狩りを抜け出し、俺たちはイライザの元へやってきた。空がすっかり雲に覆われてしまったせいか、次第に気温が下がっていくようだった。
彼女は今日も外に出て体を動かしていて、俺たちの姿を見つけると軽く手を上げる。
「地図の場所はどうだった? なかなかいいロケーションだったんじゃない?」
足をゆっくり延ばしながら微笑む彼女は取り繕っているようには見えない。答えずにエディの顔を見ると、彼は警戒心をむき出しにして彼女を睨んでいた。
「……花人間のクリーチャー化について、まだ隠してるだろ」
かなり直球な訊き方だった。彼女は訝し気に眉を寄せ、警戒心をこれ以上与えないようにするためかまっすぐ立ってこちらを見る。
「隠しているというより、すべてを話す必要はないと思っているだけ」
「蔓まみれのクリーチャーとか?」
「……何か見たの?」
今度はエディが黙る番だった。俺ですら、イライザが何か知っているのだと直感できた。遠回しな訊き方は不要な気がして少し前に出る。
「あの地図の場所にそれがいた。あなたがそいつと関係があるのか、彼は疑ってる」
イライザはその顔を引きつらせる。それはあのクリーチャーを脅威と考える者の表情に見えた。
彼女はゆっくり息を吐き、敵意がないことをはっきり伝えるためかその場に腰を下ろした。両腕をついて、うんざりしたように空を仰ぐ。その後ろには平野と重い雲が広がっているだけで、彼女は随分小さく見えた。
「その状況なら、あなたたちがわたしを疑うのも理解できるけど……まったく。その蔓人間はどうなったの?」
「何もしてない。蔓に絡まって腐りかけてた」
「そう……なら危険はない」
俺とエディは顔を見合わせる。彼女はすべてを話す気はなさそうだった。エディは眉をひそめ、苛立ちを隠そうともしない。
「……知ってることがあるなら話せよ」
「花人間のクリーチャー化と同じよ。仕組みはわたしたちも把握してない。蔓まみれになる症例を知っているだけ」
「結局あんたの知らないことばかりだ。そんな団体のところに僕が行って、何が変わると思ったんだよ?」
「だから言ったわよね。ウイルスの解明と花人間のクリーチャー化は話が違う……」
彼女の声は風で吹き飛ばされそうなほど弱々しかった。冷たい空気がじわじわと体温を奪うのを感じながら俺は息を吸う。
エディの警戒は消えないし、俺だってそれを忘れるつもりはない。ただ、もっと優先すべきものがあるだけだ。
「あなたを俺たちのコミュニティに案内する。怪我もその方が治りは早いだろうし……クリーチャー化の話についてもあなたの判断で共有してもらいたい」
「……なぜ今なの?」
瞳だけが俺を射抜く。体が固まる心地だった。もう何度か深呼吸を繰り返して口を開く。
「……もう俺たちだけで抱えられるような状況じゃないから。それに……俺たちの仲間に、オレンジ色の髪をした人がいる。彼の状態をあなたに診てほしい」
「……何か気になる兆候がある?」
「数日前から体が怠くて満足に動けてない」
言いながら、退屈そうに窓の外を眺めるクレイの姿がよぎる。彼の弱った姿はもう見たくない。
イライザはがっくりと項垂れ、長く息を吐き出している。その仕草がクレイの状態が悪いことを伝えてくるようで血の気が引いた。訊ねたいのに言葉が出ない。
「……大事な人なのね」
小さな呟きは聞き逃さなかった。どこかに置いてきたものを懐かしむような響きがあるのは――気のせいだろうか。
その心情を考える暇もなく、顔を上げた彼女と目が合い緊張が走る。ゆっくり立ち上がるイライザに手を貸したくなった。
「分かった。この家とおさらばできるなら喜んでそうする。でも……クリーチャー化の話はできない。疑心暗鬼に陥ったコミュニティがどうなるか、あなたたちも理解できるでしょ?」
「……構わない。ただ、俺たちには情報を共有してほしい。みんなが生き延びるためにどうしたらいいのか。オレンジ色の彼が……どんな状態なのかも」
「……最善を尽くすわ」
俺はエディと顔を見合わせた。大変なのはここからだろう。理解しているからこそお互いの表情は固いままだった。エディはそれ以上訊ねることはせず、彼女の元へ歩み寄る。
「すぐ近くで猟をしてる仲間がいる。まずはそこに来てもらう」
「一応訊くけど、そのお仲間ってわたしを撃ったりしないわよね?」
「さあ。そうならないように努力するけど」
イライザは肩を竦めて笑った。まだおぼつかない足取りで荷物を取ってくると、エディの肩を借りながら歩き始める。身長差があるせいか歩きづらそうだ。
「俺が代わろうか?」
言い終わる前からエディは首を横に振り、離れていてほしいと目で伝えてくる。それほど警戒しているというのに、俺の案に乗ってくれていることを改めて奇妙に思った。
イライザを目にした大人たちの顔は、クレイが心底気に入りそうなものだった。
