維月が姿を消したという報せは、保釈中の身である清水の元に、弁護士を通じて、あるいは止まらないネットの喧騒を通じて届いた。
かつての教え子を「暴行」したという罪を着せられ、教師としての地位も、家族も、平穏な未来もすべてを失った清水にとって、維月は自分の人生を破壊した「爆弾」であり、同時に、この世界で唯一自分を「定義」してくれる存在となっていた。
その維月がいなくなった。
清水の生活は、一分一秒が維月という「不在」によって検閲される地獄へと変わった。
清水は、日がな一日、安アパートの薄暗い部屋で、維月の面影を追いかけることしかできなかった。
かつて準備室で維月と解き明かした数式、彼に与えた課題、そしてあの日、首を絞めた時の指先に残る喉の熱――。清水は、震える手で壁にチョークを走らせ、維月という変数が消えた後の「世界の方程式」を書き連ねた。だが、何度計算しても、解は常に『ゼロ』だった。
食事は喉を通らず、酒の空き瓶だけが部屋の隅に等間隔に積み上げられていく。かつての潔癖な彼なら耐えられないほどの惨状だが、いまの清水にとっては、その汚れさえも「維月に壊された証」として愛おしかった。
彼は時折、発作的に外へ出た。
向かう先は決まっている。維月が最後に目撃されたという公園、あるいは彼がかつて住んでいた家の近くだ。キャップを深く被り、警察や世間の目を盗んで、彼は幽霊のように街を彷徨う。
彼の態度は、以前の知的な威厳を完全に失い、何かに怯えながら、同時に何かを熱望する狂信者のようだった。通り過ぎる中学生の背中を見るたびに、彼の心臓は激しく波打ち、呼吸が浅くなる。
維月のいない生活は、清水にとって「情報の断絶」を意味した。
銀色のスマホが鳴ることはもうない。監視し、監視されるという、あの至高の支配関係が失われた部屋は、静まり返った墓標のようだった。
ふとした瞬間に、鼻を突く「石鹸の匂い」がした気がして振り返る。だが、そこには埃の舞う冷たい空気があるだけだ。
『……どこへ行ったんだ、維月。君がいない世界で、先生はどうやって自分を採点すればいいんだよ』
夜、目を閉じれば、あのアパートでの接触が鮮明に蘇る。
自分の理性を爆発させた維月の、あの「もっと壊して」という悦びに満ちた声。その声が幻聴となって、清水の耳の奥を掻きむしる。
清水は自嘲気味に笑った。
教師として彼を導いているつもりだった。だが、本当は維月という檻に閉じ込められていたのは、自分の方だったのだ。
そして、三月の雪が街を白く塗りつぶした夜。
維月が消えてから、世界はひどく静かになった。
彼が座っていた教室の椅子、彼が数式を書き殴ったノート、彼が呼吸をしていた部屋。そのすべてが、持ち主を失ったことで急激に色を失い、ただの物質へと退化していく。
学校では、彼の机の上に誰かが置こうとした花瓶が、教頭の「まだ死んだと決まったわけではない」という、保身に満ちた冷たい一言で片付けられた。けれど、生徒たちの間では、すでに彼は「過去形」の存在だった。
「あんな雪の中、薄着で消えたんだから」「先生と心中したに決まってる」。
無責任な憶測は、もはや祈りですらなく、ただの娯楽として消費されていた。彼がかつて追い詰めた星川も、今は空っぽの隣の席を、怯えと安堵が入り混じった複雑な目で見つめることしかできない。
そして、失踪から数日が経過したある夜。
冷え切ったリビングで、遺影のように動かない母が眺めるテレビ画面に、速報が流れた。
『――続報です。数日前から行方不明となっていた中学生、辻田 維月さんが失踪したと見られる廃屋からほど近い雑木林にて、雪に埋もれた遺体が発見されました』
画面に映し出されるのは、立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされた、寒々しい現場の光景。
ニュースキャスターの無機質な声が、追い打ちをかける。
『遺体の損傷は激しく、性別の判別にも時間を要するとのことですが、付近からは行方不明の生徒のものと思われる遺留品も発見されており、警察は身元の確認を急いでいます。現場の状況から、事件と事故の両面で捜査を進めるとともに、当時現場にいたとされる元教師の男との関連性についても――』
