花人間のカルテ――解釈について

 花人間を狩る――。
 後ろめたいことなどないというのに血の気が引いた。そもそも、人間が感染者を殺すのは珍しいことじゃない。コミュニティから追放するのだって日常茶飯事だ。そこで違和感に気づく。

「……待って、『狩る』? 殺すんじゃなくて?」
「ああ。ぼくたちの咲かせる花は、高価なものと取引する商品になるらしい。こんなものを欲しがる変態がいるのさ」
「まさか……。花人間なんて別に珍しいわけでもないのに」
「けど、ぼくらと人間は共存してるわけじゃない。身近にないものを珍しがるのは普通のことだろ」

 彼の冷静な言葉は説得力がある。とはいえ、自ら危険を冒して人外と接したくなる人間が出てくるだろうか。納得できるようでできない、歯に物が詰まった感じだ。

「きみはそのハンターがいるって信じてるの?」

 クレイの言い方は、その存在を確信しているようだった。空想好き少年ではないと思っていたけれど、きっと退屈なのだろう。
 彼を見ると、その憎しみの宿った横顔があって唾をのむ。

「一年前だ。ぼくはハンターに遭遇して、仲間を一人撃ち殺された」
「それは……」

 言葉を失う。彼が生きていることが無事であった証だというのに、どれだけ危険であったかを想像するだけで心臓が跳ねた。

「離れていてよく見えなかったけれど……迷わず撃ったのは分かった。信じられるか? まだ九歳のこどもだったんだぞ」
「それで、そいつは死体を?」
「持って行ったんだと思う。見たわけじゃないけど……回収しに戻ったら何もなくなってた」

 怒りを抑えるためか、クレイは短く息を吐く。その乾いた音がやけに耳に残った。感染という恐怖から解放されても、外にはまだ数えきれない危険が潜んでいる。そう言われているようだった。

「もうやつらには何も奪わせない。だから……今度はこっちから探し出す」
「探し出すって……」
「どこか拠点があるはずだ。先に発見できれば、手は打てる。だから……手伝ってくれないか」

 どうして話を聞いてしまったんだろう。聞いたからには答えを出さなくてはならない。自然と頭が下がり、眉根が寄っていく。

「……危険すぎる」
「エディ、頼むよ。きみだけなんだ」

 クレイは立ち止まり、体ごと僕の方を向いた。自ずと僕も立ち止まり、二人だけの音になる。
 その途方に暮れた弱々しい声が苦手だ。他人に本心を見せるわけないと思うのに、彼のこれが嘘かどうかも見抜けない。
 きみだけだって?
 僕は笑いそうになる。

「……きみにはヒースがいる」
「冗談言うなよ。あいつが知ったら怒り狂ってノイローゼになるかもな」
「だろうね。じゃあ、やめた方がいい」
「きみなら分かるだろ? ぼくがやろうとしていることは、あいつのためでもあるし……ここにいるみんなのためだ」
 
 彼こそ本当に分かっているんだろうか。ヒースが怒り狂うのは、その無鉄砲さのせいだ。あえて危険に飛び込もうとする行動について理解しろというほうが難しい。
 
「……きっとうまくいかない」

 僕は強く言えない。彼らの望むことは叶えてやりたいのに、どちらかひとつはいつも余る。
 思わず片手で顔を覆った。彼の視線から逃れたいというよりも、欠陥みたいな表情をさらし続けるのが耐えられなかった。

「なぁ、見てくれ。この付近でも拠点として最適そうな場所が複数ある。放置なんてできない」

 彼は上着のポケットから紙を取り出して広げる。コミュニティ周辺の地図で、いくつかマルが記されているところがあった。このマルを見つける度に彼の影は濃くなっていったのだろう。足元にある死んだ鹿の目が彼を眺めているようで、遠ざけたくなった。
 
「……探すのを諦めてくれるなら手伝うよ」

 それが僕が出した答えだった。彼を諦めさせる手伝いをするのは、我ながら理にかなっていると思える。
 ふたりの友情にとっても……きっとこれが一番いい選択だろう。
 視線を上げると、鮮やかな花びらが相変わらず咲き誇っていた。遅れてその真剣なまなざしに気が付く。
 
「分かった。もしハンターを見つけても、きみを危険な目に遭わせるつもりはない」
「……そう」

 話はそれで終わりのようだった。
 獲物をまた引きずり始める。もしこれが彼らだったらと思うと、ぞっとした。

「……エディは、クリーチャーを殺したことあるか?」

 訊ねられる。彼の顔は見ずに「あるよ」とだけ答えた。彼の香りに混ざって硝煙の匂いを嗅いだ気がする。
 自我を失い襲い掛かってくる感染者を殺すことはこの世界では珍しくない。まるで言い聞かせるように頭の中で繰り返した。

