに気づく。女は何も声をかけてこなかった。自分の体を温めるストーブも、病人用に整えられた広いベッドも、すべてから遠ざかりたい。
 右手に握られた銃の重さに筋肉が引きつる。歩いても床の軋む音すら聞こえないのは、自分がそこにいないようにも感じた。やっとたどり着いた扉の前で、その先にあるいつもの日常を想像しながら廊下に出た。

「クレイ」

 廊下の先にヒースが座り込んでいた。会話が聞こえないようにと、律儀に離れた場所にいるあいつは、変わらず気の毒な顔をしている。その視線がぼくの右手に吸い寄せられ、手にしたものに青ざめるそれを眺めながら、ぼくは何も言えない。
 彼はぼくのそばまでやってきた。なぜか顔を見られず、床の退屈な木目に視線を落とす。
 
「……返してくれ」

 ヒースは言った。責めるわけでもなく、そっと差し出されたその手の平が視界の隅に現れる。彼がこの銃を使うことはこの先もないと思うと同時に、彼にとって何よりも重要なものであるとも思えた。

「悪かったよ」

 あまりにも簡単に言葉が出ていく。謝るべきだと思った。
 腕を上げると、ヒースは壊れ物のようにそっと銃を受け取った。

「クレイ?」

 彼の問いはいつも返事を求めない。二人で逃げ出したあの日よりもずっと前から、ぼくと彼はいつも一緒だった。それなのに、ぼくがまだそこにいるかいつも確かめる。鬱陶しかったのは、そんな必要はないと、どこかで思っていたからなのかもしれない。

「ぼくは一人で行く」

 陽の光がやけに眩しくて、目元で反射するようだった。瞬きすると水滴が弾かれ、零れていった。