精神崩壊

 窓を叩く雨音が、まるで僕たちを世界から切り離す境界線のようだった。
 抱きしめる清水先生の腕が、かすかに震えているのが伝わる。かつて数学の美しさを説いていたあの理知的な男はもういない。ここにいるのは、僕という劇薬に侵され、自ら地獄を選んだ一人の共犯者だ。
「先生。……後悔してる?」
 僕が問いかけると、先生は僕の髪に顔を埋めたまま、熱に浮かされたような声を出した。
『……後悔? そんな高尚なものは、とっくに捨てたよ。維月、君が俺の人生という数式を滅茶苦茶にしたあの日から、俺の正解は君だけになったんだ。……愛しているよ。教師としてではなく、君に人生を壊された、ただの愚かな男として』
 初めて聞く、剥き出しの告白。
 それは甘い愛の言葉などではなく、血を流しながら交わす契約のようだった。先生は僕の顔を両手で包み込み、泣き出しそうな、それでいて恍惚とした瞳で僕を見つめる。
『君を檻に入れているつもりだったが、閉じ込められていたのは俺の方だった。君がいない未来に、もう一分一秒の価値も見出せない。……たとえこの先、どんな罰が待っていても、俺を軽蔑し、愛し、最後まで壊し続けてくれ』
 僕はその言葉を、一滴も零さないように心に流し込んだ。
 僕たちは、愛し合っているのではない。互いの傷口を舐め合い、腐敗していく過程を共有しているだけだ。けれど、その不純な結びつきこそが、僕たちが世界に対して示せる唯一の反抗だった。
「僕もだよ、先生。……死ぬまで、離さないで。僕たちの不合格な人生を、二人で最後まで使い切ろうね」
 二人の唇が重なる。それは、明日など来なくていいと願う、絶望の口づけだった。この薄暗い部屋の中で、僕たちは確かに、世界の誰よりも深く、醜く、美しく結ばれていた。