精神崩壊

 ――深夜一時。
 ボクの意識が睡魔に沈みかけたその瞬間、枕元でスマホが短く、鋭く震えた。
『今日のノルマ、大問六の(3)まで終わったか?』
 画面から漏れる白々しい光が、暗い部屋を不気味に浮かび上がらせる。
 送り主は、言うまでもなく先生だ。
 ボクは重い体を起こし、デスクに向かった。先生の期待に応えたい。その一心で、震える手でペンを握る。
「先生、解けたよ!」
 解答を撮影して送信する。一分もしないうちに、赤ペンで修正された画像が送り返されてくる。
『この行。展開が美しくない。もっと最短距離で解けと言ったはずだ。やり直せ』
 やり直せ。
 その四文字を、ボクは先生からの熱い激励だと受け取ろうとした。先生はボクを、誰よりも高く引き上げようとしてくれているんだと。
 けれど、スマホがまた震えた時、ボクの中で何かが軋んだ。今度はメッセージではない。着信だ。
 ボクは躊躇(ためら)い、けれど逆らえずに通話ボタンをスライドさせた。
『……声が聞きたくなったんだ。維月、今、ペンを置いたね。そのわずかな音で、維月が集中を切らしたのが手に取るように分かってるよ』
 受話器越しに聞こえる先生の吐息。
『……怖いか? 違うよ、維月。それだけ先生が、君の立てる物音一つ、呼吸一つを、逃さず聞き続けているということだ。受話器越しに、維月の戸惑っている息遣いが生々しく聞こえるよ。……もっと、聞かせておくれ』
 その瞬間、ボクの背筋に、今まで感じたことのない嫌な汗が伝った。
 先生は、ボクの部屋に設置されていないはずの「何か」で、ボクの鼓動までカウントしている。
 ボクがボクである時間さえ、先生の所有物として消費されている。
『先生を驚かせてくれるんだろう? そのためには、君の時間はすべて先生のものだ。……そうだろ?』
 返事を待たずに、通話は切れた。
 その時だ。あんなに望んでいたはずの「特別」が、粘りつく汚泥のようにボクの足元を侵食し始めたのは。