精神崩壊

 ――三月。校庭の桜が、ボクたちの事情なんて露知らずに蕾を膨らませていた。
 終業式、ボクの席には誰もいなかった。先生が消え、ボクもまた「被害者」という名の実質的な追放者として、学校から切り離された。けれど、そんなことはどうでもよかった。
 春休みが始まり、周囲の「普通」の生徒たちが、偏差値という物差しで自分の未来を測り、必死に机に向かっている。
 ボクもまた、同じように自室の机に向かっていた。けれど、ボクが目指しているのは、母の期待に応えるためでも、明るい未来を掴むためでもない。
「……先生。この問題の解、導き出したよ」
 ボクは独り言を呟きながら、ペンを走らせる。
 かつて準備室で「学年八位」という数字を突きつけられたあの日。先生はボクを完璧に仕上げると言った。その「教育」は、今もボクの脳内で続いている。先生が不在となった今、ボクはボク自身を採点し、監視し、削ぎ落とし続けなければならない。
 母は、あれ以来ボクに触れようとしない。
 時折、ボクの部屋の前に置かれる食事は、まるで死者への供え物のようだ。彼女にとってボクは、もう「自慢の息子」ではなく、自分の理想を壊した不気味な「変数」に成り下がったのだ。
 けれど、それでいい。
 ボクを支配するのは、母のヒステリックな愛ではなく、先生のあの冷徹な数式だけでいい。
 ボクが目指すのは、この町の誰も知らない、偏差値の頂点にある高校だ。
 そこへ行けば、もっと高度な、もっと美しい数式に出会えるかもしれない。そして、そこでボクが「完璧」になれば、いつかまた、あの惨めな姿になった先生に、最高の「解答」を突きつけられるはずだ。
「先生、見てて。ボクは、先生が望んだ通りの『完成形』になるから」
 ペン先が紙を削る音だけが、静かな部屋に響く。
 スマホの画面は、もう明滅しない。けれど、ボクの瞳の奥には、今もあの銀色の筐体が放っていた冷たい光が焼き付いている。
 受験生としての春休み。
 それはボクにとって、先生という檻をさらに強固にし、自分自身を閉じ込めるための儀式だった。
 外では春の嵐が吹き荒れ、桜の花びらを無慈悲に散らしていく。
 ボクは、たった一人の「神様」の期待に応えるために、暗闇の中で計算を続けた。