ただ、想像していたより落ち着いて見えるのは、連れてきたのがエディだったからなのか、怪我をした彼女が非力に見えたのか、どちらかは分からない。囁き声と葉擦れの音を他人事のように聞いていた。エディの話によると、ついさっき怪我をしている彼女を見つけたらしい。淡々と必要な情報だけを伝える彼の言葉には、それが嘘だと知っている俺でさえ説得力を感じた。
「……分かった。連れて行こう」
その声を合図に、仲間たちはコミュニティに向かって歩き出した。俺も、彼のように話ができるだろうか。自分の選択で動き出していく物事は恐ろしかった。もう後には引けない。
きっと彼は怒るだろう。けれど、口論するのは慣れている。今までずっと先延ばしにして向き合ってこなかったことをやるだけだ。
コミュニティの壁が見え始めるころにはいくらか冷静さが戻っていた。まずは話と手当てをするために、彼女はコミュニティの奥に案内されていく。ふと振り返ったその目に宿る感情は相変わらず読めなかったけれど、その瞬きは「また後で」と言われているように見える。俺たちはとうとう、秘密を持ち込んだのだ。
「人間が来たことは、すぐクレイの耳に入ると思う」
隣で囁くエディに、彼が何を言いたいのかすぐに理解する。もたもたしていられない。次第に騒がしくなっていくコミュニティの様子を横目で眺めながら、俺はヘイブンへと進み始めた。
「ヒース」
遠くなった声を不思議に思って振り向くと、エディは立ち止まったまま緊張した表情でこちらを見つめていた。
「きみたちふたりだけの方がいいから」
その手を力なく上げて、彼は微笑んだ。その横を過ぎていく仲間たちの中、彼の茎の髪がやけに目立つ。エディは俺たちみたいな香りを持たない。
急に喉の奥が詰まる。クレイの無鉄砲さに拍車をかけるのは、エディではない。
「クレイは……きみのことずっと気にしてるんだ。これからも彼と一緒にいてほしい」
あの夜、月明かりの下で見たエディの顔を思い出す。一緒に来てほしいと言った彼は、最初からずっとクレイの無事を願っていたに違いない。
自分がどれだけ浅はかなのかを見せつけているみたいでいたたまれたくなったけれど、驚くほど簡単に言葉は出ていった。
「俺たちは三人でここにいるべきだよ。きみがイライザと行く必要もない。今ある彼女の情報で、クレイのために何ができるか……三人で決めればいいんだ。だから一緒に来てほしい」
「そんなこと……きみから言われるなんて」
いつの間にか顔が伏せられていたせいで彼の表情は分からなかった。その茎の髪が風に揺れて、ゆっくりと顔が上がる。彼は相変わらず困ったような顔をしていて、たぶん、鬱陶しいからだと、そう思うことにした。あまりにも苦しそうで見ていられない。
「……分かったよ」
頷いて、俺よりも大きな歩幅で彼はやってくる。俺たちは並んで歩きだした。
曇り空から顔を出したのか、夕日が廊下をオレンジ色に染めている。やっと帰ってこられた気分だった。きっとイライザの姿を一目見ようと多くの仲間たちが外に出ているのだろう。ヘイブンは静まり返っている。
もしかするとクレイも出て行ったかもしれないと不安がよぎったが、医務室の扉を開けると彼の香りが漂ってきてほっとする。同時に、忘れていた緊張感が口からあふれそうなほどせりあがってきた。
俺たちの姿を目にした途端、クレイは飛び起きて前のめりになる。
「よかった、無事だったのか……」
そう口に出してゆっくり体の力を抜く。責めるわけでもないその声色に少しだけ胸が痛んだ。彼の具合は朝見た時よりも悪そうで、慌てて彼の元に駆け寄る。
「人間を連れてきたって……いったい何があったんだよ?」
「全部話すから。それより、きみなんだか調子が悪そうだ……」
「最近はずっと良かったり悪かったりさ。それで? 話してくれよ。連れてきたってことは……危険はないってことだよな?」
少しでも彼を落ち着かせたくて俺は何度も頷く。
「大人たちには話してないけど……俺たち、本当はあの吹雪の日から一緒にいるんだ。彼女はイライザといって、花人間やウイルスに詳しい団体の研究医で」
「待て、なんだって?」
「だから、その……数日前から彼女を観測所で匿ってたんだ。花人間に詳しい人で、色々話を聞いた。連れてきたのは……きみの状態も診てもらえると思ったからだよ」
匿っていたというより置き去りにしたと言うのが正しいけれど、詳しく話す余裕はなかった。どんどん口の中が乾いて、クレイの顔すらまともに見れない。部屋の中が暖かかったせいか額に汗がにじむ。薪の割れる音が耳に残った。
「どうして教えてくれなかったんだ」
「分かるだろ? きみを危険な目に遭わせたくないから」
理由なんてそれしかない。けれど、それが理解されなくてもいい。彼がこれからも生きていてくれればなんでもいい。
俺はようやく顔を上げた。そして、そこにある軽蔑と怒りのこもった瞳に体が冷えていくのを感じた。
「ぼくを除け者にして楽しかったか?」
クレイはそう言った。
