精神崩壊

 ――入学式の最中。
 ぼくにとっては、ただ退屈な儀式に過ぎなかった。
 新入生という名の主役を演じてはいても、心はここにはない。校長の冗長な祝辞も、周囲に漂う緊張しきった空気も。ぼくの耳を通り過ぎていくだけだ。
 ただ、舞台袖に立つ清水先生だけを、視界に網羅していた。
 指先一つ動かさない、完璧な直立不動。
(……そこまでしなくてもいいのに)
 呆れ混じりの独白は、ぼくだけが知る甘い優越感だった。
 ――式が終わり、教室に戻る。
 清水先生が初めて「担任」として教壇に立った。
 先生はぼくたちに背を向け、新品の白いチョークを手に取る。
 黒板に名前を書き終えた瞬間、乾いた音が教室に響いた。チョークを黒板に打ちつける、独特の残響。
その音が止んだ後の教室は、真空になったように静まり返った。まるで、先生の引いた境界線の中に、ぼくたちが閉じ込められたみたいに。
 余韻の方が強くなる。
『清水 悠一』
 初めて見る、先生の字。
 白いチョークが黒板に吸い付く。止め、跳ね、払い。人間特有の「揺らぎ」を拒絶して並んだ文字は、冷たく整い、教室に乾燥した白の沈黙をもたらした。書き損じも、震えもない。それは解き終えたばかりの数式のようで、ぼくはただ、その白さを凝視していた。
 ぼくは、その文字をずっと見ていたいと思った。
『本年度、この学級の担任を務めさせていただきます。清水悠一と申します。皆さんとこの教室で過ごせることを、今日までとても楽しみにしていました』
 丁寧で誠実な挨拶。
 けれど、ぼくの耳には、それはただの「形式的なフレーズ」にしか聞こえなかった。
 感情を削ぎ落とした、模範解答。
 それこそが、ぼくの惚れた清水先生らしいと思った。