花人間のカルテ――解釈について

 彼らとの食事はいつも息が詰まる。こうなると分かっているのに、どうして僕らは一緒にいるんだろう。
 
 茎の髪に触れる癖がついてしまっている。その固くて鬱陶しいものをかき上げながら彼らを横目で見た。オレンジ色と白い花弁の髪は、この感染者だけの小さなコミュニティの中で特に目立つ。
 食堂には共に生活する仲間たちの楽しげな声が響いているのに、僕らときたらまるで残飯でもあさっているかのように静かだ。じゃがいもがどろどろに溶けたシチューは好きなのに、それを話題に出す気力すら湧かない。

「このあと、行くよな?」

 隣からクレイが訊ねてきた。視線を彷徨わせるふりをしながら目の前に座るヒースを盗み見る。彼は怒っただろうか。スプーンを置く音がさっきより大きくなった気がする。

「……まぁ」

 しどろもどろな答えになる。外の話をふたりの前でするのは嫌だった。

「今日はぼくも行くよ。昨日の奴ら、弾を無駄撃ちしただけで何の獲物も獲ってこなかったらしいじゃないか」

 その爽やかな笑顔に似た香りが、クレイのオレンジ色の花から漂ってくる。二重瞼の大きな瞳は今日も自信に満ちていて、「行くな」という言葉は喉の奥に張り付いたまま出ていかない。
 白い花のヒースと一瞬だけ目が合った。その視線はすぐに逸らされ――彼の不満がありありと伝わってきてうんざりする。

「きみ……目立つからあまり外に出るなって言われてなかった?」

 せめてもの抵抗で口にしてみるが無駄だろう。クレイの用意周到さは今に始まったことではない。予想通り、彼は白い歯を見せて笑う。

「大人たちにはもう許可はもらってる。そもそも、射撃テストの成績がトップだったのに断られる理由がないね」
「まったく……」

 僕がどれだけ神経を使っているかなんて、呆れたポーズくらいでは伝わらない。案の定、ヒースは食事を終えるとさっさと席を立った。遠ざかる背中を眺めながら、クレイが肩をすくめる。

「不満があるなら言えばいいのにな」
「……きみが外の話をするからじゃないの」
「知らせとかないと余計に文句を言われるんだぜ。ぼくは十分努力してる」

 努力のベクトルが違う気がしてならないけれど、彼らの関係がこうなのは今に始まったことじゃない。
 空になった皿を片付けることを理由に席を立ち、足早にヒースの元へ向かった。体の熱を奪っていくような冷えた廊下の先、その背中を見つける。

「ヒース」

 呼びかけて僕の方が戸惑う。彼は立ち止まって体の半分だけをこちらに向けた。何か言わなくてはならない。

「……クレイのことだけど。ちゃんと僕が様子を見てるからさ」
「言っただろ。俺は彼に外に出てほしくないだけだ。きみがそばにいるとかは……どうでもいい」
「僕が彼を止められるとでも?」

 自嘲気味に言ってみたけれどうまくできているかは分からない。彼はまだ何か言いたそうだった。その灰色の瞳が何もない床を見つめ、そのまま去っていく。追う気力はもうない。僕はクレイの元へ戻った。

「あいつ、なんだって?」

 ヒースを追いかけたことはお見通しらしい。今度は向かい側に座ると、彼は空になった皿を横にずらして頬杖をついた。きみたちふたりの話しじゃないかと言ってやりたくなる。

「嫌がられた」
「きみが一緒だとあいつも安心すると思ったけどな。もう半年経つってのに、まだ警戒してるらしい」
「まぁ……こんな髪だし」

 言いながら、また髪に触れていた。僕の髪は根元から先まで緑の茎でできている。鮮やかな香りを持ち、綺麗な花の髪を咲かせる彼らの中にいると、たまにその姿が羨ましくなることはあった。
 特にクレイの花弁はこれまで見てきたどんなものよりも鮮やかで、彼が感染者であることを知らせる。まるで的のようで、外にいるところを見かける度にぎょっとした。

「ぼくたちだって十分奇妙な姿だろ。あいつはなんでも……心配しすぎなんだ」
「ヒースはきみが心配なんだよ」
「ずいぶんあいつの肩を持つんだな」

 からかうような声に眉根が寄る。思わずにじみ出た表情に気づいたようだったが、彼は気に病むこともなく肩をすくめた。

「あと一年でこの共同生活も終わって独り立ちなんだ、何が危険かどうかなんて自分で判断できる」

 閉鎖的で、不自由なこの宿舎は、それこそ『ヘイブン』という名に相応しく僕にとって悪くないものだけれど、クレイにとっては檻と同じらしかった。
 十八になればコミュニティ内でどこに住むか自分で決め、どうやって人々の生活に貢献していくか決めることができる。彼はその日を待ちきれず、機会があればいつも外に出たがった。