「そうか。きみが無事でよかったよ」

 僕は小さく笑った。記憶の中で鳴り響いた銃声に目を伏せる。途端に地面に咲いた花が視界に入って気分が悪かった。

「『人間は?』って、訊かないんだね」

 ようやくクレイの視線がこちらを向いた。軽蔑でも嫌悪でもないその瞳はまっすぐで、眉だけが彼の困惑を表すように歪んでいる。

「そう訊きたそうに見えたか?」
「少し」
 
 だからハンター探しを頼んだんでしょう、とは、言わなかった。

「……気を悪くさせたのなら謝るよ」
「いや……僕も嫌な言い方だった。ごめん」
「いいんだ」
 
 クレイはマフラーに口元をうずめながら目を細める。

「また誰かを失わないように準備するのは悪いことか?」

 すぐには答えず、地面で咲き誇る色鮮やかな花を眺める。感染者の死体を隠すこの花は、クレイが本心を隠しながら訊き心地の良い言葉を並べるのに似ていた。

「いいや」

 ただ、それは彼だけでなく僕も同じだ。踏み込まないのは優しさと薄情のどちらに受け取られるのだろう。
 行く先に仲間たちの姿が見えてくる。彼らは僕らが引きずっている鹿に気づいて感心したように笑っていた。
 
「コミュニティへ戻る前に寄りたいところがある」

 クレイはそう呟き、大人たちの元へ向かう。話の内容は分からなかったけれど、時折こちらに向く彼らの視線から逃げるように周囲を警戒するふりをする。しばらくすると足音が戻ってきた。

「一時間だけならいいって。行こう」
「今から? 勘弁してよ……」

 わざと大きなため息をつく僕などお構いなしにクレイは足早に歩いていく。

「なんて言ってきたの」
「きみが気にしている狩場があるから少し見て帰りたいと頼んできた」
「……僕は狩場なんて気にしてない」
「みんな二つ返事だったぜ。もっと早くきみを連れ出すべきだったよ」

 手伝うと言ったのは軽率だった。まさかこれほど遠慮なく巻き込んでくるとは思っていなかったのだ。確かに、外を自由に動くためのカードとして僕は万能だ。

「……もしヒースがハンターを探すために外へ出ようとしたら止める?」
「ずいぶん意地悪なこと言うんだな」

 乾いた笑い声が上がる。気を悪くしたようではなかった。
 クレイがヒースの話をするとき、彼は少し煩わしそうに声を低くする。かといって拒絶ではないのが興味深い。

「あいつは外へ出ないよ」
「……ふぅん」

 全くもって、彼らが友情を保っているのが理解できない。その上で手助けする自分も相当だ。
 ふと、前を歩くクレイは急に行き先を変えたかのように大きく左に曲がっていく。そちらは安全区域の外だ。振り返ってみると大人たちの姿はもう見えない。
 目的のためなら悪びれもなく嘘をつくその冷淡さは、ヘイブンで見せている無邪気な青少年とはまるで別人だ。ただ不思議と……違和感はない。

「あそこだ」

 立ち止まった彼が進行方向を指さす。森を抜けたその先に、古びた小屋のようなものが見えた。
 遠く離れていても長く使われていない場所だと分かる。遮るものがないためあそこに行くのは不安があるが、外敵が近づくのもすぐに分かるからなんとかなるだろう。

「あれは?」
「ここが安全区域から外れる前に見つけたただの平屋。屋根の上からだと周囲が観察しやすいんだ」
「よく来てたの?」
「まぁね」

 急に歯切れが悪くなった。それを指摘することなく彼の後に続いて平屋に向かう。
 森を抜けたせいか一層風を感じた。むき出しの平野で、妙な動きをする物体がないかいつも以上に目を配らせる。散弾銃を持つ手の力が無意識に強くなった。
 ふと鼻をかすめた匂いに心臓が跳ね――僕は立ち止まる。

「この匂い……。感染者の死体かクリーチャーが絶対いる」
「ああ。見れば分かるよ」
「クレイ」

 制止の代わりである声も虚しく、彼は立ち止まることなく建物のほうへと向かっていく。少し苛立ちを覚えながら銃を構え、足早に彼を追い越して前に出た。
 聞こえるのは風の音だけだ。平屋は扉が開いていて、そこから甘ったるい強烈な匂いが溢れている。
 窓ガラスは割れ、それ以外にも壁が崩れている場所がある。何かがうごめく気配もなければ物音もしない。僕はそっと扉の中を覗き込んだ。
 むせかえるほどの甘い香りに鼻と口を覆い、眉を顰める。想像よりもひどい……いや、鮮やかだった。
 ダイニングと思わしき場所に、極彩色の花が咲き乱れている。蘆のようなものが床を覆いつくし、衣服のような布切れと、人間の骨らしき棒切れが覗いていた。花の量からして、死んでいるのは一人じゃないだろう。
 一瞬――それが蠢く。
 僕は息を呑み、引き金に指をかける。葦の中から飛び出したのは――丸々太った小動物だった。
 鼠のようにも兎のようにも見え、花弁を蠢かせながら逃げていく……気分が悪い光景だ。僕は長く息を吐き出し、銃を下ろす。

「大方、どこかのコミュニティから追い出された感染者だろう」

 僕の後ろからずいぶん落ち着いた声がする。クレイはこの有様を見るのが初めてではないのだ。
 彼は中に入ることはせず、建物の裏手に回る。ついて行くと、屋根の上に続く梯子があった。

「ここから上に行けるんだ。周囲を見てくるから待っててくれ」
「できるだけ早くね」
「分かってるよ」

 梯子の感触を確かめ、こちらはまだ頑丈だと確認して屋根に上っていく。その慣れた様子に、かなりの頻度で訪れていたのだろうと分かった。
 強烈な香りが苦手で、少し離れて周囲の警戒にあたる。時折屋根の上のクレイに視線を向ければ、彼は黙々と双眼鏡を覗き込んで地図に何かを書き記していた。その視線の先にハンターがいないことを祈るしかない。