花人間のカルテ――解釈について


 当然のことながら、目を覚ますとすぐに大人たちの説教を聞く羽目になった。その中で分かったのは、昨日抜け出した理由が『ハンター探し』にすり替わっていたことだ。最近狩場を探していた中で拠点として最適になりうる場所を見つけたから調べに行った、という筋書きだった。
 エディの嘘は半分くらい事実が混ざっているから、大人たちも疑うことなく納得したらしい。ぼくの具合が悪いおかげか、仲間を守る行動に感銘を受けてくれたのかは知らないが、思った以上に短い説教だった。

 一人の空間で、ベッドに横たわったままただ天井を見上げている。朝食の後に、あの女から診察を受けろと言われた。長い時間をかけて空にした食器をトレイごと床に置いてしばらく経つ。エディの姿はまだ見てない。
 抜け穴は今日のうちに塞ぐとのことだった。面倒だが、それくらいまた見つけられるだろう。問題は、花人間のクリーチャー化についてどんな対策がとれるかだ。
 エディと話がしたい。運ばせたことも謝りたかった。
 着替えたというのに、まだ焦げ臭さが残っている気がする。落ち着かずに何度か寝返りを打っていると、扉をノックする音に慌てて体を起こした。何を言うべきか迷っている間にゆっくりと開かれる。
 現れたのはイライザだった。その顔が視界に入った途端、みぞおちあたりに不快感が滲む。エディやヒースの姿はなく、それについて信じられないくらい動揺している自分に気づく。

「……安静にって言うべきだった?」

 呆れたような女の言葉に怒りを抱く余裕すらなかった。少し離れたところで立ち止まり、こちらの様子を観察しているようだ。

「二人は?」
「……さぁ。昨日のことで話を聞かれてるみたいだけど。あれを燃やしに行ったんでしょう」
「彼が話したのか?」

 女は肩をすくめる。そのやけに整った鼻筋が腹立たしくなった。

「煙の匂いがしたから」
「……頭を撃ち抜いても死ななかったからな」
「正しい判断ね」

 言いながら、女は壁を背にして床に座り込む。怪我をしていないほうの片足を曲げ、そこで頬杖を突く。男みたいな仕草だった。

「危険はないって言ってたそうだな」
「そうよ。だから無事に帰ってこられた」
「襲われるところだったんだぞ?」
「武器を持っていたんでしょ? 腐りかけのクリーチャー一体くらい、あの子なら何でもないでしょう」

 やけに分かったような話し方だった。喉がざらつく感じがして、無意識に眉根が寄る。

「あの花人間は話をしたぜ」

 その言葉に、女の眉が微かに動く。しばらく黙り込み、言葉を咀嚼しているようだった。ちょうど朝の作業時間ということもあって、廊下の方から笑い声が聞こえる。

「あんたのことを言ってた」

 仕草のすべてを見逃さないよう目を逸らさずに言う。イライザもまた、視線を逸らすことはなかった。その重苦しい沈黙が胃の底を冷やしていく。神経が敏感になるような、空気が触れることすらつんとした痛みを感じた。この感覚なら知っている。信じられなかった。ぼくはこの女に怯えているのだ。
 先に目を逸らしたのは女の方なのに、安堵しているのはぼくの方だった。

「……嘘が上手いのね」

 全て見透かすような言い方だった。苛立ちと焦りが混ざったそれが頭の回転を鈍くする。何か情報を引き出さなければならないと、そんな考えだけがぼくを急かした。

「お前はあれを知ってるんだろ」
「ええ、そういう症状を知っている。それだけ」
「何も分かってないと思ってるのか? お前がどれだけ危険なやつなのか、仲間に考えさせたっていいんだぜ」
「……そう」

 退屈そうに両足を投げ出し、肩をすくめる。崩れないその余裕が鬱陶しかった。今すぐにでも後悔させてやりたい。

「お前のせいで」

 溢れた言葉に胃が重くなる。
 こいつが来たせいだ。こいつのせいで何もかもおかしくなった。

「ぼくたちが必死になってるのを見るのが面白いかよ? 自分と同じ姿をしたやつを生きたまま焼いたことあるか? 甘い匂いがするんだ」

 鼻を突くような焼ける匂いに混ざったあの香りが染み付いている。暗闇に揺れていたあの炎を思い出すと、どこが現実なのか分からなくなった。やけに深刻そうな顔をした女がこちらを見つめ、その薄い唇が開く。
 
「……かわいそうだけど、救う方法はない」

 目の前で指を鳴らされたような軽い衝撃があって意識が女に集中する。鼻から息を吸う音がやけに大きく聞こえた。

「かわいそうだと?」
 
 視界が揺さぶれるような感覚に体が前のめりになった時だった。荒々しく扉が開き、そこから飛び込むようにエディが現れる。彼の顔を見た途端、体の緊張がほぐれるのが分かった。

