花人間を燃やすためには、まず水が必要だった。
小屋は開けた場所にあるとはいえ、木造のこれがどこまで火を広げるかは想像もつかない。床に散らばった布切れを足で移動させながら、今もなおあれが蠢く音を聞く。
水汲みはエディが行った。体調を気遣われたのだろうけど、ぼくをここに置いて行くことについては、ひどく悩んだようだ。もしあれが蔓から這い出して来ようとしたらすぐに逃げろと念を押された。
花人間は苦痛にあえぐように頭を振り、その周囲では新たに肌を突き破ってきた蔓がくねくねと動いている。先ほどと違うのは、その蔓には蕾があって、次第に開花し始めているということだ。
奥にあったベッドは腐ってほとんど崩れていた。燃え移らないようその残骸を半分ほど部屋の外に出したころでエディが戻ってくる。
「大丈夫?」
なみなみと水の入った桶を床に置きながら訊ねられる。川は意外と近いようだ。
「ああ。開花しはじめてるけど、動けないままだ」
「もう何往復かしてくるから……何かあったらすぐに逃げてね」
「分かってる」
食い気味に言うと、エディは小さく笑った。自然と視線が引き寄せられ、久々に見る眉根を寄せた笑い顔に少しだけ体がほぐれる。それを悟られたくなくて部屋に戻り、遠ざかる足音が聞こえなくなってから、また残骸を運び始めた。彼が二往復目から帰ってきたところで燃やす準備は整ったけれど、最後の桶を水で満たさないと気が済まないらしい。
三往復目に出て行った彼を見送ると、今まで忘れていた疲労がどっと押し寄せる。開け放された扉に手をつきながら腰を下ろせば、その横に文字が見えた。
残骸を運ぶ間中、明かりに照らされて嫌でも目に入っていたものだ。もうすぐそこにいくよ――誰が書いたかも分からないその文字をなぞりながら、ただ静かにエディを待つ。甘い匂いが次第に強くなり、相変わらず、頭を打ち付ける音が続いている。
すぐそばで物音がして息をのんだ。慌てて立ち上がるとエディが三つ目の桶を床に置いたところだった。信じたくはないが、ぼくはうたた寝でもしていたのか? 額を軽く叩いて彼の元へ行く。
「……はじめようか」
短く息を吐き、落ち着いた声で彼はそう言う。ぼくは頷いた。
「夜明けまでに帰れないかもな」
「たぶんね。けど、これをこのままにはできないから」
「許可なしで外に出ようとしたやつらがどうなったと思う? 一週間下水処理に付き合わされてた」
「うそ……それ最悪」
ぼくが笑うとエディも笑った。この後自分たちが迎えるであろう未来を想像して、憂鬱になるどころか愉快になる。
「ついてきたのは軽率だったな?」
「きみが無茶するせいだね」
「人のこと言えた立場かよ」
ぼくらは視線を合わせて頷く。出入り口全ての扉を大きく開き、逃げ道を確認するとまた奥の部屋に入った。ランプを手にしたエディは蠢くそれに向かって油をかける。同じく油をかけた板切れに火を移し、素早く蔓に向かって投げた。
油の量が少なかったこともあり、火の勢いは弱い。じっくりと蔓に引火し始め、それが這うように広がっていく。
花人間が目の前で燃え始めた。
霧のような煙が漂い始めるころ、甘い香りに混ざって植物以外が燃える匂いが部屋を充満していく。そいつは炎に包まれながらも、まだ頭を壁に打ち付けている。これまでで一番激しい音だった。苦しいのだろう。
「クレイ」
エディに腕を引かれ、ようやく部屋の外へ出る。扉の向こうで穏やかに揺れる炎を眺めた。植物に覆われたせいもあってか、油を起点に全身へと火が燃え移る。事前に濡らしておいた床に燃え広がっていないのを見届け、一度外へ出た。
あけ放たれた窓から煙が空に昇っていく。壁を打ち付ける音がここまで響いていた。
――いつかぼくも、ああなるのだろうか。
クリーチャーとして焼かれていく花人間をこの目で見て、迎える現実をようやく理解したようだった。同時に、あの二人が何について怯えているのかも理解する。
きっと彼らは、あそこで燃える化け物にぼくを重ねるのだろう。
あんな姿でもまだ生きようとしているのか、壁を叩く音は止まない。それが鼓膜に刻まれる感覚が、扉に書かれた文字を思い出させる。もうすぐそこにいく――それは、炎の中でもがくあいつが、最期に行き着いた結末のことなのかもしれない。
音が止んだ。
しばらく煙を眺めた後、ぼくたちは言葉を交わさないまま小屋の中に戻った。蔓は焼ききれ、大きな黒い塊が床の上で燃えている。それが動いていないことを確認して水をかけた。火は驚くほど簡単に消えてしまった。
もう何の残骸なのか分からない塊を眺めたが、情報になりそうなものは見当たらない。焦げ臭さに軽くむせると、エディは「行こう」と言って大きな歩幅で外へ出た。
空が少しだけ明るい。帰り着くころには日は高く昇っていることだろう。煙の臭いが肺に染みついていて、あいつの一部みたいだった。
「……帰ろうか」
すっかり萎んだ声に聞こえるのは気のせいではないのだろう。薄暗い中で見たエディの瞳があまりにも優しく、思わず目を細めた。その口が開いて彼は何か言ったようだった。いつか見たような困った微笑みを浮かべたのを見て、どうして聞き逃してしまったんだろうとひどく後悔した。瞼がゆっくり落ちてくる――。
瞬きの間に、地面に両手をついていることに気が付く。信じられないほど体が震えていて、それはあの吹雪の日と同じような症状だった。周囲の音が消える代わりに壁を叩く音だけが頭の中を満たし、両足が地面から浮く不思議な感覚に戸惑う。
ぼくは一人で歩くことすらできなくなっていた。彼に背負われながら、その息遣いを聞くことしかできない。早く立ち上がって歩けと叫び続けているのに、エディの背中から伝わる体温が心地よく、もう眠ってしまいそうだった。
彼は心底幻滅しただろう。
体中の筋肉が引きつる、痛みにも似た不快感に意識が遠のくのが恐ろしい。思わず彼の名前を呼んでしまいそうになる。手が彼の上着を掴んでいた。
「行かないでくれよ」
ぼくは何か言っただろうか。時折意識が飛んでは、周囲の景色が変わっていく。最後に見たのは、ヒースの慌てた顔だった。口が動いて何か言っているようだったが、声が遠すぎて聞き取れない。確かめるように頬に触れてくるのがあまりにも大げさで、なんとなく気の毒になった。
「心配いらないから」
うわ言のように何度か繰り返して、ぼくは目を閉じる。