「そろそろ行こうか」

 空になった彼の食器をぼんやり眺めながら声をかける。昼食の後は、大人たちがやっている狩りへの同行だ。僕が撃つのは獲物ではなく、怪物の方だけど、未だにそんな状況に陥ったことはない。きっと今日も明日も同じだ。
 この世界で安全が保たれることの方が稀だというのに、ヘイブンでの生活は確実に僕から生存本能のようなものを奪っていく。それはきっと、白とオレンジの花のせいでもあるのだろう。

「まぁ、見てろよ。ぼくが狩りについてきてよかったってすぐに思うからさ」
「期待してる」
「ふん、何か賭けてもいいぜ」

 いつもの軽口をたたくクレイとの会話は楽しい。もうここにはいない白い花を探しながら、僕はコミュニティの外へと向かった。
 
 
 ◇
 
 硝煙の匂いを嗅ぐと、ここに来る前の自分に課されていた役割を思い出す。今いるコミュニティと違って、生まれ育ったあの場所は人間と感染者が共存していた。今思えば狂気的なことだ。

 僕が生まれる前は、人間が花を咲かせて死ぬことはなかったらしい。

 そのウイルスに適合した僕らを、人間は『花人間』と呼ぶ。花を咲かせない僕が何と呼ばれていたのかは――以前のコミュニティを去った今となっては知る由もないけれど。
 木々に囲まれたこの場所から、周囲を注意深く見渡す。森は今日も静かだった。先ほど轟いた銃声に誘われた怪物はいない。
 見上げると、その隙間に曇空が広がっていた。風が葉を揺らす音が心地よく、どこにいるのか忘れそうになる。よくないことだ。短く息を吸って集中力を取り戻そうと試みた。
 
「エディ」

 名前を呼ばれて振り返る。途端、明るいオレンジ色の花びらが視界を独占した。

「賭けはぼくの勝ちみたいだな」
 
 クレイは白い歯を見せて笑うと振り返った。その視線の先には、鹿が一頭横たわっている。先ほどの銃声は彼のものだったのだ。
 状態を見るに、一発で仕留めたらしい。相変わらず見事なお手前だと感心している僕の様子に満足したのか、無邪気な笑顔をこちらに向ける。それだけで愉快な気分になった。

「運ぶの手伝おうか?」
「ひとりで運べないってよく分かったな。頼むよ」

 皮肉っぽく言って、彼は仕留めた鹿のほうへと向かう。その後を追いながら、僕は小さく笑った。

「ヒースもこれを見たら納得するかな」
「甘いな。あいつ頑固さは筋金入りだからね」

 きっとお互いを同じように思っているのだろう。
 幼馴染のふたりが花人間になったことはとんでもなく幸運なことなのに、彼らは少しも特別に感じていない。

 ふたりの友情は、花人間よりもずっと不可解だ。

 ヒースとクレイの絆は自己犠牲でもなく、献身的でもない。むしろお互いを鬱陶しいとすら思っている。それなのに、どちらが離れていくこともない。
 ふたりの間に入る余地はないし、息が詰まるのは本当だ。けれど、彼らを見ているだけで、世界が隠してきた宝箱を見つけたような弾んだ気分にもなる。僕はそれをとても気に入っている。
 また風が吹いてクレイの香りが鼻先を掠めた。白い息を吐く彼に僕は思い立って、自分の首元に巻いていたマフラーを外して差し出す。

「これ、きみにあげるよ」

 クレイは少しだけ目をみはり、困ったように眉を寄せる。受け取るべきか迷っているのだろう。念を押すように僕は言う。

「賭けの報酬」
「これが? いいね、じゃあありがたく受け取るよ」

 目じりを下げる人懐っこい笑みを浮かべながら、クレイはマフラーを受け取って首に巻いた。首元を黒いそれで覆われると、余計に彼の花びらの色が映える。

「そのほうが、きみの髪が見つけやすくて助かるね」
「迷子みたいに言うなよ」
 
 言葉に反して彼は嬉しそうだった。僕たちは鹿を運びながら、コミュニティへと戻り始める。
 人の気配のない森の中、異様に鮮やかな草花が地面に広がっている場所が嫌でも目に入った。
 あの下には、もとは人間だったものが土に埋もれているのだろう。雪が降ってもおかしくないこの寒さの中で、決して枯れることなく咲き続けるそれは気味が悪い。

「エディ」

 クレイの声に思考は途切れる。進行方向を向いたまま、僕は短く返事をした。鹿を引きずる音だけが響き、何となく嫌な予感がする。

「話があるんだ」

 風が吹いて僕は目を細めた。正直なところ、すぐにでも断りたい。ただ、残念なことに周囲に会話を邪魔するものはなかった。

「なに?」
「エディは……『ハンター』って聞いたことあるか?」
「今の僕ら?」

 やけに真剣な声から逃げたくて、少しふざけてみる。それでも、クレイの調子は変わらなかった。

「違うよ。花人間を狩る人間のことだ」