しかし、そんな逃避行のような日々も、終わりを告げる時は無情にやってくる。
あの日、準備室から持ち去った、藍色のガラスペン。
その一本のペンが、二人の細い糸を引きちぎった。
刑法第235条――窃盗罪。
警察のサイレンが別荘の入り口を赤く照らす。
母が、泣き崩れながら叫ぶ声が聞こえる。
先生の手首に冷たい金属がかけられ、僕の腕が、大人たちの大きな手によって強引に引き剥がされる。
「先生……!」
僕は叫ぼうとしたが、言葉は潮風にさらわれて消えた。
先生は、振り返らなかった。ただ、その背中は、かつて準備室で僕を見た時よりも、ずっと小さく、脆く見えた。
春休みが明ければ、僕がいたはずの教室には、新しい椅子と、新しい期待が並ぶだろう。
咲も、早瀬も、星川も。みんなが新しい制服に身を包み、希望という名の欺瞞に満ちた道を歩き出す。
僕の手元には、もう何もない。
学年八位という誇りも、難関校への切符も、先生という唯一の理解者さえも。
ただ、指輪のない指が、空を掴んで震えている。