「何してる?」

 エディは訝し気にイライザを見る。女は座ったまま両手を気だるそうに上げた。

「何って、彼を診てほしいってお仲間に頼まれたから来ただけ」
「どうして誰もいないんだよ」
「あなたたちと違ってだいぶ信用してくれてるみたいね」

 それ以上は何も言わず、彼はベッドそばの椅子に腰かけた。目が合うと急に弱々しい顔になる。

「……大丈夫?」
「あぁ……昨日は」

 思わずこぼれそうになった言葉を何とか堪える。あの女には一言たりとも聞かれたくはなかった。
 顔を上げると、微かに眉を歪める女の顔があって、そこに憐れみを見る。

「診る必要なんてないだろ」

 ぼくの言葉にエディは一瞬戸惑ったように身じろいだ。何も言わずにゆっくり部屋を出ていくイライザには声をかけず、扉が閉まるとすっかりここは静かになった。横になりたくなるのを堪えると無意識に背中が曲がる。ちょうど窓から差し込む日差しに重なって目を細めた。

「嫌なのはわかるけど……」

 歯切れ悪いそれにぼくは嫌になる。これ以上取り乱すわけにはいかなかった。

「救う方法はないと言ってた」
「まだきみの状態が悪くなると決まったわけじゃないよ」
「そうだな」

 横目で見れば、エディは顔を伏せていて、表情が読めない。
 そうだった、昨日のことを謝ろう――思い出すと同時に彼と目が合った。

「イライザに同行しようと思う」

 一瞬何を言われたのか理解できず、一呼吸遅れて唇の端が痙攣する。

「……どうしてだよ?」
「ウイルスについて何か分かれば、クリーチャー化を止める方法も分かるかもしれない」
「違う。あの女が適当なこと言ってるだけだ」
「けど、できることがあるならやりたい」

 できることなら他にもある。そう言いかけて愕然とした。ぼくたちは昨日、その可能性がある花人間を調べて、何も得られなかった。ぼくの地図にはもうバツしかないのだ。

「行って帰るだけだよ。一カ月くらいだと言ってた。その間に何か分かるかもしれない」
「……帰れなかったら?」
「帰ってくるよ。僕は……ここにいたいから」

 理解できなかった。ここにいたいのなら行く必要などないはずだ。頭は動いているというのに、口が半開きのまま何も出ていかない。ふと鼻先をかすめた煙の臭いに、真実を突き付けられた気分だった。

 ――彼はぼくを頼りにするのはやめたのだ。
 
 そのあとのことはよく覚えていない。ぼくを説得するわけでもなく、ただ何を言っても空返事を繰り返すことに呆れてしまったのか、しばらくすると部屋から出て行った。横になる気も起きず、ただ呆然と自分の指先を見つめている。

「クレイ」

 いつの間にかヒースが隣にいた。彼はいつもの不機嫌そうな顔で椅子に腰かけていて、それでも恐る恐るこちらの顔を覗いてくる。文句が言いたいようには見えなかった。

「……無事でよかった」

 眉根を寄せたまま言われると本心かどうか分からなくなるが、それは今に始まったことではない。息を吐くと同時に泣き言のようなか細い声が出て行った。

「……エディから聞いたか?」
「少し。きみを追っていったんだろ」
「……ああ」

 どうやら、あの女に同行する話はぼくにしかしていないらしい。

「もう止めたりしないから、黙って行くのはやめてほしい」

 随分としおらしいヒースが少しだけ鬱陶しかった。彼をそうさせているのは自分であると自覚がないわけではない。ただ、必要以上に不安を見つけてくるのは彼の方だ。

「……イライザには診てもらった?」

 ぼくの返事は求めていない。こいつの問いかけはいつもそうだ。言いたいことだけをその辺にまき散らすだけで選ばせようとはしない。しばらく黙っていると、肩を落として退屈そうに指を擦り合わせたりする。
 こうしているうちにも、エディは先に進もうとしている。

「イライザを連れてきてくれないか」

 異物を吐き出すみたいにして声が出た。ヒースは一瞬驚いたように目を瞬き、慌てて頷く。

「ちゃんと診てもらう。それでいいだろ」
「……分かった」

 相変わらず自信なさげなその顔に、ヒースの安息などこの世に存在しないような気がしてならない。その難儀な生き方について、理解するのは難しかった。
 扉が閉まり、その足音が遠のいて、ぼくはベッドから抜け出す。行き先は決まっていた。
 忙しい朝の時間を過ぎたからか、ヘイブンは静かだった。床が軋む音に、あの小屋の情景が記憶から引きずり出される。自分の髪色によく似たあの炎が瞼裏によぎって、虫を払うように片手が漂った。
 扉を開けてヒースの部屋に入る。手作りの机は引き出しの形が歪んでいて、開くのに苦労する。軽く上下にゆすりながら引き出しを開け、狭い隙間に手を差し込んだ。
 革細工の小物入れや植物を煮だして染めた薄茶色の布。ヒースの関心ごとの中に紛れて、固く冷たいものを探り当てる。
 ハンドガンを取り出して、それを上着のポケットに入れた。