花人間のカルテ――解釈について


 ぼくはどうかしてるのか?
 目の前でみるみる青ざめていくヒースの顔を見ながら自分を罵る。扉の前に立っているエディは何も言わない。どうして彼は何も言わないのだろう。

「……出ていってくれよ」

 怠い体が揺れ動かないように背中に力を込めながら、やっとのことでそう言った。部屋が蒸し暑いような気がしてならない。何もかもが鬱陶しい。

「クレイ、話をちゃんと聞いてほしい」

 ベッドに手をついて、ヒースは懇願するように言った。待ってほしい、ぼくだって聞きたい。ただ、お前の声をこれ以上聞きたくない。混乱した頭に残響する自分の情けない声でどんどん惨めになっていく。
 ずっしりと重い体を引きずるように毛布から抜け出し、冷気の漂う床に足をつけた。彼らと一緒にいるのは耐えられなかった。

「ぼくが出ていく」
「寝てなきゃだめだ。いいよ、俺が出ていくから……!」
「どいてくれ」

 目の前に立ちふさがろうとするヒースの肩を押して、ぼくは入口の方へ向かう。できるだけ床に視線を落としながら進めば、エディの足が視界の隅に入った。ドアノブへ手を伸ばしたとき、その先に彼の腕が現れる。

「クレイ、待ってよ。ヒースの話を聞いて」

 ベッドから数歩の距離で息が上がっている。信じられるか? 肩で息をするぼくをどう思っただろう。彼の表情が嫌でも目に入る。ひどく煩わしそうに見えた。
 ぼくは何も言えなくなる。それを肯定だと受け取ったのか、エディはぼくの肩を抱いて体を支えるようにしてすぐ横のベッドに座らせた。

「ヒース」

 エディが促すように彼を呼ぶ。ヒースはすっかり意気消沈したように下を向いていた。
 
「やめよう、クレイが辛そうだ」
「話せよ」

 気遣われるのがあまりにも腹立たしくて気づけばそう言っていた。怯えた彼の瞳が一瞬こちらを向いて、また下を向く。息を吸う音がやけに大きく聞こえる。

「……あの雪の日、クリーチャー化した花人間に襲われたんだ。そのとき彼女と出会って……俺たちもクリーチャー化するかもしれないって知った」

 いきなり頭を殴られたような気分だった。脳が追いつかずに喉元で言葉が絡まる。

「待ってくれ……それ、どうして……」

 彼らはあの吹雪の中でそんな危険な目に遭っていたのか? そしてとんでもない秘密をずっと黙っていた。ぼくは何をしていたのか。ひとりだけ老いぼれみたいに一日中眠っていただけだ。
 眩暈がする。状況を把握したい理性を何かが押し潰してくるようだった。うまく考えられない。
 
「ふざけるなよ、きみらがそんな危ない状況にいて、ぼくは……ぼくならきっと助けに……」

 馬鹿らしくなって声が萎む。彼らは無事だからここにいるし、ぼくたちも化け物になるリスクがある以上やるべきことは無数にある。過ぎたことを責めて何が変わるというのだろう。
 動いてもないのに息が上がる。室温のせいで朦朧としてきた意識の向こうにヒースの必死な顔が見えた。

「そうだよ、俺たちにはクレイが必要だ。だからこうして話してる。イライザは、もしかするとエディが抗体を持つかもしれないって言ってた。だから、俺たちと彼女で、今ここで何ができるか考えたい」
「エディが?」

 急に耳鳴りがして、目の前に立ったエディを見上げる。彼はそっとしゃがみ込んで、目線を低くしてくれた。まるで病人みたいな扱いで最悪だ。
 ただ――彼はぼくを避けていたわけじゃなかった。勝手に右手が彷徨って、それを彼が掴む。息が苦しい。

「……イライザはエディを連れて行きたがってるけど、どうするかはまだ決めてない。とにかく、まずはきみに話をしたくて」

 薪が割れる音が耳鳴りを突き破る。
 顔を上げるとエディはいつの間にか立ち上がっていた。いつ動いたんだろうか、気づかなかった。ヒースもすぐそばで両手を中途半端に差し出している。ぼくは眉をひそめた。

「クレイ?」
「あぁ……なんだよ」

 恐る恐る訊ねてきたヒースはほっとしたように手を下ろす。彼らが息を詰めるたび、余計に腹が立った。
 いや――重要なのはそんなことじゃない。少しずつ頭の隅が白ずんでいく気分だった。姿も見たことないその女が勝手に形を持ってきて気分が悪い。
 
「彼を連れていかれてたまるか。すぐにでも大人たちに伝えて、出ていかせる」
「エディは行くと決めたわけじゃないよ。とにかくイライザが情報を持ってるのは確かなんだ。きみの体調のことだって何か分かるかもしれない」
「ぼくがクリーチャー化するかどうかが?」
「クレイ……!」

 どうしてそんなに深刻そうな顔をするのだろう。ここまでぼくをその女に診せたがるのは、化け物になるのを心配してのことくらい分かる。

「いいぜ、連れてこいよ」

 その人間が役に立たないことを証明した方がずっと早い。ぼくの言葉に二人は少し躊躇するように黙ったけれど、しばらくしてヒースが顔を上げた。

「……イライザの様子を見てくる」

 正直エディと二人になるのも嫌だったけれど、ヒースは振り返ることなく出ていく。今すぐ横になりたい誘惑に耐えながら、薪が燃える音に耳を澄ませた。エディは出ていかない。

「……秘密にしようと提案したのは僕なんだ」

 彼は言った。微動だにしないぼくについて彼が何を考えたのかは分からない。

「きみは特に、人間を警戒してるから。少しでも何か分かってからがいいと……思って」

 やけに聞き取りづらい声だった。少しだけ視線を上げても、彼と目線は合わない。その、首を絞められるような感覚に苛立ちが混じる。

「……人間を見れば発狂するとでも思ったか?」
「違うよ。僕はただ、きみたちが……」

 長く息を吐く音が上から降ってくる。エディの些細な仕草にさえ体が緊張したみたいに固くなった。
 彼にはぼくが、ただ人間に執着しているやつに見えていたのだろうか。そんなことは――耐えられない。

「きみこそ軽率なんじゃないのか。そんな得体の知れない人間を信じるなんて」
「けど、花人間のクリーチャーはこの目で見たんだ。ぼくはきみたちふたりをあんな化け物にはさせたくない」
「……そいつと一緒に行くのか?」
「ヒースが言った通りだよ。まずは、今ここでできることを探してる」

 信じられなかった。少しでも行く気があるということだ。
 次第に冷静さが戻ってくる感覚がある。ぼくは元のベッドに移動してゆっくり横になった。エディはそのままヒースを待つつもりなのか、少し離れた椅子に腰掛ける。こんな蒸し暑くて不快な場所によくいられるなと軽口を叩くのはやめた。
 彼らが連れてきた人間は、きっと何かを企んでいる。二人はクリーチャー化の恐怖で思考が鈍っているに違いない。
 危険を見極めるのがぼくの役割だと思った。