かつての教え子を「暴行」したという罪を着せられ、教師としての地位も、家族も、平穏な未来もすべてを失った清水にとって、維月は自分の人生を破壊した「爆弾」であり、同時に、この世界で唯一自分を「定義」してくれる存在となっていた。
その維月がいなくなった。
清水の生活は、一分一秒が維月という「不在」によって検閲される地獄へと変わった。
清水は、日がな一日、安アパートの薄暗い部屋で、維月の面影を追いかけることしかできなかった。
かつて準備室で維月と解き明かした数式、彼に与えた課題、そしてあの日、首を絞めた時の指先に残る喉の熱――。清水は、震える手で壁にチョークを走らせ、維月という変数が消えた後の「世界の方程式」を書き連ねた。だが、何度計算しても、解は常に『ゼロ』だった。
食事は喉を通らず、酒の空き瓶だけが部屋の隅に等間隔に積み上げられていく。かつての潔癖な彼なら耐えられないほどの惨状だが、いまの清水にとっては、その汚れさえも「維月に壊された証」として愛おしかった。
彼は時折、発作的に外へ出た。
向かう先は決まっている。維月が最後に目撃されたという公園、あるいは彼がかつて住んでいた家の近くだ。キャップを深く被り、警察や世間の目を盗んで、彼は幽霊のように街を彷徨う。
彼の態度は、以前の知的な威厳を完全に失い、何かに怯えながら、同時に何かを熱望する狂信者のようだった。通り過ぎる中学生の背中を見るたびに、彼の心臓は激しく波打ち、呼吸が浅くなる。
維月のいない生活は、清水にとって「情報の断絶」を意味した。
銀色のスマホが鳴ることはもうない。監視し、監視されるという、あの至高の支配関係が失われた部屋は、静まり返った墓標のようだった。
ふとした瞬間に、鼻を突く「石鹸の匂い」がした気がして振り返る。だが、そこには埃の舞う冷たい空気があるだけだ。
『……どこへ行ったんだ、維月。君がいない世界で、先生はどうやって自分を採点すればいいんだよ』
夜、目を閉じれば、あのアパートでの接触が鮮明に蘇る。
自分の理性を爆発させた維月の、あの「もっと壊して」という悦びに満ちた声。その声が幻聴となって、清水の耳の奥を掻きむしる。
清水は自嘲気味に笑った。
教師として彼を導いているつもりだった。だが、本当は維月という檻に閉じ込められていたのは、自分の方だったのだ。
そして、三月の雪が街を白く塗りつぶした夜。
維月が消えてから、世界はひどく静かになった。
彼が座っていた教室の椅子、彼が数式を書き殴ったノート、彼が呼吸をしていた部屋。そのすべてが、持ち主を失ったことで急激に色を失い、ただの物質へと退化していく。
学校では、彼の机の上に誰かが置こうとした花瓶が、教頭の「まだ死んだと決まったわけではない」という、保身に満ちた冷たい一言で片付けられた。けれど、生徒たちの間では、すでに彼は「過去形」の存在だった。
「あんな雪の中、薄着で消えたんだから」「先生と心中したに決まってる」。
無責任な憶測は、もはや祈りですらなく、ただの娯楽として消費されていた。彼がかつて追い詰めた星川も、今は空っぽの隣の席を、怯えと安堵が入り混じった複雑な目で見つめることしかできない。
そして、失踪から数日が経過したある夜。
冷え切ったリビングで、遺影のように動かない母が眺めるテレビ画面に、速報が流れた。
『――続報です。数日前から行方不明となっていた中学生、辻田 維月さんが失踪したと見られる廃屋からほど近い雑木林にて、雪に埋もれた遺体が発見されました』
画面に映し出されるのは、立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされた、寒々しい現場の光景。
ニュースキャスターの無機質な声が、追い打ちをかける。
『遺体の損傷は激しく、性別の判別にも時間を要するとのことですが、付近からは行方不明の生徒のものと思われる遺留品も発見されており、警察は身元の確認を急いでいます。現場の状況から、事件と事故の両面で捜査を進めるとともに、当時現場にいたとされる元教師の男との関連性についても――』
