精神崩壊

 ――薫る春風が、ふんわりセットした髪を揺らす。
 舞台の主役になった気分だ。白く透き通った肌と黒い髪が、柔らかな光に照らされる。温かな風に誘われても、緊張は解けない。
 入学式の朝、春風は不快なほどに生温かった。隣を歩く母の、手入れを怠った毛先がぼくの視界を汚す。ぼくたちの家庭には、欠けた歯車のような欠損がある。父というパーツを紛失したまま、歪んだ回転を続けてきた。だからこそ、ぼくは「欠けのないもの」に飢えていた。
 市立藍之宮(あいのみや)中学校の昇降口に着く。
『あっ辻田(つしだ)さん、おはようございます。クラス表をご覧下さい。教室を案内します』
 その人が、目の前にいた。
 黒髪のショートヘア。前髪は眉の下で切り揃えられている。黒縁のスクエア眼鏡の奥には、光を宿さない黒い瞳があった。右目の下に、小さなホクロが二つ。
 皺一つない白いワイシャツ。埃も毛玉も見当たらない黒いスーツ。足元は、真っ白なソックスに黒い革靴。
 一見すれば、清潔で優しそうな男性教師だった。
 ぼくは、その姿を上から下へゆっくりとなぞった。
不意に、顔が熱くなる。いや、顔だけじゃない。
ドロドロとした、生温かい何かが、 体の奥から熱が込み上げてきた。不快で、妙に甘い熱。
「……あ」
思わず息を呑んだ。