精神崩壊

 ――深夜二時。
 ぼくの部屋を照らしているのは、デスクライトの狭い円の中だけだ。
 カーテンの向こう側では、世界が死んだように静まり返っている。逃げた父も、働き詰めの母もいない、ぼくだけの空白の時間。
 シャープペンの芯が折れる音が、鼓膜に突き刺さる。
「……また、間違えた」
 計算用紙の端に、歪んだ文字で何度も書き殴られた公式。
 視界の端がチカチカと明滅する。睡眠不足と過集中のせいで、数字が黒い虫のように紙面を這い回っているように見えた。
 ふと、おでこを触る。
 あの日、先生が赤ペンで「ちょん」と突いた場所。そこだけが、今も熱を持っているような気がした。
(先生なら、今のぼくを見て、なんて言うかな)
『そんな集中力で、先生を驚かせられると思っているのか?』
『手元が(おろそ)かだぞ、維月』
 幻聴だとわかっていても、その冷たい声が聞こえるだけで、止まりかけた右手が跳ねるように動き出す。
 ぼくにとっての数学は、もう学問じゃない。
 先生という神様に捧げるための、血の通わない供物(くもつ)だ。
 一問解くたびに、心臓が一つ、強く脈打つ。
 十位以内に入らなければ。そうでなければ、ぼくはこの暗い部屋に取り残されたまま、誰にも見つけてもらえない。
「……見ててね、先生」
 ぼくは、震える手で新しい計算用紙を机に叩きつけた。
 壁に貼った「学年十位以内」という文字が、月光に照らされて、呪いのように白く浮き上がっていた。