精神崩壊

 ――四時限目が終わると、教室内にはにぎやかな、けれどボクにとっては耳障りな喧騒が広がった。配膳台が運ばれ、プラスチックの食器がぶつかる無機質な音が響く。
「おい辻田ー、お前今日も残すなよ? ひょろひょろでキモいんだからさ」
 中心グループの男子が、ニヤニヤしながらボクの背中を強く叩いた。周囲からドッと下品な笑いが起きる。彼らは友達の顔をしてボクの領域に踏み込んでくるが、その実、ボクを自分たちの優越感を確認するための「エサ」にしているだけだ。
「……っ、わかってるよ……」
 ボクが引きつった笑いで応えると、その瞬間、制服のポケットが『ブッ、ブブッ』と鋭く震えた。
 心臓が口から飛び出しそうになる。ボクは反射的にポケットの上からスマホを抑え込んだ。
「なんだよ、今の音。バイブ? 辻田、お前まさかスマホ持ってきてんの?」
「い、いや。……今のは、お腹が鳴っただけだよ」
 必死に誤魔化すが、フレネミーたちの疑り深い視線がボクの全身をなめ回す。彼らは隙あらばボクの秘密を暴き、クラスの笑いものにしようと手ぐすねを引いている。
 その間も、ポケットの中の鉄片は容赦なく震えを繰り返した。
 ボクは逃げるように自分の席で給食を口に運んだ。
 カバンの中で、画面が点滅しているのが隙間から見える。
『咀嚼の回数が少ない。消化にエネルギーを使いすぎるな。午後の演習に差し支える』
『今日のメニューは揚げパンか。糖質と脂質の過剰摂取になるから半分残せ。』
 先生は、ボクが何を一口ごとに食べ、誰に絡まれているかまで、まるで見ているかのように言葉を投げつけてくる。
 口に運んだ揚げパンは、油の回った不快な塊にしか感じられない。噛んでも噛んでも、小麦の甘みなど一切せず、ただ「砂」を噛んでいるような無機質な味が広がるだけだった。
(ボクだけが、違う世界にいる)
 目の前で「あいつマジで受けるんだけど」と誰かを嘲笑っているクラスメイトたち。彼らの生きている時間は、他人を貶めて悦に浸るための、低俗で、けれど自由なものだ。
 一方、ボクの時間はどうだ。ボクの秒針は、先生という巨大な歯車の一部として組み込まれ、一刻一秒を「効率」と「正解」のためだけに削り取られている。
 
 彼らの笑い声が、水槽の底で聞く音のように、遠く、濁って聞こえる。
 すぐ隣に座っているのに、ボクと彼らの間には、決して越えられない透明な防壁がそびえ立っているようだった。
「辻田、お前さ。さっきから何、カバンの中チラチラ見てんの?」
 一人がボクのカバンに手を伸ばそうとする。ボクは悲鳴を上げそうになるのを堪え、強引にカバンを抱え込んだ。
「……なんでもない。ただの、筆箱だよ」
 その間も、ポケットの中のスマホは「早く返信しろ」「無視するな」と言わんばかりに、一定のリズムで震え続けている。
(助けて、なんて言えるわけない)
 フレネミーたちにバレれば、明日からボクの居場所はこの学校から消える。けれど、先生に従い続ければ、ボクの心はこの檻の中で摩耗し、消えてしまう。
 最後の一口を無理やり飲み込んだ時、喉の奥にこびりついたのは、給食の味ではなく、先生が淹れるコーヒーのような、苦くて冷酷な後味だった。